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結局リリーたちは「リンレンラン」でひと晩厄介になった。
次の日、少し寂しそうに見送ってくれるハーシエルに何度もお礼を言って、リリーたちは街へ出た。
アルトスはパンの街だけあって目覚めるのも早く、祭り二日目の大通りは早朝だというのにますます賑やかで、どの店も競い合うようにパンを実演販売していた。
各店の一押しパンの着ぐるみが配るチラシを遠慮しつつ、リリーは肩を落としながら歩いていた。
差し出されるチラシをイヴは手で遮って断り、しつこいのはうっとおしそうに払いのける。
クロはチラシを受け取らなかったものの、内容を頭に刷り込むように凝視しながら通り過ぎる。
ミントは幼いのでチラシを渡す者はおらず、シロはいちいち頭を下げながら両手で受け取っていた。
「うう……もっとハーシエルさんのとこに居たかったなぁ……」
先頭のリリーが未練たっぷりな様子でこぼすと、隣にいたイヴが面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「なにようイヴちゃん、イヴちゃんは居たくなかったの?」
「なに言ってんのアンタ、いくらアタシたちが無一文だからって、ずっと寄生するわけにはいかないでしょ」
「寄生って、ひどいイヴちゃん。人をノミみたいに」
「店をたたむって言ってる所に居座るなんて、身内なら穀潰しだけど、赤の他人ならただの害虫よ」
「うう~っ、そっかぁ、やっぱり迷惑だったのかなぁ……」
財布を落とした人みたいに、足元を見つめたままさらに落ち込むリリー。
旅する前に立てた目標「大人を頼りにしない」はすっかり忘れてしまったかのようだが、みんなでパンを焼いた昨日の夜は、彼女にとってはよほど楽しかったらしい。
みんなでパンを作るのがこんなに楽しいものだったのかと終始、狭い犬小屋からドッグランに来た犬のようにハイテンションだった。
目標のほうも昨晩の時点で修正され、「大人を頼りにはしないけど、向こうから申し出があった場合は別」となっていた。
ハーシエルの所にもっと厄介になりたかったのはイヴも同じだったが、大人だったので賛同することはせず、溜息で押し殺す。
「はぁ……もう、いまさらグチグチ言ってんじゃないわよ。そんなことよりも、これからどうするつもりよ? ここでの依頼は何なの?」
厳しい口調でイヴから尋ねられたリリーはリュックから依頼書を取り出そうとしたが、その前に横からにゅっと紙切れを持った手が伸びてきた。
「ねーねー! これやりたーい!」
おねだり口調でミントが差し出してきたのは、街で配られているチラシだった。
立てたポニーテールの先を小刻みに揺らすミントを中心に据え、皆はチラシを覗き込む。
それはイベントの参加案内だった。
『アルトス秋のパン祭り パン食い競争参加者募集!』
秋のパン祭りのメインイベント「パン食い競争」の参加者募集
今年の優勝賞品は過去最高額となる「本物のダイヤモンドパン」です
参加は五人一組のチームとなります、参加を希望される方はメインストリート南口にある事務局にお越しください
参加費は無料ですが、応募チーム多数の場合は事務局のほうで選ばせていただきます
参加要項の文の下には、キラキラマークがいっぱいついた延べ棒状のパンの絵が描かれている。おそらく優勝賞品のダイヤモンドパンのイメージイラストだろう。
「……本物のダイヤモンドパンってなによ? ダイヤモンドパンが何かは知らないけど、本物とか偽物とかあんの?」
ミントの正面から覗き込んでいたイヴは、先の村で依頼書の文言により酷い目にあっていたのを思い出し、警戒した様子で文章を舐めるようにチェックしたあと疑問を口にした。
