12
リリーは沼からあがり、少し離れた所にある小さな丘に向かった。
来る途中に見つけた場所で、てっぺんにある大きな切り株が乾いていて平らでちょうどよかったので皆の荷物をまとめて置いておくことにした場所だ。
切り株の上に並べられたリュック、その上にもたれかかるようにして荷物番するクルミがいた。
ヒマなのか、近くを通りかかるカエルを鞘の側面ではたき、沼に落として遊んでいる。
いきなり泥まみれのリリーがやってきたのでクルミは「わぁ」とびっくりしていた。
「どうしたのリリー、ずいぶん本気で泥遊びしたんだねぇ」
クルミはグリップを首のように曲げてリリーの頭から靴の先までしげしげと見つめる。
「……遊んでるつもりはないんだけど、結果的にそうなっちゃて……ねぇクルミちゃん、ちょっとカエル捕まえるの手伝ってくれない?」
「えーっ!? なんでボクが? ボクは聖剣だよ? 戦うとかならまだしも、カエル捕りなんて嫌だよ、虫アミじゃあるまいし!」
母親の手伝いを嫌がる子供のような口調のクルミ。
しかしリリーは両手を合わせて拝むようにして食い下がる。
「そこをなんとか、お願い! いっぱいカエルを捕まえれば報酬がたくさんもらえて、それだけ快適な旅が出来るんだから少しは手伝ってよぉ」
「うーん、もう……しょうがないなぁ……」
「やった、ありがとう! じゃあさっそく行こう!」
クルミが渋々ながらも承諾してくれので、リリーはクルミの身体を沼へと運びながら作戦を説明した。
再び戦線復帰したリリーの手には、青く輝く聖剣が。しかし柄ではなく、鞘の先端であるこじりを握って構えている。
剣の使い方を知らない人みたいな体勢でジャブジャブと水しぶきをあげて赤いカエルの側まで歩いていくと、経験則で逃げられるギリギリのあたりで足を止めた。
こじりを握ったまま聖剣の柄頭のほうを先端にし、そーっと赤ガエルに近づけていく。
鍔がカエルの背中に触れるか触れないかくらいまで寄った瞬間、
「……えいっ!」
クルミはかけ声とともカエルの腰にしがみついた。
「いまだ!」とリリーは鞘を釣り竿のように素早く引きあげ、クルミが抱きしめているカエルを空いているほうの手で受け取った。
赤いカエルはリリーの手の中で、生きるのをあきらめたみたいに四肢を投げ出している。
さっきまで疾風のようだったのがウソみたいにやる気が感じられない。胴を持つと大人しくなるというのは本当だった。
なんにせよリリーはついに依頼の品、それもかなり高ランクのものを手中におさめることに成功した……!
「や……やった! やったぁーっ!!」
歓喜のあまり初めての戦利品を高く掲げる。
興奮のおさまらないリリーはそのままワッショイワッショイとカエルを神輿のように担ぎあげて踊った。
ひとしきり喜んだあと、逃がしてぬか喜びにならないようにしっかりと魚籠にしまい込む。
「あ、そうだ……そういえば村長さんが道具を使わず手で、って言ってたけど、クルミちゃんの手で掴んでるからセーフだよね?」
「大丈夫だよ、次いこ、次!」
クルミは捕まえるのが思いのほか面白かったのか、早く続きをやろうとばかりにウズウズした様子でリリーを急かす。
その後二匹目もあっさり捕まえることができて、リリーは確信した。
これは……イケる!
ミントの効率化と、クロの省力化……ふたつのいいところを併せ持つ新たな捕獲方法の確立……!
この方法であれば、仲間内での獲得数トップになれるかもしれないと、リリーは今までの遅れを取り戻すように泥を駆け散らして走った。すっかり元気を取り戻しており、次々と赤いカエルをゲットしていく。
聖剣を使ってのカエル漁は前代未聞で、キッカラの村……いや、この世界においても例のないことだった。
この漁法の前ではどんなカエルも無力で、茶色いカエル同然だった。作物の収穫のように地面に植わっているのを拾いあげるだけの簡単な作業。
リリーとクルミのコンビは報酬額の高い赤ガエルを入れ食い状態で次々と捕獲していった。
また捕まえた……! と何十匹目かのカエルを魚籠にしまっていると、隣に土塊みたいな人影が立っていた。カエル漁に夢中になって近づいてきていたのに全然気づかなかった。
一瞬モンスターが現れたのかとリリーは身構えたが、
「……アタシにもそれ貸しなさいよ」
声でそれが仲間であることがわかった。
もはや容姿がわからないほど泥をしたたらせたイヴが手を出してくる。
その様子からしてどうやらまだ一匹も捕まえられていないようだ。
リリー的にはもう十分だったので、クルミをバトンタッチする。
聖剣という名のカエル捕獲器を手にしたイヴはのっそりとカエルの群れに向かっていき、リリーがしていたのと同じ手法で赤ガエルをゲットしていた。
「やっ……やった! やったやったやった! やったわ!! とうとう捕まえたわよ!! フンッ、アタシにかかればこんなもんよ!!」
捕まえたのが余程嬉しかったのか、カエルとクルミを頭上でグルグル振り回すほど大興奮する。
釣りなどでもボウズのときは楽しくないが、釣れだすと途端に楽しくなる。
初ガエルの嬉しさで威勢を完全に取り戻したイヴは、
「よぉし、この調子でガンガン捕まえるわよっ!!」
とこの沼に来たばかりのような勢いでカエルの群れめがけて泥を蹴散らしていった。
そんな仲間の姿をリリーは我が事のように目を細め眺めていたのだが、ふと、もうふたつの泥山に気付いた。
