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いまだに貴婦人は、『ひみつの森』にいました。
シロのあとに、クロとミントと面談をしたのです。
でも貴婦人にとっては、望んでいたような収穫はありませんでした。
クロは貴婦人が何を言っても答えず、真顔のままでした。
話を引き出せなかったので、リリーからの悪口を適当にでっちあげ「クロは暗いから嫌い」などと言ってみたのですが、聞こえていないかのように無反応でした。
貴婦人は次にミントと話をしました。
でも何を聞いても「んー、よくわかんなーい」という返事しか返ってきません。
これまたリリーからの悪口を適当にでっちあげ「駄々をこねるから嫌い」などと言ってみました。
でも、「ダダってなあにー? ……あっ、このツメ、キラキラしてるー! ちょうだい、ちょうだーいっ!」と話になりませんでした。
……というわけで、四人との話を終えた貴婦人は、ついにリリーを呼び出しました。
目の前には、なぜか顔中が虫に刺されたみたいに腫れ上がっているリリーが座っています。
貴婦人は、いきなり重病人を運び込まれた保健室の先生みたいに、戸惑いながら語りかけました。
「……えーっと、リリーさん? そのお顔はどうしたの?」
リリーは先生以上に困惑した様子で、口を開きます。
「えっと……なぜかイヴちゃんが急に襲いかかってきて……押し倒されて鼻コスリをされちゃったんです……。やめてって言ってるのに、全然やめてくれなくて……。そしたらシロちゃんが走ってきて、助けてくれるのかと思ったんだけど……なぜかシロちゃんまで私に抱きついてきて、鼻コスリしてきたんです……。ふたりがかりでメチャクチャに鼻コスリされちゃって……こうなっちゃいました……」
「……そ、そう、災難だったわねぇ。あ……でもその原因……先生、知ってるかも……!」
貴婦人はさも、思わせぶりな様子で微笑みます。
元はといえばすべて貴婦人のせいないのですが、リリーはこれでもかというほど引っかかってしまいます。
テーブルに両手をついて、「ええっ!? 教えてください、先生っ!」と立ち上がりました。
すでに貴婦人との面談をすませている他のメンバーは、教室でリリーの帰りを待っていました。
でも、しばらくして戻ってきたのは……なぜか貴婦人だけでした。
貴婦人はすました様子で、「みなさんとお話できましたから、今日の特別授業はこれでおしまい。さぁ、帰ってもいいですよぉ。さようならぁ」と手を振ります。
今日は普段とは違う授業だったようで、いつもやっている『ナゾナゾ』『道徳』『投票』はありませんでした。
帰っていい、と言われたものの……残されたメンバーはリリーがいないので困ってしまいます。
「まったく……どこで道草食ってんのよ、アイツは……」
「もしかして、道に迷われてしまったのでしょうか……?」
「でも、まっすぐのみちだったよー?」
「……」
待っていればいずれ帰ってくるかと思ったのですが……いくら待ってもリリーの姿は現れません。
もしかしたら先に帰ったのかも……とイヴを先頭に、『なかよしの森』を出てみました。
『ごちそうの森』を探してみましたが、どこにもいません。
しょうがなくリリー不在のまま、ごちそうを食べました。
そのあと『めぐみの森』を探してみましたが、どこにもいません。
しょうがなくリリー不在のまま、あらいっこをしました。
そして最後の望みである『すやすやの森』に来ました。
リリーがノンキに、グースカと寝ている姿を期待したのですが……家の中はもぬけのカラでした。
かわりにたくさんのウサギたちがいて、赤い瞳で見上げているばかりです。
いつの間にか家はウサギに占領され、ウサギ小屋のようになっていました。
「わあ! ウサギさんがいっぱーい!」
ミントだけは大喜びでしたが、イヴ、シロ、クロは顔を見合わせています。
「……リリーが行方不明になった」
珍しくクロが、口火を切りました。
「行方不明かどうか、まだわかんないわ! アイツのことだから、どっかそこらで寝てるかもしれないでしょ!」
足元に擦り寄ってくるウサギを、足で押しのけていたイヴが、イライラした様子で叫びます。
「あの……すみません……もしかして……ウサギさんに……あ、いえっ、すみません、なんでもありません」
シロは自分の考えを述べようとしていましたが、途中で怖くなって、引っ込めてしまいました。
しかし、他のメンバーには伝わったようです。
「リリーちゃん、ウサギさんになっちゃったのー?」
両手いっぱいにウサギを抱っこしているミントが、無邪気に言いました。
「そんなわけないでしょ! 投票しないとウサギにはならないはずでしょ!?」
「投票でウサギになるのは『なかよしの森』での『きまりごと』。他の場所では、その限りではない」
「他の森では、違う条件で、ウサギになってしまう……ということでしょうか?」
「その可能性は考えられる」
「で、では……どうすればよいのでしょうか……?」
「ねーねー、どーするのー?」
「……」
シロ、ミント、クロは揃って、イヴのほうを見ます。
かつてリリーが行方不明となったとき、イヴがリーダーがわりになって仲間に指示を出しました。
すでにイヴもリーダーを自覚しており、うつむいたまま何かを考えていました。
しばらくして、キッと顔を上げると、
「……よしっ! もう一度、リリーを探すわよ! 今度は手分けして、すみずみまで! 私は『なかよしの森』を探すから、シロは『ごちそうの森』、ミントは『めぐみの森』、クロはこの『すやすやの森』を探して! それと、ウサギがいたら手当たり次第にキスしてみるのよ! いいわねっ!?」
イヴはてきぱきと仲間に指示を出しました。
仲間たちは揃って頷き、家から飛び出していきます。
クロはさっそく足元のウサギを拾い上げ、口と口とを合わせていました。
イヴは『なかよしの森』に着くと、手近なウサギの耳を掴んで、右手、左手と、それぞれで持ち上げました。
小さなシルクハットを頭に乗せているウサギと、バンダナを首に巻いているウサギでした。
この村にいるウサギたちはみんな何らかのアクセサリーを身に着けていて、おしゃれをしているのです。
イヴはさっそくキスしようとしたのですが、鼻をヒクヒクさせている顔が近づいた時点で、ちょっとためらいました。
イヴは、キスをしたことがありません。
「動物相手のキスはノーカウントである」という思いはあるのですが、いざとなると、簡単には割り切れそうにありませんでした。
それに、もし当たりだった場合……リリーとキスをしたことになるのです。
「そんなの、死んでもお断りよっ!」
と、ウサギに向かって怒鳴りつけます。
「で、でも……アンタが、どうしてもっていうなら……まぁ、考えてあげないことも、なくもないけど……」
しかし、ウサギは何も言いません。相変わらず、鼻を一心不乱に動かしています。
「……アタシ、何やってんだろ……」
イヴは大きな溜息をひとつついたあと、気合を入れ直すようにキッ、と眉を吊り上げました。
「王女の初めてのキスを、これから捧げるんだから……! もし……ウサギになってるクセに、元に戻らなかったら……承知しないんだからね……!」
せわしなく動く、ωみたいな形の口に向かって……王女は、唇を重ねました。




