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それから私たちは入れ替わり立ち代わり、『ユリイカ印のイカスミパスタソース』のパッケージ撮影をした。
ピューと水鉄砲みたいに、パスタめがけてイカスミを放出するミントちゃん。
お上品に口を手で覆い隠して、パスタにイカスミを垂らすシロちゃん。
吐血するみたいにダラーと、パスタにイカスミを落とすクロちゃん。
イメージイラストとは違い、自分なりのやり方でイカスミを吐く仲間たち。
イヴちゃんに至っては、パスタじゃなくて私に向かってイカスミを吐きかける始末だった。
そのあとは別バリエーションの撮影。
ふたりでイカスミパスタを食べさせあったり、一本のパスタを咥えあったり、いろいろなバリエーションを撮る。
こういう撮影をするのって、生まれて初めてだったんだけど……結構大変だなあと思ってしまった。
私にとってポスターといえば、武器屋とかに貼ってあるやつがおなじみだ。
個人商店みたいなところだとポスターも絵だったりするんだけど、チェーン店みたいな大きなところではポスターにも写真が使われている。
新製品の剣のポスターとかは、有名な勇者がカッコ良く構えているポスターだったりするんだけど……自分もいつかはこんな風にポスターになりたいなぁ、なんて思っていた。
でもこんなに早く、ポスターになる夢が叶うとは思わなかった。
宣伝するのは新製品の剣じゃないし、カッコいいわけじゃないし、ましてや勇者としてじゃないけど……まあいいよね。
なんてひとり悦に入っていると……撮影ブースに長机と椅子が運び込まれてきた。
そしてマルシェさんがえっちらおっちらと色紙を抱えてきて、机の上にドサドサと並べていく。
「色紙? 今度はサインでもするの?」とイヴちゃん。
「そう! お店に貼るための色紙と、プレゼント用の色紙……ひとりあたり500枚! いますぐ書いとくれよ!」
さぁさぁと椅子に座らされ、私たちはペンを握らされてしまう。
「で、でも……急にサインしろだなんて言われても……」
私は戸惑ってしまった。
レベル90を超えるような有名な勇者なら、よくサインをせがまれるらしいんだけど……私たちはまだレベル6。
もちろん勇者としてサインするわけじゃないのはわかってるけど、サインなんて考えたこともないから、なにを書いていいのか……。
……というのはウソだ。
実をいうと一流の勇者になったときのことを考えて、私はしょっちゅうサインの練習をしてたりする。
それこそ学院の授業そっちのけで、ノートをサインだらけにしたこともあるほどなんだ。
私の戸惑いはすぐに高揚感に変わった。
手の中でクルリンとペンを一回転させて、やる気を出したあと……さっそく色紙にペンを走らせる。
本名は『リリーム・ルベルム』なんだけど、愛称のほうの『リリー』を採用。
まず剣をモチーフにしたイラストから書きはじめ、そのあと『リリー』を崩して書き、最後に盾をモチーフにしたイラストを加える。
もう手が覚えるくらいに書いた、私のサイン……!
「だっさいサインねぇ……ごちゃごちゃしてて、まるでアンタの私生活みたい」
「そんなに私生活は乱れてないよぉ」
イヴちゃんに言い返しながら、彼女のサインを覗き込んでみる。
お隣さんのサインは、『姫騎士イヴ』と書いたあと星マークを加えたものだ。
「イヴちゃんって、まだ姫騎士じゃないような……」
すると、流し目で睨まれた。
「いいのよ、もうすぐなるんだから」
「そうなんだ……」
それ以上突っ込むのも野暮かと思ったので、私は曖昧な相槌をしたあと、他のみんなのサインを見てみることにした。
まず逆隣にいるクルミちゃん。
聖剣のクルミちゃんは鞘を器用にクネクネと曲げて椅子に腰かけている。
さらに器用なことに、手みたいな鍔でペンを持ち……淀みない動きで色紙をサラサラとしたためていた。
後ろには精霊のクルミちゃんがいて、嬉しそうに覗き込んでいる。
クルミちゃんが書き上げたサインは『女神の聖麗剣ウォールナッツ』という長めのものだった。
「かっこいいサインだね」と褒めてあげると、クルミちゃんはフフン、と得意気にする。
「洞窟の中にいるときずっと考えてたサインだよ! 本当は女神様といっしょに書きたかったけど……」
「まぁまぁ、練習だと思えばいいじゃない」
「そっか! そうだよね! ……ふふふ~ん」
鼻歌まで飛び出すほどゴキゲンに、ペンを走らせるクルミちゃん。
彼女も私やイヴちゃんと同じで、来たるべき日に備えてサインを準備していたようだ。
うーん、サインを考えるって特殊なことじゃなくて、みんな普通にやってることなのかなぁ……?
