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青空教室にいるリリーたち。
あれほど騒ぎ、怒り、泣いていたのに、みんなすっかり大人しくなっていました。
それもこれも、貴婦人からの罰が嫌だからです。
鎖のない狂犬のようだったイヴも、ちゃんと着席しています。
いまは襲いかかっても無駄だということがわかり、しかも仲間たちにダメージがいくのであれば、さすがに大人しくなるしかありません。
もし、自分にダメージがあるのであれば、いくら効かなくても襲いかかっていったでしょう。
イヴというのはそういう女の子です。
ぐずっていたミントは、シロの膝の上でドーナツを食べて、機嫌を取り戻しました。
リリーとシロは不安そうに、クロはいつもと変わらず、貴婦人の様子を伺っていました。
恐ろしい顔をしていた貴婦人は、生徒たちが静かになったとたん、元のやさしい顔に戻ります。
「はい、ようやく静かになったわねぇ。じゃあ、ナゾナゾはこのくらいにして、次は『道徳』の授業をしましょう」
貴婦人はまだ授業を続けようとしたので、リリーたちはちょっとびっくりしました。
「アタシたちを痛めつけたいんだったら、もう授業のフリなんていいでしょう。……アンタ、一体なにが目的なのよ?」
膝を立てて椅子に座る不良生徒のようなイヴが、ズバリ聞きます。
リリーとはシロはヒヤッとして、イヴのほうを見ました。
貴婦人は口元を裂けることなく吊り上げて、ニコッと微笑みます。
「なにって、ずっと言ってるでしょぉ? 先生はあなたたちの『わだかまり』をなくしたいの」
そして、イヴの意図を汲み取ったかのようにウインクしました。
「わかったわぁ。イヴさんは、罰が気になっているのねぇ? 先生はみんなに罰を与えたいわけじゃないの。肉体的な苦痛は先生は大キライだから、安心して。罰を与えるのは、ちゃんと授業を受けなかったときと、ナゾナゾを間違えた時だけよぉ」
イヴは貴婦人の意図がわからず、内心は困惑していました。
でも、強気に鼻を鳴らします。
「……フン、どーだか」
「じゃあ、『きまりごと』にしておきましょうか」
貴婦人はそう言いながら、くねくねと身体を揺らして『きまりごと』が書かれている立て札まで歩いていきます。
そしてステッキを取り出すと、先っちょで立て札に書き加えました。
『なかよしのもりでのきまりごと』
一、なかよしのもりでは、なかよしになることができます。
二、なかよしになるためには、先生からおしえてもらわないといけません。
三、先生からおしえてもらうためには、生徒になりましょう。
四、生徒になったら、じゅぎょうをうけなくてはいけません。
五、じゅぎょうちゅうは、先生のいうことをよくききましょう。
六、生徒どうしは、なかよくしましょう。先生とも、なかよくしましょう。
七、生徒は、ほかの生徒や先生に手をあげてはいけません。
八、先生は、わるさをした生徒にばつをあたえてはいけません。
九、なかよしのもりでは、みんなでなかよく、なかよくしましょう。
十、先生は、生徒がじゅぎょうをちゃんとうけなかったときと、ナゾナゾをまちがえたときいがいは、生徒にばつをあたえてはいけません。
新たに加えられた『きまりごと』。
それは、『十、先生は、生徒がじゅぎょうをちゃんとうけなかったときと、ナゾナゾをまちがえたときいがいは、生徒にばつをあたえてはいけません。』
「これでよし……と。じゃあ、道徳の授業をはじめましょうか」
貴婦人は続けざまに、立て札から黒板のほうを向きます。
ステッキを伸ばし、黒板になにかを書き始めました。
カツカツと音を立てて描かれたのは、四つ又に分かれたレールでした。
「ひとりでトロッコに乗っているところを想像してみてね。トロッコはすごいスピードで走っていて、ブレーキが壊れて止まることができません。そして目の前には、四つに分かれたレールがあります」
