20
「ああっ、残念っ! 『パン食べたい』チームのリーダー、マッスルマンに敗北ですっ!!」
少し悔しそうなアナウンスと「あぁ……」と観客のガッカリした声を受けつつ、リリーはステージを挟んで観客席の反対側にある網から這い出した。
駆け寄ってきた仲間の一番手はさっそく罵声を浴びせてくる。
「なにやってんのよアンタっ!? あっさりやられてんじゃないわよっ! まったくもうっ!」
「だ、だってぇ! あんな男の人に本気出されたら勝てるわけないよっ!?」
イヴの手で胸ぐらを掴まれ乱暴に助け起こされるリリー。
「どっ、どこにもお怪我はありませんか!?」
まるで自分が落ちたみたいに青い顔でリリーの身体を触って確かめるシロ。
「リリーよわ~い」「リリーちゃんよわ~い」
と口を揃えるクルミとミント。
「どんまい」
あまり励ます感じのないクロ。
リリーたちが落ち着いたのを見計らって、アシスタントは五ポイント獲得です! と告げた。
「あっ! 『パン食べたい』チームに朗報です! たった今入った情報では、先頭集団が第二チェックポイント直前で落車事故を起しているそうです!」
その言葉にイヴは、弱った仔鹿を見つけたハイエナのように反応する。
「なんですって!? よし、さっさと次のチェックポイントに行くわよ!」
イヴはリリーの前襟を掴んだまま、収穫したばかりの巨大カボチャのように引きずってステージを降り、出発準備の整ったポニーシープの御者席に放りこんだ。
仲間たちも倒けつ転びつしながらやって来て荷台に乗り込む。
「リリー、こっから逆転するわよ! ヘマしたことは気にせず、今は追いつくことだけを考えなさい!」
「わ、わかった!」
イヴからバンと背中を叩かれ、気を取り直したリリーはせわしなく手綱を打ってポニーシープを走り出させる。
土煙をあげて出発していくリリーたちを、特にイヴを見送っていた観客は、口々に叫びだした。
「おい、俺たちもいこうぜ! あのお嬢ちゃんたちを見逃すわけにはいかねぇ!」
「そうだな、俺ぁいっぺんにファンになっちまった!」
「よぉし、みんなで応援してやろうぜ!」
小さくなっていく馬車を追いかけるように、観客たちは一斉に移動をはじめた。
リリーたちが街の西、メリーデイズ方面からの客を迎え入れる大門に作られた第二チェックポイントに着いたのは、それからしばらくしてからのことだった。
街の外に出るようなコースアウトはしなくなったが、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりして街中を破壊しつつ、ようやくたどり着いた。
「おおっとぉ!? ここで最下位の『パン食べたい』チームがやってきたぞぉ!! お嬢ちゃんたち、早くステージへ!」
観客席の側を横滑りしながら到着した一台の馬車、勢いあまって落車するリリーたちを発見した司会者ルサンドマンはステージ上から手招きする。
リリーたちは手を取り合って立ち上がり、ホコリまみれのまま息を切らしてステージを駆け上がった。
ステージ上では、次の競技に先行して取り組む他チームがいた。四チームとも揃っており、遅れはかなり取り戻せたようだ。
「ここでの競技は『利きパン』だ! まずはリーダー! 一緒に参加する仲間を指定してくれ!」
息を整える間もなく拡声棒を突きつけられたリリーは、肩を上下させながらも考え込む。
うぅーん、ここは……誰だろう……?
