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イヴから「授業を受けたいのか」と問われたリリーは、考える素振りをしつつ答えます。
「うーん、授業は嫌いなんだけど……みんなの間に『もやもや』っていうのが本当にあって、それが授業でなくせるんだったら、いいなぁと思って」
リリーは貴婦人から、心の中に『もやもや』があると聞いてちょっとショックを受けていました。
仲間たちのことは少なからずわかっていて、多少の不満はあれど、『わだかまり』になるようなものは何もないと思っていたからです。
でも、それはイヴも同じのようです。
リリーは気にしていますが、イヴは鼻で笑っていました。
「バッカねぇ、そんなの貴婦人のウソに決まってるでしょ」
「やっぱり、そうなのかなぁ……そうだといいんだけどなぁ……」
「それともなあに、アタシに不満でもあるの?」
イヴは冗談めかして言いました。
「そんなのないよー」という答えを期待していたのですが、意外にもリリーは深刻な顔をしています。
「うぅん……ないこともないけど」
予想外の一言でした。
それでイヴはどうなったかというと、カチンときていました。
子供の頃、リリーと出会うまでは疳の虫以外には友達がいないような女の子だったので、イヴは非常に怒りっぽいのです。
さながら、導火線のないダイナマイトのように。
「……なんですって?」
その性分を証明するかのように、言葉より早くリリーの襟首を掴んでいました。
「アンタがアタシに不満だなんて、百年早いのよ! いったい何が不満なの!? おっしゃい!」
がくがく揺さぶられても、リリーはあまり物おじしません。
イヴに襟首を掴まれるのは、三度の食事と同じくらい日常化しているからです。
本当に怒っているときは絞め技が加わるので、その時はさすがに抵抗しますが……そうでなければ身体に触ってもらえるのでリリー的にはむしろ嬉しいと感じるほどでした。
前後に揺れながら、リリーは普段から思っている不満を素直に白状します。
「わわわ私が身体を触っても、おおお怒らないでほしいいぃ」
すると、イヴは突き飛ばすようにしてリリーを解放しました。
頭痛を感じているかのように、額に手を当てながら唸っています。
「はぁ……アンタ、本当に人の身体を触るのが好きねぇ……」
イヴにとってそれは、驚きに値しない告白でした。
なにせ学校の宿題である「パーティメンバーの分析」でも同じことを書いたくらいです。
教室でも発表したので、少なくともリリーたちのクラスメイトはみんな知っているでしょう。
むしろ代わり映えしない願望の強さに、イヴは呆れていたのです。
なぜそうまでして女の子の身体、とりわけ自分の身体に執着するのか……と。
リリーはしんみりと言いました。
「私がイヴちゃんと間違えられてさらわれたこと、あったでしょ? あの時、みんながいなくて心細かったけど、みんなのことを思ってがんばったんだ。だからいっぱい触っておけば、もしまた離れ離れになることがあっても、その感触を思い出してがんばれるかなぁ、って……」
寂しさを感じたようにうつむき、言葉を続けます。
「ミントちゃん、シロちゃん、クロちゃんの身体はスキあらば触って感触を覚えたんだけど、イヴちゃんの身体はまだあんまり触れてないから思い出せないかもしれない……もしそうなったら私……またひとりぼっちになった時……ダメかもしれない……」
リリーはまるで、想い人に心残りを打ち明けるように語ります。これから戦争にでも駆り出されるかのように。
しかし肝心の想い人は……その奥にある思いまで見透かしたような薄目をしていました。
「そんなこと言って、アタシの身体に触ろうったって無駄よ」
「……あ、バレちゃった?」
パッと顔をあげたリリーには、さきほどまでの寂しさは少しもありませんでした。
「しょうがないわねぇ、今だけよ」と触らせてくれるのを期待していたのですが、イヴには通用しません。
リリーとイヴがそんなやりとりをしていると、親子のように手を繋いだミント、シロ、クロがリリーたちの元にやって来ました。
「あーたのしかった!」
「『わんぱくの森』と『すいすいの森』と『めぐみの森』をミントさんと一緒に探させていただいたのですが……出口らしきものは見つけられませんでした、すみません……」
遊び尽くしたようなミントと、申し訳なさそうに報告するシロ。ふたりとも全身ずぶ濡れになっていました。
『すいすいの森』の湖で服を着たまま泳ぎ、『めぐみの森』の豪雨の中を傘もささずに歩いたためです。
「『げらげらの森』と『しくしくの森』と『むかむかの森』の調査終了。村の出口は無く、特に変わったものも発見できず」
クロが調べたのは、歩いていると感情を激しく揺さぶられる森でした。
しかし彼女は破顔も号泣も激怒もしておらず、いつも通り淡々としていました。
仲間たちの話を聞いていたリリーは、自分たちの成果も発表しつつまとめにかかります。
「ありがとう、クロちゃん、ミントちゃん、シロちゃん。私とイヴちゃんは『ひみつの森』と『なにもない森』と、ここ『なかよしの森』を調べてみたんだけど、何もなかった」
「『ひみつの森』なんてもったいつけた名前のくせに、ベンチがひとつあるだけだったわ。やっぱり、出口なんてどこにもないのよ」
イヴがつまらなそうに合いの手を入れます。
「やっぱり……って、イヴちゃん、わかってたの?」
「きっと貴婦人が魔法かなにかで隠してるに違いないわ。だからブッ倒してやらない限り、ここからは永遠に出られないのよ」
「うーん、その可能性はあるにしても、ブッ倒すってのはさすがに……シロちゃんは、どう思う?」
シロは自分がびしょ濡れなのもおかまいなしに、ハンカチを使ってミントを拭いてあげていました。
「はっ、はい。 私ですか? 私は……よくしていただいたので、手荒なことはあまり……」
リリーは続けてクロにも聞いてみました。
「あの婦人を殺害すればこの村から出られるのは間違いないが、実行に移すのは難しい」
「なんでよ?」
イヴが不満げに口をはさみます。
「まず一点目は、力量の差。いままで我々が目の当たりにしてきた不思議な現象はすべて高等な魔法によるもの。婦人本人の魔法かどうかはわからないが、この空間において相当な力を持っている。その相手に対し、武器もない状態で挑むのは無謀」
「ようは襲いかかっても勝てないって言いたいのね。二点目は?」
「二点目は、婦人本人の意図がまだ不明なこと。ただ、善意があるかもしれない人物を殺害することを問題としなければ、これは考慮に値しない」
クロの指摘は至極もっともだったので、リリーは思わず唸っていました。
「うぅ〜ん……やっぱり、そこだよねぇ……貴婦人からひどい目にあわされたわけじゃないのがなぁ………」
「なぁに悠長なこと言ってんの! ボサッとしてたら取り返しのつかないことになるかもしれないのよ!?」
「そうかもしれないけど……でも……なぁ……」
リーダーであるリリーの態度が煮え切らないので、イヴは面白くありません。
それでどうなったかというと……またカチンときていました。
「ええい! アンタたちがやらないっていうんだったら、アタシひとりでやってやるわよ!!」
「え、ちょ、イヴちゃん!?」
リリーが止める間もなく、イヴは村に向かって走り出していました。




