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早馬の馬車は、大枚をはたいただけの働きを見せてくれた。
歩いて向かっていたら夜中になっていたであろうルートを、夕暮れのうちに走破したのだ。
リリーは早馬に乗るのは初めてだった。
本来は感激するであろう速さだったのだが、あっという間だったのと、クルミのことが心配で他のことを感じている余裕がなく、焦燥以外の感情は沸いてこなかった。
クロッサード山道の休憩所に着いたリリーはそのまま「えいゆうの道」に進もうとしたが、仲間に止められた。
いつもなら自分から言い出す作戦立案を忘れていたことに気付く。
話し合った作戦はこうだ。
まずミントが先行し、奇襲に備えながら「えいゆうの道」を進む。
そしてカンガルードラゴンと戦った場所に着いたら、クルミを探す。
ここまでは簡単な話だった。
「あの、すみません……またカンガルードラゴンさんがお見えになったときは、いかがしましょう?」
肝心なことに触れるシロの声音は、隠せない心細さをまとっていた。
シロはいつも発言するときには小さく手を挙げるのだが、その手もいつも以上に控えめだった。
「そんなの簡単でしょ、ブッ倒すだけよ」
イヴは問題にならないとばかりに一蹴する。
しかしそれは、リリーにとっても捨て置けないことだった。
「一度負けたのに、大丈夫かなぁ?」
リリーの「負けた」という言葉に、イヴはピクッと肩を震わせた。
「あの時は油断してただけよ! もう一度やれば、今度は絶対に勝つわ! ……それよりもアンタ、次こそは真っ先に死ぬんじゃないわよ!?」
「わっ、わかってるよぉ。また戦うのはいいとして、カンガルードラゴンの弱点ってあるのかな?」
リリーも戦いは避けられないだろうと思っていたので、建設的なほうに話題を持っていく。
次の議題は敵の弱点についてだ。
まず、先の戦いにおいて、子供を取れば無力化できるというのがわかった。
モンスターというのは普通、子供を奪われたりしたら我を忘れて襲いかかってくるものだ。
野生動物と同じで、人質という概念がそもそもない。
しかしイヴたちの話によると、カンガルードラゴンは人質を理解し、武装解除まで交渉できたらしい。
ということは、かなり知能の高いモンスターということになる。
「うーん、頭がいいってのは脅威だけど……それを利用して子供を人質を取るってのは、たとえモンスターとはいえ気が進まないわねぇ。あの時は流れでついやっちゃったけど、二回もやりたくないわ」
イヴは性格上、正面切って倒すのを好みとしている。
人質戦法で嫌な気分を味わったのか、眉根にシワをいっぱい寄せていた。
リリーもその点については同感だった。せめて人質にするなら大人を取るべきだと思っていた。
それに、偶然で人質を得られるのは二度もないはずなので、まっとうに狙える弱点を探す必要があると思っていた。
しかし……それからしばらく考えてはみたものの、弱点といえるような特徴はあがってこなかった。
いよいよ煮詰まりかけていたころ、シロがまたそっと手を挙げた。
「あ、あの……カンガルードラゴンさんの弱点とは、全然関係のないお話になるのですが……ちょっと気になっていたことがありまして……」
おずおずした様子のシロ。言ってもいいものかまだ迷っているようだった。
その態度に苛立ったイヴは、強い口調で先を促す。
「なによ、奥歯に物が挟まったみたいに。気になるからさっさと言いなさいよ」
「はっ、はい、すみません……あ……あの、カンガルードラゴンさんって、このあたりにはおられないモンスターさんだというのを図鑑で読んだ覚えがありまして……」
「あっ、そう言われてみれば……アタシもそれ聞いたことがあるわ。えーっと、たしかどこにいるんだっけ?」
イヴは思い出したみたいに目を見開いたが、完全には出てこなかったようだ。
喉まで出かかったモノがあるかのように、不快そうに首筋を掻いている。
「へえぇ、知らなかった……」
リリーは素直に驚く。カンガルードラゴンの存在は知っていたが、どこにいるかだなんて気にしたこともなかった。
無意識のうちに、視線をクロのほうに向けていた。
次に話題を振られるのがわかっていたのか、クロはすでに頷き終えるところだった。
「この島では、ヘンリーハオチー付近にしか生息しないとされている」
ヘンリーハオチー。バスティド島の北東にある港街で、同名の大陸の玄関口として有名だ。