ちょっと気になってしまったので、さらにミントちゃんを見てみることにする。
字の書けない彼女のサインは、笑っている太陽のマークだった。
色紙の隅っこには、歪な形の四角いマークがある。
「ミントちゃん、この四角はなあに?」
「これはねー、もらったひとがハナマルをかくところー!」
色紙の太陽に負けないくらいの満面の笑顔で、教えてくれるミントちゃん。
「ああ、評価欄なんだ」
ミントちゃんはお絵かきをしたときに、仲間たちに見せて花マルをせがんでくる。
私とシロちゃんは『花マル』をあげるんだけど、クロちゃんは『A+』とか評価を書く。
イヴちゃんはたまに意地悪をして、バッテンを書いてミントちゃんを泣かせていることがあるんだ。
私はミントちゃんの色紙ぜんぶに花マルを書いてあげたくてウズウズしちゃったけど、それではもらった人の楽しみを奪ってしまうと自制し、次はシロちゃんクロちゃんの色紙を見てみる。
『シロミミ・ナグサ』『クロコスミア・エンバーグロウ』とフルネームが書かれた、本当に署名みたいなシロちゃんクロちゃんのサイン。
シロちゃんの字は心がこもっていて丁寧で、クロちゃんの字はカラクリ仕掛けで書いたみたいにカッチリしている。
「シロちゃん、クロちゃん……せっかくのサインなんだから、もうちょっと遊び心があったほうがいいんじゃない?」
すると白黒コンビ……いまは服装は違うけど、そろって私のほうを見てきた。
「遊び心とは?」
「すみません……サインというものを書くのは初めてで、よくわからなくて……」
「えーっと、たとえばさ、私みたいに名前の横に好きなものを書き加えるとか、イヴちゃんみたいに、こうなりたい自分を名前に乗せてみるとか……」
私のアドバイスにクロちゃんはコクリと、シロちゃんは「かしこまりました」と返事をして、再び色紙にペンを走らせた。
そして、できあがったのは……、
『クロコスミア・エンバーグロウ 好きなもの:リリー』
『シロミミ・ルベルム』
というサイン。
クロちゃんはそのまんまだ。
でも私がアドバイスしたからといって、好きなものまで私の名前にしなくても……。
シロちゃんのはなぜか、ラストネームが私のに変わっている。
「あの……シロちゃん、このサインはどういう思いが……」
シロちゃんはうつむいたまま答えようとしない。
今のシロちゃんはツインテールなので、うつむくとうなじや耳が丸見えになるんだけど……それがだんだん、血が上るように赤く染まっていくのがわかった。
「す……すみませんっ、つい……!」
シロちゃんはいたたまれない様子で立ち上がり、逃げるようにどこかに行こうとしたんだけど、私はその腕を咄嗟に掴んだ。
「ま……待ってシロちゃん! よくわかんないけど、いいと思うよ! このサインでいこうよ!」
このサインにはきっと、シロちゃんなりの遊び心がこめられているんだろう。
彼女は恥ずかしがり屋だから言いたがらないだけで、きっと心に秘めた思いがあるに違いない。
私は理由はともかく、彼女の気持ちを尊重することにした。
アイデアでも何でも、最初にひらめいたのが一番イイっていうもんね。
「は……はひ……ありがとう……ございます……」
蚊の鳴くような声で、再び着席するシロちゃん。
「リリーちゃーん! みてみてー! ミントもリリーちゃん、かいたー!」
後ろからミントちゃんに呼ばれて、私は振り向く。
掲げられた色紙には、おおきな太陽と並ぶ、私の似顔絵。
これって別に、私のことを書くサインじゃないんだけど……まあいっか。
「よく描かけたねー! えらいえらい!」
ミントちゃんの頭をナデナデしてあげていると、なにかコソコソしているイヴちゃんの姿が目に入った。
彼女は色紙の真ん中にサインしたあと、隅っこのほうに小さく何か書き加えている。
私はイヴちゃんの背後に回り込んで、肩越しに覗き込んでみた。
「なになに? イヴちゃん、なに書いてるの?」
するイヴちゃんは全身を逆立て「ウギャー!?」と絶叫、椅子から転げ落ちてしまった。
何事かと撮影スタッフさんたちの注目が集まる。
イヴちゃんは飛び起きるなり、私に殴りかかってきた。
「びっくりさせんじゃないわよぉぉぉーーーっ!」
なぜか真っ赤な顔で、半泣きになりながらゲンコツの雨を振らせてくるイヴちゃん。
「ひとの色紙を勝手に見んじゃないわよっ!? ブッ殺すわよっ!?」
「いたたたた! いたいってイヴちゃん! さっきまでは見ても怒らなかったじゃない!? なんで急にダメになったのぉーっ!?」
私はなにがなんだかさっぱりわからなかったけど、鬼みたいな赤ら顔で追いかけ回してくるイヴちゃんから逃げるので精一杯で……考えるどころじゃなかった。




