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「そうかぁーっ! 注目のお嬢ちゃんたちがこしらえたのは……これ以上ないくらい、基本のコッペパンだったぁーっ!!」
大げさな手振りとともに、バッとコッペパンを示すルサンドマン。
何の飾り気もない、ちんまりしたキツネ色のパンに視線が注がれると会場はどっと弾ける。和やかな笑いとヤジに包まれた。
それはまるで、本気の大人たちの試合を和ませる、エキシビジョン枠で参加した子供たちのような扱いであった。
リリーたちはこの大会において、完全にマスコットとしての地位を確立しつつあった。
鬼ごっこで捕まっても鬼にならなくてもいいような、特別ルールが適用された、参加するだけの存在。
司会者も、観客たちも、相手チームすらも、そう思っていた。
しかしそれは、大いなる「油断」……まさにリリーが待ち望んでいたものであった。
驕った黄金のカエルが抱いていたような、大いなるスキ……!
このパン作りの競技において、リリーはほんのわずかではあるが逆転の希望、追い詰められた鼠が猫を噛むような大番狂わせを見出していた。
他のチームが作った豪華なパンは、非の打ち所がない。
派手で、美しく、美味しい。舌だけでなく目も楽しませてくれるきらびやかなパンたち。
それは、リリーがこの街に初めて来た時の印象と同じだった。
この豪華なパンたちはきっと、今まで食べたどんなパンよりも美味しいだろうと想像した。
しかし、その後に食べたハーシエルのコッペパンは、それらをすべてひっくり返してしまった。
おばあさんの手によって生み出されたコッペパンは、表面的な豊かさをすべて包み込んでしまうような……大自然の恵みにあふれていた。
心の上っ面を叩くだけのような人工的な刺激では到底及ばない、心の奥底に眠っていたものをやさしく撫でられるような感覚。
例えるならば、母親に抱かれる赤ちゃんに戻ったみたいな根源的な心地良さがあるのだ。
ライバルたちのパンにはない、リリーたちの作ったパンだけが持つ強み。
自分たちが作ったコッペパンもハーシエルの味が再現できていれば、そこに僅かな勝機があるのではないかとリリーは感じていたのだ。
考えているうちにどんどんその気になる。「パン食べたい」チームのリーダーは、ここに来てようやくリーダーらしい顔つきになっていた。
うん、あきらめるのはまだ早い。笑われちゃったけど、この競技で1位を取れる可能性はまだある。
それにハーシエルさんが言ってた。食べる人の笑顔を想像しながら生地をこねるのが美味しいパンを作るコツだって。
それならば絶対、他のチームに負けてないはず。だってこっちはみんなで生地をこねたんだから……!
リリーは共に戦った仲間たちの様子をチラリと伺う。
コッペパン製作の立役者のシロは、すでに後ろに引っ込んでいた。控えめな彼女らしく、役目が終われば決して前に出ようとはしない。
そんなシロは順位よりも、とにかく美味しく食べていただけますように、と祈りを捧げている。
イヴは早く終わらないかといった様子で耳をほじっていた。
あきらめているのではなく、勝つのがわかりきった様子で、ヒーローインタビューで何を言ってやろうか考えている。
クロはうっすらと星が瞬き始めた空を眺めており、ミントはなぜかパンドラゴンチームのドワーフおばさんに肩車されていた。
「さぁ……各チームのパンのアピールが終わったところで、試食といくか!」
司会者の合図とともに、会場広場の外側にあった巨大なスタンドがカッと輝いた。
木組みのフレームに埋め込まれていた輝石が輝きだしたのだ。
日没後の街は夜の帳を降ろそうとしていたが、そこだけは暗幕が取り払われたように光で満たされる。
