35
「……はっ!?」
リリーが飛び起きると、そこは女神のフレスコ画に囲まれた小部屋だった。
「ここは……聖堂?」
荘厳な静けさとヒンヤリした空気、ここが聖堂なのは間違いなかった。
そして、ツヴィートークの聖堂でないのもすぐにわかった。まわりの絵画にひとつも見覚えがなかったからだ。
リリーは両手で頬をパンパンと叩き、混濁する意識を元に戻した。
まだクラクラしていたけど、頭の中に散らばった記憶をかき集め、現状を把握しようとする。
……たしか、山道でカンガルードラゴンの奇襲をうけて、私はやられちゃったんだ。
それで復活したんだろうけど……ここはツヴィートークの聖堂じゃない。どこなんだろう?
しばらく悩んでいると、脳裏に数日前の出来事が蘇ってきた。
……そうだ、思い出した!
ゼン女の交流授業で『湖に映る塔』に挑んだときに、事前にズェントークの聖堂で祈りを捧げて、復活地点の変更をしたんだった。
ってことは……ここはズェントークの聖堂……!?
だいたい状況を整理できたリリーは、次に持ち物を確認する。
まず、リュックがなくなっていた。荷車に一緒に乗せておいたからだろう。
そして、クルミも腰から消えていた。これはきっと、自分の装備として認められてないからだろう。クルミはあくまで女神の持ち物だ。
となると……や、ヤバいっ! クルミちゃんはあの山道に置き去りになっちゃってるんだ!!
リリーはいてもたってもいられなくなり、這うようにして立ち上がって慌てて部屋から飛び出そうとする。しかしそこで、はたと肝心なことに気付く。
そうだ……みんなはどうしちゃったんだろう?
私とはパーティだから、復活するときは同じ部屋になるはずなのに……。
誰もいないということは、考えられることはひとつ。みんなはまだ死んでいないということだ。
あのカンガルードラゴンを相手に、まだ戦ってる……!?
と思った瞬間、目の前を光の粒が通り過ぎていく。
見上げると、天井にある星空のフレスコ画から、次々と光の粒子が染み出してきているところだった。
それは雪のようにはらはらと舞い、床に落ちると、磁石みたいにくっつきあって大きな塊になる。
それはやがて四つの人の形をなし、最後には仲間たちの姿になった。
「み……みんな!!」
リリーは呼びかけたが、返事はない。
誰も意識がないようだったので、近寄って揺さぶってみる。
叩き起こされたように覚醒する仲間たち。けだるそうに起き上がるが、ミントだけはぐずって起きなかった。
寝不足みたいにぐったりしている皆に向かって、リリーは信じられない様子で問う。
「す……すごい! みんな、いままで戦ってたの!?」
ツインテールが寝乱れのようにほどけているイヴが、口をムニャムニャと動かす。
「……ん、あぁ。アンタが死んだあと、仔袋から落ちた子供のカンガルードラゴンを見つけたのよ。別にソイツをどうこうするつもりはなかったんだけど、人質を取ったとヤツラが勝手に勘違いしてね」
途中で大あくびをするイヴ。
「なりゆきでクロが交渉して、武装解除させるまではいったんだけど……まさか土壇場で、人質が炎を吐くだなんて思わなかったわ」
その先はなんとなく想像がついた。
「ああ、それでみんな火だるまになっちゃったんだ……」
リリーがしみじみ言うと、イヴは面白くなさそうに鼻を鳴らし、大の字にフテ寝する。
相手は変種とはいえ、腐ってもドラゴンだ。倒すことができればかなりの功績となったはずなので、逃した魚の大きさに悔やんでいるようだ。
イヴの機嫌が治るまでこのままここで少し休んでいこうかとリリーは考えたが、すぐに大事なことを思い出す。
「あっ……そ、そうだ! クルミちゃん! クルミちゃんを助けに行かなきゃ!」
それまで幽霊みたいにうなだれていたシロがパッと顔をあげる。すっかり目が覚めたみたいに大きな瞳を瞬かせていた。
「く、クルミさんを落としてしまわれたのですか?」
クルミを無くしてしまったことに驚いたのはシロだけで、他は無反応。
横になったままのイヴは顔だけあげて、寝ぼけ眼でリリーを見据える。
「ああ……戦った場所に落としちゃったのね。もういいじゃない、あんなヤツ。協力してくれなかったんでしょ? どーせアタシらのことなんて小間使いくらいにしか思ってないみたいだから、ほっときなさいよ」
容赦ない一言に、リリーは胸を急襲された思いで「うっ」となった。
確かに、見くびられているなぁとは感じていた。
ただそれも最初のうちだけで、カエル採りやパン食い競争を通じて打ち解けたものだと思っていた。