大陸から入ってきたとされる珍しいモンスターが多い地方で、カンガルードラゴンのほかにも、白黒の愛らしい見た目で油断させて攻撃してくる『バンブーベア』などが生息している。
「そうなんだ……でも、北東にしかいないモンスターがなんで、こんな西のほうにいるんだろう?」
リリーは当然の疑問を口にしたが、それに答えられる者はいなかった。
かわりにクロは淡々と、カンガルードラゴンの情報を述べはじめる。
カンガルードラゴンは有袋類のドラゴンモンスター。
動物のカンガルーのように腹部にある育児嚢で子育てをするため、ドラゴンとしては珍しく二足歩行のみを行う。
知能は非常に高く、人間の言葉を理解する個体もいる。野菜を主食とし、群れとなって自給自足の生活を送る。
戦闘では主に武器を使って戦い、高威力のドラゴンブレスをダメージソースとする。
跳躍して移動するため前方へは素早いが、後ろへは下がれない。また細かい距離の調節は苦手なので、カバーのために長物の武器を好んで使用する。
懐に入れば攻撃は当たらないが、育児嚢に子供がいる場合、子供が接近戦を担う。
以上の特徴から、子供持ちのカンガルードラゴンを相手にする場合、近距離と中距離においてはかなりの苦戦を強いられると予想される。弓や魔法などの遠距離攻撃が有効。
……ただ最近になって、カンガルードラゴンの視野は前方に限られるほど狭いのではないか、という論文がモンスター学会により発表された。
その研究結果から推察するに、背面から襲われることには弱いと思われる。
「なるほど。遠距離で戦うのがいいのかもしれないけど……私たちだったら後ろに回り込んで戦うほうが良さそうだね」
リリーが確認すると、クロは最小限の動きで首を縦に振った。
無言の首肯こそが、彼女のなによりの肯定だと知っていたリリーは百の味方を得た気分になる。
カンガルードラゴンの背後が弱い、というのは論文から導き出したクロの見解であるが、これについても疑う余地はないと思っていた。
リリーはカンガルードラゴンたちの動きを思い出す。大勢で輪になって、相手を取り囲む陣形を取っていた。
あれは背後を取らせないようにするための作戦だったのかもしれないな、と今更ながらに気付く。
「よおしっ、決めたっ! 戦いになったら、固まるんじゃなくて走り回ろう! 走って走って走りまくって、後ろに回り込んで一匹ずつ倒そう! 名付けて……『鬼ごっこ大作戦』っ!」
「さんせーい! おにごっこするーっ!」
リリーは颯爽と宣言したが、乗ってくれたのはミントだけだった。
他にいい案もなかったのと、こうしていても夜になってクルミをますます見つけにくくなってしまうので、リリーの作戦で『えいゆうの道』へと入ることにした。
遥か先でコソコソと進むミントの背中を見ながら、離れた所からリリーたちがついていく。
いつカンガルードラゴンの奇襲があるかとハラハラしていたが、当初襲われた場所に着くまで誰とも会うことはなかった。
すでに荷車とクルミはそこにはなく、ドラゴンブレスで焦げた木々の跡と、轍が残っているだけだった。荷車には皆のリュックも入れてあったので、何もかも失ってしまったことになる。
何もかもカンガルードラゴンが持ち去ったのだろうと思い、リリーたちはあたりを探してみることにした。
固まったまま移動すると目立つので、バラバラになって違う方角を探すことにする。
皆と別れたリリーは、盾を構えて姿勢を低くしつつ獣道を奥のほうへ進む。
周囲に気を配りながら歩いていたが、側にあった藪がいきなりガサガサと動いたので、心臓が爆発するほどビックリしてしまった。
飛び退り、あわてて抜いた剣をぶんぶん振り回して威嚇していると、現れたのはいつもの仲間たちだった。
イヴ、ミント、シロ、クロ……みんな葉っぱまみれになっている。
敵襲かと思い込んでいたリリーは、腰砕けになってへたりこむ。
「ああっ、おどかなさいでよぉ……みんな一緒だったんだ」
バラバラになって探していたはずなのに……途中で合流したのかな? それにしては早いような……。
などと思っていると、「リリーっ、どこなのーっ!?」と声がこだました。
それは耳慣れたイヴの声だった。それもひとつだけでなく、四方八方から響いた。
「!? イヴちゃん……!?」
リリーは幻聴でも聞いたように目を白黒させる。
イヴは目の前にいるのに、イヴの声がいろんな所から聴こえたからだ。
「「「「いたーっ!! こんなところにいたのね、リリーっ!!」」」」
四方、それぞれ違う方角の茂みから出てきたものに、リリーは目が点になった。
イヴ、ミント、シロ、クロ……同じ容姿の仲間たちが、四組もいたからだ。




