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クロ、リリー、イヴの三人は、『ひみつの森』にいました。
長いロープを結んで、ひとつの大きな輪っかにして……中に入って輪を持って練り歩くという、いわゆる「汽車ごっこ」で遊んでいます。
こういう場合、リリーかイヴが先頭なのですが……今回は珍しくクロが先頭でした。
「ぽっぽー」
機関車役のクロは、汽笛のマネをしています。
「はぁーい、ここは『ひみつの森』でーす!」
真ん中にいる車掌役のリリーが、大声で叫びました。
「なによそれ、車掌っていうよりガイドさんみたいじゃないの」
いちばん後ろにいる乗客役のイヴが、すかさず突っ込みます。
「ぽっぽー」
クロは合いの手を入れるように、汽笛のマネを続けています。
「だってぇ、私、汽車って小さいころに一度しか乗ったことないから、よくわかんなくて」
「それなのによく、車掌役をやりたいなんて言い出したわねぇ」
「ぽっぽー」
「うん、昔は汽車に乗って、いろんな所に行くのが夢だったから……でも、もういいんだ! いまはこんなに素敵な村にいるから……私、もう汽車になんて乗りたくない! ずっとここにいたい!」
「そうねぇ、ここはあったかいし、ごちそうは食べ放題だし、シャワーも広くていいし、いいことづくめ……アタシも永遠にここで暮らしたいわ!」
「ぽっぽー」
「そうだ、せっかくだから、ここに引っ越してこよっか!? 寮の荷物ぜんぶ持ってきて!」
「あらリリー、アンタ、たまにはいいこと言うじゃない!」
「ぽっぽー」
「うーん、でも、ひとつだけ問題があるんだよね……」
「なによ、こんないい所で暮らせるっていうのに、何を気にすることがあるのよ」
「ぽっぽー」
「私、荷造りが苦手なんだよねぇ……」
「ああ、荷造りね……引っ越しには必須の作業だけど、面倒くさいわよねぇ、アタシも苦手だわ」
「あっ、そうだ、クロちゃんって昔、引っ越しのアルバイトしてたんだよね?」
「ぽっぽー」
「そうなの? あっ、ちょうどロープがあるじゃない! 汽車ごっこはやめて、これで荷造りのやり方、教えてくれない?」
「ぽっぽー」
イヴはロープをほどいて、クロに手渡しました。
クロはおもむろに、地面にある木のフタに向かって、ロープを垂らします。
「ぽっぽー」
クロはそのまま、両開きの木のフタにある取っ手を、手早く結びます。
そして、近くにあったあずまやの柱に、反対側を結びつけました。
「……完了……」
その合図とともに、「それっ!!」とリリーとイヴがフタに飛びかかり、上から押さえつけました。
瞬間、「しまった!」とばかりにフタは逃げようとしますが、もう後の祭りです。
ふたりがかりで押さえつけられたうえに、ロープで縛られていて……フタが軋むほどにガタガタと大暴れしているのに、動けずにいます。
「やった! 捕まえた!」
「まさかこんなマヌケな手に引っかかるなんて、本当にバカなフタねぇ!」
「ぽっぽー」
リリーの考えた作戦は、こうでした。
出口のフタを探すにあたって、『村から出たくない』と思い込む必要があったのですが……いくらやってみても意識の外に追い出すことができなかったので、クロにフタを探すことを頼んだのです。
無心になることでしたら、クロの右に出るものはいません。
クロは機関車役をこなしながらフタを見つけ出し、リリーとイヴをフタの側まで導いたのです。
フタを見てしまうと『村の外に出たい』と思ってしまうので、リリーとイヴは足元を見ないようにしていました。
この村にいたいフリをしているシナリオを考え、延々繰り返していたのです。
そしてクロがフタを見つけた時点で、ロープを使って、縛り付けてもらいました。
縛り付けたあとは……飛びかかって、フタを押さえる。
それが、リリーの考えた『フタ捕獲作戦』です。
もう捕まえたので、いくら『村の外に出たい』と思っても大丈夫になりました。
これでようやく旅を再開できると、リリーたちは喜びに湧いていました。
でも、すぐさま水を差すように、彼女らを覆い隠すほどの大きな影が伸びてきたのです。
「まさか、このナゾナゾを解ける冒険者が、いただなんてねぇ……!」
夕闇のなかに……貴婦人が立っていました。
いいえ、かつての貴婦人、と呼ぶべきでしょうか。
醜く吊り上がった長い耳、血にまみれたような赤い瞳、頬骨まで裂けた獣のような口。
そして、上唇の下から剣が生えているかのように、ヘソのあたりまで鋭く伸びる、恐ろしい前歯……!
派手なメイクとあいまって、それはまさに……ウサギの化け物と呼ぶに相応しい、邪悪な容姿でした……!
