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時間が逆戻りしていくかのように……部屋の中が暗くなっていく。
窓から差し込んでいた朝日が、雲に遮られたんだ。
夜のような闇のなかで、鉱石のようにぼんやりと輝く32の瞳。
それらはたしかに私たちを見上げていた。
私は大勢のメデューサに遭遇してしまったかのように動けずにいた。
飲み込んだ唾が、ごくりっ、と大きな音をたてる。
いきなり何者かが体当たりしてきて、ヒャッ!? としゃっくりみたいな声をあげてしまった。
誰かと思ったらクロちゃんだった。暗くなってビックリしたんだろう。
彼女は暗闇が苦手で、洞窟とかの光の少ない所に行くと私に抱きついてくるんだ。夜も私にくっついて寝る。
私はクロちゃんをかばうように抱き寄せる。シロちゃんも怖くなったのか寄り添ってきたので、彼女がおんぶしているミントちゃんごと抱き寄せた。
濁流に流されないようにするラッコのように、私たちは身体を寄せ合う。
イヴちゃんだけは仁王立ちのまま、唇を噛んでいる。
「「「「「「「「「「「「「「「「ねぇ……みんな、どこに行くつもりなの……?」」」」」」」」」」」」」」」」
拡声棒を通したような、違和感ありまくりの声が部屋中に響く。
……やっぱり気持ち悪い。自分の声が自分以外から出てくるのがこんなにゾワゾワするなんて。
心臓は暴走するようにドクドクしてて、身体の内側が燃えるように熱い。
でも外側は寒気と冷や汗で凍えそうなくらいブルブルしてる。歯の根もあわず、勝手にカタカタ鳴っている。
身体が制御できないほどにパニックに陥っているのがわかる。
もうヤケになって叫び出したい気分だったけど、ギリギリのところで飲み込む。
また、ごくりっ、と喉が鳴った。
そう、落ち着け、落ち着くんだ、リリー。
でも、このまま黙っているわけにはいかない。何か返事しなきゃ怪しまれる。
どうすればいいんだ……いったいどうすれば誤魔化せる?
ここで失敗したら、またドッペルゲンガーとの共同生活に逆戻りだ。しかも私だらけの……。
昨日まではホンモノとニセモノが入り乱れていて、本人以外は誰も正体がわからなかった。
だけどクロちゃんの機転のおかげで、誰がホンモノの私で、誰がニセモノの私かハッキリしてしまった。
従って、完全にドッペルゲンガーと意識しての共同生活になるんだ。
私は……こんなにたくさんの私とうまくやっていけるんだろうか……!?
いや、ダメだダメだダメだ。そんな狂った暮らしは絶対に願い下げだ。
みんなの時は喜んでいたのに、ずいぶん都合がいいと言われるかもしれないけど、無理なものは無理なんだ。
きっとみんなも、誰が私かわからない状態でなら平気だと思うんだけど、明らかにニセモノだとわかっている私と一緒にいたいなんて思わないはずだ。
選択肢としてはみっつ。
まず、このまま走って逃げる。
まだ寝ぼけてるみたいだから、もしかしたら追いかけてこないかもしれない。
でも、私の性格と同じだと考えたら……絶対に追いかけてくるだろう。
そうなると脚の速さの勝負になるんだけど……おそらくダメだろう。
イヴちゃんはまだしも、シロクロコンビを連れてとなると逃げ切れない。
次に考えられるのは……戦う。
5対16の戦い。数だけでいえば圧倒的に不利だ。
だけど私の性格と同じなんだったら、こっちを攻撃するのに躊躇してくれるかもしれない。
そうなったらしめたものだけど……攻撃されたドッペルゲンガーがいよいよ素性をあらわして襲いかかってきた場合、どうなるかわからない。
それだけならまだしも、戦ってる最中に仲間に擬態されたりしたら最悪だ。ふりだしに戻ってしまう。
やっぱりここは……穏便に納得してもらうのが一番かもしれない。
私に擬態したドッペルゲンガーたちとやりとりをして、私たちがここから立ち去るのを見送ってくれるような説得をするんだ。
ドッペルゲンガーは擬態した者の思考や記憶も模写する、ってクロちゃんが言ってた。
ってことは……私の立場になって考えればいいんだ。
私は頭をフル回転させる。
……考えろ、考えるんだ、リリー……!
