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リリーは綱引きするみたいに足を踏ん張って手綱を引き、ようやくポニーシープの方向転換に成功した。
結局、街の外を大きくUターンするような形でコースに戻り、大幅に遅れて街の南の住宅街、公園の中に作られた第一チェックポイントにたどり着いた。
待っていたのはわずかばかりの観客と、アシスタントのお姉さんだけだった。すでに他のチームは次のチェックポイントに向かったのか、すっかり終了ムードが漂っている。
「おおっ! ようやく最後のチーム『パン食べたい』チームが到着しました! すでにメイン司会者は第二チェックポイントに移動しておりますので、ここはアシスタントの私が実況させていただきます! さあ『パン食べたい』チームの皆さん、早くこちらへ!」
アシスタントのお姉さんに促されて、急いで馬車から飛び降り、ステージに駆け上がるリリーたち。
「……さて! この第一チェックポイントの競技は『バケットクラビング』です! あちらに見えます一本橋の上で、バケットクラブを使って殴り合いをしていただき、対戦相手を下に落とせばポイントとなります! ただし、相手に直接触れたりしてはいけません!」
お姉さんが手で示す先には建物の五階ほどの高さのある、やぐらがあった。
一番上には梁のような一本橋がかかっている。どうやらあの上で、「バケットクラブ」という細長いパンの形をしたクッションで殴り合いをして、敵を下に落とせばいいらしい。
しかし、一本橋の位置はかなり高い。落ちてもケガしないようにと下には網が張られているものの、あの高さでは上に立つだけでもかなりの度胸がいるだろう。
そのうえ落とし合いをしろだなんて……とリリーは下から見上げているだけで身震いしていた。
「さあっ、それではリーダー! 参加するメンバーを選んでください!」
震えるリリーにアシスタントのお姉さんは容赦なく拡声棒を突きつけてきたが、すかさずイヴが割り込んでくる。
「ちょっと待ちなさいよ! なによこれ、ぜんぜんパン食い競争じゃないじゃない! パン食い競争なんだったらパン食べさせなさいよ! なんでこんな成人の儀式みたいなことしなくちゃいけないのよ!」
イヴの抗議にリリーは大きく頷いた。お姉さんは一瞬黙ってしまったものの、台本にあること以外のアドリブに対応するだけの余裕はないのか、マニュアル的に話を進める。
「えーっと……ここはふたりとも成功させてポイントを稼いでおきたいところ! メンバー選択は重要ですよ! さあっ、誰にしますか!?」
「む、無視っ!?」
イヴは肩を怒らせたが、そんな彼女を見ていると不思議とリリーの心は落ち着いた。自分のかわりに抗議してくれたからだろうか。
リリーはイヴの背後から、肩の張りを取るように揉みつつ、頬をくっつけ合わせるようにして宣言する。
「えっと、じゃあ、イヴちゃんとやります!」
種目からしてミントちゃんがいいかな? と最初は考えたのだが、殴り合いの要素があるならパワーのあるイヴちゃんだろう、とリリーは判断した。
「わかりました、そちらのおふたりですね! では次は対戦相手の紹介ですっ! いでよ、最強ファイター!!」
ステージの隅に並んだカーテンボックスのうち、まだ開かれていない「最下位」とプレートの掲げられたボックスのカーテンが開き、中から筋肉の塊みたいな男がのそっと姿を現す。
「最下位の『パン食べたい』チームの対戦相手は……マッスルマンさんで
すっ! 重量挙げでは二百キロの記録を誇り、バケットクラビングでもいまだ無敗の最強ファイターですっ!!」
紹介を受け、短い金髪に濃い顔、レスリングユニフォームのマッスルマンは逆三角形の身体を誇示するポージングで、剥き出しにした白い歯をキラリと光らせた。
とんでもない相手の登場にリリーは思わず「うわぁ……」と声に出していた。