「うわあっ!? も、モンスター!?」
「あ……アンタ……! やっぱり、人間じゃなかったのね!!」
リリーとイヴは慌てて立ち上がり、身構えます。
ふたり分の重しから解放されたフタは、さっそく逃げ出そうとしますが……繋がれた犬のように、ピーンと張ったロープで引っかかっていました。
「悪魔……」
こんな時でもクロは冷静に、相手の正体を分析します。
ウサギの化け物は、ニヤリと笑って頷き返しました。
「フフフ……正解……! 私は悪魔『ヴォーパル』……!!」
「ヴォーパルだか頬張るだか何だか知らないけど、相手が悪魔なら不足はないわっ! やるわよっ! リリーっ!」
「う……うんっ!」
イヴとリリーは、フタを相手にしたときのように飛びかかろうとしています。
ですが、クロが手で制しました。
「……いまの自分たち戦力では、勝つのは不可能」
しかし、イヴは引き下がりません。
「なによクロ、ビビってんじゃないわよ! ナゾナゾを出すしか脳のないヤツに、アタシたちが負けるわけないでしょ!」
「……この悪魔はその気になれば、いつでも自分たちを殺せる……チャンスも何度もあった。でも、敢えてそれをしようとしなかった。理由としては、人間の精神的苦痛を喜びとするタイプの悪魔であると推測できる」
的確な推理に、ヴォーパルの笑みがさらに深くなります。
「……その通り……! 人間に肉体的苦痛を与えて喜ぶ悪魔は三流……! 精神的な苦痛でも、自らが手を下して与えるのは二流のすること……! 一流の悪魔は、言葉を与えるだけ……! たった一言で、人間たちを混乱させ……彼ら持ち前の『愚かさ』によって、ひとりでに悩み、疑い、憎しみ合う姿を楽しむ……!」
「フン、言葉を与えるだけとか言っといて、影でコソコソやってたじゃない!」
「い……イヴちゃん、あんまり刺激しないほうが……!」
とうとうクロだけでなく、リリーまでもがイヴを止めに入りました。
「……本来は、なにも手を下す必要などないのだ……『ごちそうの森』ひとつで、どんなに強い絆で結ばれた冒険者どもでも、仲違いし、仲間をウサギに変える投票をはじめる……! そのいがみあう気持ちこそが、我が糧であるのに……! それを、貴様らときたら……!」
リリーはイヴを抑えるのに必死で、口を挟むつもりはなかったのですが……悪魔が言っていることの意味がわからなくて、「へっ?」と素っ頓狂な声をあげました。
「なんで……ごちそうを食べさせっこして、仲違いするの?」
リリーの天然じみた一言に、悪魔はクッ、と悔しそうに奥歯を噛みしめます。
「それだ……! その、相手のことを考えるのが当たり前であるかのような考え方……! リリー! 貴様のその吐き気がするような思考こそが、何よりも邪魔だったのだ……! いくら『わだかまり』の元となる仕掛けをしても、びくともしない……!!」
リリーの制止を振り切って、イヴはさらに食ってかかります。
「やっぱり……! 『わだかまり』なんて、もともとなかった……! アンタが後から作り上げようとしてただけだったのね……!」
「フフフ……! その通り……! 『わだかまり』があるように見せかければ、自然と『わだかまり』が生まれるのが人間というものだからな……!」
「フン! でも見込み違いだったようね! アタシたちに『わだかまり』なんてあるわけないでしょ! この四流悪魔!」
「この……! 言わせておけば……! 貴様らの首など、我が前歯を軽くひと振りするだけで、シャンパンの栓のように跳ね飛ぶのだぞ……!」
やってみなさいよ! とばかりに前に出ようとするイヴを遮って……クロが前に出ました。
後衛である彼女が最前線に出るのは、初めてのことです。
「……ナゾナゾ勝負」
立ちはだかるヴォーパルを見上げて、ボソっとつぶやきました。
「なんだとぉ?」
紫色の光を放つ、禍々しいアイシャドウを吊り上げながら……ヴォーパルは聞き返します。
「ナゾナゾ勝負を申し込む。自分が勝ったら、自分たちがこの村から出ていくのを妨害しないと約束してほしい。自分が負けたら、自分たち全員をウサギにしてもかまわない」
「ハッ! この私にナゾナゾを挑もうなどと……!」
嘲笑するヴォーパル。しかし途中で言葉を止めました。
……ヴォーパルは授業を通し、クロのナゾナゾの実力を知っています。
どんな問題を出しても、まるで答えを知っているかのようにすんなり答えるのです。
きっと、クロには自信があったので、ナゾナゾでの勝負を挑んできたのでしょう。
たしかに、モンスターのなかでも最強といわれる悪魔を相手に、武器もない状態で戦闘をするよりも……ナゾナゾのほうが勝ち目はありそうです。
ですが……ヴォーパルにとって、授業で出していたナゾナゾは、初級も初級でした。
その気になれば、脳が溶け出すほどの難しい問題を出すこともできるのです。
そうとも知らず……クロは仲間たち全員を賭け札にした、命がけの勝負を申し込んできました。
仲間の命がかかっているというナゾナゾで、多大なるプレッシャーを感じながら生み出される悩み……。
普段はクールな少女が、苦悶の表情で的外れな答えを絞り出す様は……きっとヴォーパルにとって、究極のメインディッシュとなることでしょう。
さらにその後には、リリーたちがクロを責めながら、ウサギになっていくという……至高のデザートまで付いてくるのです。
いままで仲良しこよしだった彼女たちが、罵り合い、自分だけは助けてくれと命乞いする様は、想像を絶する哀れな姿に違いありません。
それらはすべて……人の精神的苦痛を糧とするヴォーパルにとって、かつてないほどの最高のフルコースとなる……!
想像するだけで、生唾が溢れるほどのごちそうでした……!
「ハハッ! ハッハッハッハッハッ! よかろう! そのナゾナゾ勝負……受けて立つ!」
ヴォーパルは、もはや口が裂けるのを隠すこともせず……大きく口を開け、舌なめずりをしながら笑います。
「ただし……勝負の途中で、誰かが少しでも不審な素振りをしたら……! この前歯で、ズタズタにしてやるぞぉ……!!」
全てを切り裂き、噛み砕くような前歯が……ヨダレによって濡れ光ります。
さらに夕日を受けて反射し、血がしたたるような不気味な色となってギラリと輝きました。