ミントの側面にいたクロはチラシの内容をすでに記憶しているのか、ポニーテールの先に視線を固定したまま反応する。
「ダイヤモンドパンは、この地方で生まれた非常食用に開発された日持ちするパンのこと。『本物の』というのは鉱物のダイヤモンドを使って作られたダイヤモンドパンのことと思われる」
「なるほど……だからミントちゃんが参加したがってるのか」
ミントの背後で小さな肩をだいていたリリーは、ポニーテールの先っちょで顎をコチョコチョされながら頷いた。
光りモノが大好きなミントはダイヤモンドが欲しいのだろう、と納得する。
「ふん、パン食い競争ってことはパンが食べられるってことよね? そのうえダイヤモンドまでもらえるなら言うことナシじゃない」
目を皿にしていたイヴはようやくチラシから顔をあげ、もう優勝したような口ぶりで頷いた。
リリーは反対するつもりはなかったのだが、イヴが即決断しそうな勢いだったので少し面食らう。
「えっ、参加するの? 依頼のほうはどうしよう?」
「その依頼ってのは何よ?」
「えーっとね……パン屋さんの厨房に出るゴキ」
「パン食い競争にしましょう」
依頼書を読み上げるリリーの言葉は途中でぴしゃりと遮られてしまった。
その足でリリーたちはメインストリートの南にあるパン食い競争事務局に向かった。
参加手続きをするつもりだったのだが、同じく参加希望者であろう人たちで受付の机には行列ができていた。
しょうがないのでしばらく並んだのだが、列には筋肉ムキムキの大人しかおらず、リリーはなんだか変な居心地の悪さを感じていた。シロが怖がっていたので自然な手つきで抱き寄せる。
ああ、シロちゃん震えてる。私もブルブルしたら落ち着くかな……それにしても『パン食い競争』なんて名前だったから、もっとアットホームな、お祭りならではの和気あいあいとした競技かと思ってたのに……賞品のせいかトレジャーハンターみたいな鋭い眼光の人ばっかりだ。こんな人たちを相手にしたら、私たちがパンみたいに食べられちゃうんじゃないだろうか……。
あ、でももしかしたら、手続きの段階で参加資格が足りないとか言われて追い返されちゃうかも……。
リリーが期待した通り、受付してくれたおじさんも「アンタらみたいな子供にできるのかい?」と心配してくれた。
しかしイヴが「アタシたちを誰だと思ってんの!?」とやって強引に参加受付を受理させてしまった。
リリーは「まぁ、これだけ凄そうな人たちばっかりだから、参加者を選ぶところで落選するか」と楽観していたのだが、彼女たちのような参加者は珍しいらしく、それが事務局の目に止まって参加者として抜擢されてしまった。
選抜後はさっそく開会式があるらしく、選ばれたチームはメインストリートの中央にある広場に移動するよう指示された。
イヴはモンスターを前にしたような鋭い顔つきになって、「さぁて、ダイヤモンドをいただきにいくわよ!」と掌に拳をバンバン打ちつけながら、先陣切って中央広場に向かっていった。
突っ込んでいく姫騎士に遅れをとらなかったのはミントだけで、リリーとシロは暗い森に迷い込んだ姉妹みたいに不安そうについていった。その後を尾行する魔女のように、音もなくクロが続く。
中央広場にはクロワッサンを模した三日月状の大きなステージがあって、すでに大勢の観客が開会を今か今かと待ち構えていた。
短髪カール頭にサンドイッチ柄のタキシードを着た司会者らしき若者がステージに現れると、観客は熱湯が噴出したような滾る歓声をあげた。その熱気はメインストリート上にいた人々にも洪水のように広がっていき、街の至る所で蒸気のようなホットな声が沸き起こる。
『お待ちかねの、ルサンドマンが来てやったぜ! さぁさぁさぁさぁ、このパン祭りのメインイベントのパン食い競争が始まるぞ!!』
