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窓から差し込むお月さまの四角い光は、額縁に入った絵画のように女の人を照らしていました。
リリーがその人を目にするのは、初めてではありません。
最初はドッペルゲンガーたちのいる集落で、ふと目を覚ましたときにそばで寝ていたのです。
二度目に会った今も、壁際にもたれかかってすやすやと寝ています。
リリーは、肩を枕に寝ているクロを抱えつつ、女の人に近づいてみました。
青いロングヘアと、青白い肌。整った瓜実顔と、青い羽衣のドレス。
その寝姿は、月の光を受けてさらに美しく……氷の棺に入っている女神さまのような、静かで穏やかな神聖さを感じさせます。
集落の山小屋で目にしたときは、次の朝にはいなくなっていたので、リリーはてっきり寝ぼけていたんだろうと思っていました。
でも、間違いありません。女の人は幻などではなくて、たしかに存在していたのです。
思わず見とれてしまいましたが、リリーは首をかしげます。
なぜ、こんな所にこんなキレイな女の人がいるんだろう……それも山小屋に続いて二度も……と。
女の人が寝ている場所は、リリーが寝る前に聖剣を立てかけておいた場所でした。
そこでリリーは、貴婦人が教えてくれたことを思い出します。
『しゃべる武器というのは、武器そのものがしゃべっているわけじゃなくて、武器に宿った精霊がしゃべってるんですって。その剣に寄り添っている子はきっと女の子ね。見た目からするに、きっと美人よ。青いドレスがよく似合うような……』
「……まさか……クルミちゃん!?」
リリーはひとりごとのつもりでつぶやいたのですが、女の人の瞼がピクッと震えました。
まぶしいものでも見るかのように、薄目でリリーを見上げます。
「んん……なぁに、リリー……気持ちよく寝てるんだから、邪魔しないでよぉ……」
その声は……聖剣とまったく同じでした。
「あっ……ご、ごめんねクルミちゃん」
リリーは驚きながらもなだめると、聖剣は「うう……ん」と唸ってまた寝入ります。
まさか聖剣に宿った精霊の姿が見えるだなんて、リリーは思ってもみませんでした。
それに、抱いていたイメージとも全然違っていました。
てっきりミントやミルヴァのような、幼い子供のようだと思っていたのですが……リリーよりずっと年上の、大人のお姉さんでした。
それも、目の覚めるような美人です。
しかしリリーの戸惑いは、すぐに嬉しさに変わります。
こんなに素敵な友達ができたんだ……! と。
リリーはお姉さんの横に、くっつくようにして座りました。
そしてぴったりと寄り添います。寝ているのをいいことに、肩に手を回してみました。
右にはお姉さん、左にはクロ。両手に花です。
リリーは花畑で寝っ転がっているような、幸せな気持ちで眠りにつきました。
そして、長らくした後……リリーはイヴの闘気術によって叩き起こされました。
「いつまで寝てんのよっ!! さっさと起きなさい、リリー!!」
リリーはがばっと身体を起こします。地震を感じたようにわたわたしてましたが、あたりはまだ月夜でした。
腰に手を当てて見下ろしていたイヴに対して、不満を言います。
「なんだ……てっきり朝かと思ったら……まだ夜中じゃない……」
「ここはずっと夜みたいだから、朝になるまで待ってたら干からびちゃうわ。だいぶ寝たみたいだから出発するわよ」
「ふぁ~い」
リリーは渋々身体を起こそうとします。
右手は女の人の肩に手を回していたのですが、その姿はもうなく、かわりに聖剣を握りしめていました。
左手には、寝ているのか起きているのかよくわからないクロが、寝入ったときと寸分違わぬポーズで寄り添っていました。
リリーは二人三脚するように立ち上がります。
他の仲間たちはすでに目覚め、旅立ちの準備もすっかり終えていました。
リリーとクロも装備や荷物を身に着け終えると、揃って『すやすやの森』を出ました。
村に戻った途端、しんしんとした静かな月は、さんさんとしたまぶしい太陽に変わります。
この村も、まわりにある森も、暑くもなく寒くもなくて過ごしやすいのですが……昼と夜がガラッと変わるのにはさすがに慣れません。
リリーはまぶしさに目をショボショボさせながら、いつものように出迎えてくれた貴婦人に言いました。
「もう雨もやんでると思うので、山道のほうに戻ろうと思います。お世話になりました」
「あらあら、もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」
貴婦人から引き止められて、少しだけ後ろ髪をひかれる思いでした。
リリーはつい「じゃあ、お言葉に甘えて」と言いそうになりましたが、「じゃあ」と口にするなりイヴから肘で強めに突かれて、軌道修正します。
「じゃあ、ウッ! ……お、お言葉に甘えたいところなんですけど、やらなくちゃいけないことがあるので、もう行きます」
「そおぉ? 残念ねぇ……あっちに行くと『さよならの森』があるから、そこから外に出ることができるわぁ」
長い長い爪で示された方向に向かって、リリーたちは歩いていきます。
貴婦人はずっと見送ってくれたので、何度も手を振り返しながら。
しかし……リリーたちは気づいていませんでした。
貴婦人の紅色の口が、頬のあたりまで裂け……ニタアと笑っていることに。
『さよならの森』に入ったリリーたちは、行き交うウサギたちに別れを告げながら歩いていきます。
ぽかぽか陽気にたわむれるウサギたちを見ていると、リリーはまた後ろ髪をひかれる思いでしたが、旅を再開できると思うと自然と足早になりました。
しかし……いくら歩いても、外に出られそうな気配はありません。
道は分かれてはおらず、一本道なのですが……どこまで行っても、同じような森が続いているのです。
それこそ嫌になるほど歩いたのですが、ずっと同じところをぐるぐる回っているかのように景色も代わり映えがしませんでした。
それでも最初のうちは、やんちゃな仔鹿のように足取りも軽かったのですが……だんだんと生まれたてに戻ったかのようにふらつきはじめます。
「ああ、どこまで行けばいいんだろ……」
「みちにまよったの~?」
「そんなはずは……ずっと一本道でしたし……」
「もしかしたら、途中で見落としてるのかも。ちょっと戻ってみましょうか」
イヴの提案で、道を引き返してみることにしました。
するとどうでしょう、あれほど歩いたというのに、少し歩いただけですぐに村に戻ってしまったのです。
「あらあら、どうしたの? 忘れ物?」
見送ってくれたときから動いていないのか、同じ場所で貴婦人が迎えてくれました。
リリーが森のなかであったことを話すと、貴婦人は熱帯の花のような瞼を閉じて考えこむ仕草をします。
そして、大げさに言いました。
「外に出られないのは……それは、とってもよくないこと……! きっと、あなたたちの心のなかに『もやもや』があるせいね……!」




