90 月夜のおさんぽ
水たまりに映る村から、私たちはようやく出ることができた。
村に入ったのは、岩山の窪みにあった水たまりからだったけど……出たのは見知らぬ森の中だった。
ここがどこだかよくわからなかったし、あたりは真っ暗だった。
でも私たちは迷子になったとは思わなかったし、表情も不思議と明るかった。
とりあえず、足首に絡まったヴォーパルの手首を外す。
外した手首はそのへんに捨てようかと思ったんだけど、クロちゃんが「儀式に使う」と袖の下にしまい込んでいた。
そのあと私たちは、クロちゃんの鬼火を頼りに森の中をさまよった。
藪の中をかきわけかきわけ進んでいると……整地された広い道に出る。
頭上を覆っていた木々の屋根がなくなり、ぽっかりと月が浮かんでいるのが見えた。
次はその月を頼りにして、私たちは東を目指して道沿いに進んだ。
真夜中の森の道を歩いているというのに、なぜかぜんぜん怖くなかった。
道がしっかりしているせいもあったんだろう。これは、街や村が近いという証拠だ。
この時間なら馬車も通ることはないだろうと、私たちは道いっぱいに広がって、横一列になってずんずん歩いた。
月明かりに照らされる、イヴちゃん、ミントちゃん、シロちゃん。
青白い光に、金色の髪をなびかせるイヴちゃんは優雅。
影とともに踊るようなミントちゃんはかわいい。
しずしずと、控えめに歩を進めるシロちゃんは神秘的。
そして私はというと……予想外の両手に花状態に、幸せいっぱいだった。
右隣にはクロちゃんがいて、私の腰を抱いている。私は彼女の肩を抱いていた。
左隣には……青いドレスの女の人。私より背の高い美人さん。
妖精のお姫様みたいな場違いな格好をしてるのは、他ならぬクルミちゃん。
いつもは聖剣のクルミちゃんなんだけど、たまにこうやって、宿っている精霊の姿が現れるみたいなんだ。
その姿はなぜか、他のみんなには見えていないようで……彼女の本当の姿を知っているのは、この中では私だけみたい。
どうやったら姿が見れるようになるかはわかんないけど……こうやって一緒に歩けるとは思わなくて、私の心は弾んでいた。
「ねーねー、ここってどのあたり? もうすぐ女神様のところに着く? あと何歩くらい?」
大人の女性っぽい、しっとりした外見に似合わず、口調は子供のクルミちゃん。
みんなに話題を振りまくように、キョロキョロしている。
「うーん、いまここがどこかもわかんないから、あと何歩で着くかもわかんないよ」
「もしかしたら、遠ざかってるかもしれないわよぉ?」
私の答えに乗って、イヴちゃんがからかう。
「ええーっ!? 適当に歩いてるの!? そんなのダメだよぉ!?」
両手をぶんぶん振って、慌てふためくクルミちゃん。
「適当ではない。東に向かって歩いている。もし自分たちのいる場所がツヴィートークより東側でなければ、ツヴィートークには近づいていることになる」
ナゾナゾの時から変わらないクロちゃん。
「あの……ツヴィートークより東側にいるという可能性が、あるのでしょうか……?」
不安そうなシロちゃん。
「水たまりの中にある世界は、水たまりの外の世界と同じだけの面積があるといわれている。水たまりの中の世界で移動した分、水たまりの外の世界の出口も変動する」
「んにゅぅ~? よくわかんなーい!」
ポニーテールをハテナマークみたいに曲げているミントちゃん。
「なるほどね。ツヴィートークより東に行くほど、あの村で歩いたなんて考えられないから……たぶんまだ西側って言いたいのね」
察しのいいイヴちゃんに、無言で頷き返すクロちゃん。
「ところでみんな、眠くない? 眠くなったらひと休みするけど……」
みんな表情がイキイキしていたので、大丈夫だとは思ったんだけど、私は念のため尋ねる。
「いまはなんだか、歩いてたい気分ね」
「へいきー! ねむくなーい!」
「はい、私は大丈夫です」
「問題ない」
「ボクも! なんだか目が冴えちゃって!」
静かな森のなかに、張りのある声がこだまする。
私もそうなんだけど、あの村から出られた嬉しさからなのか、みんな元気だ。
「クルミ、あんたいつもグースカ寝てるじゃない。なんでそんなに張り切ってんのよ」
また、イヴちゃんがクルミちゃんにチョッカイを出す。
「あのへんな村にいるときに、いっぱい寝たからねー!」
「まったく、アタシたちがウサギになるかもしれなかったのに……ノンキなもんねぇ」
「そういえば、あのヴォーパルってあんなに強そうだったのに、なんでナゾナゾにこだわってたんだろう?」
「殺してもお腹の足しにならなかったんでしょ。人間の苦悩する姿が糧だって言ってたし」
「一部の悪魔は、人間をいかに操り、いかに苦しめたかで魔界での評価が決まる。苦悩を糧にするヴォーパルにとって、人間の苦悩を引き出せずに殺害してしまうのは、低評価に繋がるはず」
「ふぅん……でもそれでやられてちゃ、意味ないのにねぇ……」
「へぇー! みんな悪魔を相手にしたんだ!? 八つ裂きにされちゃった!?」
南国の海のような瞳を、キラリンと輝かせるクルミちゃん。
「だったらここにいるわけないでしょ。相手にするどころか、歯をへし折って、踏み潰して、ケチョンケチョンにしてやったわよ」
「えー!? またまたぁ! 見習い冒険者にそんなことできるわけないじゃん!」
「歯を折ったのはクロちゃんのお手柄だし、踏み潰したのはウサギたちを連れてきたミントちゃんのお手柄だけど……でも、ホントだよ」
「ほめてほめてー!」
私に体当たりしてくるミントちゃん。
そのまま私の身体を木のようによじのぼって、コアラみたいにしがみついてくる。
両手に花どころか、前面にも花だ……!