司会のルサンドマンと名乗る男の声は、不思議なことに街のどこにいても聞こえた。
リリーとミントとシロは鯉みたいに口を開けてポカンとする。ルサンドマンはたしかに前にいるのに、声は全方位から聞こえたので、耳がおかしくなったのかとあたりを見回した。
「拡声装置よ」としたり顔のイヴが教えてくれる。
「魔法設備のひとつよ。あの男が持ってる棒から声を拾って、別のところから出すことができるの。こういう大規模な催し物とか、緊急時の伝達に使われるの」
へえぇ、とリリーは感心するよう声を漏らした。
「そんな凄いものがあるだなんて知らなかった……クロちゃん知ってた?」
イヴと同じくクロも動じた様子がなかったので話を振ってみると、クロは乾いた水のみ鳥みたいに小さく頷く。
「昨日リリーが使っていた幻聴の魔法を応用した技術」
しかも補足までしてくれた。
リリーは拡声装置と言われてもピンとこなかったが、あれが幻聴の魔法だと教えられてなんとなく理解できた。
「さっそくだが、参加チームの紹介といくぜ! 呼ばれたチームはステージにあがってくれよな! まず最初は昨年度の優勝チームで、この街で最大シェアを誇るパン店『トップパン』チームだ!!」
司会者の声を受け、最前列で待機していた丸太みたいな腕をした男女が前に出て、ぞろぞろと壇上にあがった。パン屋というよりは木こりみたいな体格をしている。
「次のチームは昨年惜しくも準優勝だった有名パン店『パンドラゴン』チームだ!!」
髭をたくわえたドワーフのおじさんとおばさんのチームだった。こちらもパン屋というよりは鍛冶屋みたいなむくつけき外見だ。
「どんどんいくぜ! 次は黒パンで一世を風靡し、最近めきめきシェアを伸ばしている新進気鋭のパン店『ブラックパンサー』チームだ!!」
鍛え上げられた褐色の肌を露出の高い服装で惜しげもなく晒す、まさに黒豹の群れのようなチームだ。
「そして鋭いバケットがウリの老舗パン店『ブレイドブレッド』チームだ! ここのパンでモンスター撃退したという逸話がいくつもある伝説のパン店だぞ!!」
坊主頭に細マッチョの身体を、刺青とボディピアスで彩った、猛禽類みたいな怖い目つきの男女だった。なぜかチェーンを振り回し、パン屋どころかまともな職業なのかすら怪しい風体だつた。
それまでリリーは黙って見ていたが、さすがに異論を唱えられずにはいられなかった。
……あの人たちは本当にパン屋さんなの!? それに扱ってるのも本当はパンじゃないんじゃないの!? と心の中で激しく突っ込むが、よくよく考えたら全部パン屋さんからのチームじゃないか……と改めて気づく。
「最後は『パン食べたい』チームだ! この大会でも珍しい、無所属のチームだ! さあっ、ステージの上へ!!」
リリーが参加用紙を書いたときにチーム名の欄があったのだが、何も考えていなかったリリーはその時の欲望を書いた。が、まさかこんな所で使われるとは……と唇を噛んだ。
「し、しまった……! こんなとこで読み上げられるんだったらチーム名、ちゃんと考えればよかった……! ど、どうしようイヴちゃん!?」
「いまさら後悔しても遅いわよ! それよりも田舎者だと思われるとイヤだから、ステージの上であんまりキョロキョロすんじゃないわよ!」
釘を刺されたあと、イヴから連行されるようにしてリリーたちはステージに向かった。
リリーはこんな大勢の前で紹介されるとは思ってもみなかったので少し緊張していた。ミントは楽しそうに、クロは特に変化ナシ。
そしてシロは「ああああああああそこにあがるんですかっ?」と固まっていた。
「そうよ、アンタは別に立ってるだけでいいからさっさと来なさい」とイヴによって引きずられる。
他のチームよりふたまわり以上小さいリリーたちが壇上に上がると、大きな笑いと歓声が沸き起こった。




