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さっきまで真っ赤だった空は群青色に変わりつつあった。うっすらと星が瞬きはじめている。
お腹も空いてきた。私は晩ゴハンの準備をするため、みんなに指示を飛ばす。
「よぉし、クロちゃんグループはまわりのかがり火に点火して! ミントちゃんグループはこのあたりで食べられるものがないか探して! イヴちゃんグループは水を汲んできて! シロちゃんグループは調理場で調理ができるように準備して!」
いつもの5倍賑やかな返事を残して、仲間たちは散っていく。
私はそのなかでも、クロちゃんに注目した。
クロちゃんたちは広場に点々と置かれているかがり火台に向かって、おのおの歩いていく。
お互い言葉を交わすなどの意思疎通をしていないにもかかわらず、同じかがり火に向かうことはない。
かがり火台の前に着いたクロちゃんは、呪文を唱えながら両手杖をかざした。籠の中に詰められた真新しい薪が勢いよく燃えだす。
私の狙いは「ドッペルゲンガーは精霊魔法が使えるかどうか」を見定めることだった。
使えないクロちゃんがいたら、まっさきにニセモノ認定してやるつもりだったけど……どのクロちゃんも、何の淀みもなく発火の魔法を発動していた。
……ううっ、ドッペルゲンガーは精霊魔法も使えちゃうのか……。
しかし、あきらめてなるもんか、なんとしても見破ってやるんだ。
私は次の手を試してみることにした。
自分のひとさし指に、思いっきり噛みつく。
そして勢いよく尻もちをつき、わずかに腫れあがった指を掲げて大げさに叫ぶ。
「い……いったぁーっ! け、ケガしちゃったぁ!!」
調理場っぽい作業小屋の中で忙しそうにしていたシロちゃんたちが反応する。シロちゃんはケガという言葉に敏感だ。
鍋やオタマを手にした白いローブの天使たちがすぐさまやってきて、私を取り囲む。
「ど、どうされましたか?」「あっ、指ですね? 指をケガされたんですね?」「治療させていただいてよろしいですか?」「ありがとうございます。すぐ終わりますから、じっとしていてくださいね」「ミルヴァさん、ミルヴァさん、リリーさんのおケガをお治しください……」
私の指は、いつもの治癒魔法を5回連続で受ける。
治癒魔法がかかると患部がほんのり光るのだが、まばゆいくらいの輝きに包まれていた。
「「「「「はぁい、これでもう大丈夫です。お大事にしてくださいね」」」」」
天使の笑顔も五回。うち四回分はニセモノだというのに、その破壊力はかなりのものだった。
シロちゃんは普段は控えめな微笑くらいしか浮かべない。でも誰かが元気になると、自分のことのように、本当に素敵な笑顔を見せてくれる。今の彼女がそうだった。
貴重な笑顔の爆弾を五つも投げ込まれた私の心臓は、砕け散らんばかりに高鳴る。
ううっ……! だ……騙されちゃダメだ……!
あまりに可愛かったからつい、五人もシロちゃんがいるなんて天国じゃない? なんて一瞬本気で考えちゃったじゃないか……!
しっかりしろっ、リリーっ! 腑抜けるんじゃないっ!
こんなんじゃ、ドッペルゲンガーの思うツボだぞっ……!
そ、そうだ、笑顔につい見とれちゃったけど、ひとつ、おかしなことに気付いた。
シロちゃんの唱えた治癒魔法が、本来のものとは違ってたんだ。
私もいちおう治癒魔法を勉強してるからわかる。まだ呪文はひとつしか使えないけどね。
呪文というのは普通、すごい効果のやつほど唱える文言も難しくなっていく。
さっきシロちゃんが使ったような、ケガを治すような呪文は特にそうだ。
よく覚えてないけど、もっと形式ばってて、小難しい内容だったはず。
たしか「我ら崇める御空、我ら崇める御国、我ら崇める御名。女神ミルヴァ……ええっと、なんとかかかんとか、この者に健やかさを与えたまえ……うんぬんかんぬん」とか、そんなだった気がする。
でも、シロちゃんが唱えたのは「ミルヴァさん、ミルヴァさん、リリーさんのおケガをお治しください」だった。
女神に祈るというより、友達に話しかけてるような感じだった。
……うぅん、なんだか気になるな。
もしかしたらドッペルゲンガーを見破るヒントになるかもしれないから、ちょっと聞いてみよう。何かわかることがあるかもしれない。
「あの、シロちゃん……治癒魔法の文言って、そんなんだったっけ?」
尋ねるとシロちゃんたちは、唱えた自分自身でもまだ戸惑っているような、困り笑顔を浮かべる。
「はい……」「つい最近まではそうだったのですが……」「ミルヴァさんにお会いしたあと……」「今後はこのように唱えるようにと……」「仰せつかりまして……」
お互いに譲り合うようにして、シロちゃんは教えてくれた。
治癒魔法を使うためには、女神のミルヴァちゃんに祈りを捧げる必要がある。
術者の願いが聞き届けられれば、女神の持つ治癒能力が一時的に術者に授けられるんだ。
ようは女神に気に入られることが肝心な魔法なので、術者は敬虔にお祈りする必要があるんだけど……シロちゃんはミルヴァちゃんと友達だから、親しげにお願いする形でも力を貸してもらえるんだろう。
いや、むしろ、ミルヴァちゃんが他人行儀なのを嫌ったんだろうな。
謎は解けた。でも、気になることが増えてしまった。
ミルヴァちゃんはなんで、ニセモノの祈りまで承認しちゃうんだろう。
神様なんだったらそのくらい見分けて、ハネてくれればいいのに……そしたらホンモノのシロちゃんが見分けられたのに……。
