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大勝利を知らせに走る伝令のごとく、私は気持ちも足どりも弾んでいた。
「クルミちゃんがあんなにしりとりが上手だなんて、知らなかったよ!」
手にした聖剣は、大将の首を討ち取ったかのように得意気だ。
「エッヘン! ボクくらいの聖剣になると人間なんかよりずっと高い知能があるから、語彙も豊富なんだ。もっと敬う気になった?」
「うん! すごいすごい! でもいっぱい言葉を知ってるだけじゃなくて、相手が悩む言葉を選んでたよね?」
「なんにもない洞窟の中にずっといたから、寝てるとき以外はずっとひとりでしりとりをしてたんだ。どうやったら勝てるのかいろいろ考えてるうちに、言葉の少ない語尾を選ぶようになったんだ」
「それで『鼻血』かぁ……で、ずっとってどのくらいなの?」
「うーん、十年くらいかなぁ」
「じゅ、十年も!?」
私は度肝を抜かれた。なんだかクルミちゃんがかわいそうになってきて、しんみりする。
しかし当人、というか当剣はなぜか不機嫌になったようだった。
「そんなことはどうでもいいよ! それよりもリリー、いったいいつになったらここを出発するのさ? ボクは早く女神様のところに行きたいのに!」
鍔の手をブンブン振り回しながら、プリプリ怒っている。
「ご、ごめん……ドッペルゲンガーと本物のみんなの見分けが全然つかなくて……」
「もういいじゃん、見分けなくて。みんな連れてくか、みんな置いてっちゃおうよ」
「そういうわけにはいかないよ」
「じゃあ、斬ったらわかるんじゃない?」
さらりと嫌なことを言う。
でもある意味、じつに剣らしい考え方ともいえる。
「斬るのはちょっと……それに、もしそれがきっかけでドッペルゲンガーと戦闘になったら……クルミちゃん、力を貸してくれる?」
「だーめ、ボクを鞘から抜いていいのは女神様だけだって言ったでしょ」
「……その鞘だって私が買ってあげたのにぃ」
「それについては感謝してるって。ちゃんと届けてくれたらリリーたちにお礼をするように女神様にお願いしてあげるから。っていうか、リリーたちみたいな見習い冒険者が女神様に拝謁できるなんて、それだけで生涯でいちばんの宝物になると思うよ。お姿を見ただけで感激でお漏らししちゃうよきっと」
「うーん、ミルヴァちゃんとはついこのあいだ会ったばかりだしなぁ……しかも私の部屋で一週間ほど寝泊まりしてったし……また会えるのは嬉しいけど、お漏らしするほどの感動はないかも……」
「またまたぁ。その与太話は聞き飽きたよ……ふぁーあ、しりとりしたら眠くなっちゃった。ちょっと寝るね」
クルミちゃんはそこで話を終わらせる。ゆっくりと瞼を閉じるように、柄頭にある宝石の輝きを消した。
起こさないように、私はそっとクルミちゃんを腰に携えなおす。
うーん……クルミちゃんって、十年もひとりでいたのか……。
しかもあんな何もない洞窟で、岩に刺さって動けない状態で……。
私だったら頭がおかしくなっちゃうかもしれない。
こうなったら、何としてもミルヴァちゃんのところに届けてあげたいなぁ。
そのためには、この集落を出る必要がある。
でも正直なところ、ここでみんなと暮らし続けるのも悪い話じゃないかも……なんて思いはじめている。
しかも明日はみんなで木の実取りに行こうだなんて約束しちゃってるし……。
ドッペルゲンガーを見破るキッカケが掴めないからって、意識が現実逃避をはじめてるのかもしれない。
いったい……どうすればいいんだろう……。
なんてことをアレコレと考えながら、しばらく散策するように森のなかを歩きまわっていると……開けた場所にでた。
草木が伐採され、広場と同じように整地されている。
遮るものがない青空の下、いくつかの丸いテーブルと切り株をそのまま使った椅子があった。
たぶん、森の中で作業している人が休むために作られた休憩所だろう。
奥にあるテーブルには人影があって、それはクロちゃんたちだった。
特に何かをしている様子はない。焦点の定まらない瞳のまま、無言で卓を囲んでいる。
私はクロちゃんという女の子を知ってるからそれほど驚かなかったけど、知らない人が見たら魔女たちの儀式に出くわしたと思って腰を抜かしそうなほど不気味な光景だった。
「なにしてるの、クロちゃん?」
声をかけてみたが、返事はない。
あいている椅子がひとつあったので、そこに腰かけて静かな井戸端会議に加わってみた。
クロちゃんたちは木のコップを持っていた。何かを飲んでいるらしい。
「何飲んでるの? 私にもちょうだい」
おねだりすると、私の正面にいたクロちゃんが伏せて重ねてあるコップからひとつ取り、すすっとテーブルを滑らせるようにしてよこしてくれた。
隣にいたクロちゃんがポットを持ち、コップに透明の液体を注いでくれる。
「これ……何?」
クロちゃんたちも飲んでいるから変なモノではないだろうとひと口飲んでみる。
ただの水だった。
テーブルの中央にはザルがあって、茶色い葉っぱが山と盛られていた。お茶受けのつもりだろうか。
クロちゃんのことだから何か特別なものだろうかと手に取ってみたが、ただの枯葉だった。
……こんな森の奥で、枯葉を囲んで水を酌み交わして、この魔法使いさんたちはいったいなにをやってるんだろう?