言いながら、レールの上に横たわる人を書き加えます。
「それぞれのレールには、あなたたちの仲間がひとり、横たわっています。誰かをひとり、犠牲にしないといけません。あなたは誰がいるレールに向かうかしら? 机の中に札があるから、それを挙げて答えてね」
リリーたちは机の中に手を入れてみました。
中には『リリー』『イヴ』『ミント』『シロ』『クロ』と名前が彫られた木札が入っていました。
どうやらこれを挙げて、誰を犠牲にするか答えないといけないみたいです。
リリーは札を眺めながら「これが、道徳の授業……?」と首を傾げています。
イヴは「くっだらない」と札を机にぶちまけました。
ミントは字が読めないので「なんてかいてあるのー?」とシロにたずねています。
シロは丁寧にミントに教えてあげていました。
クロは机の上に札を並べ、見ないようにして指でさすっています。どうやら指の感触だけで何が書かれているかわかるようです。
「話し合うのは禁止。自分で考えてね。自分が、トロッコを突っ込ませてもかまわないと思う人の名前の札をあげてね。じゃあいくわよ、せーの」
貴婦人のかけ声とともに、一斉に挙げられた札……それらは全部、同じ名前でした。
『ミント』『ミント』『ミント』『ミント』『ミント』……ミント一色です。
貴婦人の瞳が、光沢が走るようにキラリンと輝きます。
「んまあ!? やっぱりミントさんが、みんなのわだかまりだったのねぇ! ねぇミントさん、あなたをトロッコで轢いても、みんな平気なんですって! ひどいわねぇ! そんなふうに思われて、いまどんな気持ち? ねぇどんな気持ち?」
貴婦人はいじめっこのように煽りはじめました。
そう言えば、きっとミントは泣き出すと思ったのでしょう。
ミント自身も『ミント』の札をあげていましたが、そんなことはお構いなしです。
「ミント、ひかれないよ?」
でも本人はケロっとしていました。
みんなも、うんうんと頷いています。
「うん。ミントちゃんなら避けるだろうと思って、ミントちゃんにした」
「魔法弾をかわすミントがトロッコなんかに轢かれるわけないじゃない。ドジなリリーじゃあるまいし、バッカじゃないの?」
「ミントさんでしたら、いつも私の胸に飛び込んできてくださいますので、両手を広げてがんばって受け止めたいと思います」
「トロッコでミントを轢こうとした場合、長銃から発射される弾丸の40倍の速度を必要とする。トロッコではその速度は出せないため、通常では轢くのは不可能。轢くためには、レールに縛りつけて動けなくするなどの追加処置が必要」
想像とは違っていたリリーたちの答えに、貴婦人は肩透かしをくらった気分でした。
貴婦人が期待していたのは、札を挙げられたミントが泣き出すことでした。
泣いたことで授業を妨害したとして、仲間たちに罰を与えたかったのです。
ミントのせいで罰を与えられた仲間は、さらにミントとの溝が深まる……というのを狙っていました。
でもリリーたちは道徳の授業というよりも、危機回避の授業のような感覚で答えました。
誰かを犠牲にするというつもりはちっともなく、どうすれば誰も犠牲にしないかを考えたのです。
しかし貴婦人もめげません、何としても誰かを犠牲にさせるべく、さらなる設定を追加します。
「じゃ、じゃあ、クロさんの言うように、縛られているとしたらどうかしらぁ? トロッコを避けることは絶対にできないとして、もう一度、札をあげてみましょう。いい? せぇーの!」
再び、札が掲げられます。今度は、ミントの名前はひとつもありませんでした。
生徒たちは想像していました。高速で走るトロッコから見下ろす、ひとりの仲間を。
その仲間は縄でレールに縛りつけられ、必死にもがいています。
このまま進めば、確実にぺちゃんこになってしまう……!
リリーは、イヴは、ミントは、シロは、クロは……誰なら犠牲にしてもよい、と考えたのでしょうか……?