でも……今回のことで、一線は引いてることがわかった。
リリーたちに付き合うのは、遊びのような行為の時だけ。
本来の仕事である、剣としての力を提供するのは持ち主である女神のみ。
それを明確な意思として、クルミは表明した。
もしかしたら、子供をあやしているような感覚なのかもしれない。
幼いうちから剣に慣れさせるため、鞘から抜けないようにした真剣を遊び道具として与えるという鍛錬方法があるのだが、クルミはそれに近いことをしているつもりなのかもしれない。
しかし……例えそうだったとしても、リリーはクルミを見捨てる気にはならなかった。
親しい女神の聖剣だから、という理由だけではない。
リリーはクルミのことを、友達だと思っていた。
そしてリリーは、いちど好きになった相手はどんな仕打ちを受けても、決して嫌いにならない性格だった。
例えばイヴ。幼いころから居丈高で、誰にでも挑戦的だった彼女は友達がいなかった。
王女だったので貴族などの子供と仲良くなる機会があったが、ワガママすぎる性格に誰もが逃げ出していた。
リリーは貴族ではなかったが、イヴと仲良くなった。三ヶ月という短い間ではあったが、愛想を尽かすことなくずっと付き合っていた。
それは王女だったからではない。友達になったからだ。
余談になるが、その頃はイヴがワガママを言って、リリーが聞いてあげる立場だった。でも今は、逆のほうが多くなってきている。
それはともかく、リリーの仲良しのハードルはだいぶ低い。そしていちど仲良くなったら、いいところをいっぱい見つける。
いいところをいっぱい知っている相手を、リリーは嫌う気にはなれなかった。
リリーは何事においても「見捨てる」や「見限る」とは無縁の少女なのだ。
それはたとえ相手が聖剣であっても、変わることはない。
「ううっ……やっぱり……そのままにしとくわけにはいかないよっ!」
少女は部屋じゅうに響く大声で訴えると、仲間たちを引っ張り起こした。
そのまま手を引いて、復活の間から飛び出す。ミントはまだぐずっていたので、おんぶしてから出る。
リリーたちがいたのは予想どおり、ズェントークの聖堂だった。
聖堂主のお説教が待ち構えていたが、「いま急いでるんで、ツヴィ女に戻ったらまとめて聞きます! ごめんなさーいっ!」と足を止めずに駆け抜け、聖堂を飛び出す。
外に出ると、刺すような西日が迎えてくれた。
リリーたちは長く伸びる影を追いかけるようにしてズェントークを出て、クロッサード山道まで向かおうとする。
が、急ぐなら乗物を使ったほうがいいと途中で気付き、街の入口にある停馬場まで引き返した。
クロッサード山道までは乗り合いの馬車が出ているが、次の便が出るまでだいぶ間隔があった。
とても待っていられない時間だったので、おもいきって貸し切り馬車を雇い入れることにする。
「お、おじさんっ! 大急ぎでクロッサード山道の休憩所まで行きたいんだけど、いちばん早い馬車はありますかっ!?」
停馬場の係員に飛びつくリリー。
「なんだいなんだいお嬢ちゃんたち、急いでるのか? なら早馬の馬車だな。早馬なら半時もかからないぜ」
リリーは思わず「早っ」と口に出してしまう。
「それにします! それお願いします!」
「よっしゃ! とびっきり早い馬と、腕のいい御者をサービスしてやるぜ! 乗るのはお嬢ちゃんたち5人か、ならひとりあたり1万ゴールドで、しめて5万ゴールドだな!」
大口の取引に、上機嫌で手を差し出してくるおじさん。
リリーは思わず「高っ」と口に出してしまった。
それによく考えたら、お金を持ってないことに気付く。
だがハーシエルから貰った謝礼があることを思い出し、そこから切り崩すことにした。
カエルの顔を模したガマグチ財布をいそいそと開けてみると、中にはきっかり5万ゴールドが入っていた。
あれ、おかしいな? もらったのはたしか10万ゴールドのはずなのに……と不審に思うが、死んでしまったせいだとすぐに理解する。
死亡した冒険者が聖堂で復活する際、ペナルティを受けることがある。
装備の消失やレベルダウンなどの様々な種類があるが、リリーは所持金の没収を受けてしまったのだ。
リリーは苦虫を何匹も噛み殺したみたいに顔をしかめる。そして悩んだ。
これを使っちゃったらまた無一文になっちゃう……。
でも、でも……友達にはかえられないっ! いまは値切ってる時間も惜しいんだっ!!
「ええい、おじさん! その早馬、お願いしますっ!!」
リリーはガマグチごとズバァンと、おじさんの両手に乗せた。




