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小麦粉問題も解決したので、リリーたちはパン作りに戻った。
しかし、さっそく別の問題にぶちあたる。
また転んで小麦粉を落としてしまうのではないかと、シロが気の毒なほどに緊張しだしたのだ。
シロの白くすべやかな手は凍えているかのように震えだし、生地作りどころではない様子だったので、見かねたリリーはお得意の「とくんと君」を施すことにした。
「とくんと君」はリリーがつけた心臓の愛称で、胸に耳を当てたときに聴こえる心音が由来となっている。
リリーはシロの頭を胸に抱き寄せて、「とくんと君」のささやきを聴かせてあげた。
こうやって心臓の音を聴かせると落ち着くというのは、リリーが母親から身をもって教わった特効薬なのだ。
見ていたミントも「ミントもとくんとくんしたい~」とシロに飛びついて、豊かな胸に顔を埋めていた。
シロはリリーの心音を聴くと同時に、ミントに心音を聴かせる。母性愛あふれるシロにとっては、それがまた落ち着きをもたらすこととなる。
冬山で遭難したみたいに身を寄せ合うリリーとシロとミント。
パン作りもせず一体何をやっているんだろう? と観客たちは不思議そうにしていた。
興味を持った司会者がインタビューしようと近づいてきたが、イヴが邪魔をさせまいと立ちふさがり、かわりに適当なことを答えていた。
シロの震えが止まったことを確認したリリーは、その流れで生地作りを手伝った。
計量した材料をまぜあわせて生地を作ったあと、生地として成形する。その後、カマド番をしていたイヴとクロも合流してこねる作業に移った。
他のチームは完全分業制だったが、リリーたちは全員で生地をこねる作業にあたっていた。
観客席に面したこね台に一列に並び、生地をこねこねする少女たちの姿はなんだか微笑ましくて、観客席からは誰からともなく声援が起こっていた。
中でも人気だったのは遊ぶ子うさぎのようなミントで、踏み台の上でぴょんぴょんと身体とポニーテールを跳ねさせながら、体重を利用して生地をこねていた。だんだんリズムに乗ってきて、上機嫌に歌を唄いはじめる。
「いっぱいこねこね、ふとったねこさん」
隣にいたリリーが気づき、一緒にハモる。
「ふわふわしたら ひつじさん」
列の真ん中にいるイヴも、生地にパンチしながら流れに乗る。
「まるめてまるめて うさぎさん」
淡々と唇を動かすクロ。
「おつきになったら おやすみよ」
そして最後にシロも加わる。
「あさになったら にわとりさん」
普段のシロであれば人前で歌うことは絶対にしないのだが、今は脇目もふらずにこねていたせいで無心になっていて、衆人の前でも自然な微笑みを浮かべ、歌声を口ずさんでいた。
♪こんがりあがった きつねさん
♪ちょっとこげめの らいおんさん
♪みんなにっこり おいしいね
五重奏を奏でながら生地をこねるリリーたち。
観客たちの顔は楽しそうな少女たちにつられ、まるでお遊戯を見に来ているかのようにほころんでいた。
生地をこねたあと、発酵されるためにしばらく寝かせる。
他のチームは、パンに乗せたり挟んだりする具材の準備でずっと忙しそうにしていたが、リリーたちは特にすることもなかったので、観客と一緒に歌を唄ったりして時間をつぶした。
そうしているうちに夕暮れが近くなり、中央広場はオレンジが爆発したような西日で照らされはじめる。
リリーたちは歌合戦を中断し、発酵を終えたあとのパンを形を整える。またしばらく寝かせてたあと、焼きに入る。
ひとり四個ずつの割当でこねたので、自分の担当分をカマドに持ち寄った。
……そこでまた、事件は起こった。
両手いっぱいにパンを抱えたミントが、カマドに向かってスキップしている途中にずっこけてしまい、持っていたパン四個を空中にバラ撒いてしまったのだ。
リリー、イヴ、クロが身体を張って、床に落ちる前になんとか一個ずつキャッチしたのだが、シロは後逸してしまい、運の悪いことに口をあんぐり開けたポニーシープに胃でダイレクトキャッチされてしまった。
「あ、食べられちゃった」
「ミントぉぉ~っ!! アンタ、この期に及んで何やってんのよっ!?!?」
襟首を掴まれてガクガクやられたミントはびっくりして、泣き出してしまう。
「うわあぁぁぁーん! イヴちゃんがおこったぁ~っ!!」
ミントは涙を散らしながら、シロのローブの中に逃げ込んだ。
「まったくっ! なんでこんな大事な時に限って、どいつもこいつもボトボトボトボト床に落とすのよっ!?」
「まあまあイヴちゃん、落ち着いて……」
「なにノンキなこと言ってんのよっ! もう生地はないし、小麦粉もないのよ!?」
「うーん、それじゃあ他のパンを少しずつちぎって、新しくもう一個作るってのは?」
リリーはなだめるように提案したが、クロから即座に「駄目」と否定されてしまう。
「……他の生地から取った場合、焼きあがった全部が規定の百グラムに及ばない」
クロはそれぞれの手に乗せたパン生地を、天秤のようにゆるやかに上下させながら言った。
「ってことは……どこかからまた材料を持ってこないといけないってこと!?」
クロから無言で頷き返され、リリーは今更ながらに事の重大さを思い知る。しかしめげなかった。
「ううっ、じゃあ、土下座でもなんでもして、他のチームからまた小麦粉を分けてもらって……」
しかし次なるアイデアは、シロが「あのっ、すみませんっ」と手を挙げたことによって遮られてしまう。
「あの……そのっ、いま新たに生地をこねても、発酵させるまでの時間がありません……!」
「ああーっ! そ、そっかぁ!」
リリーは頭を抱えた。
材料をもらっても間に合わない……!?
そ、そうだ、なんとか頼み込んで、発酵を終えた生地を貰っちゃうってのは……あ、でも、いくらなんでもそれは私たちが作ったパンとしては認められないよねぇ……。
自分たちで作っても間に合わない、他のチームにも頼れないとなると……もう八方塞がりじゃないか……ああ、どうしよう? どうしようっ!?
しゃがみこんで絶望するリリー。しかし、予想もしなかった意外な所から、助けの船がやって来た。
「ほいリリー、これあげる」
腰のあたりからスッと差し出されたのは、翼のような手に支えられた紡錘形のパン生地だった。
「……えっ? クルミちゃん、どうしたのこれ?」
「ヒマだったから、ちょっと生地をもらってこねて遊んでた」
「くっ……クルミちゃん、ナイスっ!!」
リリーは感極まってクルミに頬ずりしようとしたが、パン生地でガードされてしまった。
「遊んでるんじゃないわよ、リリー! それをよこしなさい! さっさと焼くわよ!」
イヴはショベルを巨大にしたピールという道具を振り回し、皆がこねたパンを石窯の中に並べる。
パンが焼けるまでの間、リリーたちはシロのローブの中に籠城しているミントをなだめた。
皆でローブの中に手を突っ込んで、シロもミントも一緒くたにくすぐって笑わせる。
たまらず出てきたミントは、シロのエプロンでズビーと鼻をかんだあと、ようやく機嫌を直した。
そして……カマドの火が街に飛び出したような夕焼けが、少しずつ鎮火し始めた頃、リリーたちのパンは焼きあがった。




