22
「み、ミントちゃんっ!?」
リリーは遥か上空で跳ねまわる仲間の姿を認め、仰天した。
ああ、説明の途中でいなくなったと思ったら、本当に借りに行ってただなんて……まわりの反応を見る限り、黙って借りるつもりなんだろう。
リリーはあちゃあと顔を押さえる。その背後から声が追ってきた。
「リリー! ミントが戻ってきたらすぐに出発するわよ!」
ステージの隅にある、選抜されなかったメンバーが待機するひな壇のような席にいたはずのイヴがいつのまにかリリーの側まで来ていた。
「えっ、でも……旗をとったの、怒られちゃうんじゃ……」
「だから借り物としてステージに出したら、すぐに馬車に乗って最後のチェックポイントに逃げるのよ! 借り物の指示なんだし、これはお祭りなんだから、終わったら許してくれるわよ! それにこれが最後の逆転のチャンスなんだからね!」
「わ……わかった!」
頷いたリリーはミントがいつ戻ってきてもいいように行く末を見守る。
ミントはすでに二本目の旗を手にし、屋根にあがってきた男たちの手をすりぬけつつ三本目の旗を目指していた。
男たちはまるでシロアリのようにどんどん屋根に登っていき、ミントに群がってくる。
五倍くらい体格差のある大男に飛びかかられてもものともせず、素早い体さばきでかわしていく。
目前で発射された毒針すらかわす動体視力と、軽業師顔負けの運動能力、少しの隙間さえあれば滑り込める小さな身体。
まるで猫のようなしなやかな動きは男たちの腕のわずかな隙間をかいくぐる。身体も柔らかいので一瞬掴むのに成功したように見えても次の瞬間にはウナギのようにニュルンと抜け出す。
観客たちも競技そっちのけで、場外乱闘に声援を送っていた。
「おおっ、すごいぞあの子供!」
「あれだけの数なのに全然捕まらねぇ! メチャクチャすばしっこいぞ!」
「男たちを完全に手玉に取ってる、ちっこいのにやるなぁ!」
「がんばれーっ! ちっこいのーっ!!」
観客たちは全員ミントの味方のようだった。
ミントはバランスを崩した男の背中で馬跳びをし、観客たちに手を振り返す余裕を見せながら、難なく三本目の旗を手に入れていた。
建物から突き出た棒を掴んで大車輪のようにグルグルまわり、棒から棒へと飛び移る。追いかけた男がマネしようとして棒を掴んでいたが、体重を支えきれず折れて落下していた。
垂れ下がったロープを掴んでスイングし、とうとう四本目の旗の前に着地したミントは余裕で最後の旗を引っこ抜く。
「おおっ、やったぁーっ!!」
リリーと観衆は同時に叫ぶ。
しかし屋根の陰に隠れて待ち伏せしていた男たちが出てきて、あっという間にミントは取り囲まれてしまった。
六階建ての屋根の上、背後は絶壁。逃げ場はどこにもない。
しかし少女は笑顔を崩さず、「じゃあね~っ!」と手を振りながら後ろに倒れ込んだ。
「ああっ!?」と悲鳴をあげる観衆、まさか身投げするとは思わず、青い顔で縁に駆け寄る男たち。
しかしミントは空中で身体を丸め、クルクルと回転して屋台のテントの上でトランポリンのようにボインと跳ねた。そのままステージ近くの地面に見事な着地を決める。
飛び降りることで一気に逃げおおせたかと思われたが、続けざまに男たちが降ってきてテントを押しつぶした。
「わあっ!?」
店がつぶれる音にびっくりしてミントは前に転んでしまった。
倒れたはずみで持っていた旗を取り落とし、地面にぶちまけてしまう。
「あっ!? ミントちゃんっ!?」
リリーは助け寄ろうとしたが、並走してきたイヴが押しとどめる。
「リリー! アンタは旗を拾って届けなさいっ! ミントはアタシにまかせるのよっ!」
「わ……わかった!」
