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次の日。
晴れ渡るカラーマリーの港に、私たちはいた。
目の前には、波に揺れる屋根つきのボート。
屋根の上には大きなイカの模型があって、『イカの街、カラーマリーへようこそ!』なんて書かれた大漁旗みたいなのがはためいている。
それを手のひらで示しながら、マルシェさんが言った。
「『ユリイカ』の撮影、ごくろうさん。はい、これが報酬だよ」
「えっ……このボートがですか?」
呆気に取られる私。
「うん、これがあれば、スカート湾を渡れるだろ?」
「ちょっと! 話が違うじゃないの! 客船に乗って渡れるくらいの旅費をくれるんじゃなかったの!?」
私の気持ちを代弁するように、イヴちゃんが吠えた。
「うぅん、報酬の旅費はちゃんと用意してたんだけど、昨日の撮影のウエディングドレス代に遣っちゃったんだ。リリーたちも、報酬の減額は納得してくれたんじゃなかったのかい?」
困惑した様子で続けるマルシェさん。
「でも、これでもかなりがんばったんだよ。最初はイカダだったんだけど、それじゃあんまりだと思ったから……なんとか村長に頼み込んで、観光ピーアール用のこのボートをもらったんだ」
確かに彼女の言うとおりだ。
報酬の減額はたしかに「それでいいですっ、お願いしますっ!!」って大声で約束した。私以外のみんなが。
それに……マルシェさんなりにいろいろ気を使ってくれたようなので、私たちはそれ以上、何も言えなかった。
しょうがなく、大喜び、不安……様々な感情を抱えた仲間たちとともにボートに乗り込む。
「内装はキレイだからまだいいんだけど……揺れるわねぇ」とイヴちゃん。
「わーいわーい! どんぶらこ~! どんぶらこ~!」とミントちゃん。
「あの……このお船で本当に湾を渡れるのでしょうか……?」とシロちゃん。
「うーん、目的のムイースまではだいぶ遠そうだけど、目で見える距離だから大丈夫なんじゃないかな……とりあえず、出発しよっか」
私は船のキャビンの中に入り、先頭にある操舵室に行ってみた。
そこには長椅子があって、正面には六つの操舵輪、足元には六つのペダルがあった。
「こ……これ……足漕ぎボートなの!?」
「ああ、そのボートは観光客用の足漕ぎボートを改造したやつだからねー!」
私の悲鳴が外まで聞こえたのか、マルシェさんの声が返ってきた。
そ……そうなのかぁ……。
足漕ぎとわかって急に不安になっちゃったけど……六人もいればなんとかなるかなぁ。
クルミちゃんは朝からずっと寝てるから、動力としては期待できそうにないけど……。
私はみんなを操舵室に呼んで、一列になって座った。
ミントちゃんはさっそく操舵輪をぐるぐるして大はしゃぎだ。
そうこうしているうちに、ボートは岸から離れていく。
マルシェさんの声援、そしてカモメの鳴き声と潮騒を聞きながら、私たちはカラーマリーの街をあとにした。
……というくらい、順調に進めればよかったんだけど……五人でしゃかりきになって漕いでみても、ボートはなかなか進まない。
途中でイヴちゃんがクルミちゃんを叩き起こし、無理矢理手伝わせる。
聖剣のクルミちゃんは逆さまになって、鍔の腕を器用に使ってペダルを動かしていた。
動力が六人になったんだったら、イケるかもしれない……と思い、まるで奴隷になったみたいにみんなで力をあわせ、がんばって漕ぎまくる。
しかし……後ろを振り返ってみると、カラーマリーの岸はまだ大きく見えていた。
マルシェさんが見送る姿もそのまんま。
とうとうみんなも疲れてきて、やる気のない様子でペダルをゆっくり漕ぎだした。
シロちゃんだけはひとり真面目に漕いでたんだけど、さすがに辛そうだったので「もっとゆっくり漕がないと、途中でバテちゃうよ」と声をかけてあげる。
それからしばらくして……私の腹時計がムギューと鳴った。
そろそろお昼か。
あ……!
よく考えたら、何の食料も持たずに出てきちゃった……!
湾を渡るなんてすぐだろうと思ってたから、なんにも準備してこなかった……!
こんな漂流みたいな目に遭うとわかっていたら、ゴハンを持ってきてたのに……!
もしかしたら船の中に何かないかなと思い、漕ぐのはみんなに任せて探してみることにする。
すると……『困ったらここを開けて』というメモが棚の扉に貼ってあるのを見つけた。
開けてみると、中には米や水、調味料や調理器具が入っていた。
これは……!
きっとマルシェさんが入れておいてくれたんだ……!
