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しばらく頭を撫でてあげていたら、シロちゃんたちはだいぶ落ち着いた。
ハンカチで口を押さえながらすんすんと鼻を鳴らしていたけど、私のお腹がグゥと鳴った途端に作業を思い出したのかパッと顔をあげた。
「あっ、すみません、すぐに支度いたしますね」
ひとりがそう言うと、シロちゃんたちは同時に立ち上がった。
なんだか少し恥ずかしそうだ。号泣したのを今更ながらに照れているようだった。
「もう大丈夫? 本当にゴメンねシロちゃん」
「あっ、い、いいえ。こちらこそ、お見苦しい姿をお見せしてしまって、ご迷惑をおかけいたしました……それでは、失礼いたします」
一斉にぺこり、と頭を下げ、シロちゃんは逃げるように調理場へと戻っていく。
それはそれはか弱い背中で、こんな時じゃなければ追いかけて抱きしめたくなるほどだった。
ああ……5人もいなければ……絶対にそうしてたのに……。
さすがにこの状況で、ニセモノのシロちゃんを抱きしめるわけにはいかない。
こうなったら一刻も早くホンモノを見つけて、めいっぱい抱きしめてあげよう。
決意を新たにした私は、毅然と立ち上がる。
次は、イヴちゃんたちの様子を見に行ってみよう。
見回して探すと、イヴちゃんズは調理場から少し離れた所にいた。
風呂釜くらいある大きな水瓶を力をあわせて持ちあげ、えっちらおっちらと調理場に運び込もうとしているころだった。
まるで蟻たちが力を合わせて角砂糖を運んでいるような光景だった。
近づいてみると、先頭にいたイヴちゃんが私に気付いた。
「ああ、リリー。さっきそこで川を見つけたんだけど、何度も行き来するのが面倒だったから水瓶ごと持ってって汲んできたの」
弾む声で、特に聞いてもいないことを教えてくれる。こんな時は、調子のいい時だ。
いい汗をかくとイヴちゃんは上機嫌になる。
他のイヴちゃんたちも、重い物を持っているというのになんだか楽しそうだ。
さっきまでいがみあっていたとは思えないほど協力しあっている。
私は頷き返した。
「ふーん、川があるなら水は問題なさそうだね」
そして、どうしようかと悩む。
今のイヴちゃんはかなり重い物を両手で持ってるから、完全に無防備だ。
そんな時に、後ろからくすぐったらどうなるんだろう。
……きっと、メチャクチャ怒るだろうなぁ。
見分けるチャンスかなと思い、くすぐってみようとしたけどすぐに考え直す。
全員がホンモノと同じくらい怒ったら、私は袋叩きにあってしまう。仲間にリンチされて死ぬのだけは避けたかった。
よし、とりあえずイヴちゃんは後回しにしよう。
彼女にはあとでチョッカイを出すことにして、次はミントちゃんの様子を見に行ってみようかな。
ミントちゃんは広場の隅にある畑にいて、遊び盛りの子供たちのように飛び回っていた。
私が近づいていくと、子供たちのポニーテールがピクンと立ち、すかさず揃って振り向く。
そして帰宅した飼い主を迎える犬のようにこぞって駆け寄ってきた。
「リリーちゃーん! みてみて~!」
彼女たちの頭上には、畑で収穫したであろうニンジンやらタマネギやらジャガイモやら、いろんな野菜が掲げられていた。
髪も服も土まみれになっているけど、おかまいなしのようだ。
これらの野菜はおそらく、ドッペルゲンガーたちがカンガルードラゴンのときに育てたやつだろう。
ドッペルゲンガーたちが食べていたものだろうから、毒とかの心配もいらなそうだ。
食べ物の確保としてはこれ以上ないくらいの成果。
ミントちゃんの笑顔が伝染ったように、私の顔もほころぶ。
「おぉ、野菜がいっぱい! えらいえらい、ミントちゃん!」