ちなみに二位から四位までのカーテンボックスは、すでに対戦を終えて休憩にでも入っているのかカラッポだった。一位のカーテンボックスにはカカシがポツンと置かれている。
このパン食い競走のチェックポイントにある競技は、遅くなるほど難易度が上がるらしいが、一位と最下位の難易度差はひどすぎるとリリーは思った。
ひたすらしょっぱい顔をするリリーの鼻先に、イヴの裏拳が飛んでくる。
「ふぎゃっ!?」
リリーは目の前が爆発したみたいな衝撃に襲われ、たまらず鼻を押さえて後ずさった。
「いつまでくっついてんのよ! ボサッとしてないで、さっさとやるわよ! まずはアタシからいくわ! いいわね、リリー!?」
イヴはすでにやる気満々だったので、リリーは片手で鼻を押さえたまま「どうぞどうぞ」と譲るような仕草をした。
係員がやって来て、バケットクラブをイヴに手渡す。バスケットクラブは抱きまくらみたいなクッションで、バケットパンのような柄になっている。
イヴはバケットクラブを受け取るなりボスボスと殴りつけて、これから使うエモノの硬さを確かめはじめた。
「……一応確認しとくけど、このクッションごしであればいくら殴ってもいいのよね?」
イヴは殴る手を休めずにアシスタントに尋ねる。
「その通り! バケットクラブごしであればいくら殴ってもかまいません! そのかわり相手からも殴られるということを忘れないでくださいね!」
「見てなさい、アタシは一発も殴らせないわよ」
恐ろしいほど自信満々のイヴに、リリーは思わず感嘆の溜息を漏らした。
初めてやる競技だろうに、どうやったらこんなに豪胆でいられるのか不思議でしょうがなかった。
「やっちまえ、イヴーっ!」
腰からいきなり大声がしたのでリリーはビクッとなってしまった。クルミだ。
リリーも思い出したように声を張り上げる。仲間たちもそれに続いた。
「がんばって、イヴちゃーん!」
「イヴちゃんがんば~!」
「ご、ご無理はなさらずに……!」
「ふぁいと」
イヴは仲間たちの声援を一瞥しつつ、愛用の大剣と同じくバケットクラブを背中に携えた後、ステージの端から伸びている一本橋への梯子を登りはじめた。
木組みの頂上にある、人ひとりが立てるくらいの木の橋にはすでにマッスルマンが腕組みして待ち構えていた。
その反対側に登りついたイヴは、いつもの仁王立ちのポーズを決めて対面にいる大男を睨みつける。
対峙するふたりの遥か下方では「では、対戦開始っ!」とアナウンスが響き渡っていた。
流れ星に祈りを捧げるように、固唾を呑んで見守るリリーたち。観客たちは誰もがわかりきった勝負だと思っているのか、見上げようともしない。
最初に動いたのはマッスルマンだった。橋をわずかにしならせながら、ちょうど真ん中あたりまでゆっくりと歩み寄る。
そして余裕しゃくしゃくの態度でイヴを見下ろしながら、迎え入れるように両手を広げた。
「ハーッハッハッハー! こいつぁかわいいお嬢ちゃんだ。よし、特別サービスだ。最初の一発は何もせずに受けてやるから、どっからでも打ち込んでくるがいい」
「あらそう? じゃあそうさせてもらうわ」
イヴは遠慮する様子もなく橋の上をずんずん進んでマッスルマンにぶつかるくらいまで近寄る。
半笑いで見下ろす男と、不敵に笑う少女……ふたりの身長差はおよそ五十センチ……まさしく大人と子供だった。
しかし、今のイヴにとってはそれが好都合だった。
「そのニヤケ口、閉じてないと舌噛むわよ」
そう言うなり、ツインテールを残すような勢いで屈みこんで、
「はんなりゃあああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」
闘気術とともにクッションごしのカエルとびアッパーを放った。
「んぐはぁっ!?」
渾身の力であごを突き上げられ、衝撃でガコンと上を向かされ天を仰ぐマッスルマン。
危うくのけぞり倒れてしまうところだったが後ずさりしてなんとか立て直す。
