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私たちはいったん宿に戻り、念願のシャワーを浴びた。
汗とイカスミを落とし、すっかりキレイになったところで、宿に備え付けのガウンを羽織る。
そこまでは実に和やかで、平和な時間だったんだけど……問題はそのあとだった。
私たちは、まるでお互いがライバルになったかのような……かつてないほどの緊迫した状況に置かれる。
私たちの前には……壁のように立ちはだかる、私たちの衣服があった。
まぁ、壁のようにっていうか……ハンガーで壁に掛けてあるから、そう見えるだけなんだけど。
みんなは無言のまま、壁の服を凝視している。
見慣れたはずの仲間たちの服なのに、これから自分が着るとなるとなんだか別モノに見えた。
しばらくして……ごくっ、と喉を鳴らしたイヴちゃんが、沈黙を破る。
「さて……誰がどの服を着るか、決めましょうか」
決意に満ちた彼女の言葉に、揃って頷き返す私たち。
こういうときは、本当にイヴちゃんは頼もしい……! と、キリっとした横顔に惚れそうになっていると、彼女はキッとこっちを向いた。
「ただし! リリーが選ぶのは最後! アンタが言い出しっぺなんだから!」
出た……! イヴちゃんの「言い出しっぺは最後」……!
それこそが彼女なりの、公平を保つためのこだわりなんだ……!
でも、今回は特に異論はなかった。
誰の服を着ることになっても、私は狂喜乱舞する自信があるからだ。
「わ……わかった! 私が最後ね!」
私たち一行は、かつて夏休みに豪華客船に乗ったことがある。
そのとき、パーティに参加するためのドレス選びをしたことがあるんだけど……みんながどのドレスにするか悩むなか、私はあっという間に選び終えた。
その時は、即決だったんだけど……今回のように、イヴちゃん、ミントちゃん、シロちゃん、クロちゃん……彼女らが普段着ている服のどれかひとつを選べといわれたら、私は何時間も悩むだろう。
だって……みんなの普段着は、私にとっては何よりも素敵なドレスだから……!
私ははやる気持ちをおさえ、イヴちゃんに尋ねる。
「じゃあイヴちゃん、さっそく誰が誰の服を着るか選ぼうよ! あ、でも……どうやって選ぼっか?」
すると、イヴちゃんはまるでクロちゃんのように……思慮深い様子で、静かに頷き返してきた。
「それは……入札方式にしましょう……!」
入札方式……自分が着たい服を紙に書いて、一斉に掲げる。
そして選んだのがひとりだった場合、その選んだ人が服を獲得。
希望が重複した場合は、重複した服の持ち主が、選んだ人の中から着る人を指定できる。
以上のルールで、『誰の服を着るか入札』をすることになった。
ちなみに私は一番最後なので、この入札には参加しない。
私達は最初の入札をするべく、会場をテーブルへと移す。
入札に参加しない私が、司会進行をやることになった。
緊張した面持ちで着席したみんなに、私がメモの切れ端とペンを配る。
メモもペンも、宿に備えつけのやつだ。
「じゃあみんな……自分が着たいと思う服の持ち主の名前を、メモに書いて」
私の合図とともにガッとペンを握り、紙の上をカリカリと走らせる仲間たち。
まるでテストを受けてるみたいに、真剣な表情。
しかも特に悩む様子もない。どうやらお目当ての服があるみたいだ。
それにしても、みんなすごいなぁ……私だったら椅子から転げ落ちるくらいに悶絶して悩むのに……。
なんて感心しているうちに、全員書き終えたようだ。
「み、みんな早いね……じゃあオープンするよ、頭の上に掲げてね。せぇーの!」
私のかけ声とともに、白日の元に晒される、仲間たちの心の奥……!
「リリーのバカの服」「リリーム・ルベルム様」「リリー」
イヴちゃん、シロちゃん、クロちゃん……3人が私に入札……!?
しかもイヴちゃんはわざわざ悪口を、シロちゃんにいたっては様づけで、フルネームで書いてるし……!
