09 キッカラの村
ゼン女に別れを告げ、ズェントークの街を出たリリーたちは南東に進路をとった。
目指すは故郷、ツヴィートーク。最初の目的地はキッカラの村。
歩いて何日かかるかわからないほど長い長い道程だったが、旅立ったばかりのリリー一行の足取りは軽かった。
それは比喩ばかりでなく、メリーデイズ付近の道は混形土で舗装されているため実に歩きやすかった。
馬車が横を通り過ぎても土埃があがらないので、空気もキレイだ。
湿原を切り開いて作った運河に沿う河川敷の道を、リリーたちは河原を散歩しているような気分でどんどん歩いていく。
キッカラの村に着くのは昼過ぎを予定していたのだが、道が良かったおかげで昼前には村の入口に着いていた。
大通り沿いにある『ようこそキッカラの村へ』という看板のかけられたゲートをくぐり、少し山道をあるくと大きな沼が現れた。
キッカラは沼の上に敷かれた木組みの上に作られた村で、常に薄い霧で覆われている。
沼の中から生える木々をぬうようにして、道がわりの小さな橋がかかっており、さながら湿原にある庭園のような趣のある佇まいだった。
入村したリリー一行を、大量のカエルたちが出迎えてくれる。
沼にはつきものの存在ではあるが、村の中は過剰なまでにカエルだらけだった。
沼の中では芋洗いなほどカエルが遊泳し、浮いている葉の上には積み上がったカエルたち。橋に近づくと上にズラッと並んでいたカエルが一斉に水面に飛び込む。
リリーたちはカエル動物園のような光景に圧倒されてしまう。
こういった動くものの多い光景ではミントが真っ先に駆け出していくのだが、それを察知したシロは自然な流れでミントを抱きかかえた。
そうしなければミントは逃げるカエルを追いかけてすぐさま沼にドボンしていたであろう。
「カエルさんだ~!」
ミントは大好きなシロの腕の中では比較的大人しく、届かない手を伸ばしてバタバタさせるくらいで満足していた。
リリーたちはカエルの鳴き声をBGMに、橋を伝って村の中へと進んでいく。
入口付近は風光明媚な感じだったが、奥のほうはわりと俗物的というか、観光客相手であろう屋台が立ち並んでいた。
軽食を売る店、カエルの置物を売る店、カエル占いの店、カエル射的の店……どうやらこの村はカエルが名物のようで、そこかしこにカエルをこじつけた店があった。
わりと繁盛しているようで、どの店にも少なからず観光客の姿がある。
なかでも賑わっていたのは大きなカエルの像が置かれた中央広場で、多くの人々が像のまわりで休憩していた。
リリーたちもここで少し休憩しようということになって、カエル像を眺めながらひと息ついていると屋台のおじさんに手招きされた。
行ってみると試食の串揚げをくれたので、早速食べてみる。
売り物は五個の唐揚げを串に刺したものだったが、試食は一個を爪楊枝に刺したものだった。
「おーいしいーっ!」
ひと口かじったミントはその美味しさに目を見開いた。瞳の輝きに負けないくらい光沢のある油で口のまわりがベタベタになっている。
「はふっ、うん、鶏肉の唐揚げね。屋台のクセにいい肉使ってるじゃない」
爪楊枝に刺さった肉の塊をひと口で頬張ったイヴは思ったより熱かったようで、口をハフハフさせていた。
「ほんとだ、油がいっぱいでコクがあるのに、全然くどくないね」
リリーは肉の旨味と油の旨味があわさった、深くもさわやかな味わいに感心していた。
「はい。隠し味の香辛料……ルーレロが油に溶けて良いお味を出しているみたいです。それなのに後味はあっさりしていてとっても食べやすいです。もものお肉のようにジューシーなのに、胸のお肉のようにスッキリ……どちらのお肉なのでしょうか……?」
料理好きのシロは帰ったら自分でも作ってみようと考えているのか、味の分析に余念がない。
「……」
ひたすら黙って口を動かすクロ。
リリーたちがあまりに美味しそうに食べていたので、その様子を見ていた他の観光客も屋台の串揚げを買い求めた。
「お嬢ちゃんたち、いい食べっぷりだねぇ! 特別だ、一本ずつごちそうしてやるよ!」
売上倍増で気を良くした屋台のおじさんが試食ではなく、売り物の串揚げを五本もサービスしてくれた。
「わあっ、おじさんありがとう! これ、おいしいね! 何の肉なの?」
手渡された揚げたてにさっそくパクつきながらリリーが尋ねる。
「この村の肉っていったらひとつしかないだろ! カエルだよ、カエル!」
威勢のいいおじさんの言葉に、イヴがゴフッと吹き出した。
「ちょっ……か、カエルの肉だなんてどこにも書いてないじゃないのよ!?」
「描いてるよ、ほら」
おじさんは悪びれる様子もなく屋台の看板を指さす。
「串揚げ」の文字の両側には可愛らしいカエルの絵が描かれていた。
「ソレはカエルの肉って意味じゃなくて、ただの飾りっていうか……マスコットか何かだと思ってたわよっ!?」
「まあまあイヴちゃん、おいしいからいいじゃない」
気にする様子もなくカエル肉に舌鼓を打つリリー。ミントも「いいじゃない」と続く。クロは一気に全部口に入れたのか、いつもの真顔のまま頬だけは欲張りなハムスターのようにもこもこと膨ませていた。
「くっ……!?」
イヴはカエル食という文化に軽いカルチャーショックを受けていたのだが、仲間たちはまるでごちそうであるかのように接している。
もしかしてアタシが神経質すぎるだけなんだろうか……と思ったが、ふと自分以上に潔癖な存在を思い出す。
「し……シロっ! アンタはどうなのっ!?」
ツインテールが渦を巻くほどの勢いで身体を翻した先には……上品に口に手を当てたまま、こくんと喉を鳴らして最後のひと口を飲み下し終えたばかりのシロがいた。
「はひ、食べ物を残すわけにはまいりませんので、美味しくいただきます」
カエル肉と聞いても取り乱す様子もなく、いたって真面目に答えるシロ。
その口調はなんだか引きつっているようで、顔はやや青みがかっているようにも見えなくもなかったが……どうやら平気のようだった。
最後の仲間にも見放されたイヴは、まだ信じられないといった様子で頭を抱えた。
原型こそ残っていないもののカエルの串揚げなんてただのゲテモノ食いじゃないか……とひとり葛藤をはじめる。
仲間たちは誰一人として不満を訴えようとはしない。無理してそうなのもいるが、おおむね好評だ。
この串揚げはおそらくこの村にいるカエルを調理したものだろう。そもそも食べて大丈夫なモノなんだろうか?