さっきのに比べると、だいぶパン食い競争っぽい競技みたいだけど……利き、ということは味覚の鋭さが重要なんだろう。
ということは、いろいろ食べてそうなイヴちゃんか、料理が得意なシロちゃんがいいだろうか。
イヴちゃんを選ぶと二種目連続になっちゃうから、ここは温存してシロちゃんかな……あ、シロちゃんは緊張しやすいから厳しいかもしれない。
今もステージに上がってるだけなのに燃え尽きたみたいになっているから、パンの味なんてろくにわからないかもしれない。
うーん、となると……。
そして少し考えた後、決断する。
「じゃあ、クロちゃんで!」
指名されたクロは勢いづくことも、戸惑うことせず、ステージに取り憑いた幽霊のようにゆらりと前に出て、リリーの横に並んだ。
日常生活を送っているような変わらない様子のクロに、リリーはまたしても驚嘆の溜息を漏らした。
朝、いつも歯を磨きに洗面所に向かうときの姿と同じだ。その時のクロちゃんは黒いローブの下にパジャマを身に着けてるんだけど、今もローブの下にパジャマを着てるんじゃないかと思うほどのリラックスムードだ。
大勢の前で選ばれ、これから競技に望むというのになぜこんなに落ち着いていられるのか不思議でしょうがない。
もしかしたらクロちゃんは利きパンのプロだったりするんだろうか。だったらいいな。
「よぉし、挑戦者が決まったところでルールの説明だ! これから箱に手を突っ込んで、中から取り出したパンを食べてもらい、その名前を言い当ててもらう! ひとり正解につき五ポイント、ふたりで十ポイント進呈だ! なお順位が低くなるほど当てるのが難しいパン、いわゆるマイナーなパンが箱の中に入っているぞ!」
フンフンと揃って頷くリリーとクロ。
「それと、順位による違いはまだある! 最大の違いはパンと一緒に入っているものだ! 一位は安全な動物、二位は少し噛み付く動物、三位はケガをする動物、四位は大ケガをする動物、最下位は命にかかわる動物……それらがパンと一緒に入っている!」
さらっととんでもないことを言われた気がしてリリーは「えっ?」となった。
「箱の中身は覆われていて、観客席からしか見ることができない! この競技に必要とされるのは鋭い味覚だけでなく、箱の中に手を入れることのできる勇気も問われる! ……覚悟はいいか!?」
途中で気になることを言われたのでリリーの覚悟はすっかり揺らいでいたが、話はどんどん進んでいく。
「『パン食べたい』チームが挑戦するのはこの箱だぁーっ!!」
リリーとクロの前に運ばれてきたふたつの箱、その観客席側にある仕切りだけが外され、観客にだけガラスごしの中身が開示された瞬間、かつてないほどのどよめきが起こった。
「お、おいおいおい、あれはヤバいんじゃねーか!?」
「あんなのに手ぇ突っ込んだら、確実に死ぬぞ!?」
「あんな小さな子たちになんてことさせるんだ!!」
「死んじまうぞー! やめとけーっ!!」
不安を煽るようなことを口々に言う観客。
どうせなら中身が何かを言ってくれればいいのに、とリリーは自分の高鳴る心音を聞きながら思った。
「うぎゃあーっ!? 手が、手がぁーっ!?」
隣の『パンドラゴン』チームの選手が絶叫とともに箱に入れていた手を、身悶えしながらなんとか引っこ抜いていた。
しかし手遅れだったらしく、ドワーフおばさんのごつごつした手は何か危険な生物に刺されたかのように真っ赤っ赤に腫れ上がっていた。まるでグローブみたいになっている。
……うそっ!? 四位の箱であんなになっちゃうの!?
四位であんな酷いことになるんだったら、私たちの箱に手を入れたらホントに死んじゃうんじゃ……!?
たて続けに脅かされてしまったせいで、リリーはすっかり畏縮していた。
その隣のクロは、まるで恐怖心を全てリリーに渡してしまったかのような無感情だった。
持っていた両手杖を箱に立てかけて置き、ローブの袖をまくって小枝のような腕を出したかと思うと、何の躊躇もなく箱の中に手を忍ばせる。
「えっ!? クロちゃんっ!?」
これにはリリーだけでなく、司会者も、観客も「ええっ!?」と息を呑んだ。
クロの細い指は箱の中を漂い、ツンと当たった動物をつるつると撫でたあと、底にあるパンを探り当てた。
パンの表面をしばらく指の腹でこすったあと、箱からするりと手を出した。
えっ、パン取らないの!? と観客は唖然としたが、クロは全てがわかったように頷くと、ゆっくりと挙手をした。
「え……? お嬢ちゃんひょっとして、中のパンが判ったのか?」
半信半疑な様子でルサンドマンが尋ねると、クロは「判った」とだけ返した。
「判った、って、お嬢ちゃん、パンを触っただけじゃないか! 食べなくてもいいのか!?」
「答えるのに食べるのは必要?」
ここで初めてクロは司会者のほうに眼球を動かし、視線を向けた。
ビスクドールのような瞳で見据えられ、たじろぐルサンドマン。
