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『リリー』『イヴ』『ミント』『シロ』『クロ』……貴婦人によって掲げられた札は、ひとつとして同じ名前がありませんでした。
ほっ、と胸をなでおろすリリーとシロ。茶番を見るようなイヴ。
クロとミントは投票結果がまったく気にならないようで、かたやチラリとも見ようともせず、かたやローブごしのシロの胸をパン生地みたいにこねて遊んでいました。
貴婦人は口の端をくっ、と吊り上げて、笑い顔を作ります。
でも、目は笑っていませんでした。
「……はぁい、みなさん。ちゃんと自分に投票できたようねぇ。えらいえらい。この調子で毎日授業を受けていれば、いつかきっと『わだかまり』がなくなるわぁ。じゃあ、今日の授業はこれまで。みなさん、さようならぁ」
貴婦人はゆるゆると手を振ります。
リリーが「森から出てもいいんですか?」と尋ねると、貴婦人はコックリ頷きました。
「もちろん。ごはんを食べて、シャワーを浴びて、しっかり眠って……また明日。明日もこの森で、授業をしますからね」
リリーたちは貴婦人に見送られすごすごと、イヴは「ケッ」と肩をいからせ、『なかよしの森』をあとにしました。
するとどうでしょう、いつもだったら村に出るはずなのに、なぜか『ごちそうの森』に出たのです。
リリーたちは不思議に思いましたが、道を間違えたのだろうと『ごちそうの森』から村に向かおうとします。
ごちそうでいっぱいのテーブルを通り過ぎ、森の出口へと向かいます。
でも、教室の外にあった見えない壁のようなものに阻まれて、出られませんでした。
透明のマシュマロのような壁をぽよんぽよん叩いていると、後ろからやって来た貴婦人がリリーたちを追い抜いていきました。
貴婦人は、見えない壁も通り抜けられるようです。
貴婦人は通りすがりざま、リリーたちに言いました。
「ごはんを食べて、シャワーを浴びて、しっかり眠るようにね」
その言葉で、リリーは察します。
「もしかして……ごはんを食べないと、この森から出れないのかな……?」
「ええっ、あんな不気味な食事、もうたくさんよ!」
イヴの意見には、他の仲間たちも同じ気持ちでした。
でも、ミントだけは違ったようで、
「おいしーい!」
目を離したスキに、ごちそうを頬張っていました。
リリーたちは、あちゃあ、となりましたが、もう食べてしまったらしょうがない、と食卓につきました。
この何が起こるかわからない状況下では、足並みを揃えていたほうがいいと考えたのです。
最初は嫌々ではあったのですが……ごちそうはやっぱりとてもおいしかったので、つい普通に食べてしまいました。
そして例によって箸が伸びてきたので、また食べさせっこをしながら、リリーたちはこれからのことについて話し合いをはじめます。
シロから長い箸で差し出された骨つき肉を、骨ごとバリバリ噛み砕きながらイヴが言いました。
「やっぱり生徒になったのはマズかったわね。どんどん貴婦人のペースになっていってるわ」
最初に生徒になると言い出したシロは、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
「私が生徒になるだなんて言い出さなければ……すみまっんぐ」
シロはみんなに謝ろうとしましたが、クロがその口を塞ぐように煮玉子を押し込みました。
もちろん、みんなはシロを責めるつもりはありません。
「でも、どうしよう? このまま授業を受け続けるしかないのかな? あ、イヴちゃん、そこのピザがいい」
リリーは食べさせ役のイヴに向かって、シーフードピザを指さします。
ピザは大きな一枚で、小さく切り分けられていたのですが、イヴはまるごと一枚を箸でつまみあげてリリーの口に運びました。
「アンタらが歯の痛みを我慢できるんだったら、貴婦人が授業できないくらい、めちゃくちゃにしてやってもいいわよ」
大口をあけてピザ一枚を頬張りながら、リリーは言います。
「ほ、ほれはひょっと……めひゃくひゃいらひゃはっはんらよ。はんふは、はひひはひをいふふもははれてるみはひで……ははひんくっしょんになっらみらいれ……」
リリーは『そ、それはちょっと……メチャクチャ痛かったんだよ。なんかね、歯に針をいくつも刺されてるみたいで……歯がピンクッションになったみたいになって……』と言っていました。