かわりばんこに頭を撫でてあげると、
「やったぁーっ!」「わーいわーい!」「えっへん!」「ミント、えらいでしょー?」「もっとなでてー!」
ミントちゃんたちは嬉しくてたまらない様子で、炭酸の弾ける泡のようにあたりを跳ね回ったかと思うと、次々と私に飛びついてきた。
私はコアラ五匹を一気に抱っこしたみたいになって、バランスを崩して倒れてしまう。
柔らかい畑の土にめりこんで、私とミントちゃんの顔はドロドロになる。
ミントちゃんたちは「きゃははははははは!」と大爆笑して、私もなんだかおかしくなって、一緒になって笑った。
それから私はミントちゃんたちと一緒に、収穫した野菜を背負いカゴに詰めた。カゴはひとつでは足りず、ふたつのカゴがいっぱいになった。
私がひとつカゴを背負い、ミントちゃんたちが力をあわせてもうひとつのカゴを持ちあげ、調理場に持っていく。
調理場は大勢の食事を賄うためなのか、作業小屋のなかでは一番大きかった。
大きなカマドや調理台や流し台が外壁のようにぐるっと並んでいて、部屋のようになった真ん中には、私たち全員が集まっても準備運動くらいなら余裕でできそうなほどの空間がある。
屋根もあるし、集まるのにちょうどいい広さの場所だったので、役割を終えた他のみんなも集結していた。
イヴちゃんたちはすでに水瓶を運び終えており、まだまだ力があり余っているのか、横にしたクロちゃんたちの身体を重量挙げみたいに頭上に持ち上げている。
運動できるくらい広いとはいえ、いくらなんでも本当にやらなくても……。
アレはイヴちゃんがテンションがあがったときにやる「ひとり胴上げ」だ。
きっと重い水瓶を抱えたせいで変にやる気が出て、クロちゃんを使って発散してるんだろう。
私も何度かやられたことがある。
クロッサードの像の前で押し倒されて鼻コスリされたのも、おそらくその一環だ。
何がきっかけでそうなるのかわからないのと、ちょっと乱暴なのが難点なんだけど……イヴちゃんはそういう時じゃないと身体を触ってくれないので、やられたときは嬉しくもある。
今まさに繰り広げられている「ひとり胴上げ」もいきなり始めたんだろう。
でもクロちゃんは動じることなく、借りてきた猫みたいにされるがままになっている。
「あら、野菜がいっぱいじゃない。いいわねぇ」
私が野菜カゴを板張りの床に置いていると、胴上げを続けながらイヴちゃんが寄ってきた。
クロちゃんも持ち上げられつつ、高いところから野菜を見下ろしている。
「あ、あの……頂いてしまっても、よろしいのでしょうか……?」
シロちゃんは赤みの残る瞳を、不安そうに泳がせていた。
クロちゃんは「構わない」とばかりに首を縦に振り、イヴちゃんは気にするなとばかりに首を横に振った。
「どーせドッペルゲンガーどもが育てた野菜でしょ? 食べちゃっても構わないでしょ」
さすがイヴちゃん、察しがいい。きっとクロちゃんもわかってるんだろう。
食べることについては同意見だったので、さっそく私は次の指示を出すことにした。
「よぉし、じゃあ次はコレを料理しよっか。えーっと、イヴちゃんとクロちゃんはカマドに火を起こして、私とミントちゃんは野菜を洗うから、そのあとシロちゃんが刻んで、鍋に入れてね。えーっと、それで何を作るかは……シロちゃんに任せる!」
すでに私の指示を予想していたのか、みんなは文句も言わずに散っていく。
こうやって料理を作るのは昨日のパン食い競争に続いて二度目なので、もう慣れてるのかもしれない。
それに設備についても申し分ない。
調理場にはツヴィ女の寮の台所にあるような大きなカマドと鍋があるので、21人分くらい作るのは余裕そうだ。
薪を積んであるところからイヴちゃんたちが薪の束を抱えてきて、カマドの下に放り込む。
