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リリーファンタジー  作者: 佐藤謙羊
聖剣ぶらり旅
186/315

16

「わあ、ありがとうおばあちゃん!」


 老婆から差し出されたパンに、何の警戒もなく噛み付くミント。しかも餌付けされる動物のように受け取らずに直接手から食べている。

 リリーは止めようとしたが、もう遅かった。


「あっ、ミントちゃん!? すいません、私たちお金がなくて……」


 老婆に駆け寄って慌てて頭を下げる。


 パンをくれたのは初老くらいの女性だった。

 まとめ髪にした銀髪の上から三角巾を被っており、白いコックコートの上から花柄のエプロンを着けている。パン職人のような出で立ちで、地味ながらも清潔さにあふれた身なりだった。

 リリーたちがお金を持っていないことがわかっても、怒るどころか育ちの良さを伺わせるやさしい微笑みを返してくれる。


「ああ、お金はいりませんよ。あなたたちも良かったらお食べなさいな」


 おばあさんはミントが食べ続けているパンを持ったまま、空いたほうの手でバスケットからパンをもうひとつ取り出し、リリーに差し出す。

 それはただのコッペパンだったが、昼にカエルチョコレートを食べただけのリリーにとっては何よりもごちそうに見えた。


「ううっ……で、でもっ!」


「お腹すいてるんだろう? こんなものだけど、遠慮せずにおあがりよ」


 リリーはつい「いただきます」と即答しそうになったが、旅立ち前に「大人を頼りにしない」という目標を破ることになると思い直し、「結構です」と淑女的に断わる。しかしその言葉は腹の虫の音によって完全にかき消されてしまった。


「やっぱりいただきますっ! お……おいしい!? このコッペパンっ!」


 リリーは受け取ったパンを口に入れた瞬間、驚きの声をあげた。そのくらい美味しいパンだった。


 リリーたちが普段暮らしている学院寮の食堂ではいくつかの主食が提供されているが、リリーはいつもごはんかパンを気分に応じて選んでいた。

 寮のパンは主にコッペパンか食パンで、食堂のおばちゃんが毎朝焼いてくれているであろうそれは店で売っているものよりも美味しく、リリーだけでなく学院の女生徒たちからも好評だった。


 しかし……このパンはそれを上回る逸品だった。皮は薄くてパリパリで、割ると糸を引くように生地がちぎれながら、ふんわりと湯気をたてる。

 ひと口食べると、クリスピーな皮と柔らかい生地のハーモニーが楽しい歯ごたえで、噛みしめると麦畑を起想させる風味と旨味が口内を満たし、香ばしさが鼻をぬけていく。

 食べている最中だというのにさらに口に詰め込みたくなるような、まさに味の虜になってしまうようなパンだった。


「ほら、あなたたちもおあがりよ」


 とおばあさんは他の仲間にもパンを渡した。


 勧められてシロは遠慮がちに、クロは当たり前のようにパンを受け取る。

 イヴだけは「そんな物乞いみたいなマネやめなさいよ」と不快感を露わにしていたが美味しそうにパンを頬張る仲間たちを見てガマンできなくなったのか、さりげなくパンを手にしていた。


 おばあさんはハーシエルと名乗り、この近くでパン屋をやっていると教えてくれた。

 彼女はリリーたちの食べっぷりが嬉しかったのか、バスケットのパンを全部食べさせてくれた。そのうえ「もっと食べさせてあげるよ」とリリーたちを店まで招待してくれた。

 リリーはこれ以上施しを受けるわけにはいかないと断ろうかと思ったが、なんだか食い逃げするみたいな気もしたので、ハーシエルの言葉に甘えることにした。


 ハーシエルの営むパン屋は大通りのはずれにあり、「リンレンラン」という木看板を掲げたひっそりとした店だった。

 店内のショーウインドウには子狐みたいなコッペパンがちょこんとあるだけで、大通りのパン屋に比べるとかなり質素であった。客の姿はどこにもなく、また他の店員の姿もないためハーシエルがいないと開店しているかどうかもわからないほど寒々としている。


 祭りの喧騒が漏れ聞こえる薄暗い飲食スペースで、ハーシエルはカゴいっぱいのコッペパンをリリーたちに振る舞ってくれた。

 バターやジャムも一緒に出してくれたが、このコッペパンは何も付けずに食べるのが一番美味しく、リリーたちはそのままのコッペパンを黙々と口に運ぶ。

 それだけお腹が空いていたのだが、まるでカニでも食べているかのように黙り込むリリーたちにハーシエルは顔をほころばせた。


「ふふ、ますます娘たちを思い出すねぇ」


「むふめさんがいるんれすか?」


 リリーは「娘さんがいるんですか?」と言ったのだが食べながらだったので変な発音になってしまった。でもハーシエルには通じたようで、


「ええ、三つ子なんだけど、今は冒険者になっていてね……あなたたちよりは年上だけど、仲が良さそうな姿がなんだか似ていたから、それで思わず声をかけてしまったの」


 遠くを見るような目で教えてくれた。


「賑やかな子たちなんだけど、私が焼いたパンを食べるときだけは大人しくなってねぇ……。あの子たちがいつ帰ってきてもおいしいパンを食べられるようにと、ここに店を開いたのさ。まぁ、このパン祭りが終わったら店じまいするつもりだけどね」


「ふぇっ!? なんれれすか!?」


「この街には、派手に作って出来上がりも見た目がよくて、その上おいしいパン屋がいっぱいあるんだ。こんなおばあちゃんが作る地味で普通のパンは誰も買ってくれなくてねぇ」