「だらしないわねぇ、そのくらい我慢しなさいよ。まったく……貴婦人も貴婦人で、ウサギにしたいなら、さっさとすりゃいいのに……」
一応、イヴには通じたみたいです。
リリーは口の中のピザを、ごっくんと飲み込みました。
「やっぱり、目的は私たちをウサギにすることなのかなぁ……?」
その口のまわりはチーズがべったりです。すかさず、シロが拭いてあげます。
「……あの、もしかして……まわりにおられるウサギさんたちは、もともとは人……あっ、いえ、なんでもありません、すみませんっ」
シロは言っていて怖くなったのか、途中で言葉を打ち切ります。
しかしすかさず、リリーの腰のあたりから、からかうような声がしました。
「シロ、知らなかったのー? まわりにいるウサギって、ぜんぶ人間だよー」
「えっ、クルミちゃん、わかるの?」
リリーが尋ねると、クルミは鍔の手をパタパタ振って答えます。
「うん。なんかウサギの上に、人間の魂みたいなのが見えるから。なぜかみんな、揃って悲しそうな顔をしてて……ハハッ、ちょっとおかしくって」
聖剣は青い身体を鈍く光らせながら、さも楽しそうに言いました。
しかし、リリーたちはとんでもないことを聞いてしまった、と黙り込んでしまいます。
その沈黙をやぶったのは、他ならぬ切り込み隊長のイヴでした。
「やっぱり……貴婦人の目的は、アタシたちをウサギに変えることだったのね……!」
「ミント、ウサギさんになっちゃうのー?」
真剣なイヴに対し、ミントが能天気な声をあげます。
無邪気な問いに応じたのは、静かな声でした。
「自分たちが生徒になったこともそうだが、強制力はないものと思われる」
「ほんとに? クロちゃん」
リリーの言葉に、クロは頷きます。ソースのついた頬を、シロに拭いてもらいながら。
長い箸での食べさせっこは難しく、たまに口以外について汚れてしまうのです。
「この村で確認できた魔法は、大まかに二種類にわけられる。『きまりごと』によって効果が定義された、単純なる範囲魔法。そして被術者の意思や行動によって魔力が適用される、契約魔法。これは自分たちが生徒になりたいと思わなければ、生徒にならないし、誰かをウサギにしたいと思わなければ、ウサギにはならない」
イヴが「もしかして……!」と鋭い声をあげます。何かに気づいたようです。
真剣な表情でしたが、鼻の上にケチャップがついていて、台無しでした。
「貴婦人がこの村に魔法をかけたんじゃなくて、元から魔法のかかっていた村に貴婦人が移り住んできた、ってことなのかしら……? だから貴婦人も魔法のルールに振り回されてる、ってのは考えられない? でも長いこと住んでいるぶん、わかっていることも多いから……アタシたちよりルールを知っていて、それを利用して、アタシたちをどうにかしようとしてるんじゃないかしら?」
「婦人自らが制約を課している可能性も考えられる」
イヴの鼻を拭き終えたシロが、口をはさみます。
「あの、ご自身で作られたルールに、ご自身が制約を受けているということですか? なぜ、そのようなことをされてるんでしょうか?」
「理由として考えられるのは、武士道や騎士道のような独自の価値基準を持っている。または簡単にウサギにしてはつまらないと、ゲームのように楽しむために設定している。などが考えられる」
クロの新たなる仮説。それはそれで不気味な話でした。
貴婦人はあえて制約を課してリリーたちに接しているということです。
それは、貴婦人が本気になれば……制約を守ることをやめれば、いつでもリリーたちをウサギに変えられるということを意味でもあります。
リリーたちは今すぐにでも逃げ出したい気分になりましたが、今は自由に行動もできません。
ひとまずクロの仮説を信じるしかありませんでした。
これからどうするかという点については、ひとまず授業を受け続け、貴婦人の意図を探ろうということになりました。
二票さえ入らなければウサギにはならないので、絶対に自分に投票すると誓いあいます。
リリーたちはその作戦でいくことにしました。
食事も終えたので、テーブルを離れて森を出てみます。
リリーの推理は当たっていました。
食事をした後だと見えない壁はなくなっており、森を出ることができたのです。
しかし……村に戻ることはできませんでした。
次にリリーたちがたどり着いたのは、ざあざあと豪雨の降る森でした。




