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クルミちゃんは崖から落ちたあと、ずっと私の背中に隠れていたようだ。
たぶん、気まずくて出てこられなかったんだろう。
出てくるなり彼女は私の胸に飛び込んできて、顔を埋めたまま子供のように泣きじゃくっている。
「リリーっ、ボク、どうすればいいのさっ!? ボクは女神様のところに行きたい……でも、リリーたちともっともっと冒険したいんだ……! どうにかしてっ! どうにかしてよぉっ! うわぁぁぁぁぁーーーんっ!!」
私は、聖剣のクルミちゃんの柄頭と、精霊のクルミちゃんの頭を、やさしく撫でてあげた。
「……大丈夫、クルミちゃん……ミルヴァちゃんの所に行っても……クルミちゃんを貸してもらえるように頼んであげるから……それで一緒に冒険に行こっ……ねっ?」
「めっ……女神様が……リリーなんかの言うこと、聞いてくれるわけないじゃん!」
顔をあげたクルミちゃんの瞳は、溺れそうなほどに涙をあふれさせている。
私は、言葉を尽くして彼女を安心させてあげたかったんだけど……いよいよ声を絞り出すのも辛くなってきた。
「ね、ねぇ……イヴちゃん……」
私はイヴちゃんに声をかける。
彼女はさっきまで苛立ってたんだけど、号泣するクルミちゃんにすっかり毒気を抜かれたようで、なんだか戸惑っているようだった。
「なっ、なによ?」
「お願いがあるんだ……もし……私がこのまま死んだら……私にかわって、ツヴィートークまでクルミちゃんを送り届けてほしいんだ……」
「なっ!? なにを言い出すのよ、アンタ!?」
イヴちゃんは聖剣のクルミちゃんと精霊のクルミちゃんの間に割り入って、私の襟首をまた掴んできた。
私は、三人の女の子からすがりつかれる。
「しっ……死んじゃやだぁ! リリーっ!」
「縁起でもないこと言うんじゃないわよっ! ここで死んだら、またズェントークに逆戻りじゃない! そんなの絶対許さないわよっ!」
「うん……私が死んだら、ズェントークに戻っちゃうから……そのときは、転送装置を使わせてもらって、ツヴィートークからみんなを迎えに行くよ……」
……実をいうと、それをできるかどうかの自信は、あまりなかった。
転落して、鉄骨が刺さって、失血して死亡した場合……どうなるかわからないからだ。
どうなるかわからない、ってのは、聖堂で復活できるかわからない、ってこと……。
戦闘でモンスターに倒された場合は、聖堂で復活できる……。
でも、事故死の場合はどうなるか……わからないんだ……。
もしかしたら、復活できないんじゃないか……そう考えるようになったのは、他にも理由がある。
なんだか、いつもと違うんだ……。
まるで、小さな穴が開いた風船みたいに、身体の中身が少しずつ抜け落ちていくような感覚……。
この感覚は、前にも一度だけ味わったことがある。
夏休みの課題で漂流して、飢え死にしかけたとき……そのときと同じ。
あの時は、偶然通りかかった船に助けてもらったんだけど……もし船が通らなかったら、餓死していたかもしれないんだ。
その、餓えすぎるあまり、燃え尽きる前のロウソクのような、身体が溶けていくような感覚……それをいまも感じているんだ……。
ということは、モンスターに殺される以外の死に方では、復活できないかもしれない……!
私はこのまま本当に、死んじゃうかもしれないんだ……!
