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街の北にある河川敷沿いの馬車路。ここは「パン食い競争」のゴールに向けての最後の長い直線ルートになっていて、デッドヒートを予想した観客たちが沿道に詰めかけていた。
声援と紙吹雪が舞う花道の真っただ中を、ポニーシープ馬車に乗ったリリーたちが誰よりも早く突っ切っていく。
それから少しした後、一丸となった四台のポニーシープ馬車が続く。
四台の馬車は敵同士なので、本来なら激しい馬上戦が起きるはずなだが、今は先頭のリリーを狙うために自然と共闘関係を組んでいた。
店の旗を盗まれたうえに、トップでゴールされては店の看板に傷がついてしまうと、どのチームも血眼になって追いかけてくる。
リリーに比べてポニーシープの扱いにも慣れているのか、ぐんぐんと距離を縮めてきている。
「……ああっ、このままですと、追いつかれてしまいます!」
光をまとった黒髪を長旗のようになびかせるシロは、敵軍から落ち延びる姫のように可憐に叫んだ。
イヴは心配するなとばかりに手で制し、姫を守る騎士のごとく立ち上がる。
「待ってたわ……そうそう、これ、これなのよ……」
荷台の上で、お得意の仁王立ちを決めるイヴ。
激しくなびくツインテールからは、フェアリーテイルのような金色の残光がキラキラとこぼれていた。
そして、いつも睨みつけることしかしない強気な吊り目にしては珍しい、うっとりした秋波を後続の馬車に送る。
複数のポニーシープ馬車が蹄と車輪によって奏でる地すべりのような音は、並の人間にとっては不安をかきたてられる騒音でしかない。しかし好戦的なイヴにとっては、戦いの前の鼓笛のように心を奮い立たせてくれる最高の軍曲として響いていた。
「ふふ、ようやくこの時が来たわね……私、馬上戦をやるのが夢だったのよね」
背中の大剣を抜きながら、立身出世を目論むならず者みたいな夢を語ったあと、
「さぁ、このアタシが相手よ! 川にたたき込まれたいヤツからかかってきなさいっ!」
重い大剣を片手で突きつけながら、後続の馬車に向かって宣戦布告する。
リリーが気を揉んだ様子で振り向いた。
「イヴちゃん、剣を振るうのはいいけど、ホントに斬っちゃダメだよ、牽制するだけにしてね!」
リリーはすでにやる気スイッチが入っていたので、イヴと同じく勝ちたい気持ちでいっぱいだった。
なりふり構わないつもりではいたが、しかしさすがに他人をケガさせてまで一位になりたいとは思わない。
そんなリリーに対してイヴは、空気を読めないヤツを見るような視線を返してくる。
「わかってないわねぇ、ケンカは祭りの華っていうじゃない。ちょっとくらいケガさせても許してくれるわよ。間違って大ケガまでいっちゃうかもしれないけど、あとでシロに治させればいいでしょ。アンタも死にかけたんだから、細かいことはもういいでしょ」
「そ、そういうもんかなぁ……まぁ、いいけど……でも、ほどほどにしてね?」
リリーは不安のあまり知らず知らずのうちに上目遣いになっていて、イヴはこんな時だというのにドキッとしてしまった。
……この子はズルい。
いつもはバカな子供みたいに何も考えてない顔をしてるクセに、イザとなったら本物の勇者みたいな凛々しい顔をする。
かと思ってたら突然こんな風に、迷い子みたいな守ってあげたくなる顔をするのよ。
まったく……付き合わされるこっちの身にもなってほしいもんだわ。
顔が火照るのがわかったイヴは顔をそむけ、「わかってるわよ」とだけ返して強引に会話を打ち切った。
リリーはイヴが急に大人しくなったので不思議そうな顔をしていたが、すぐ勇ましい顔になって仲間たちに指示を飛ばす。
「ミントちゃん、クロちゃん、イヴちゃんと一緒に牽制お願い!」
「ほーい!」
授業中に当たられた新入生みたいにシャキッと立ち上がるミントと、吹き抜けていく風に紛れるようなさりげない頷きを返してくるクロ。
「あ、あの、リリーさん、私はどうすれば……?」
怯えきった瞳を気丈に向けるシロ。
「シロちゃんはケガ人が出たら治療して! あ、それと、私は抜かれないようにブロックして走るから、私のかわりに後ろを見て、肩を叩いてブロックする方向を教えて!」
「か、かしこまり……きゃあっ!?」
追いついてきたポニーシープに追突され、荷台が激しく揺れる。
ミントは波乗りをするようにバランスをとって難なく立ち続けたものの、倒れてきたイヴにムギュッと押しつぶされていた。
後続の四台はピッタリくっつくほどに接近してきていた。
よく見ると敵のポニーシープたちは牛のようなツノが付いた鉄兜をかぶっており、闘牛のように姿勢を低くしてぶつかり攻撃を狙っているようだった。
敵のメンバーたちは御者席まで乗り出し、思い思いの武器を振り回して威嚇してくる。
「くっ、よくもやったわねぇ!」
仲間たちに背中を押されて立ち上がったイヴは、荷台から身を乗り出して大人たちと格闘をはじめる。
クロはボソボソと呪文を唱えたあと鬼火を出現させ、敵の中に突っ込ませる。クロの得意戦術のひとつ、アチアチ攻撃だ。
振りかぶった木槌をイヴめがけて振り下ろそうとしていた大男。しかし寸前でロウソクの火のようなものを近づけられて、たまらず蜂を追い払うように暴れだした。
