32 クロッサード山道
パン食い競争から一夜明けた昼過ぎ、リリーたちは河川敷の街道を進んでいた。
抜けるような青空は祭り日和で、アルトスのパン祭りはきっと今も大盛況であることを予想させる。
ずんずん歩くイヴを先頭に、シロクロコンビと親子のように手を繋ぐミントが続く。
皆、何かをやり切ったようなスッキリした表情をしていて、楽しそうだった。
そしてこれからの旅に期待を膨らませるように、意気揚々としている。
そんな溌剌とした彼女らの最後尾には、精気を失った亡者のようにのろのろと荷車を引くリリーの姿が。
ふと、シロが心配そうに踵を返す。
「あ、あの……リリーさん、重くありませんか? 荷車を引くお手伝いを……あっ、いいえ、交代させていただけませんか?」
労るようなシロに対し、リリーは卑屈な笑顔を返す。
「ありがとうございます、シロさん。でも、私はいいんです。私みたいなお荷物は、こうやって荷物と一緒にいるのがお似合いですから……」
「……い、一体どうなさったんですか、リリーさんっ?」
いきなりよそよそしくなったリリーに、熱でもあるかとシロは取り乱す。
「ほっときなさいよ」と前から声が飛んでくる。事も無げに言い放ったのは先頭のイヴだった。
「リリーのヤツ、パン食い競争で一回も活躍できなかったからって落ち込んでんのよ。しばらくすりゃ元に戻るから、心配いらないわ」
イヴは背を向けたまま、こちらを向こうともしない。
でも図星だったので、リリーは何も言い返せずにいた。
昨日のパン食い競争では、仲間たちはみんな大活躍だった。
イヴはバケットクラビングで、ミントは借り物競争で、クロは利きパンで、シロはパン作りで……。
己が得意とする力や知識を活用し、チームに貢献した。
しかし……本来いちばん活躍しなければいけないはずのリーダーだけは、何をやってもうまくいかなかった。
競技は全滅、ポニーシープの馬車もロクに操れず、水祭りにあげられた。
最後の最後、得意の絡め手に持ち込んだアームレスリングも、あと少しというところで負けてしまった。
「そーんなに落ち込まなくてもいーじゃなーい」
リリーの腰のあたりから能天気な声がする。視線を落とすとクルミがパタパタと手を振っていた。
「……クルミちゃんも少しは落ち込んでよ。アームレスリングで負けたのって、半分くらいはクルミちゃんのせいなんだからね」
口を尖らせるリリー。
クルミは納得いかないのか、「えーっ、なんでぇーっ!?」と両手をブンブン振り回している。
アームレスリングの途中で目を覚ましたクルミに対し、リリーは加勢を求めた。
しかしクルミは何を勘違いしたのか、めいっぱいリリーをくすぐってきたのだ。
たまらずリリーは吹き出してしまい、力が完全に抜け、一気に押し切られてしまった。
勢いあまってそのまま吹っ飛ばされ、ステージ上から転落……観客たちのど真ん中で、リリーは馬車に轢かれたカエルのようにノビてしまった。
「パン食べたい」チームは実に豪快で、情けない負けを喫してしまったのだ。
結局、優勝賞品である「本物のダイヤモンドパン」は手に入らなかった。
だが準優勝にも賞品はあった。「ダイヤモンドパン1年分」である。
ようは、ただの固いパンをたくさん貰うという結果に終わってしまった。
いまリリーが引っぱっている荷車には、カッチカチのパンがたくさん詰まっているのだ。
「……あっ、そ、そうです。そういえば、リリーさんが最後のインタビューでパン屋さんのことをおっしゃってくださったので、ハーシエルさんが娘さんたちともお会いできたのだと思います。これはリリーさんのお手柄ですよねっ? ねっ?」
ほっとけとは言われたものの、やさしいシロは必死になってリリーを元気づけようとする。
リリーの活躍したところをなんとか記憶から引っ張りだしてきて、励ますように言葉に乗せた。
表彰式の際、リリーは2位としてインタビューを受けた。そこで「リンレンラン」のことを宣伝したのだ。
その瞬間からリンレンランには人が押し寄せた。町長を泣かせたコッペパンを食べてみたいと、客が殺到したのだ。
すでに店じまいしていたハーシエルはびっくりして店を開けて、慌てて対応した。
