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「み……ミントちゃんっ!」
リリーの叫び、疾駆するミント、弾け飛ぶ黄金のカエル……それらはすべて同時に起こった。
続けざまに射られた矢のように沼に放たれていくカエルとミント。
水面が水切り石が通ったように弾け、一人と一匹の後を追う。
今回の旅行でゼン女の生徒たちからも定評を受けたミントの俊足。
百メートルを七秒で走るという人間離れした脚力に逃れられる者はいない……リリーはそう考えていたのだが、期待はすぐに裏切られた。
「あ……あのミントちゃんが全然追いつけないなんて……!?」
先行する黄金のカエルとミントの距離は一向に縮まる様子はない。
ミントはさらなる加速のため地を蹴って前に飛ぼうとしたが、足に力を込めた瞬間ズボッと深く嵌って足をとられ、水上を滑るようなヘッドスライディングをかましていた。
それでもミントはあきらめず、体勢をたてなおし再び追いすがろうとするが、だいぶ距離を離されてしまった。
リリーは眼前で繰り広げられる高速チェイスについ見とれてしまっていたが、
「みんな! ボーッとしてないで、挟み撃ちにするわよ!」
イヴの号令で自分を取り戻した。
たしかに五人がかりでならなんとかなるかも……とリリーはミントに加勢すべく、あがったばかりの漁場に再び足を突っ込む。
金色のカエルは銃弾のようなスピードを維持しており、最速かと思っていた赤いカエルよりも桁違いに速かった。
さすが百万のカエルだけあってレアなだけでなく捕まえるのも難しいようだ。
きらめく身体は目にも留まらぬ速さで移動しているためフェアリーテイルのような金色の尾を引いていた。
ユニコーンやペガサスと並ぶ、まさしく神話の生き物のような神々しさだった。
リリーは光の帯を目で追いながら逃げる軌道を予測し、先回りしてみる。
黄金の塊がちょうど横を通り過ぎようとしていたので飛びついてみたが、全くタイミングが合っておらずひとり泥の中にダイブするような形になってしまった。
「遊んでんじゃないわよリリーっ!」
「うぅーっ、遊んでるわけじゃないよぉ!」
イヴから怒鳴られて、リリーは泥パックのような顔をあげて反論した。
五人がかりでも黄金のカエルには触れることすらできなかった。
むしろ逆にミントの進路を邪魔してしまうこともあり、リリーたちは勢いあまって胸に飛び込んでくるミントを何度も抱きとめた。リリーやイヴなどは小さな身体にタックルされても踏みとどまっていたが、シロやクロなどは勢いに負けて押し倒されていた。
そしてそんな体当たりを幾度となく決めていたチームのエースは、
「ふわぁ~……もうはしれないよぉ~」
と、ついに限界を迎え、押し倒したシロに抱きついたまま立ち上がれなくなってしまった。
ミントはネコ科の動物に近い性質があり、瞬発力は優れているのだが持久力はほとんど持っていない。
うまくいけば一瞬で勝利をかっさらえるが、長引いてしまうと不利になる短期決着タイプ。なのでギブアップも誰よりも早かった。
黄金色の両生類は、唯一自分を追い立てていた人類が脱落したのを確認すると、沼じゅうに響き渡る大声量で勝利の雄叫びをゲコゲコとあげはじめた。
そんな油断しきった獲物に対し、残った仲間たちは四方からそ~っと近づいて、一斉に飛びかかってみたがお互いがゴチンと頭をぶつけただけで終わった。
ミントを欠いた捕獲チームはもはや烏合の衆。それでもリリーたちは動く百万をあきらめきれず、疲れた身体に鞭打って幻のように捕まらないそれを追いかけ続けた。
……それからさらに数分後、リリーたちは全員泥沼の上で絶望しきったようにガックリとヒザをついていた。
結局、標的のカエルには指先すら触れることはかなわず、全滅させられてしまったのだ。
リリーは荒い息を整えながら、鳴き声に合わせてホタルのように光を放つカエルを眺めていた。
疲れ切っていたので思考がまとまらず、彼はきっと井の中の蛙であっても大海を知り尽くしているんだろう……とわりとどうでもいいことを考えていた。
しかし、気になることもあった。
あれだけ速いのであれば、人間の手に届かないところに逃げおおせるのは簡単なはずなのに、リリーたちが漁場にしていた沼一帯をグルグル回っているばかりで、今もその場から離れようとしない。
それについて、ありえる答えとしては……。
何か守りたいものが別にあって、そこに近づけないためにオトリになっている……例えば親鳥が外敵を巣から遠ざけるためにケガしたフリをするような……いわゆる「擬傷」というやつだ。
もしかして、黄金のカエルの子供がどこかにいるのかな……?