ミントちゃんは文字ではなく、似顔絵だった。
そうだ、彼女は字が書けないんだった。
「えーっと、ミントちゃん、これは誰かな?」
髪型でなんとなくわかったんだけど、念のため尋ねてみると。
「リリーちゃーん!」
ミントちゃんはポニーテールを猫のしっぽみたいにピーンと立てて、元気よく答えてくれた。
みんなの答えを見回していたイヴちゃんは、なぜか急にうろたえだす。
「なっ、なによぉ!? リリーのが一番不人気だと思って、かわいそうだから選んだのに……!? みんなもリリーを哀れんだのね!? まったく、アンタってなんでこんな時までみんなに迷惑かけんのよっ!?」
紅潮した顔と、引きつった声でまくしたてて、私の身体をバンバンと叩くイヴちゃん。
「い、いたたたたた! あ、ありがとうイヴちゃん、私を心配してくれて……! でも大丈夫だよ、他のみんなも選んでくれたから、嫌だったら外れてくれても……!」
「いーからさっさと誰にするか選びなさいっ!」
平手だったイヴちゃんの手が、グーになって私をゴツゴツと打ち据える。
私は彼女がなんでこんなに取り乱し、いつも以上に乱暴になっているのか、ぜんぜん理解できずにいた。
「い、いたいってイヴちゃん! じゃ、じゃあ……私のモノマネをして、一番似てた人が私の服獲得ってことで!」
入札者たちは「ええっ!?」とざわめく。
「なっ、なんでアンタのモノマネなんかしなきゃいけないのよっ!?」
さっそくイヴちゃんが異議を申し立ててくる。
とっさに決めたことだけど、なかなかユニークな決め方なんじゃないかと私は思い始めていた。
「まぁまぁ、イヤならパスしてくれてもいいから。じゃあまず、ミントちゃんから!」
私はビッ! とミントちゃんを指さす。
ミントちゃんは何のためらいもなく「はぁーい!」と手を挙げて起立すると、
「わぁーい! シロちゃんっ!」
がばっ! とシロちゃんに抱きついた。
「はっ、はひっ!?」と身を固くするシロちゃんに、ほっぺたをついばむようなキスをする。
「わぁーい! クロちゃん!」
ミントちゃんは飛び移るようにクロちゃんに抱きつく。
黙ってされるがままになっているクロちゃんの頬に、チュッと唇を当てた。
「わぁーい! イヴちゃ……いったぁぁぁぁぁいっ!?」
さらにイヴちゃんに飛び移ろうとした時点で、拳によって撃墜されていた。
「どさくさまぎれにキスしようとするんじゃないわよっ!? リリーじゃあるまいしっ!?」
「だって、リリーちゃんのまねだもーん!」
タンコブを押さえ、唇を尖らせるミントちゃん。
私はミントちゃんにキスしてもらいたくて、顔を突き出して待ち構えてたんだけど……いつまでたっても来てくれなかった。
「あ……あの……ミントちゃん、私には?」
「ここにお願い」とばかりに頬をトントン叩いて催促したんだけど、
「リリーちゃんのまねだから、リリーちゃんにはしないよ?」
いたって冷静に返されてしまった。
私はちょっと残念だったけど、気を取り直して次のモノマネする人を指定する。
「そ……そっか。じゃ、じゃあ次はクロちゃん!」
私に指されたクロちゃんは、頷きながら瞼を閉じた。
そのまま全身から力が抜けたようにぐらりと揺れ、椅子から崩れ落ちる。
いきなり床に倒れ伏したので、みんなは慌てて立ち上がった。
「く……クロちゃん!?」
クロちゃんは糸の切れた人形のように、床の上で身体を投げ出したまま動かなくなっている。
「ど、どうされたんですか!? 大丈夫ですか!? ……キャッ!?」
青い顔でかがみ込んだシロちゃんに、いきなり飛びかかって抱きすくめ、そのまま押し倒すクロちゃん。
ギューッと細腕に力を込めていたかと思うと、いきなり手を離してドタンバタンと暴れだす。
その邪神に取り憑かれたみたいな動きに、私は見覚えがあった。
私よりずっと長いこと、ソレを見続けていたであろうみんなは……私より早く気づいていたようだ。
「ああ……リリーの寝相を真似してるのね。その悪魔の人形みたいな気持ち悪い動き、ソックリだわ」
呆れと感心が混ざった様子のイヴちゃん。
「きゃははははは! にてるー!」
指さして大笑いしているミントちゃん。
「あっ……!? は……はい……! この、服を脱がせようとしてくるところ……! 本当に、リリーさんみたいです……! ああっ、おやめになってください……!」
クロちゃんの手によってガウンを乱されながら、困り顔のシロちゃん。
その告白に、私は度肝を抜かれる。
「ええっ!? 私って、寝てる間にみんなの服を脱がせようとしたことがあるの!?」
ひとり驚く私に、「お前は今さらなにを言ってるんだ」みたいな顔で、揃って頷き返してくる仲間たち。
私は寝ぼけると、寝床の上を転がりまわってみんなに抱きついたり、殴ったり蹴ったりするのは知っていた。
だってつい先日、私に化けたドッペルゲンガーたちの寝相で、身をもって思い知らされていたから……!
でも……でも……!
まさか、脱がすまでやってたなんて、知らなかった……!
私は火事で全財産を失った人みたいに、がっくりと膝をついてうなだれる。
なんで……なんでその時の私って、無意識なんだろう……!
なんで……脱がしたときに自動的に目が覚めてくれないんだろうっ……!?
いやっ……!
せめて……せめてその光景が夢の中にでも出てくれれば、最高なのに……!
「どーしたのー? リリーちゃん?」
「あの、どこか、お身体の具合でも……?」
一部の仲間たちは心配してくれたんだけど、
「ほっときなさいよ。どーせ、脱がしたときに目が覚めればいいのに、とかロクでもないこと考えてるんでしょ」
ある仲間に心の中を見透かされて、私は「うぐっ」と呻いてしまった。




