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その日は河原で野宿してから、次の日からツヴィートーク目指しての旅を再開する。
ムイースに戻ることも考えたんだけど、「距離がわからないなら、戻るより進もう」という結論になり、ツヴィートークに向かうことにしたんだ。
ムイースからツヴィートークまでは、直線距離ではそれほど離れていない。
ただ、険しい岩山が多いおかげで船で行き来するのが当たり前になっていて、道が全然整備されていないんだ。
道中の最初は、河原の石がごつごつしているくらいで、大きな問題もなく川沿いをさかのぼることができたんだけど……だんだん険しい岩が多くなってきて、とうとうまともに歩くこともできなくなってしまった。
漬物石くらいだった岩が、膝上になり、腰より高くなり……そしてついには身体よりも大きくなってきて、登だけでひと苦労。
岩のくぼみに手足をかけて、ロッククライミングのように這い上がっていく。
身軽なミントちゃんは岩山に住むカモシカのようにひょいひょいと登っていくんだけど、他のメンバーは大変だ。
身長より高い岩は、まずはミントちゃんに登ってもらって、三人がかりで下から押し上げたイヴちゃんを引っ張りあげてもらう。
あとは私が下からシロちゃん、クロちゃんの順番でお尻を押し上げて、力持ちのイヴちゃんに引っ張り上げてもらう。
最後はミントちゃん、シロちゃん、クロちゃんの三人がかりでイヴちゃんの脚を持ち……イヴちゃんが限界まで岩から身を乗り出して、下にいる私の手を掴んで、引き上げてもらった。
そんな風に、仲間たちを総動員したやり方で……ようやく一段を乗り越える。
ひとつの岩を登っただけだというのに、かなり疲れてしまった。
「はぁ、はぁ、はぁ……こんなのがあと、何段あるの……?」
うんざりした様子で壁によりかかるイヴちゃんに対し、息ひとつ切らしていないクロちゃんが答えた。
「ここは、『巨人の階段』と呼ばれている」
彼女の言葉に、私たちは揃って岩山を見上げる。
たしかに、身長ほどもある大きな岩が階段状に頂上まで続いていて、まるで巨人の国に迷い込んだような気分になった。
私は軽い絶望を覚えたが、ここでリーダーの私が落ち込むわけにはいかないと、気持ちを奮い立たせる。
「なぁに、こんな階段なんてたいしたことないって! ツヴィートークの寮でたまに、ネズミたちが協力して階段を登ってる姿を見かけるんだ! ネズミたちにできて、私たちにできないわけがないよ!」
「そのネズミたちが階段の頂上で、ネコに食われてるのは見たわね」
「ちょ、水差さないでイヴちゃんっ! とにかく行こう! 日暮れまでにはこの岩山を越えないと……!」
それから私たちは、ハムスターのように小さな身体を絡みあわせ、よこっらせ、どっこらせ、と一段ずつ段差を登っていく。
太陽が高くなったところで、岩清水が湧き出ている中腹でひと休みする。
持ってきていた木の束で焚き火を作り、昨日干しておいた魚を焼き、木の実といっしょに食べた。
これで、今日の分の薪と食料はなくなってしまった。
早いところ岩山を降り、河原で晩ゴハンの分と、明日の朝と昼の分を確保しなきゃ。
まさにサバイバル……私たちは図らずとも、その日暮らしの強行軍をすることになってしまったんだ。
そうこうしているうちに、なんとか夕方前に岩山の頂上に辿り着いたんだけど……ものすごい絶景だった。
山脈のように連なる岩山があって、その下にはじゅうたんみたいに森が広がっている。
びゅうびゅうと吹き付ける風に髪をゆらしながら、私たちはしばしその景色に見とれてしまった。
下りは登りよりはだいぶラクだった。
まずは私とイヴちゃんが下に飛び降り、次にお尻を向けて降りてくるシロちゃんとクロちゃんを抱きとめる。
一段ごとにシロちゃんとクロちゃんをハグできるので、私は頬が緩むのを止められない。
「ニヤニヤすんじゃないわよ。気持ち悪い」とイヴちゃんからほっぺたをつねられてしまった。
夕暮れになってようやく、私たちは岩山のふもとにある河原に着いた。
イヴちゃんミントちゃんチームはガチンコ漁。
シロちゃんクロちゃんチームは木の実と木の枝集め。
そして、私はというと……焚き火の前にあぐらをかいて座り込み、カエルナイフを使って工作をしていた。
木切れを削って、おおざっぱに形を整えていると、
「リリー、なにやってんの?」
と精霊のクルミちゃんが覗き込んできた。
私はナイフを動かす手を止めずに答える。
「これはね、釣り針を作ってるんだ」
「釣り針? ガチンコ漁があるんだから、わざわざ釣りなんてしなくてもいいのに」