時間が逆戻りして昼間みたいに明るくなったので、リリーとミントとシロは揃って目を瞬かせた。
「ひゃあ~!?」
驚きのあまり、起立したポニーテールをぶわっと膨張させるミント。
「い……いきなり……明るくなりました……!?」
大きな丸眼鏡と黒髪が、反射した光を帯びて白く輝いているシロ。
「な、何コレ!?」
眩しさのあまり、寝起きみたいに目を細めるリリー。
「輝石灯」
黒いローブのフードを日よけがわりに深くかぶり直し、つぶやくクロ。
「「「きせきとうっ!?」」」
ナチュラルな驚きとともにハモるリリー、ミント、シロ。
「輝石に魔力を入れて、より光るようにした明かりのことよ! 田舎者丸出しでみっともないから、そんなに驚くんじゃないわよっ!」
リリーの脇腹を、肘で容赦なく突くイヴ。「ヴッ」とよろめくリリー。
輝石というのは暗い所でうっすら光る石のこと。『輝石灯』とは、輝石に魔力を注入することにより照明がわりにした魔法設備のことだ。
リリーたちが明るさにビックリしているうちに、審査員の試食はだいぶ進んでいた。
どの審査員もリリーたちのコッペパンはそっちのけで、豪華な他チームのパンを先に頬張っている。
最高の素材に、最高の職人たちが手をかけたパンはやはり絶品らしい。観客から選ばれた審査員たちは瞳孔を開きっぱなしにしたまま、興奮した様子で言葉にならない歓喜の唸りをあげていた。
町長をはじめとする評論家軍団は特に取り乱す様子もなく、頷いたり、首を傾げたりして淡々と食べ進めている。
素人の審査員とプロの審査員、対照的ではあったがひとつだけ共通していることがあった。
リリーたちのコッペパンを誰も食べなかったことだ。
コッペパンなんてわざわざ食べなくてもわかる。最下位なのは明白、とばかりに放ったらかし。でも審査の手前、最後にひと口だけ……と気の進まない様子で齧っていた。
しかし、どの審査員もパンを口にした瞬間……透明のデコピンをくらったように固まる。
そしてキツネにつままれたような顔のまま、二口三口、パクパクと平らげていた。
よし、とりあえず食べてはもらえた。評判も悪くなさそう、とリリーは安堵する。
シロなどは瞬きするもの忘れたように審査員たちを注視し、裁きが下るまで動くのを禁じられているかのように身を固くしていた。
「さて……試食はもう良さそうだな。じゃあ、そろそろ投票といこうか」
司会者はパンがあらかた食べつくされたのを確認すると、審査員席からステージに戻った。
「投票は簡単だ、一番美味いと思ったチームの札を、合図と一斉に挙げてくれ! 札がいちばん多く挙がったチームが、この競技で1位となる!」
ルサンドマンは輝石のスポットライトを浴びながら、ステージ横に並んでいる参加チームを手で示した。
一様に緊張した様子の参加者たち。リリーとシロも緊張していた。イヴとミントとクロは退屈そうにしていた。
「五つのチームには今日一日、数多くの競技で争ってもらった! 知力、体力、判断力、時には運……パン屋に必要とされる能力を、あますことなく試される競技ばかりだった! そして……この最終競技はパン作り! すべての競技で最重要、パン屋にとっては生命線ともいえるものだ! 他の競技は駄目でも、この競技が1位なら、店には客が殺到する!」
これまで飄々としていたルサンドマンも、最後の時を前に高揚しているようだ。拡声棒を通してゴクリと生唾を飲み込む音が響く。
「なら最後の競技だけでいいんじゃないの」
とイヴがボソっと突っ込んだが、聞こえなかったようだ。
「……さあっ! この街の、ナンバー1パン屋は、いったいどいつだっ!? 審パンの時! さあっ、一斉に札を挙げてくれっ!!」
この広場にいた全ての者の視線が、審査員席に集中する。
戦いに向かう部隊が一斉に靴を踏み鳴らすような、ザッ……という音をたてて、札は掲げられた。