でも、もしミルヴァちゃんも見分けがついてないんだったら……ドッペルゲンガーを間違って聖堂に送っちゃうってのも、本当に起こりえるかもしれない。
想像すると怖くなって、ぶるっと背筋を震わせると、シロちゃんたちがすかさず心配してくれた。
「あの、大丈夫ですか? どこかお体の具合でも……」
「……あ、えーっと、ちょっとだけ気分が悪いかな……」
私は次の手にとりかかる。正直なところ、心配してくれるシロちゃんに対して、あんまりやりたくない手だった。
しかし……今は手段を選んでいる場合じゃない。私は自らの心に鞭打った。
「ううっ、め、眼鏡……! シロちゃん、眼鏡を外してっ!」
「はっ、はい! ……えっ? ええっ!? いきなりどうされましたかっ!?」
「な、なんだか急に、目が悪くなっちゃった……! でも、シロちゃんの眼鏡をかけたらきっとすぐに良くなる……! お願いシロちゃん! ちょっとでいいんだ、今すぐ眼鏡を貸して!」
シロちゃんは人を疑うことを知らない。
こんなあからさまに変な要求でも素直に信じてくれるはず。
「「「「「か、かしこまりました! すぐに!」」」」」
シロちゃんたちは揃った動きで、身につけている大きな丸眼鏡を外そうとする。しかし途中で引っかかってしまった。
落とさないようにツルにチェーンを付けて、ネックレスのようにしていたからだ。
気付いたシロちゃんはいそいそと首の後ろに手を回し、チェーンを外す。
私が両手を差し出すと、次々とたたんだ眼鏡を置いてくれた。
眼鏡というのは軽いもので、シロちゃんの翼から抜け落ちた羽根くらいの軽さだと思っていた。
だが、ど近眼の彼女の眼鏡は虫眼鏡みたいに分厚くて、想像してたよりずっと重かった。食べ過ぎのハムスターくらいある。
私は心を鬼にして5匹のハムスターをさらう。両手で包み込むようにして起き上がり、シロちゃんに背を向けて走り出す。
取り残されたシロちゃんたちはしばらくキョトンとしていたが、
「あ……あの……どうされました?」「……り、リリーさんっ?」「あの、いったいどちらへ……?」「ああっ、お、お待ちになってください……!」「め、眼鏡を持っていかれてしまいますと、困ってしまいます……!」
しばらくして事態が飲み込めたのか、焦点のあわない瞳で立ち上がる。それぞれバラバラの方角に向かって、フラフラと歩きだす。
まるで暗闇の中を歩いているみたいに、覚束ない足取りだった。
シロちゃんは裸眼だとかなりの近眼ようで、少し離れただけの私すらも見えていないようだ。
親を探す子供のように、懸命に私の名前を呼びつつさまよっているが、彼女らの向かう五方向にはどれも、私は存在しない。
もしかしたらひとりくらいは眼鏡がなくても私を見つけるんじゃないかと思ったんだけど、そんなことはなかった。
ドッペルゲンガーは視力まで模写しているようだ。
この手も失敗か……と思っていたら、シロちゃんズはほぼ同時に躓き、べしゃっと転んだ。
どうやら運動神経も同じらしい。顔をあげたシロちゃんの顔は土まみれになっている。そして涙でくしゃくしゃになっていた。
「「「「「り、リリーさんっ、リリーさぁんっ!」」」」」」
さっきまで天使のようだった笑顔が悲嘆にくれている。
高鳴っていた私の心臓も凍りついた。
悲痛な叫びがいつまでも頭の中でこだまする。
共鳴した昔の記憶が、私の脳裏に浮かび上がってきた。
……。
……シロちゃんは……。
……シロちゃんは……いつでも、どんなときでも……怒らなかった……。
誰に何をされても、笑うか、困るか、泣くかのどれかだった。
まるでお母さんのお腹の中に、怒るという感情を置き忘れてきたみたいな女の子だった。
まだ幼い頃、私はシロちゃんが怒るとどんな顔をするのか見たくなって、イタズラをしたんだ。
街の中にシロちゃんを連れ出して、さっきみたいに眼鏡を奪って逃げて、隠れて様子を見ていた。
シロちゃんは泣きべそをかきながら、しばらく私を探してフラフラしてたんだけど……近くにあった階段で足を踏み外して、転げ落ちてしまったんだ。
息が止まるような思いで駆けつけると、シロちゃんは階段の下でボロ布みたいになっていた。
そして人目もはばからず、わんわん泣きながら私の名前を呼んでいたんだ……!
し……シロちゃん……!
シロちゃん……!!
シロちゃんっ……!!!
「し……シロちゃああああああんっ!!!」
私は無意識のうちに、そのときみたいに叫んでいた。
とんでもないことをしてしまったと後悔しながらシロちゃんの元へと戻り、眼鏡をかけてあげる。
「「「「「あ……! は……ああっ! り……リリーさん、リリーさんっ。ありがとうございます、ありがとうございます」」」」」
レンズごしの眼に光が戻る。
水面みたい潤んだ瞳に私の顔を映すと、心の底から安堵したような溜息をつき、命の恩人のように何度も何度もお礼を言う。
お礼を言われる筋合いなんてどこにもない。
むしろブン殴られても文句の言えないことを私はした。
それも子供の頃から続けて二度も……縁を切られてもおかしくはなかった。
でも五人いるシロちゃんは誰一人として、私を咎めようとはしなかった。
私はいたたまれなくなって、めいっぱい両手を広げて幼馴染をまとめて抱き寄せる。
「ご……ごめんね! ごめんねシロちゃん! ほんとに、ほんとにごめんっ!!」
私は声が枯れるまで、何度も何度も謝った。
そしてニセモノもホンモノも関係なく、みんなで身体を寄せ合って、おいおい泣いた。