「ぐっ……ぐうっ……お、お嬢ちゃんのくせにいいパンチ……」
マッスルマンは全然効いてない素振りをしようとしたが、できなかった。
「あ、あらっ? あ、足が……あららっ?」
泥酔したような千鳥足でふらついた後、そのまま足を踏み外し、キツネにつままれた表情のまま橋の下へと落ちていった。
下から見ていたリリーたちとアシスタントと、そして偶然目にした観客たちは、一瞬何が起こったのかわからずしんとなっていたが、誰からともなく驚愕の声をあげ、それはすぐに大歓声へと変わった。
「……フン、だから言ったでしょ? アタシは一発も殴らせないって」
網にひっかかった大男と、バンザイするリリーたち、大騒ぎする観客を見下ろしながら、イヴはバケットクラブをポイと投げ捨てた。
「おおおおーーーっと!! これはすごいぞぉーっ!! いまだかつて誰にも落とされなかったマッスルマンが……常勝無敗の最強ファイターが……小さな少女によって、ついに倒されてしまったぁーっ!!!!」
イヴは歓声に手を挙げて応えたあと、梯子を降りた。
地上に降りてくるなりリリーとアシスタントが同時にイヴに詰め寄る。
「すごいすごいイヴちゃん! あんな大きな男の人を一発でやっつけちゃうなんて! 一体なにをやったの!?」
「クッションをグローブに見立てて、クッションごしに顎を殴ってやったの。顎があがって頭が揺れると、まともに立ってられなくなるのよ」
「え……それってアリなんでしょうか?」
アシスタントのお姉さんが口を挟んでくる。リリーも味方ながらに疑問に感じてしまったので、お姉さんと顔を見合わせてしまった。
ルールを聞いた感じだとバケットクラブを振り回して殴る競技のようだが、イヴのやり方だとほとんど直接攻撃だ。
「ちょ、ちょっと待っててくださいね、事務局にルールの確認を……」
「なによ! バケットクラブごしならいくら殴ってもいいって言ったのはアンタじゃないの!」
「そ、そうだそうだ! 相手に触れなければいいって言ってたから、アリだ!」
抗議するイヴにリリーも加勢する。つい疑問に思ってしまったが、ここは勢いで押し通して認めてもらうしかないと声を大にする。そして観客も味方についてくれた。
「何言ってんだ! 全然アリだろ! この勝負、お嬢ちゃんの勝ちだ!」
「そうだそうだ! あのマッスルマンがやられるところを初めて見れて、俺ぁスッキリしたぜ!」
「なんか、他のやつらのバケットクラビングよりずっと面白かったなぁ!」
「おうよ! 俺はお嬢ちゃんたちを応援したくなっちまったぜ!」
最初は数えるほどしかいなかった観客たちはいつのまにか大勢になっており、揃ってイヴコールをあげていた。イヴは再び両手を挙げて観客たちにアピールする。
観客の手前もあったのか、パン食い競争事務局はイヴの行為をオンルールとし、勝利を正式に認めてくれた。
「『パン食べたい』チーム、五ポイントゲットですっ! さて、気を取り直して次の勝負にまいりましょう! 二人目の挑戦者も見事勝利してパーフェクトをおさめることができるのかっ!?」
アナウンスの後、いよいよリリーの番になった。観客たちは興奮冷めやらぬ様子で、次の対戦に注目している。
イヴちゃんの活躍でだいぶハードルが上がっちゃったよ……これなら最初にやっとけばよかった……とリリーはしきりに後悔しながら、死刑台に向かう囚人のような心境で梯子を登っていた。
待ち構えていたマッスルマンは負けてプライドがズタズタになってしまったのか、先程の余裕は微塵もなく、最初から全力で襲いかかってきた。
村人に襲いかかる蛮族のような雄叫びをあげた大男は、ミノタウロスの斧のようにバケットクラブを振り回してリリーの胴をジャストミートした。
リリーは身体をくの字に曲げて、風にあおられた花びらのように飛ばされる。
「ぐへえっ!? わ……私にはサービスなしっ!?」
開始後わずか数秒、リリーは谷から突き落とされる子ライオンのような表情で、橋から落ちていった。




