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それからイヴは、ウサギたちとたくさんキスをしました。
蝶ネクタイをしているウサギ、リボンをしているウサギ、腹巻きをしているウサギ、靴下をはいているウサギ……。
そんな着飾ったウサギたちを次々と、人参でも収穫するみたいに、耳を掴んで引っ張りあげます。
そして、睨みつけながら顔を近づけると、草みたいなニオイがするのですが……ガマンして、チュッ、とします。
キスされたウサギたちの反応は様々です。
キョトンとしているのもいれば、舌で舐めかえしてくるもの……時には噛んでくるものもいました。
でも……そのあとは誰もがウサギのままで、リリーに姿を変えることはありませんでした。
イヴの唇はすっかり腫れ上がり、口のまわりはウサギの唾液でベタベタになっていました。
『なかよしの森』にいるウサギたちとキスを終えるころには、もうヘトヘトです。
でも、ブッ倒れずにいられたのは、リリーを助けたい一心があるからでした。
イヴは森の中を、ゾンビのようにフラフラとさまよっていると……ふと、別の森に繋がる小道を見つけました。
道端には『ひみつの森』と書かれた立て札があります。
イヴは思い出しました。貴婦人に呼び出されたとき、この道を通って『ひみつの森』へと行ったことを。
『なかよしの森』 → 『ごちそうの森』 → 『めぐみの森』 → 『すやすやの森』
↓
『ひみつの森』
……『なかよしの森』は『ごちそうの森』につながっているだけでなく、『ひみつの森』ともつながっているのです。
イヴは吸い寄せられるように、『ひみつの森』へと向かいました。
『ひみつの森』は相変わらずの黄昏時で、誰もいませんでした。
それどころか、ウサギの姿も見当たりません。
「……なによぉ……誰もいないじゃない……」
貴婦人と話をした、あずまやの側まで行ってみたのですが……ウサギ一匹見つけることができませんでした。
とうとうイヴは疲れ果ててしまい、草原にゴロンと横になります。
こうして寝転がってみると、キンモクセイの香りをいつもより強く感じました。
「ああ……もう……なんであんなヤツのために、アタシがこんな目にあってるのかしら……」
赤からオレンジ、藍色から紫色へと変わるグラデーションの空を眺めながら、イヴはこぼしました。
ふと、小さな影が近寄ってくるのを感じます。
どこからともなく現れたウサギが、イヴに擦り寄ってきたのです。
ウサギは、仰向けに倒れているイヴの身体によじ登ると……胸の上までやって来て、顔を見下ろしました。
「……ハァ、あんた、人懐っこいわね……まるで、初めて会ったときの、リリーみたい」
イヴはウサギに向かって、途切れ途切れに話しはじめます。
「……アタシはね、そのリリーってヤツが、好きなのよ」
「別に、特別可愛いヤツじゃないの。すごいクセのある赤毛で、三つ編みにしてないとボサボサなの。肌もキレイってわけじゃなくて、そばかすがあるし……身体もとりたててイイところがなくって、何もかも普通……いや、普通以下のヤツなの」
「でも……大好きなのよ……なんでかしらね。私って、子供の頃は自分の髪以外は櫛を入れたことがなかったの。他人の髪を触るなんて、考えもしなかったわ。でも、アイツの髪は……なぜか自然と触れたわ。櫛の通りが悪い、最悪の髪なんだけどね……なぜか、楽しかった。それからかしらね、ミントとかシロとかクロとか、他のヤツの髪も触れるようになったのは」
「アイツは……外見だけじゃなくて、中身も普通以下なの。特に頭がいいとか、性格がいいとか、人として優れてるところがなーんにもないヤツ。学院の成績はいつもギリギリだし、宿題はしょっちゅう忘れるし……そのくせに行き当たりばったりで、無鉄砲で……なぜかわざわざ危ないほう、危ないほうへと行きたがるのよね」
「何かっていうとすぐ調子に乗って、叱られてすぐ落ち込むくせに、ほんの少ししたら立ち直るし……へこたれなさだけはゴキブリ並。少しもじっとしてられなくて、すぐに変な遊びを始めて……それにかこつけて、人の身体に触りたがるの。まったく……こっちの迷惑も考えてほしいもんだわ」
「でも……一緒にいると、とっても楽しいの。笑顔を見てると、とっても安心するの……本当に、なんでかしらね。私がいくらイヤがってみせても、嫌ってみせても、イヴちゃんイヴちゃん、って懐いてくるからかしら……。もしかして……私がウザがってみせても、それが本心じゃないって、わかってるの……? いくら邪険にしても、子猫みたいに寄ってくるし……。それに……アンタに寄ってこられると、私……心の底から嬉しいの。本当に、親猫になったみたいに……」
「でもね、ひとつだけわかってほしいことがあるの。ふたりっきりになりたいってことに……。ふたりっきりだったら、私、邪険にしない……どんな無茶なことをお願いされても、付き合ってあげる……身体だって、いくらでも触らせてあげる……それをアンタは、みんなと一緒にやろうとするから……。アタシだって、それなりに人目が気になるのよ。……わかった?」
イヴはそこまで言って、顔を上げました。
なおも見下ろしているウサギを、恋人のように見つめ返します。
そのウサギは他のウサギとは、ちょっと違ったカンジがしました。
頭にはティアラのようなものを乗せ、青い布をマントのように首に巻いていたのです。
イヴはこのウサギが、リリーであることを確信していました。
「ハァ……やっぱり……アンタだったのね……いったい、どこほっつき歩いてたのよ……まったく……アンタって、私の心をいちいちかき乱さないと、気がすまないみたいね……」
イヴは横になったまま、両手でウサギを抱え上げ、顔を近づけます。
「……まぁ、いいわ。かき乱されてあげる。アンタのそのバカな生き方に、一生……!」
それまでのウサギにしていた、作業的なキスではありませんでした。
それは、結婚式での誓いのような……一生に一度の……すべてを相手に捧げるような……情熱的なキスだったのです……!