しかも、観客の中にはハーシエルの娘たちがいて、親子は感動の再会を果たすことができた。
娘たちはなんと、キッカラの村を出るときにすれ違ったお姉さん三人組だった。
ハーシエルと、カエルルックに身を包んだお姉さんたちは泣きながら抱き合っていた。
そしてハーシエル親子四人に、リリーたちも手伝いに加わって、パン屋「リンレンラン」は夜遅くまで大盛況だった。
次の日も徹夜組ができるほど客が並んでいた。
朝から大忙しだったが、ひととおり手伝いをすませたリリーたちは、街じゅうの人たちに見送られてアルトスを後にした。
街道に出たリリーたちは、ツヴィートークめざして旅を再開する。
しかしここにきて荷物が一気に増えてしまった。ダイヤモンドパンの詰まった荷車はなかなかにジャマだった。
置いていくことも考えたが、旅の食料にもなるので持って行こうということになった。
じゃんけんで荷車を引っ張る役を決め、リリーが一発で負けた。
そうしてリリーはロバのように荷車を引いていたのだが、道すがら、だんだん自己嫌悪に陥っていたのだ。
このまま荷物持ちとして一生を終えようと思うくらいにリリーは落ち込んでいたが、イヴの予想どおり、歩いていくうちに復活した。
ズェントークから出発して、リリーたちはずっと川の側を歩いていたのだが、道が山に近づいてきているのか、じょじょに川沿いから離れていった。
河川敷だった風景はだんだん、傾斜のついた林道へと姿を変えていく。
坂は最初は緩やかだったがだんだん険しくなったので、みんなで荷車を押して登る。
途中、大きな石像があった。勇ましく馬を駆り、旗を掲げている女戦士の像だ。
はためく旗をイメージした木看板には「クロッサード山道 登山口」とあった。どうやらここから本格的な山道になるようだった。
像がメリーデイズの街にあったものに負けないくらい立派だったので、リリーたちは立ち止まってしばし見とれた。
リリーはこの山道の名前である「クロッサード」というのが、人物から取られたものだというのを授業で習ってなんとなく知っていた。だが、どんな人物かまでは知らなかった。
クロに尋ねてみると、カラクリ仕掛けのガイドさんみたいに滔々と教えてくれた。
クロッサードとは、このバスティド島に古くから伝わる騎士のこと。
黒豹のような黒馬を駆り、先陣を切って敵の中に踊り込んでいく戦い方で多大なる戦果をあげ、有名となった。
その迅速さは伝説級。速すぎる先駆けのあまり、本隊が到着する前に敵を全滅させるほどであった。
たまに裏目に出て、大勢の敵に囲まれてピンチに陥ることもあったという。
この山道は、クロッサードが伝令をしたときにできたもの。忘れ物が多く、メリーデイズから王都まで何度も往復したせいで、踏みならされて出来上がった道。そのまま本人の名前が付けられた。
「……ふぅーん、ようはあわてん坊で有名な人なんだね」
リリーは自分なりの言葉で偉人を解釈する。
そして同時に、ある人物を想起。その人物をちらり見やると、感動のあまり頬を紅潮させているところだった。
「……イヴちゃん、この像の人のこと、好きなの?」
そう声をかけた瞬間、イヴは赤い布を見つけた闘牛のように睨んでくる。目が完全に据わっていた。
「好きなんてもんじゃないわよっ! 『やられる二日前にやれ』が座右の銘、神速のクロッサードこそ、アタシの目指す戦闘スタイルを体現している人物なのよ!」
いきなり早口でまくしたてられて、リリーはたじろいだ。しかしイヴは容赦なく、突き刺すようにビシッと指を向けてくる。
「アンタも二日前にやってやるから覚悟なさい!」
「ええっ!? やるって何を!?」
「ええっと……鼻コスリに決まってんでしょ! いくわよっ!」
イヴは一瞬だけ逡巡したが、おさまりがつかなくなった興奮に押し切られるようにして飛びかかってきた。
リリーは押し倒されて、続けざまに鼻をグリグリこすりつけられる。
「んひゃあっ!? 落ち着いてイヴちゃんっ!」
まるでクロッサードの霊に取り憑かれたみたいなイヴに、リリーはたまらず悲鳴をあげた。
仲間たちが引き剥がそうとしたけどイヴはびくともせず、結局リリーは顔面が真っ赤になるまで鼻をこすりつけられてしまった。