などと想像していると、黄金のカエルは高く跳ねてイヴの頭の上に乗った。
いきなり捕まえてくださいとばかりに手の届く距離に来たのでイヴはびっくりしていたが、千載一遇のチャンスに慎重に頭の上に手を伸ばす。
そっと近づけた両手を、すばやく動かして頭上で取り押さえようとしたが、寸前のところでカエルは飛び去り、逃げるついでに後脚で跳ね上げた泥をイヴの顔に浴びせていた。
「……くっ! アイツ、アタシたちには捕まらないと思ってからかってるんだわ……!」
悔しそうなイヴは振り上げた拳を地面にめり込ませる。
その様子を見ていたリリーはがっくりと肩を落とした。
なんだぁ「偽傷」みたいなそんないじらしい行為じゃなくて、からってたのか……確かにそれならどこかに行ったりせず、飽きるまで遊ぶよなぁ……と内心に残っていた疑問を氷解させる。
でも、遊んでいるということは油断しまくってるという意味でもある。
油断……それはリリーにとって、場をひっくり返すことのできる大逆転カードとしておなじみであった。
力の差が大きければ大きいほど、油断は生まれやすくなる。
見習い冒険者であるリリーにとって基本的にまわりは強敵だらけなので、必然的にそのカードが回ってくる機会に恵まれていた。
過去窮鼠であった彼女はそのジョーカーによって何度も猫を噛んできた。
もちろん噛まれたこともあったが、通算では噛んだ回数のほうが多いんじゃないかとリリーは思っていた。
黄金のカエル像みたいなアイツは何を考えているのかわからないけど、油断している可能性が大だ。
それならば……付け入るスキはあるかも……とリリーはゆっくりと立ち上がった。
ぐったりしているシロからクルミを受け取り、リリーはそれをブンブン振り回しながら金のカエルめがけて突撃をはじめる。
「このっ! いい加減捕まってよぉ! えいっ! えいっ! このぉーっ! もうっ! どうして捕まらないのっ!? ううーっ! はうっ! ぐわっ! ふわっ! ぎゃぁーっ!!」
リリーはクルミのこじりではなく、グリップのほうを持って普通の剣みたいに振り回していた。かつてないほどに取り乱し、狂ったように暴れまくる。
仲間たちはリリーのらしくないヒステリックっぷりに皆キョトンとなっていた。
チーム員全員から引かれるほどの滅多振りをしてみたものの、標的にはカスリもしない。黄金のカエルはおちょくるようにリリーのまわりをグルグルと回りはじめる。
我を失ってしまったリーダーは一匹のカエルに完全に翻弄されていた。ダンスのように同じ所を何度も何度も回転させられた挙句、目を回してしまう。
僅かな体力を振り絞った勇者の最後の攻撃は……屈辱的な終わりを迎えようとしていた。
ついに立つこともできなくなったリリーはクルミを杖のようにして足腰をガクガクと震わせたあと、そのまましなだれかかるように崩れ落ちる。
完全に燃え尽きてしまったリリーの頭にすかさず、カエルが踏みつけるように乗っかった。
それはリリーの頭上で天使の輪のようにひときわ強く光り、大きく喉を鳴らした。
全てのカエルの頂点に立つ、百万のカエルはもはや自らの勝利を疑わなかった。かつて捕まった幾多の仲間のカタキを取ったかのように、高らかに鳴き続ける。
しかし彼は知らなかった。リリーが自棄になって振り回していた剣は、実は意思を持って動くということに。
そしてそんな剣が息を潜め、すぐ背後に迫ってきているなどとは……思う由もなかった。
「……えーいっ!!」
クルミは背後から脅かすイタズラをするようなかけ声で、黄金色の背中をめいっぱいハグした。