私は両手が塞がっていたので、頬ずりでミントちゃんを賞賛する。
「よぉし、ミントちゃん、いいこいいこー!」
「わぁーいっ!」
「あ……そうだ! ねぇねぇイヴちゃん!」
「なによ」
「私の後ろに回り込んで、おぶさって!」
「はぁ? なんでそんなことしないといけないのよ」
「いや、せっかくだから、背中にも花があったほうがいいかなと思って」
「意味わかんないこと言ってんじゃないの!」
「実をいうと、イヴちゃんをおんぶしてあげるのが夢だったんだよね!」
「気持ちの悪い夢ねぇ……なんでよ?」
「昔……っていうほど前じゃないけど、ラマールでケッターに乗ったとき、イヴちゃんが私をおんぶしてくれたじゃない? そのお返しをしたくって」
「あの時は無理矢理縛り付けてきたクセに、何言ってんのよ」
「だからなおのこと、お返しをしたいの! ねぇ~! お願い! おんぶさせてぇ!」
「ああもう、しつこいわねぇ! 別にいいけど、変なとこ触んじゃないわよ!?」
もっと渋られるかと思ったけど、意外とあっさり承諾してくれた。これも解放感のおかげかな?
イヴちゃんはブツクサ言いながら私の背後に回り込み、どすっと私におぶさってくる。
彼女は私より重いので、前によろけてしまった。
「あっ!?」
前にいたシロちゃんが、偶然のように抱きとめてくれた。
私の顔が、シロちゃんの豊かな胸に埋まる。私の顔に花が咲いた。
「……あっ! これいいっ! 最高っ! し、シロちゃんそのまま! そのまま私をぎゅーってして!」
「ええっ!? はっ、はひっ!? か、かしこまりました……!」
戸惑いを隠せない声で、私の首に手をまわし、抱きしめてくれるシロちゃん。
……うおおおおおおおおおおおっ!?!?
顔も、胸も、お腹も、右手も、左手も、背中も……! どこもかしこもやわらかいっ!?
ぱ……パーフェクト……! こんな素敵すぎる感触、初めてっ!!
こんなふかふかで、むにゅむにゅなの……天国にもないよっ!!
私は道のど真ん中で立ち止まったまま、幸せを噛みしめる。
しかし水を差すように、脇腹に鋭い痛みが走った。
……ドスッ!
「ぐふっ!?」
「なぁにいつまでも止まってんの、さっさと歩きなさい!」
い……イヴちゃんだ。イヴちゃんが、ブーツのカカトで私の脇腹を突いたんだ。
「ふ、ふぁい!」
私は年寄りのロバみたいに、ヨタヨタと歩きだす。
「このリリーの格好……ハタから見たら、アタシたちが罰してるみたいねぇ」
「新種のモンスターのようにも見える」
「アハハハハハ! ホントだー! 影だけ見るとへんなモンスターみたい!」
呆れたようなイヴちゃんと、嫌な例えをするクロちゃん、例えに爆笑するクルミちゃん。
「いや……罰どころか、賞だよ……気持ちよさモンスター級だよ……。こんな鎧があったら、全財産はたいても欲しいくらい」
特に、顔と背中が特賞クラス。モンスターでいうなら悪魔クラスだ。
ボリュームたっぷりの丸いクッションがあって、歩いているとぽよんぽよんと弾み、実に心地よい感触をくれるんだ。
「と……ところでさぁ、イヴちゃん、シロちゃん」
「なによ? もうオシマイなの?」「あっ、すみません、離れたほうがよいですよね?」
「いや、逆、逆、もっとくっついて。いや、そうじゃなくて……普段何を食べてるのか教えて」
「なによ、藪から棒に……朝も昼も夜も、アンタと一緒に食べてるでしょ。だから同じものよ」「はい、私もリリーさんと同じものを、頂いております」
「……そっかぁ……じゃあ、食べ物じゃないのかなぁ?」
「なにがよ?」「なにがですか?」
「いや、どうやったら胸が大きくなるのかなーと思って」
「食事のほかに、マッサージも有効」
「あ……そういえば、シロちゃんってよくミントちゃんを抱っこしてるけど、ミントちゃんが胸を触ってるよね」
「うん! シロちゃんのお胸、マシュマロみたいできもちいーの!」
「そっかぁ、触ったほうがご利益があるかと思ったんだけど、逆なのかぁ……!」
「よぉし、じゃあみんな、リリーの胸を触ってあげましょ!」
「さんせーい!」
「えっ!? んひゃあっ!? く、クルミちゃん、そこ胸じゃないって! うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!? く、クロちゃんまで! ひゃあっ!? うなじに息、吹きかけないでぇ!」
特賞クラスだった私の身体が、あっというまに罰ゲームに晒される。
モンスターどころか、オバケまで眠っていそうな真夜中の森には……いつまでもみんなのはしゃぐ声と、私の笑い声が響きわたっていた。