リリーは指示に従い、足元に散らばった旗を拾い集めたあと、一瞬だけミントとイヴのほうに気を取られたが、振り払って背を向け、ステージのほうに走り出す。
イヴはミントの元に駆けつける途中、側にあった丸テーブルをひっくり返して持ちあげ、盾のように構えて特攻した。
ミントはとうとう捕まってしまい、子猫のように首根っこを掴まれ宙ぶらりんになっていた。その男めがけて、イヴの狂ったような絶叫……闘気術が炸裂する。
「ぐらっぷわぁあああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!」
イヴはテーブルの天板を向けたまま、男たちの群れに突っ込んでいく。
ドオンと大砲のような音とともにのけぞり、ドミノ倒しにしなる男たち。
イヴは男の手からミントを奪い取ると、肩に担いだままターンして、火事場から逃げ出すように猛然と走り出す。
ステージのほうをチラリ見やると、旗を握りしめたリリーがルサンドマンと共にいた。
「『パン食べたい』チームの借り物の『尖塔旗を四本』、たしかに確認したぜ! 五ポイントだ!」
「よーしっ、出るわよ、リリーっ!!」
大声に振り向いたリリーは、イヴの背後に広がる光景を見て飛び上がりそうになった。
選手たちだけでなく、各パン屋の店員たちが店を飛び出し合流し、とんでもない数となって追いかけてきていたのだ。
かつてリリーたちは鉱山の村で、村中の男たちから追いかけられたことがあった。
人間から追いかけられるのはモンスターから追いかけられるよりずっと怖い。なぜならモンスターは威嚇の鳴き声くらいだが、人間は意味がわかる罵声を浴びせてくるからだ。
リリーは野趣あふれる男たちから追いかけられたときに聞いたストロングランゲージを思い出してしまい、身体からどっと嫌な汗をあふれさせていた。
……たしか私たちはパン食い競争に参加していたはずなのに、なんで殺気立った街の人たちから追いかけられなくちゃいけなんだろう……。
リリーは思わずステージ上で土下座したくなってしまったが、勇気を振り絞って走り出す。
謝ったら少し怒られるくらいで許してくれるかもしれなけど、ここで謝ったら今までの苦労が全て水の泡だ。
たとえ逃げたとしても、途中で捕まったらもっと怒られるかもしれない。優勝したところで許してもらえないかもしれない。
でも、みんなでここまでがんばったんだ。イヴちゃんはまだやる気だ。なら私もやってやるんだ。
それに同じ怒られるなら、最後までやってやる。
最後まであがいて……あがいてあがいてあがきまくって、優勝してやるっ!
怒られるのは、それからでも遅くないっ……!!
「うおおおおおおおーーーーーーーーっ!!!」
自分を鼓舞する雄叫びをあげながら、ステージを駆け下りたリリーは馬車の御者席に飛び乗る。
すでにシロとクロは荷台に乗っていた。迫ってくる男たちの怒声を、シロは落雷を聞く子供みたいに縮こまって受け止め、クロは集団に顔を向けることすらせず、さも何も起っていないかのような顔で座っていた。
リリーたちの馬車の前に、馬に乗ったルサンドマンが近づいてくる。
「お嬢ちゃん! 俺はひと足先にゴールに行ってるぜ! 今度こそ一位で来てくれよな! でも北東のコーナーには気をつけろよ! あそこには魔物が棲んでるからな! じゃあ、またな!」
ルサンドマンが走り去るのと入れ替えに、高波から逃れる親子のようなミントとイヴがやってきた。
荷台を飛び越え、御者席まで突っ込んでくる勢いで乗り込んできた瞬間、リリーはありたったけの力を込めて鞭を振るい、弾丸のようにポニーシープを走り出させる。
男たちの手が荷台の端に掛かり、何人かに掴まれてしまったが、クロがおもむろに取り出した両手杖でコチョコチョくすぐって剥がしていた。