私は……私はなにを言えば納得する?
この状況は言うなれば、私だけを置いてみんなだけで遊びに行くようなもんだ。
そんな所に出くわした私は、なんと言葉をかけてもらえば「いってらっしゃい」って気持ちになる……?
だ……ダメだあっ!! そんな気持ち、絶対にならないよ!!
だってみんなが出かけるなら「私も行く!」って言っちゃうもん!!
ふと、イヴちゃんが前に出ようとした。背中の大剣に手をかけている。
やばい、斬りかかる気だ……! と私は慌てて押しとどめた。
キッ、と睨みつけてくるイヴちゃん。「これしかないでしょ!」と目で訴えている。
ふと、安らかな声が割って入った。
「うぅ……ん……あしたてんきになあれ……むにゃむにゃ」
シロちゃんの背中にいるミントちゃんの寝言だ。
それは……いつもであれば聞き流す他愛ない内容だったが、今の私にとっては、まさに天啓だった。
ゆっくりと……部屋の中があたたかい光で満たされる。雲が通り過ぎ、再び太陽が顔を出したんだ。
私は、自分でもハッキリわかるほど自信を取り戻していた。
「ここは私にまかせて」とイヴちゃんにウインクする。
うまくできたかわからないけどぎこちなく片目をつぶってみせて、一歩前に出る。
「「「「「「「「「「「「「「「「ねぇ……答えてよぉ……どこに行くのぉ……私も……私も連れてってよぉ……」」」」」」」」」」」」」」」」
さまようゾンビのような、うわごと混じりの声が這い上がってくる。
でも……もう怖くはなかった。私は、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「……今日、みんなと木の実を採りに行く約束してたでしょ? きのう雨が降ってたから、ちょっと先に行って様子を見てくるね。戻ってきたら起こしてあげるから、まだ寝ててもいいよ」
しばし流れる沈黙のあと、穏やかな溜息が漏れる。
「「「「「「「「「「「「「「「「ははぁ……うん……そうだね……いっぺんに行くとダメだもんね……じゃ……任せる……」」」」」」」」」」」」」」」」
ゆるゆると手を振ってくれた。
「……よし、じゃあちょっと行ってみよっか」
私ははやる気持ちを抑え、ちょっとそこまで、くらいの軽い気持ちでみんなに言う。
「しょっ、しょうがないわねぇ……木の実採りなんてめんどくさいけど……ヒマだからつきあってあげるわ」
イヴちゃんは私の意図をすぐに察し、合わせてくれた。
「はっ……ははははははひっ、私もごごご、ご一緒させていた、いたきます……」
引きつり、裏返り、震えるシロちゃんの声。バレないかヒヤヒヤした。
「ついでに魚釣りしたい」
クロちゃんの棒読みが、こんなに頼もしいと思ったことはなかった。
私たちは顔を見合わせ、今度こそ、と頷きあい、ゆっくりと玄関に向かう。
「「「「「「「「「「「「「「「「……いってらっしゃ~い……」」」」」」」」」」」」」」」」
声に送られてログハウスを出ると、扉をカッチリと閉じた。
ガラスの向こうの私は、コテンと横になっている。
デッキには、昨日シロちゃんが干した洗濯物がはためていた。
後ろ髪をひかれる思いだったが振り払い、階段を降りる。
そのまま広場を横切り、お世話になった調理場を通り過ぎた。
パン食い競争の準優勝商品の詰まった荷車があったが、それも置いていくことにする。
集落と森の境目のあたりまで来たところで、一度振り返る。
静かに佇んだままのログハウスを確認したあと……全力で走り出した。