クロちゃんが一斉に発火魔法を唱えると、火が噴き出した。すかさず木筒を構えたイヴちゃんたちが息を吹きかける。
パン作りのときにもやって慣れているのか、見事な連携だった。
洗い場で私とミントちゃんたちが並んで、タワシで野菜をゴシゴシしている間、シロちゃんは調理の下準備をしているようだった。
シロちゃんはリュックから、キッカラの村で買ったカエル包丁を取り出していた。
おのおのがリュックを持っていたので、どうやらドッペルゲンガーは持ち物まで増やせるらしい。
洗い終わった野菜を渡すと、シロちゃんは手際よく野菜を刻みはじめる。
切るたびにゲコゲコ音がするので、とても賑やかだった。
刻んだ端から私とミントちゃんが材料を持って、お湯が沸騰しはじめた鍋に放り込む。
そのあとシロちゃんがやって来て、五人がかりで鍋を囲んだ。それぞれが違う調味料を入れて味つけをしていた。
作っていたのはどうやらシチューのようだ。
鍋がコトコトと煮立ってしばらくすると、広場じゅうにいい匂いがたちこめる。
おいしそうな匂いにたまらなくなって、私だけじゃなくて、みんなのお腹もグーグー鳴った。
少しして、シロちゃんの愛情がいつもの五倍込められたシチューが完成する。
調理場の隣には、屋根つきのダイニングテーブルのスペースがあったので、そこで食べることにした。
鍋を持ち込み、皿を持って並んで、シロちゃんから配給を受ける。
みんなにシチューが行き渡ってから、揃ってテーブルにつく。
背もたれのない、公園のベンチみたいな長い椅子に肩を寄せ合うようにして座る。
総勢21人での「いただきます」コールが静かな山の中にこだました。
「うぅーん、おいしいっ!」
「うん、抜群ね!」
「このにんじん、あまーい!」
「こんな美味しいシチュー、はじめてかも!」
「このグニョグニョしたのがスープを吸いこんで、いい味出してるわ!」
「グニョグニョしたの、なぁに?」
みんなの食べる姿を固唾を呑んで見守っていたシロちゃんたちは、味の評価が良かったので揃って胸を撫で下ろしていた。
大きな胸が手で押されてムニュッってなるのもお揃いだ。
「グニョグニョされてるのは、ダイヤモンドパンです。スープに合うということでしたので入れてみました。お口にあうようでしたら良かったです」
食べ盛りの子供を見る母親のように微笑む彼女たちは、なんだかウキウキしているようだった。
こんなに大勢の仲間の世話ができるのが嬉しいのかもしれない。
食卓の様子に目を配らせながら、かいがいしく働きはじめる。
「おかわりはいかがですか? まだまだたくさんありますよ」
イヴちゃんにおかわりを勧め、
「辛くするソースもありますので、お好みにあわせてお使いください」
辛いもの好きのクロちゃんに調味料を差し出し、
「あっ、お口が汚れて……お拭きいたします」
口のまわりがベトベトになったミントちゃんにかまい、
「サラダもありますよ、お取りわけしますね」
私にサラダをよそってくれた。
シロちゃんが本当に嬉しそうにしているので、私は進められるままに食べた。みんなもいっぱい食べていた。
シロちゃんに気遣ってではなくて、本当に美味しかったのと、こんなに大勢で食べているせいか、いつも以上に楽しかったからだ。
シロちゃんたちと泣きあい、ミントちゃんとふざけあい、そして、みんなと一緒にゴハンを食べて、笑いあう……。
氷のように固い私の警戒心は、いつの間にか春の陽射しを受けていて、まるで翌朝の雪ダルマのように溶けつつあった。
もうみんなホンモノとしか思えなくて、私のドッペルゲンガーへの嫌な気持ちがじょじょに塗り替えられていくのが、自分でもわかった。