タダでもらったものだからまだよかったが、お金を払って買っていたら屋台ごとひっくり返していたかもしれない。
……今しがたリリーとミントが「イヴちゃんたべないの~?」なんて口を揃えて言ってきてた。
リリーはあとでひっぱたいてやるとして、ここで串揚げを残したりしたらミントに示しがつかない。
なぜなら、アタシは好き嫌いを言うミントをしょっちゅう怒鳴りつけているからだ。
アタシには好き嫌いがない。むしろ言うヤツは大っ嫌いだ。
農家の人たちが汗水たらして作ってくれた作物や、牧場の人たちが育ててくれた牛や豚や鶏、漁師の人たちが命がけて捕ってきてくれた魚……。
その苦労の結晶を「嫌いだから」なんて理由で残すヤツがいたら、ひっぱたいてやる。
シロはミントの嫌いなものがわかると美味しく調理して食べさせようと必死になるが、アタシはそんな手間をかける必要はないと考えている。
好き嫌いなんてただの甘えであって、そんなことを言うヤツの機嫌を伺うようなマネなんてせず、ムリヤリにでも口に突っ込んで、あとは全部飲み込むまで口を開けられないようにしてやればいいだけのことだ。
ただ……例外もある。マズイものに関しては別だ。誰しも口に合わないものがひとつやふたつはある。口に合わないものを嫌いって言うのは好き嫌いではなく、それは好みの問題だとアタシは考えている。
特にアタシのような美食を運命づけられた人間には「口に合わない」ものも多い。そんなのまで全部食べていたら舌がバカになってしまう。
アタシはミントが「嫌い」というものに対しては厳しく注意してきたが「マズイ」といったものに関しては放免してきたような気がする。
ならば……今回はその路線を装うことができれば、カエル肉を残してもミントへの尊厳を保ったままにできるかもしれない。
「こんなマズい肉、アタシの口に合わないわ。もうこれ以上はたくさんよ、アンタたちで食べなさい」……よし、これでいこう。
……あ、いや、この論法はダメだ。
「鶏肉の唐揚げね。屋台のクセにいい肉使ってるじゃない」なんて感想を述べた後だ。
このカエルは味だけでいえばどこにも異常はない。むしろ高級な鶏肉みたいな味がする。
アタシが鶏肉だと誤解して褒めたのは皆が知っているはず。だからアタシがこれ以上串揚げを食べなければ「カエルだとわかったから」という理由で拒絶していることが明白になってしまう。
これは……「食わず嫌い」より酷い「好き嫌い」じゃないか……。
それまで仲良くしていた友達が貧乏になった途端離れていくような、内面ではなく外見や家柄だけを見ている薄っぺらい人間のすること……。
試食の段階で「低級なカエルの肉だから、高級なアタシの口にはやっぱり合わなかった」というのであれば一貫した生き方で筋は通っていたのに……しかし……アタシは試食のカエルを味の情報革命かと思うほど美味しいと思い、絶賛してしまった。
さて、どうするべきか……。
このまま食べずにいたら、今後ミントに好き嫌いを注意するときに今回の例を持ち出されてしまうだろう。
だから食べるしかないのだが、今まさに泥まみれで足元を這いずっているような存在をアタシに食べろというの……!?
イヴは逡巡した。ひたすら悩み、苦悩した。
この肉を残して、かつ、ミントへの尊厳を保てる方法を模索する。
その脳内に突如、霹靂のような天啓が閃いた。
そ……そうだ!! とリリーの腰に注目する。
「ねえクルミ、アンタも食べたいんでしょ? しょがないわねぇ、アタシのを分けてあげるわ」
イヴはリリーの腰にいるクルミに串揚げ差し出したが、
「ボク、口ないよ」
と一蹴されてしまった。
顔をあげたイヴは、仲間たちの注目を一身に浴びているのを感じた。
「なんで剣が串揚げを食べるだなんて思ったんだろう……?」みたいな痛い視線が身体中に突き刺さる。
「くっ……! こうなりゃヤケよ……!」
度重なるショックに自暴自棄になったイヴは、串ごと飲み込まんばかりに大口をあけて一気に残りの肉を放り込んだ。




