50
地に足のついた感覚が奪い去られ、寒気のするような転落感に襲われる。
安定を取り戻すべく枝にむかって手を伸ばしたが、虚しく空を切った。
やばい、地面に叩きつけられる……! と身を固くしたが、待っていたのは想像よりずっと柔らかい感覚だった。
い……痛く……ない?
おそるおそる目を開けると……抱っこされた赤ちゃんと抱き上げる母親くらいの近さで、イヴちゃんたちの顔があった。
どうやら、みんなして私を受け止めてくれたらしい。まるで胴上げの途中みたいな体勢で、私は彼女たちの腕の中にいた。
「……さぁて、捕ま」
私はイヴちゃんの言葉の途中でがばっと跳ね起き、走り幅跳びのような勢いをつけて輪のなかから飛び出す。
こういう場合は不意をついて逃げるしかない。
「「「「「あっ!?」」」」」と虚を衝かれたような声をあげるイヴちゃんたち。
すでに私は背を向けていた。後ろから手を伸ばされ掴まれかけたが、タッチの差で私のスタートダッシュのほうが早かったようで、爪先がかするくらいですんだ。
よし、このまま逃げ……と思っていたら、
「リリーっ! りんご!」
鋭い槍のような声で、背後を貫かれる。私は反射的に身体を硬直させた。
「えっと……ご、ごりら!」
振り向きながら応対する。
「雷撃魔法!」
数メートルほど離れた場所から、ずん、と大股で迫ってくるイヴちゃんたち。
まだ距離はある。まだ距離はあるけど、うかうかしてられない……!
「う……う……!?」
私が言葉に詰まっている間に、ずんずん迫ってくるイヴちゃんたち。
……これは、こちょチョコ鬼のルールのひとつ。
鬼は近くにいる人の名前を呼んで、しりとりを仕掛けることができるんだ。
仕掛けられた側は、しりとりを考えている間は逃げてはいけない。しりとりを答えて鬼が考えている間だけ逃げることができる。
これはミントちゃんのような脚が早い参加者と、シロちゃんみたいに脚が遅い参加者との差を埋めるために考えたんだ。
しりとりだったら頭のいいシロちゃんのほうが得意だ。だからシロちゃんはある程度までミントちゃんに接近できれば力関係は逆転する。
私とイヴちゃんにも同じことがいえる。
ほんの少しだけど脚は私のほうが速い。だから普通にやっていればイヴちゃんに捕まることはそれほどないんだけど、しりとりとなると頭の回転が速いイヴちゃんのほうが上手だ。
「う……う……牛!」
「死神!」
私はなんとか答えをひねり出したが、食い気味に返されてしまった。
こちょチョコ鬼でのしりとりのコツは、相手が言うことを予想して準備しておくこと。
自分の考える時間が短いほど相手の行動を制限できるからだ。
この場合、私が「牛」と言うのを予想したイヴちゃんが「死神」という答えを用意していたことになる。
「み……み……みかん……ジュース!」
あぶないところだった。「ん」がついた時点で負けとなり、無条件でくすぐりを受けることになる。
「水死体!」
「い……イカ!」
「火炎放射!」
「や……野菜!」
「石抱きの刑!」
しりとりにも性格が出る。イヴちゃんの場合は物騒な言葉が多い。
それはいつものことなんだけど……今回の勝負、思ったよりずっと不利だ!
もともとの頭のデキが違ううえに、しかも相手は複数ときている。
5人がかりで考えて、言葉を思いついたイヴちゃんがいたらすぐに口を挟んでくるので、常に即答状態だ。動きたくても全然動けない。
逆にこっちはすぐに言葉を思いつかないので、迷っている間にどんどん距離を縮められてしまう。
せ、せっかく不意を突いて逃げ出せたのに……ずるいずるい、イヴちゃん!
