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ばちぃぃぃーーーーーーーーーーんっ!!
鼓膜が破れるかと思うほどの強烈な衝撃を、右の頬に受け、私はシャキッとした目覚めを迎える。
ハッと目を見開くと、馬乗りになったツインテールのシルエットが、大きく手を振りかぶっていた。
空を切り裂くような音とともに、私の左の頬に、靴底のような張り手が炸裂する。
ばちぃぃぃーーーーーーーーーーんっ!!
「ふぎゃっ!」
容赦ない痛みに思わず、尻尾を踏まれた猫みたいな悲鳴を絞り出してしまう。
「起きなさいっ! リリーっ! こんなところで死んでんじゃないわよっ!!」
私を暴行している主は、声と髪をこれでもかと振り乱し、玉のような雫を撒き散らしながら、さらに振りかぶった。
「まっ……まって、イヴちゃ……! 起きてる、もう起きてるからっ!」
私は必死になって起きてるアピールをしたんだけど、その努力も虚しく、
ばちぃぃぃーーーーーーーーーーんっ!!
さらなる追撃をくらってしまった。
そこからさらに、乾いた打撃音をもう六発ほど森の中に轟かせたあと……イヴちゃんは殴るのをやめてくれた。
状況的に、正気に戻るべきは私のほうなんだけど……私は彼女のビンタの一発目でとっくに目覚めていたので、そこからは立場が逆転した。
私は、私の意識を取り戻そうと死に物狂いになっているイヴちゃんを、なんとかなだめたんだ。
日焼けしたみたいに頬がヒリヒリするなか、身体を起こそうとしたんだけど……違和感に気づく。
そして私は、イヴちゃんが半狂乱になっていた理由を知った。
ガレキの山に横たわる私のお腹からは、背中のマントが絡みついていて……そこからは、錆びた鉄骨の先が突き出ていたんだ……!
私たちは崖から落ちたあと、深い森の中に突っ込んだ。
森の底には廃材が積まれていて、私は運悪く、鋭い鉄骨の上に背中から落ちちゃったんだ……!
「くっ……よりにもよって、なんで鉄骨の上に落ちちゃうのよっ!? 抜くわよ、リリーっ!」
イヴちゃんは私の身体を引っ張って、鉄骨から引き抜こうとする。
「ま、待ってイヴちゃん! 抜いちゃダメ! い……いまはあんまり血が出てないけど、抜いたらたぶん、血がいっぱい出ちゃう……! そうなると、シロちゃんが来るまで持たないかもしれない……!」
私に押しとどめられ、イヴちゃんは足元のガレキにガンと拳を打ち付けた。
ガレキは瓦割りのように、パカッと割れる。
「あぁん、もうっ……! シロはなにやってんのよっ!? アタシたちが落ちたのは見てたはずなのに……!」
「ロープが切れたから、降りれなくなっちゃったんだよ……ところでイヴちゃんは、ケガしてない?」
「なんともないわよっ、誰かさんが余計なことしたせいでね!」
「そっか、よかった……」
私は横たわったまま、安堵のため息を漏らす。
ロープが切れて落ちたとき、私はイヴちゃんを守るために、なんとか彼女の下になろうと努力したんだ。
地面に叩きつけられた瞬間に意識がなくなったので、結果は見てなかったんだど……どうやら、うまいことクッションになれたみたい。
「余計なことと言えば、あのバカ……! 見つけたら絶対に許さない……! 今度こそバッキバキにへし折って、溶鉱炉に叩きこんでやるんだから……!」
イヴちゃんは握りこぶしを固め、歯ぎしりをして、全身で悔しさを露わにしている。
私はそんな彼女の太ももに、そっと手を置いた。
「あの……イヴちゃん……クルミちゃんのこと、許してあげて……」
するとイヴちゃんは、到底信じられないような顔になる。
猛然と挑みかかってきて、私の襟首をガッと掴んできた。
「……なんで!? なんでアンタはそんなにアイツのことをかばうのよっ!? アイツは最初からわがまま放題で、アタシたちにナメた態度をとって、ピンチを助けてやっても感謝ひとつしない! それだけならまだしも、この仕打ちよ!? アンタはアイツのせいで、いまこんな目に遭ってるってのに、なんでかばおうとするのよっ!?」
私を見下ろしながら、もどかしそうに歯を食いしばっているイヴちゃん。
私は、樹冠の間から漏れる光のまぶしさに、目を細めていた。