私はボートのサイドデッキに飛び出し、岸の方を見る。
マルシェさんにお礼を言おうとしたんだけど……彼女の姿はもうなかった。
しょうがないので、マルシェさんがいるであろう大通りの屋台の方角に向かって拝んでおく。
よぉし、ゴハンを作ろう……!
普通の料理だったらシロちゃんの出番なんだけど、こういうサバイバル的な料理だったら私の出番だ。
底の深い陶器のコンロに炭を詰め込んで、クロちゃんの魔法で火をつけてもらう。
キャビンの中で調理しちゃうと煙で大変なことになっちゃうから、外のデッキに持ち出した。
コンロに向かって息をフーフー吹きかけながら、米を入れた飯ごうを上に置く。
しばらく待つと……実においしそうなゴハンが炊けた。
よし、これを塩おにぎりにしよう、と思って握ってみたんだけど……どうにも形がうまく整えられない。
しょうがないのでここでシロちゃんを投入。
彼女のすべやかな手で作り出されたおにぎりは、型押ししたみたいにキレイな三角形になる。
「みんな、おまたせー!」と皿に載せたおにぎりを、操舵室に持っていくと……みんなはかなりお腹が空いていたのか、雛鳥みたいにピーピーと騒ぎだす。
漕ぎながらでも食べられるようにと、おにぎりにしてみたんだけど……それは大正解だった。
みんなはもりもり食べて力が戻ってきたのか、再び元気に漕いでくれたんだ。
……そんなこんなで私たちは、ひたすらに漕ぎ続ける。
夕方になっても湾の半分も来てなかったんだけど、「ここまで来たら」という思いがあるのか、誰も引き返そうとは言わなかった。
私は最初は不安だったんだけど……みんなと並んでひとつの作業をするのが楽しくて、むしろもっとゴールが遠くてもいいんじゃないかと思うようになっていた。
他にすることもないので、お喋りが弾むのもまたいいんだ。
「えーっと、りんご!」
「りんごかぁ、りんごといえばミントちゃんかなぁ」
「えーっ、なんでー?」
「ミントちゃんのほっぺって、りんごみたいじゃない? 見てるとりんごを食べたくなっちゃうんだよね」
「そういえば似てるわねぇ、味もりんごみたいだったしね」
「えっ、そうなのですか?」
「ミントのほっぺ、りんごなの!? んにゅぅぅ~!」
「あははは、そうやって舌を伸ばしても頬には届かないよ!」
「じゃあミントちゃん、私がかわりに食べてあげる!」
はむっ。
「きゃはっ! くすぐったい!」
「……どう?」
「うーん、ミントちゃんの味だ」
「ばーか、りんごの味なわけないでしょ」
「あっ、イヴちゃん、騙したなぁー!?」
私たちがいまやっているのは、『エピソードしりとり』。
しりとりに答えるだけじゃなく、その単語にまつわるエピソードも一緒に話さなくちゃいけないんだ。
「リリー、次の言葉を」
「あ、そうだった。りんごだったよね、ご、ご……ごりら!」
「ごりら。ゴリラはドラミングという胸を叩く仕草をする。あれはグーではなく、パーで叩いている」
「それ、エピソードっていうよりウンチクじゃん! ゴリラの思い出とかないの?」
「皆無」
「ゴリラとの思い出なんて、そうそうあるもんじゃないでしょ。でもドラミングって、パーだったのね! アタシずっとグーでやってるんだと思ってたわ!」
「パーのほうがいい音が出る」
「ホントかなぁ? ウホウホウホっ! ほらほら、みんなも一緒に!」
私は自分の胸を叩きながら、みんなにもドラミングを勧める。
「ウホウホウホっ!」本当のゴリラみたいに、どんどこ叩くイヴちゃん。
「うほうほうほーっ!」小さな胸を元気に打ち鳴らすミントちゃん。
「ウホウホ」平らな胸をペシペシやるクロちゃん。
「う……うほっ」恥ずかしそうに、豊かな胸をぽよんぽよん叩くシロちゃん。
「こう? ウホウホウホー!」両手の鍔を、柄のあたりに打ち付けるクルミちゃん。
「クルミ、聖剣のアンタがソレやると、カンカンうるさいわねぇ」
「でも、いい音色ですね」
「きんきんらんらんしてるー!」
「うん、なんだか楽器みたいだね!」
「えーっ、そーかなー? えいっ、えいっ、えーいっ!」
ほめられたクルミちゃんは得意になって、打楽器のように身体を打ち鳴らす。
自然とリズムを刻みだしたので、ミントちゃんが歌いだした。
私が続くと、クロちゃんも続く。そして遠慮がちにシロちゃんも口ずさむ。
みんなから見つめられて、しょうがないわねぇと言った様子で参加するイヴちゃん。
……夜の海を進む船は、賑やかな歌声がいつまでも響いていた。