私は最後の力を振り絞って、三人をぎゅっと抱きしめた。
「イヴちゃん……イヴちゃんって、すごいよね……だって……どんな強くて怖そうなモンスターでも、臆することなく平気で立ち向かっていくんだから……。一緒にいるだけで、勇気をいっぱい貰える……そんな強くてかっこいいイヴちゃんは、いつまでも私の憧れ……大好き……大好きだよ……イヴちゃん……」
「なっ……なによ? 急になに言い出すのよ、アンタ?」
「えへへ、言えた……。カラーマリーでの愛の告白……イヴちゃんにできなかったから……今、しちゃった……」
「り……リリー……? アンタ、まさか……!?」
私の態度に、とうとうイヴちゃんも気づいたようだ。
「お願い、イヴちゃん……私の、最後のお願い……聞いて……クルミちゃんと、お友達になってあげ……て……」
「リリーぃぃーーっ! アタシを置いて死ぬんじゃないわよぉっ! アタシも……!」
「リリいぃぃぃんっ! うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーんっ! 死んじゃやだよぉっ! 死なないでぇぇぇぇっ!」
イヴちゃんとクルミちゃんの声が、遠くで響いていた。
ああ、それもだんだん……聞こえなくなってきたよ……。
それに、もう……なにも見えないよ……。
ああ、とうとう、来ちゃったかぁ……。
みんなとお別れする時が……。
せめて最後くらい、ミントちゃん、シロちゃん、クロちゃんにそばにいてほしかったなぁ……。
ミルヴァちゃんにも……もう一度……会いたかった……。
それに……ごめんね……ママ……。
私……ママみたいな勇者になりたかったのに……もう……なれそうもないや……。
ごめんね……ママ……。
ごめんね……みんな……。
……さようなら……。
さよう……な……ら……。
……。
…………。
………………。
……………………ぐぎゅるるるるるるるるるぅぅぅぅ~~~っ。
腹の底から、私の身体を震わせるような大音響。
私は叩き起こされたように、ハッと瞼を見開く。
すぐ目の前には、ウサギみたいに真っ赤にした瞳を、パチクリさせるイヴちゃんとクルミちゃんの顔が、どアップであった。
イヴちゃんがおもむろに、私のお腹から、血のにじんだマントを引っ張る。
穴のあいたマントが取り除かれると……そこには、石の土台がついた鉄骨が鎮座していた。
イヴちゃんはその鉄骨を、ぐっ、と掴む。
私は「ウッ! い、痛い……!」と身体をのけぞらせてみる。
しかしそのお芝居は通用しなかったようで、イヴちゃんは土台ごと鉄骨をひょいと持ち上げてしまった。
その下には、私のお腹があるんだけど……めくれあがったシャツからは、いつものおへそが覗いていた。
私は横たわったまま、頭をボリボリと掻く。
「あ……なんか鉄骨の上に落ちたかと思ったんだけど……どうも勘違いだったみたい」
同時に私は、身体の力がかつてないほど抜けていた理由にも気づいていた。
私はたまらなく、お腹が空いていたんだ……!
たまにあるよね、すっごくお腹が空いて、ボンヤリしちゃうときって……!
大きな謎が解けた私は、心の中でポンと拳を打っていた。
直後、獣のようなおたけびが、ふたつ轟く。
「ふっざけんじゃないわよぉぉぉぉぉっ!! アタシたちを騙したのねっ!?!?」
「なんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!! リリーのバカッ!! 大バカァ!!」
「ご、ごめんイヴちゃん! クルミちゃん! だ、騙すつもりはなかったんだ! で、でも血は出てるから、どっかケガはしてるはずだよ!?」
血の正体は、カボチャみたいに大きな赤い木の実から飛び出た汁だった。
私のお尻に押しつぶされ、クッションになって守ってくれたようだ。
「こんのぉぉぉぉっ! アタシを騙してタダですむと思うんじゃないわよっ!!」
「そうだそうだ! こんなだから、いつまでたってもドジ勇者なんだよぉっ!!」
私はイヴちゃんとクルミちゃんから頬をつままれ、これでもかと引っ張られる。
「いひゃひゃひゃひゃひゃ! いひゃいいひゃい! ひんりゃう! ひんりゃうからやへて!」
「何言ってんのかわかんないわよっ! でも、今日という今日はこんなんじゃすまさないわよっ! クルミ、もっと引っ張るわよっ!」
「うん! 人と聖剣を騙す、悪い勇者をやっつけよう! せぇーのっ!」
「いひゃあああああああああああああああーーーーーーーーーーんっ!!」
私の絶叫を聞きつけたのか、茂みの中から、ミントちゃん、シロちゃん、クロちゃんが飛び出してくる。
三人とも我を忘れたように駆け寄ってくれたんだけど、私たちがふざけあってるのを見て、呆然と立ち尽くしていた。
ミントちゃん、シロちゃん、クロちゃん……三人とも葉っぱまみれだ。
シロちゃんに至っては、背中の翼がいつもより大きくなっている。
それで、私が抱いていた、最後の疑問も氷解した。
そっか……天使の幻覚が見えたと思ったけど……その正体は、崖から飛び降りたシロちゃんたちだったのか……。