「ガチンコ漁ができる所ならそれでもいいんだけど、できない場所でキャンプすることになった時に役に立つかなと思って」
「ふぅん……あ、こっちのツタの束みたいなのは?」
クルミちゃんは束ねられているツタに興味を移す。
「これはツタを編んで作ったロープだよ」
「ロープなんて、なにに使うの?」
「ほら、あれを見て」
私は、次の進路である南東の岩山を指差した。
「今日登ったのと同じような岩山が見えるでしょ? 今日と同じような登り方をしてちゃ体力が持たないと思って、ロープを作ってみたんだ」
「……へぇえ……リリーって、おっちょこちょいの見習い冒険者かと思ってたけど……ちゃんと考えてるんだ……!」
大きな瞳をことさら見開いて、うんうんと感心してくれるクルミちゃん。
私は美人のお姉さんから褒められてる気がして、なんだかくすぐったかった。
「学院に入ったばっかりの頃はそうじゃなかったんだけどね。あの時の私だったら、たぶん今頃はあてずっぽうの方角に進んで遭難してると思う。食べ物もロクに探せなくて、ハラペコで動けなくなってたと思うなぁ」
「リリーも成長してるんだねぇ。じゃあツヴィートークに着く頃には、見習いも卒業できてるかもしれないね」
「そうだといいなぁ」
私はナイフを小刻みに動かして、釣り針に返しをつける。
細かい作業だったので、それっきり黙り込んで作業をしていると、
「ねぇ……リリー」
不意にまたクルミちゃんが話しかけてきた。
「なあに? クルミちゃん」
「もうすぐ、ツヴィートークに着いちゃうんだよね」
「うーん、今どのあたりにいるかわかんないけど……近づいてるとは思うよ」
「そっかぁ……」
そうつぶやいたクルミちゃんは、なぜか元気がない。
暗くなっていく河原は、静寂に包まれつつある。
川の流れる音と、焚き火が弾ける音のみで……私は彼女の寂しさをより強く感じてしまった。
「……どうしたのクルミちゃん? あんまり嬉しそうじゃないね……あんなにツヴィートークに行きたがってたのに」
「よくわかんないんだけど……今までボクって、ずっと女神様の元に行くことだけを夢見て洞窟の中にいたんだ」
「うん、たしか十年もいたんだよね」
「そう……女神様に会うことだけが、ボクのすべてだったのに……なぜか今は、そんな風に感じないんだ」
「どうして?」
「……わかんない」
パチリと焚き火が弾け、クルミちゃんの顔を照らす。
その顔は、捨てられた直後の子犬みたいに……途方もない戸惑いを感じさせた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
次の日。私たちは河原を出発し、次なる岩山に挑んだ。
昨日作っておいたロープをミントちゃんに持ってもらって、先に岩山に登ってもらう。
手頃な岩に結びつけてもらって、あとはそれを伝って私たちが登る……というのを繰り返した。
このやり方は大成功。昨日は岩山の頂上に登るまで夕方前までかかってたんだけど、お昼前には着いてしまった。
そしてさらに嬉しいニュースが舞い込む。頂上からの眺めの向こうにうっすらと、のろしのような煙が見えたんだ……!
「見て、あの煙……! きっとロストークの釜よ!」
はるか遠くの煙を、指さしながら叫ぶイヴちゃん。
ロストーク……ツヴィートークの北西にある村。
陶芸で有名な村で、村の真ん中には巨大な焼き窯があるんだ。
釜に火が入っているときは太い煙がもうもうと立ち上って、遠くからでもすごく目立つ。
『陸の灯台』なんて別名があるくらい、旅の目印としても役立っているんだ。
そのロストークの煙が見えたということは、ツヴィートークに確実に近づいているということになる……!
まだだいぶ距離がありそうだけど、あの煙を目指せば確実にツヴィートークに帰れるということだ……!
今まではどこにいるのか、どのくらい進んでいるのかわからず、深い霧の中を進んでいるような不安があったんだけど……それが一気に晴れたような気分だ。
私たちはもうツヴィートークに着いたみたいに大喜びする。
精霊のクルミちゃんの手を取って「もうすぐミルヴァちゃんに会えるよ!」と言ってあげたんだけど、彼女はなんだか浮かない表情だった。
目印ができたことで、みんなのやる気は一気に跳ね上がる。
私たちは意気揚々と、下山のルートへと向かった。
しかし……降りるための道は道どころか、段差すらなく完全な断崖絶壁だった。
一枚の壁のようになっていて、目のくらむような岩壁の真下には、深い森が広がっている。
いつもだったら間違いなく尻込みしちゃう崖だったんだけど……今はロープもあるし、何より早く先に進みたい気持ちがあったので、ロープを使って降りてみようということになった。
そして……事件は起こったんだ。