「……私……クルミちゃんを初めて見たとき、思ったんだ……まるで、イヴちゃんみたいだ、って……」
「な……なによ……それっ」
「私がイヴちゃんに、初めて声をかけたときのこと……覚えてる? イヴちゃんはお城の庭園で、ひとりでいたよね……そのときのイヴちゃんって、キレイで、凛としてて……カッコよかったんだ……でも……どうしてだろうね……なぜか私は、イヴちゃんが寂しそうに見えたんだ……」
「アタシが……寂しそう?」
「うん……なんて言えばいいのかな……誰もがうらやむくらいキレイなのに、ひとりぼっちみたいで……見た目はぜんぜんそう見えないんだけど、なぜか私には、イヴちゃんがひとりで泣いているように見えたんだ……」
私は、言葉に力が入らなくなっていくのを感じていた。
なんだか、身体から生気のようなものが抜け落ちていってるみたいなんだ。
たぶん……お腹からは血は出てないんだけど、背中のほうからはたくさん血が出ていってるんだろう。
私はイヴちゃんを心配させまいと、振り絞って言葉を続けた。
「この子は、寂しがってる……お友達がほしいんだ……って思って、私はイヴちゃんに声をかけたんだ」
「お……思い上がるんじゃないわよっ、私はアンタなんかに相手してもらわなくっても、べつにひとりで平気だったんだから!」
「うん、そうだよね……私の思い上がりだと思う……でも……クルミちゃんも同じように、ひとりぼっちに見えたんだ……だから……友達になってあげたくって……」
「アイツはアンタのこと、友達だなって思ってないわよ」
「……イヴちゃんは、私の友達だよね?」
「そっ……そりゃ、まあ……アンタがひっついてくるから、しょうがなく……一緒にいてあげてるけど……」
「イヴちゃんも最初は、クルミちゃんみたいだったの……覚えてる?」
「あっ、アタシが!?」
「うん、『アタシはお姫様だから、アンタは友達じゃなくて召使いなのよ!』って……」
「うっ……!」
思い出したのか、イヴちゃんは顔をカッと赤くする。
「クルミちゃんも私たちのこと、見習いだってバカにしてるけど……ずっと一緒にいたら、友達になれると思うんだ……だから……あっ」
私は木漏れ日の間に、天使が飛んでいるのを目にした。
幻覚が見えるなんて……そろそろ……やばい……かもしれない……。
私は、イヴちゃんの手を握りしめた。
「だから、イヴちゃんと友達になれたように……きっと……クルミちゃんとも友達になれると思うんだ……」
「で、でも……! アイツはロープを切って、アタシたちをこんな目に遭わせたのよ!? それを許せっての!?」
「お願い、イヴちゃん……クルミちゃんがムイースに戻りたがったのは、船に乗りたかったからじゃない……たぶん……私たちと別れるのが、寂しかったんだよ……」
「うわああああああああああああああああああああ~~~んっ!!!」
ふと、私の背後から号泣がわきおこる。
ガレキの隙間から、フナムシのようにカサカサとクルミちゃんが這い出てきたんだ。
「なんで、なんで、なんで今頃になって気づくんだよぉ~! リリーのばかぁ! ボク、もっと冒険したかったんだ……! 最初は見習い冒険者と旅するなんて、気が進まなかったけど……リリーたちの冒険は、ボクが考えてた冒険とぜんぜん違ってて……! だって変じゃない! カエルを捕まえたり、パンを作ったり、しりとりしたり、なぞなぞしたり、ドッペルゲンガーを騙したり……! 挙句の果てに、イカのかぶりものをして、足漕ぎボートだよ!? そんな変な冒険者、いるわけないじゃない! でも……でも……ボクはなんだか……楽しい、って思うようになって……それが……ツヴィートークに着いちゃったら、終わりだと思うと……そんなの嫌だ! 嫌なんだよっ! ボクはもっと冒険したい! リリーたちと、もっともっと変なことしたい! お別れなんて嫌だよっ! なんでボクの気持ちも知らずに、女神様のところに連れてこうとするのさっ!? リリーのバカっ! バカっ! バカぁ! うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーんっ!!」
私の胸に顔を伏せ、おいおいと泣く聖剣のクルミちゃんと、精霊のクルミちゃん。
その泣き声は、いつまでもいつまでも森の中に響いていた。