「えっと……クロちゃん、いったいなにをやって……」
見回しながら尋ねている途中で気づいた。彼女たちは何やら紐のついた札みたいなのを首から下げている。
それぞれ「リリー」「イヴ」「ミント」「シロ」「クロ」と書かれている。
丸テーブルに、ザルに入った枯葉、コップの水。そして……みんなの名前が書かれた札。
「……もしかして、姫亭ごっこをやってたの?」
クロちゃんたちは、同時にコクンと頷いた。
「そっか、じゃあ私も仲間にいれて!」
私は一も二もなく参加表明をする。
朝からずっと姫亭のことを考えていて、せめて気分だけでもと思ったからだ。
隣のクロちゃんが、何も書いてない札と黒炭を差し出してくれた。
これに役割を書けということだろう。
「あ、そっか……私の役はすでにいるから、私は別の誰かをやらなきゃダメなんだね。えっと……誰にしようかな」
パーティメンバーの役割はすでに埋まっているから、ゲストということになる。
考えられるのはユリーちゃん、ミルヴァちゃん、ティアちゃん、ベルちゃん、ノワちゃん、フランちゃんあたりか……。
うーん、誰がいいかなぁ……マネしやすいのはユリーちゃんだから、ユリーちゃんにしようかな。
そう決めて、札に『ユ』と書いた瞬間に全方位から、
「「「「「ユリーは不可」」」」」
と同時に否定されてしまった。
なぜユリーちゃんはダメなのか尋ねてみたが、クロちゃんたちは「不可」としか答えないので、しょうがなく別の人物にすることにした。
「あ……そうだ!」
私はいいことを思いついて、名札に「ジョン」と書いて首に下げた。
「わうっ、わふっ、わんっ」
犬の鳴きマネをしつつ隣のイヴちゃん役のクロちゃんに頭をグリグリとこするつける。
姫亭のアイドル犬、ジョンはこうして各テーブルをまわってお客さんに愛想を振りまくんだ。
擦り寄りを受けていたイヴクロちゃんはそっと手を差し出すと、「お手」とつぶやいた。
私は「わんっ」と返事をしてイヴクロちゃんの頭にかるく握った手を乗せた。
イヴちゃんはジョンに対してよく「お手」をやるんだけど、いつもジョンはイヴちゃんの頭に手を置く。
私は次に、反対側にいるシロクロちゃんに向かってがばっと飛びかかる。
なぜかジョンはシロちゃんに抱きつきたがる。ジョンは大型犬なので、たまにシロちゃんを椅子から床に押し倒しちゃうこともあるんだ。
こだわり派の私はそこまで再現するべく、シロクロちゃんを地面に押し倒した。
シロちゃんの悲鳴のマネをして「きゃっ」と発声するシロクロちゃん。なんの感情もない棒読みで。
その後、私はクロクロちゃんの元へと向かう。クロクロちゃんは私の顔を指でつまんでムニムニと揉みはじめた。
そうだ、いつもクロちゃんはジョンの顔マッサージをするんだ。
顔マッサージを受けるのは初めてだったが、なんだか思ったより気持ちいい。
口の端からヨダレが垂れたのに気づき、慌てて拭った。
私は四つん這いになると、次にミントクロちゃんの元へと這っていく。
ミントクロちゃんは私の背中にちょこんと乗った。そうだ、ミントちゃんはいつもジョンの背中に跨ってテーブルのまわりを巡るんだ。
クロちゃんは軽いので、背中に乗られてもぜんぜん平気。私はしばらくテーブルのまわりをぐるぐる回った。
そうしていると本物のミントちゃんは飽きて降りるんだけど、クロちゃんはずっと騎乗しっぱなしだった。
「あ……あの、クロ……あ、いや、ミントちゃん、そろそろ降りてほしいワン」
息を切らしながら懇願すると、ミントクロちゃんは渋々といった様子で降りてくれた。
いよいよ最後に私、リリークロちゃんの元に行く。
リリークロちゃんはいつも私がジョンにしているみたいに、鼻先で私の鼻をツンと突いた。
それはいつもだったら鼻チャンバラの合図なんだけど、今の私はジョンだ。
ジョンは鼻チャンバラをやらない。かわりに私の鼻をペロンと舐めてくれるんだ。そのあとはせきを切ったように顔をベロベロと舐められる。
でも、今回はごっこだ。ごっこでクロちゃんの顔を舐めてもいいのかな……と迷ったが、思い切ってやってみることにした。
あーんと大きく口を開けて舌を出し、クロちゃんの顔にゆっくり近づけてみる。
それはクロちゃんへの意思確認でもあった。嫌だったら顔をそむけるなり手で押し返すなりするはずだ。
でも彼女は待っていたかのように自ら顔を近づけてくれた。
私の舌がクロちゃんの鼻先に触れようとしたが、寸前、舌に冷たいものが当たる。
「あれ?」と顔をあげる。さっきまで青空だった頭上を雲が覆っていた。
いまにも泣き出しそうな、薄暗い雲だった。
「なんか、雨が降りそうだね……」
つい素に戻ってしまう。
しかしリリークロちゃんはまるで聞いてない様子で、続きを促すように私のシャツの裾を引っ張っている。
せっかく姫亭ごっこを始めたのだから、続けたいのはやまやまだった。
だけど、雨が降ったらそれどころじゃない。
私の心にもどんよりとしたものがたちこめつつあったが……しかし閃きという名の陽光が差し込み、暗雲をさっと消し飛ばした。
「あ! そうだ! ……ねえ、クロちゃん、私さきに戻ってるから、後からログハウスに来て! いいことしよう!」
私はそれだけ言い残すと、クロちゃんたちに背中を向けて駆け出した。