小さな泥山と大きな泥山。大きな泥山のほうは呼吸しているようにゆっくりと上下していた。近づいてみるとそれは……這いつくばっているシロだった。
リリーが抱え起こしたシロは泥の上からでもわかるほどに精根尽き果てていた。抱きしめると倒れ込むように身体を預けてくる。
リリーの胸の中で、シロは虫の息という表現がピッタリの浅い呼吸を繰り返していた。
「大丈夫……? シロちゃん?」
リリーは心配して声をかけたのだが、返事はあまり期待していなかった。
とりあえず頷くなりしてくれればよかったのだが、律儀なシロは薄汚れた眼鏡ごしの瞼を薄く開けると、
「す……すみ……ま……せん……お役……に……立て……なく……て……」
臨終の間際のように絶え絶えに言葉を絞り出した。
その謝罪からするに、シロもかつてのイヴと同じく釣果ゼロのようだった。
どうやら転び続けるだけで体力を使い切ってしまったらしい。
罪滅ぼしのつもりかわからないが、小さな泥山のほうは積み上げられた茶色いカエルだった。せめてもの思いで唯一自力で捕まえられるカエルを集めていたのだろう。
リリーはリタイヤを提案したが、真面目なシロは最後までやらせてくださいといって聞かなかった。休んだらまた転ぶのを再開するつもりのようだ。
本人にいくらやる気があってもこのままでは同じことの繰り返しになるのは明白だ。
シロの幼馴染で、その性格をよく知っているリリーは危惧していた。
彼女は良く言えば一途、悪く言えば思いつめるタイプだ。一匹も捕まえられない状態が続くと、自己嫌悪と罪悪感で心の中までぬかるみに嵌っちゃうんじゃないか……と。
シロのいい所を挙げると辞書ができあがってしまう程だとリリーは彼女のことを聖人視している。
なのでカエルが取れない程度で落ち込む必要はないのに、と思っていたのだが、その反面、でもやっぱり捕れたほうが楽しいよねとも思い、いい汗をかいているイヴのところまで行ってクルミを戻してもらった。
「はい、シロちゃんもクルミちゃん使ってみて」
リリーはクルミをバトンタッチするべくシロに差し出した。
しかしシロは受け取ろうとせず、おっかなびっくりといった感じだった。
「ほ……本当によろしいのですか?」
僧侶であるシロにとって、女神の聖剣というのは女神像や女神のステンドグラスと同じ御霊代である。
手にするだけでも恐れ多いというのに、それでカエルを捕まえるというのに抵抗があるようだった。
「もちろん! 早くやろうよ!」
しかし当の聖剣はカエルを捕まえるのが楽しくてしょうがないらしく、自分からシロの胸に飛び込んでいった。
「は、はひっ、ふ、不束者ですが、よ、よろしくお願いいたします!」
シロはペコペコ頭を下げ、クルミを巣から落ちた雛鳥の卵のごとくやさしく手を添えて持ち、しかし落とさないようにしっかりと胸に包み込んだ。
「よぉし、レッツゴー! …………ギャアーッ!?」
クルミに急かされて慌てて踏み出したシロは一歩目から躓いてしまったようで、勢いよく倒れて人型の穴を開けるほどに泥にめりこんでいた。
その胸にしっかりと抱かれていたクルミは全力で泥の中に沈められてしまった。
そこからリリーたちは交代でクルミを使い、カエルを捕りまくった。
ミントは走りながらの使用だったので捕獲リーチが格段に伸び、今回の瞬間最高記録を叩き出していた。
しばらくそうしてカエル漁を続けたあと、黄昏時になりつつあったのでリリーたちはそろそろ切り上げることにした。
いっぱいになった魚籠は沼の端っこのほうに並べておいたので、それを数えてみると十個もあった。
「よし……かなり捕まえられたわね」
これには大見得を切ったイヴも満足そうだ。
リリーも予想以上の結果に大満足で、ガソゴソと揺れる籠の中に赤いカエルがいっぱいい入ってることを想像し、報酬への期待に胸を膨らませた。
ミントも牧羊犬のごとく走り回ってスッキリしたのか「あーたのしかった!」と泥だらけになった顔を拭い、曇り空を吹き飛ばした太陽のようにほころばせていた。
クロはクルミを使ってもあまり効率が変わらなかった。クロも最終的には泥だらけになったのだが、彼女の規則的な動きのせいかまるでゴーレムが立っているように見える。
ちなみにクロは捕獲では一切汚れなかったのだが、ふざけたリリーたちが泥をつかった雪合戦ならぬ泥合戦を始めたのでそれに巻き込まれてしまったのだ。
シロはクルミを赤ちゃんのように大事そうに抱っこしていた。どちらも泥で覆われていたのでまるで聖剣を抱く女神像のような風情であった。
泥合戦のせいか全員、石膏を塗りたくったような外見になっている。
それは沼地でハイキングを楽しんでいる最中、突如現れたメデューサによって石にされてしまったかわいそうな少女たちのようであったが、当人たちは満ち足りていた。
「よぉーし、じゃあ村に帰って、村長さんに納品しよっか!」
リリーたちは魚籠を両手に抱え、揃って荷物置き場まで歩きだした。
あとは荷物置き場の近くでキレイな水たまりを探し、その水で泥を落として村に帰るだけだ。
ワイワイとおしゃべりしながら歩いていたリリーたちは、荷物置き場のある丘に着いた途端、予想だにしかなった光景に一様に口を噤んでしまった。
地面に置かれたリリーのリュックの上に……黄金色の光を放つカエルが鎮座していたのだ。