イヴは急に我に返り、波が引くようにリリーの元を離れていった。リリーと同じく顔を赤くしていたが、こすりつけのせいではなく、どうやら照れているようだった。
また発作が起こると嫌だったので、リリーは像から距離を取ろうと、登山口へと入ることを提案する。
しばらく山道を登っていくと休憩所らしき広場があったので、そこでひと休みすることにした。
広場には山頂から流れてきた小川が通っていて、どうやらこれがアルトスにあった井戸水の源流のようだった。
冷たい水で喉を潤すと、気分がスッキリした。イヴも頭が冷えたのか、いつものツンとした様子に戻る。
なんだか小腹も空いてきたので、賞品のダイヤモンドパンを食べてみようということになった。
ダイヤモンドパンは飾り気のないビスケットのような見た目で、その名の通り異様に硬かった。
なんとか齧ろうとリリーたちは躍起になったのだが、全然歯が立たない。
これ、食べ物なのかな? と疑ったリリーは包み紙にある説明を読んでみた。
『ダイヤモンドパン 取扱説明書』
ダイヤモンドパンはアルトスに古くから伝わる伝統的なパンです。
アルトスがパンの街として栄えるずっと前、開拓者たちはアルトスのまわりからモンスターを追い払いながら暮らしていました。
アルトス一帯を巡りながら暮らしていた開拓者たちにとって、食べ物を持ち運ぶのが大きな問題のひとつとなっていました。
ある日、ひとりの開拓者がダイヤモンドパンを考え出したのです。
かさばらず、水気が少ないため日持ちがするこのパンは持ち歩くのに最適で、開拓者の間ですぐに普及しました。
開拓者たちはダイヤモンドパンにより安定した食料を確保でき、ついにアルトスからモンスターを完全に追い払うことに成功したのです。
安全になったおかげで、小さな集落を作ることができました。それがパンの街、アルトスとして発展していったのです。
ダイヤモンドパンは、他のどんな食べ物もかなわない優れた点がふたつあります。
まずひとつは保存性、そしてふたつめは硬さです。
水気を徹底的に抜いてあるので、二年は保存できます。そしてその名のとおり、ダイヤモンド並の硬さがあります。
とても硬く、そのままでは噛むことができません。
歯では絶対に噛めないので、歯では噛まないでください。
どんなに強い歯でも、歯のほうが折れます。
重ねてお願いしますが、歯では絶対に噛まないようにしてください。
お召し上がりになるときは、お湯などで柔らかくしてください。
スープなどに入れると美味しく召し上がれます。
「……だって」
リリーは説明を読み終え、顔を上げた。そして、特にイヴに向かって言う。
「このパンは歯では噛めないみたいだよ」
他の仲間たちはダイヤモンドパンのあまりの硬さに食べることをとっくにあきらめていたのだが、イヴだけはムキになって、歯で噛み砕こうとフガフガしている。
クロッサードの熱に当てられた時とは違い、ただ単純に意地になっているようだった。
「こんっ、なっ、パン、なんか、にっ、負け、てっ、たまるっ、もんっ、ですかっ」
ひとり意固地になっているようで、こめかみに青筋を浮かべつつ薄茶色の板にギリギリと歯を立てている。
説明書に「絶対に噛めない」と書いてあったのが、余計に火をつけてしまったようだ。
こうなったらいくら止めても無駄で、気の済むまでやらせておくしかないのだが、ロクでもない結果が待っているのは誰の目からも明らかだった。
どうしようかなぁ、とリリーが肩をすくめていると、クロと目が合う。
「……ダイヤモンドパンは、元々は別の名前で呼ばれていた。元の名前は印象が良くないということで改称された。ダイヤモンドパンと呼ばれるようになったのはごく最近のこと」
今はウンチクを聞いている場合ではなく、イヴをあきらめさせる手立てを考えなくてはならないのだが、リリーは内容が気になって続きを促した。
「へぇ、もともとは何ていう名前だったの?」
「トゥースブレイカー」
クロの声が引き金となったかのように、イヴの口元からパキンと甲高い音がした。そのままもんどりうって倒れる。
「い、イヴちゃん!?」
駆け寄った仲間たちが目撃したのは、老人のように前歯を失ったお姫様の姿だった。