「い、いや、必要なのは種類を言い当てることだから、別に食べなくてもかまわないが……よしわかった! そこまで自信があるなら答えてもらおうか! さあっ、どうぞ!!」
サッとクロの口元に拡声棒をやるルサンドマン。薄い唇が吐息とともに動く。
「……パンはノーザンローフバイツエルミシェルブロート。動物はクイーンズティアラシルバースネーク」
呪文のような長い名前を答え終わったあと、クロは再び箱に手を突っ込み、取り出したパンをパクリとくわえた。答えるのに必要はなかったようだが、それとは別に食べたかったらしい。
うつむいて手元のカンペを見ていたルサンドマンは「嘘だろ……!?」とつぶやいたあと、
「なっ、なんとなんとなんとっ!! せっ………せ……正解だぁあああああーーーっ!!!」
街じゅうに響く裏声を轟かせた。
「ノーザンローフ・バイツエル・ミシェルブロートは北の大陸ヴァシースタヤに伝わる『幻のパン』とも呼ばれるライ麦パンで、今回、この競技のためだけに再現されたパンだ!!」
続けざまになされたパンの説明に、観客たちからブーイングが起こる。
「おい! そんなのわかるわけねーじゃねーか!」
「いつも最下位の問題は難しすぎるんだよ!」
「そんなパン、この街に住んでても聞いたことねーぞ!」
「……で、でもよ、あのお嬢ちゃんは当てたぜ!?」
「そうか……ずっとこの大会を見てきたけど、最下位の問題を当てたのを見たのは初めてだぜ」
「しかも食べずに、触っただけで当てちまったぞ!?」
「クールな顔してあっさり当てちまうだなんて、すげえぞ、お嬢ちゃん!!」
「毒蛇にも顔色ひとつ変えないだなんて、どういう度胸してんだ!?」
ブーイングはクロを賞賛する歓声へと変わる。
「ついでに蛇のほうも大正解だぜ! クイーンズ・ティアラ・シルバースネークはクリスタルパレスに生息する蛇で、丸くとぐろを巻いている姿が女王の冠のように見えるのが名前の由来だ! 美しい外見とは裏腹に、噛みつかれた者は即座に意識不明となり、そのあと五分で死に至るという超猛毒を持っている!!」
司会者の解説にリリーはもはや臆面もなく震え上がる。
「くっ、クロちゃん……命にかかわる動物がいるとわかってて、なんでそんなに躊躇なく箱に手を入れられたの……?」
リリーはすぐ隣りで棒立ちしている、黒いローブの裾を引っ張りながら尋ねる。
我ながら情けない声だなと思った。でもせめて何かコツが得られれば、と尋ねずにはおれなかった。
「そうだ、ヒーローインタビューだ! そのあたりのところ、是非聞かせてくれよ!」
割り込んできた司会者が、クロに再び拡声棒を突き付ける。
「……箱に入る大きさで、人命を奪える動物となると毒を持った動物以外に考えられない。小動物か昆虫ということになるが、どちらも刺激しなければ攻撃してくることはない」
冷静で簡潔な受け答えは観客の心を掴んだ。賞賛する歓声はついにクロコールへと変わった。
「おおっ! こいつぁマジでクールだ! マジでクールで、マジでクレイジーだ! ヤバい、ヤバ過ぎだぜ黒いお嬢ちゃん! ……こんなすげえヤツのリーダーは、もっとヤバイに違いないっ!!」
そしてそれは、リリーへの大きな期待へと変換される。
リリーは先の競技と同じ、最悪の状況でバトンを受け取ってしまった。
中が毒蛇だと知らされた箱に手を突っ込んで、パンを取らなくてはいけないのだ。
それだったらまだ、毒蛇がいることは知らずにおきたかった。知らなくてもモチロン嫌ではあったが、知ってしまったら最後、箱に手を入れる気になれるわけがない。
しかも……この大勢のコールの中ではギブアップもしづらい。
どうしていいかわらないリリーはひたすら立ちつくしていると、ステージの反対側の端で「クロワッサンだ!」と声がした。
見ると、第一位の『トップパン』チームが箱の中にあったクロワッサンとヒヨコを掲げて回答しているところだった。
それをリリーは羨ましそうに見つめる。
クロワッサンなら私でも触っただけで答えられるよ……それに中の動物がヒヨコだったらむしろ喜んで触っちゃうよ……!
「リリー、なにボーッとしてんのよ! さっさとやりなさいよ!!」
「やれやれーっリリーっ!!」「やれやれーっリリーちゃーんっ!!」
背後から、そして腰のあたりから、仲間たちに急かされる。シロだけは「あ、あの、あまり無理をなさらずに……」と気が気でない様子だったが、そのか細い声は歓声によってかき消され、届いていなかった。
「ううっ……こ、こうなったら……! ええーいっ! ……ま、ままよっ!!」
リリーはついに覚悟を決め、両目をきつく閉じたまま……箱の両側からズボッと手を突っ込んだ。
直後、トラばさみに挟まれたかのような感覚が指先を襲う。
「あいたっ!?」
咄嗟に箱から手を出すと、人差し指を飲み込まんばかりに食らいついた銀色の蛇と目があった。
次の瞬間、観客たちは盛大に泡を吹いてブッ倒れるリリーの姿を目の当たりにした。