「あちちちち! くそっ、火を使う魔法使いがいるぞ!」
「なら、これでもくらえっ!」
別の馬車にいた男が、道に積んであった樽を持ち上げて投げつけてきた。
「させるかあっ!」
飛んでくる樽からクロをかばうように立ちふさがったイヴは、大剣による上段からの斬り下ろしで樽を真っ二つにする。
パッカンと音をたてて空中分解する樽。中に入っていた水がぶちまけられ、荷台の仲間たちは水浸しになった。鬼火もジュッと鎮火してしまう。
敵グループも敵同士であるはずなのに、連携してクロの炎の精霊魔法を封じにかかった。
これではいくら唱えても水をぶっかけられて終わりだ。
「よぉし、魔法がなけりゃ怖くねえぞ! ガンガン体当たりしてブッ壊してやるぜ!」
恐れるものが無くなった今、追突しようと一斉に向かってくるポニーシープたち。
リリーは加速しようと鞭を振るったが、これ以上速度が出せない。でも敵の御者は加速のコツを知っているのか、今にも激突しそうな勢いをもって突っ込んでくる。
絶体絶命のピンチに立ち上がったのは、小さな盗賊だった。
ミントはホップスコッチで遊ぶような気軽さで跳ねて敵馬車に飛び移ると、「だーれだ!?」と御者に目隠ししたり、攻撃しようとする敵を「こちょこちょこちょ!」とくすぐったりしていた。
「くそっ、またこの小娘か!」
「ちょこまかと邪魔しやがって!」
「今度こそ捕まえてやる!」
挑発に乗った敵たちは攻撃の対象をミントに移した。
すっかりターゲットを奪うことに成功したミントはさらに調子づいて、木から木へと飛び移るムササビのように馬車と馬車の間を飛び回る。
敵はとうとう同士討ちを始めてしまい、仲間の攻撃を受けてのびてしまう者、荷台から転げ落ちてしまう者が現れる。
しかし漏れなくシロの治癒魔法の光に包まれていたので、無傷で済んでいた。
「ミントちゃん! もういいわ! 戻ってきて!」
リリーが振り向いて呼び戻すと、呼吸を忘れたみたいに戦況を見守っていたシロが立ち上がって両手を広げた。ミントは迎えに来た母親の胸に飛び込むみたいに、シロめがけてダイブした。
「ああ、よかった、ご無事でよかったです!」
ミントが飛び出していったときから生きた心地がしなかったシロは、戻ってきたわんぱく少女をぎゅっと抱きしめる。
ついに馬車チェイスは大詰めを迎えようとしていた。直線ルートが終わり、カーブが見えてきたのだ。
このカーブは長方形型をした街の北東の隅に位置している。
街の四隅にある角は特にキツい曲がりになっていて、この競争において抜き去るのに絶好の場所となっていた。
件のカーブを通過したあとにも、中央広場に向かうまでにもうひとつカーブがあるのだが、こちらは大通りのため道幅も広く、順位の変動は起こりにくい。
これから突っ込むカーブが事実上、最後の逆転のチャンスといえるので、全のチームが必死になって挑んでくるだろう。
司会者も「魔物が棲んでいる」と形容しているだけあって、デッドヒートになるのは必至だった。
すがってくる敵たちを追い払うように大剣をブン回していたイヴも、カーブが近づいたとわかるとしゃがみこんで、リリーに作戦を伝授した。
「いいことリリー、このカーブが最後のスキになるわ! ここで抜かれなければ、あとは後続のヤツらをアタシが妨害してあげるから、一位でゴールできるわよ! いいこと、死んでも抜かれるんじゃないわよ! 気合い入れて、誰よりも速く曲がりなさいっ!!」
たとえ一位でゴールしたとしてもそれで優勝とはならない。最後の競技が有利になるだけだ。
ただ一位のときの尋常ならざる優遇っぷりは今まで何度も目にしてきたので、優勝へぐっと近づけることは間違いない。
そのことはリリーも百も承知だったので、力強く頷き返す。
「……わかった!!」
リリーはこのカーブに全てをかけるつもりで臨んだ。
内側がギャラリーで埋め尽くされた、先の見えない直角の曲がり角。外側は運河になっているので欄干があるのみだ。
たとえ曲がるのに失敗しても、この石造りの欄干があるから川に落ちることはない。だから恐れることはないと、リリーはカーブの直前で手綱をめいっぱい引っ張って、ポニーシープを横すべりさせる。
後続の馬車たちも続くかと思い、チラリと横目で様子を伺ったが、そこには信じられない行動をとるポニーシープたちがいた。
曲がることをせず、そのままリリーたちの馬車に突っ込んできたのだ。
四匹のポニーシープからイノシシのような猪突を受け、リリーたちの馬車は横転せんばかりに揺れる。有無を言わせぬ勢いでコーナーの外側まで押されてしまった。
「くうっ! コイツら、最初からこのカーブで突き落とすのが目的だったんだわ!」
歯を剥き出しにしてギリギリ噛みしめるイヴ。
ミントを守るようにきつく抱きしめたまま動かないシロ、なぜか手すりの方を凝視しているクロ。
祈るような気持ちで叫ぶリリー。
「まっ、まだ大丈夫! 手すりが、手すりがあるから……!」
ぶつかりの衝撃は強いとはいえ、これがあればそう簡単に突き落とされることはないはず……とふんでいた。
寄り切られた車体はついに、火花を散らさんばかりの勢いを持って、長い食パンを模した石の手すりに押し付けられた。