「こんなに美味しいのに……!?」


 確かに大通りには大きなパン屋がたくさんあって、派手なパフォーマンスとともに作られた、宝石みたいにキラキラしているパンが並んでいる。それに比べてこのコッペパンは何の特徴もない、どこででも手に入りそうな普通のパンだった。

 しかしリリーは、今まで食べてきたどのパンよりも美味しいと思った。


 ふと街中に鐘の音が鳴り渡り、何かを思い出したようにハーシエルは椅子を立つ。


「もうこんな時間か……。さぁて、明日のパンの仕込みをしなきゃね」


 「あ、あのっ!」と振り絞ったような声とともにシロも立ち上がる。


「あの……その、あの……え、えっと、わ、(わたくし)にお手伝いをさせていただけませんか?」


 シロはしどろもどろになりながら、ハーシエルに懇願するような視線を向けた。

 知り合ったばかりの人にお願いするのはシロにとっては勇気のいることで、緊張のあまり声が裏返っていた。そんなシロに、リリーはいつもしているように助け舟を出す。


「あっ、ハーシエルさん、シロちゃんは料理を作るのが好きなんです。私からも是非おねがいしま……ってシロちゃん、パン作れるの?」


 途中で大事なことに気づき話の矛先をシロに向けると、


「は、はい。寮でもお手伝いさせていただいて、朝食のパンを作らせていただいております。ですので、お手伝いできると思います」


 まるで面接を受けているような丁寧に答えを返してきた。


「あっ、そうだったんだ……」


 いつも寮で食べていたパンはシロちゃんが作ったやつだったのか……とリリーは虚を衝かれたような声をあげる。


「じゃあ手伝ってくれると助かるよ、こっちへおいで」


「は、はひ! よろしくお願いいたします!」


 ハーシエルから手招きされて、まるで弟子入りを認められたかのように頭を深々と下げるシロ。

 リュックから取り出したエプロンをいそいそと付けながら、師匠の後について店の奥に引っ込んでいった。

 リリーはその背中を見送りながら、修学旅行にまでエプロンを持ってくるのってシロちゃんくらいだよなぁ……などと考えていたが、すぐにボンヤリしている場合じゃないと思い直して立ち上がる。


「あ、待って! 私も手伝う!」


 リリーが続くと、「ミントもー!」と追いかけてきた。少し遅れてクロ、仕方なくといった様子でイヴも加わった。


「おやおや、みんなして手伝ってくれるのかい? これだけ人手があるなら生地から作ろうかねぇ。粉を用意するからこねるのを手伝ってくれるかい?」


 ハーシエルの指示のもと、厨房にある大理石でできたコネ台の前に整列するリリーたち。

 その対面についたハーシエルは、大きな木のボウルに何種類かの粉を入れて混ぜ合わせたあと、ポットのお湯を加えて生地を作り出す。

 シワはあるもののまだ張りの残る手でかきまぜたあと、できあがった生地を待ち構えているリリーたちに分けた。


 自分の分の生地を手にしたハーシエルは、お手本がわりにこねてみせた。


「これを、こうやって、手で押さえるようにして伸ばすんだ」


 経験者であるシロは手際よく、リリーとイヴはふたりの手つきを観察して見よう見まねで、ミントとクロは粘土遊びのようにこねはじめる。

 シロは自分の生地をこねながらも、ハーシエルの手つきが気になるようで時折チラチラと観察していた。


「ふふ、シロちゃん、そんなに見なくても、特別なことはなにもしてないよ。あなたのこね方と同じだよ」


 見ていることがバレてシロは恥ずかしそうに頭を垂れた。


「すっ、すみません! はっ、ハーシエルさんから頂いたパンがとっても美味しかったので、なにかコツがあるのかと思いまして……」


「コツ? 技術はとくにないねぇ。普通にこねて発酵させて焼くだけだね」


 ハーシエルは本当になんでもない事のように答えたが、イヴは納得いかなかったのか口を挟んできた。


「でも、それだけであそこまで美味しいパンはできないでしょう? なにかあるんじゃないの?」


「うぅ~ん……そうだねぇ、強いて言えば、パンを美味しくする歌を唄っているくらいかねぇ」


 それにはリリーが食いついてくる。


「パンを美味しくする歌?」


「ええ。私の母から教わった歌でね、食べる人の笑顔を想像しながら唄って生地をこねると美味しくなるって……母の手伝いをして一緒に歌ってるうちにクセになって、今でも歌っちゃうの」


 ハーシエルはごく自然に、その歌を口ずさみはじめた。


 ♪いっぱいこねこね ふとったねこさん

 ♪ふわふわしたら ひつじさん

 ♪まるめてまるめて うさぎさん

 ♪おつきになったら おやすみよ

 ♪あさになったら にわとりさん

 ♪こんがりあがった きつねさん

 ♪ちょっとこげめの らいおんさん

 ♪みんなにっこり おいしいね


 それは童謡のようだったがなんだか不思議な歌だった。でも耳にしているうちに楽しくなって、リリーたちも一緒に歌いながら生地をこねた。

 「みんなにっこり」の所でリリーは仲間たちの笑顔を思い浮かべた。


 こうしてこねたパンが、先程ハーシエルのパンを食べていた時のように、イヴを、ミントを、シロを、クロを、みんなを笑顔に……爆笑の渦に巻き込めたらいいな、と思いながらこね続けた。

 でも正直なところ、クロの爆笑は想像しづらかった。記憶の中のクロは、難しすぎる間違い探しかと思うほど同じ表情だったので、その内でも最も爆笑に近いであろうものを思い浮かべた。


 パン屋「リンレンラン」はいつもは静かなのだが、この日ばかりは賑やかな歌声が夜遅くまで響いていた。

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