焦る気持ちも手伝って、つい不平不満が口をついて出てしまった。
「い……いんちきだ、5人がかりでなんて! いんちきイヴちゃん! ……の、でべそ!」
しまった……口が滑ったとはいえ、こんな売り言葉をイヴちゃんが見逃すはずもない。
彼女たちの顔が、セール会場にいる節約主婦みたいに険しくなる。
「そんなことアンタに言われる筋合いはないわ、アンタのほうがよっぽどいんちきでしょうが!」
「が……が……がんばったのにぃ!? イヴちゃんに気合を見せてみなさいって言われて私なりにがんばったのに!」
「逃げ足と小細工と言い訳ばっかり達者になって……すこしはアタシを殺す気で殴りかかってきなさい!」
「いや!」
「やんなさい!」
「いーや!」
「やらないとぶつわよ!? いったい何が嫌だっての!?」
「の……ノンビリやるから、ね? いつかやると思うから、あんまりそうガミガミ言わないで」
「デキの悪いアンタがノンビリしてどうするの!? まったくもうっ、ああっ、イライラする! もういいわよ、アンタなんか知らない!」
「い……イヴちゃん……!? わ……私のこと、嫌いになっちゃった?」
「たぁーっ! なんでアンタはいつもそうなの!? そうやって急にしおらしくなって……アンタのほうがよっぽどズルいわよ! そんなんで嫌いになってるんだったらとっくの昔よ!?」
「よ……よかったあ……」
「ああ、よかったわね、もう落ち着いた?」
いつの間にかすぐ側まで来ていたイヴちゃんたちは、皆いたわるような微笑みを浮かべていた。
「た、たぶん……もう大丈夫。ありがとう」
「うん、じゃあメチャクチャにしても平気よね……覚悟はいい?」
笑みのままそんなことを言われたので、理解が追いつかず一瞬固まってしまう。
意味がわかった瞬間、人さらいの正体がわかった子供みたいに縮みあがってしまった。
「いっ!? ……いくない! 全然いくない!? 許してくれたんじゃないの!?」
「ノー! なぁに寝ぼけたこと言ってんのよ!」
「よ……弱り目に祟り目だあ!」
「アンタ、もう逃げられないわよ……さあみんな、かかれ!」
『れ』!? 『れ』なんてないよっ!?
ええっと……レンコン! ……だめだ!
レストラン……だめ! レーズン……だめだっ!
私の肩にイヴちゃんの手がかかる。
もうダメだ……終わった……! と絶望しかけたが、またしても意外な所から、まったく予想もしなかった所から、救いの女神? が現れた。
「レモンスカッシュ!」
私の腰のあたりから、まさにレモンスカッシュのように溌剌とした声が弾ける。
く……クルミちゃんだ! 寝てると思ってたのに……いつの間にか目を覚ましてたんだ!
不意打ちを受け、「ゆ!?」と戸惑うイヴちゃん軍団。
衛兵を前にした盗賊たちのように後ずさる。
「ゆ……ゆすりたかり!」
「リビング!」
クルミちゃんは私の後を継ぎ、しりとりを始める。
私はしめたとばかりに聖剣を鞘ごと腰から抜き、やりとりをしやすいようにイヴちゃんたちに向かってかざした。
「ぐ!? ……グール!」
「ルール!」
「る……る……ルビー! どうよ『び』よ!」
答えたイヴちゃんは胸を張る。
たしかに『び』ってあんまりない気がする。えーっと、瓶は……ダメか!
「ビーチ!」
しかしクルミちゃんは迷う様子もなく答えた。
「くっ……ち……血みどろ! よしっ、『ろ』はすぐには……」
「ロープ!」
「『ぷ』ですってぇ!?」
目を剥くイヴちゃん。
クルミちゃん、すごい……5人のイヴちゃんを完全に圧倒している。
聖剣のはずのクルミちゃんにこんな特技があっただなんて、ぜんぜん知らなかった。
「ぷ……ぷ……プリン……あ、いや、プリンアラモード!」
焦るイヴちゃんはついに『ん』で終わらせかけた。
しりとりでここまで追い詰められた彼女を見るのは初めてだ。
「泥!」
「くっ、『ろ』を返してくるなんて……! ろ……ろ……あった! 廊下!」
「カバ!」
「ばっ……薔薇!」
「ラッコ!」
「こ……木の葉!」
クルミちゃんの宝石の瞳が「この勝負もらった!」とばかりにキラリと輝く。
「はなぢ!」
「じ……地獄!」
クルミちゃんはフフンと鼻で笑い、得意そうに身体を反らせた。円月刀みたいになっている。
「な……なにがおかしいのよっ!?」
「イヴ、違うよ、それだと『し』に濁点! はなぢは『ち』に濁点だよ!」
「『ち』に濁点ですってぇ!? そんな言葉あるわけ……」
イヴちゃんたちは揃ってアゴに手を当て、考える仕草をした。
どうやら長考するみたいだ……と思ったところでハッとなった。
丁々発止のしりとり合戦につい見とれちゃったけど、鬼が考えている間は逃げてもいいんだった。
「じっくり考えていいよ! じゃあねイヴちゃん!」
私はイヴちゃんに再び背を向ける。
「ああっ!? リリー、クルミっ、ちょっと待ちなさいっ!!」
呼び止められたけど、しりとりの続きでなければ待つ義務はない。
全力疾走しつつ首だけ捻って確認すると、イヴちゃんたちは地団駄を踏んで悔しがっていた。




