08
リリーが武器屋を出る頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。
ズェントークのメインストリートは帰路につく人、宿を求める人で最後の賑わいを見せていた。
これから家々は夕食の時間を迎える。この地方はパンが主食なので街中には焼きたてのパンの香ばしい匂いで充満していた。
その匂いで食欲を刺激されたリリーのお腹が、餌を求める雛鳥のようにひっきりなしに鳴き出す。
そのまま何も考えてなさそうな間抜け顔で匂いにつられフラフラと歩きだしたので、イヴが首根っこを掴む勢いで引き止めた。
「ちょっとリリー! どこに行くの!? アンタのせいでアタシたちは無一文になっちゃったのよ? これから一体どうするつもりなのよ」
リリーはパンの匂いで夢見心地だったが、仲間の一言に現実に引き戻される。
しかし頭の中には「パン食べたい」以外は何もない。
「えーっと……パン……じゃなかった、とりあえず、寝るところを探そう。ツヴィートークに戻る方法については明日の朝にしようよ」
「寝るところって、お金ないから宿には泊まれないわよ?」
「うん、だからあの下とかどう? あそこなら雨が降っても大丈夫だよ」
リリーはクルミを捜索していた最中に立ち寄った橋のほうを指さす。
「橋の下!? まさか野宿するっていうの!?」
「うん、野宿っていうか、キャンプ」
「街の中でキャンプする冒険者がどこにいるのよ!? それは野宿ってい
うのよ! そんなのアタシは絶っっっ対にイヤっ!!」
リリーはさも名案を出したようなしたり顔をしているが、イヴは信じられないといった様子で、せっかくの柳眉が台無しになるほど逆立てていた。
リリーは常識的な考えを持つ女の子ではあるが多少ズレたところがあり、たまにその歪みから生まれたような無茶苦茶なアイデアを出すところがある。
しかし冒険の時にはその下手な考えが搦め手となり、窮地を脱出するきっかけになるのもイヴは承知していた。が、その思いつきに付き合わされるほうはたまったものではないとも思っていた。
かつてイヴはリリーにどこまでも添い遂げる宣言をした。「地獄の底まで付き合ってあげるから、トコトンやってみなさい」……と。
なのでイヴはリリーの無鉄砲な考えもなるべく受け入れるようにしているのだが、街中のキャンプだけは付き合いたくなかった。
特に橋の下でだなんてもはや冒険者ではない。完全なホームレスだ。
それだけはいくら見習いとはいえ冒険者としてのプライドがある。絶対に賛同するわけにはいかなかった。
しかしリリーにはイヴの矜持が小指の爪ほども汲み取れないようで、何がそんなに嫌なんだろう? と戸惑うばかりであった。
じゃあ、どうすればいいのかな……と悩みはじめた所に、少しだけ懐かしい人物が通りかかった。
「あら? リリームさん」
それは転送装置を管理していた先生だった。
立ち話をしたところ、先生はズェントーク女学院の寮長らしく、今日の勤務が終わったので寮に帰るところだと教えてくれた。
それはただの世間話に過ぎなかったが、今の宿無しリリーにとってはまさしく渡りに船だった。すかさず寮の空き部屋を一晩貸してほしいと頼み込む。
先生はリリーたちが重要な任務を負っていると知っていたので、快く寮へと招待してくれた。
部屋だけでなく寮生と同じ食事や風呂も提供してくれたので、リリーたちはひとまず今夜はホームレスにならずにすんだ。
リリーはさらに先生に頼み込んで実習用のキャンプセットを借り、調理場のおばちゃんにお願いして少しの食料まで分けてもらっていた。
イヴはリリーが早々にギブアップ宣言をして、転送装置で帰ると言い出すんじゃなかと思っていたが、意外に音を上げないのでこのまま黙って見守ることにした。
翌日、朝食を終えたリリーたちはお礼を言って寮を後にし、ズェントーク女学院の玄関ロビーに向かった。
バスティド島にある冒険者育成の女学院のロビーには必ず、島全体が見渡せる立体模型が置かれている。
立体で地図よりわかりやすいので、リリーたちは旅立つ前にこの模型で作戦会議をするのがお決まりとなっていた。おおよその地形を頭に叩き込んで、旅先では地図を見るのだ。
今回は島の北西での冒険となる。模型のメリーデイズ側の隅っこに集まったリリーたちは冬の雀のように身体を寄せ合い、ツヴィートークに戻るための手段を話し合い始めた。
今いるズェントークからツヴィートークまでは、直線にして島の六分の一を横断しなければいけないほど隔絶されている。ただ大きな川により繋がっているのでそれを辿っていけば道に迷うことはなさそうだ。
しかし途中にはスカート湾という大きな湾岸が横たわっていて、陸路の場合は川沿いにずっと進むことはできない。何らかの手段でスカート湾を渡る必要がある。湾を越えればムイースの街が待っている。
ムイースはかつて夏休みの課題で立ち寄った街だ。そのときはツヴィートーク商館長の好意で豪華客船に乗せてもらい、快適な旅ができたのだが……今回はその助けは得られそうもない。
商館長はミントを溺愛しているので、伝書とかで遠隔おねだりをすればすぐに客船のひとつも寄越してくれそうではあったが、リリーはその選択肢を早々に切り捨てた。
なぜならまわりの人に助けてもらうばかりではいつまでたっても一人前の冒険者にはなれないと考えていたからだ。今回はいいチャンスでもあるのでなるべく大人たちの助けを借りずに自力でなんとかするつもりでいた。
……ちなみにその自分ルールは今日の朝から有効で、昨晩先生に泣きついたことについてはリリー的にはノーカウントとして処理されていた。
船を使わないとなると、スカート湾を迂回するルートが考えられる。その場合は一直線ではなくなるので移動距離がさらに増す。ちなみに迂回した場合にたどり着くのはハスレイの村だ。
ハスレイの村はリリーにとって苦い思い出の場所でもある。しかもあのあたりには強力なモンスターが多いことで有名だ。
ムイースにしてもハスレイにしても、リリーたちには思い出の多い土地だったのでつい雑談に花が咲いてしまう。その度に摘んで作戦会議に戻っていたのでだいぶ時間がかかってしまった。
それでもひととおり情報が出揃ったので、リリーは話し合った内容を整理してみた。
移動手段はみっつ……徒歩か馬車か船。
しかし持ち合わせがほぼゼロのリリーたちが最初に選択できるのは徒歩のみだ。
ルートはふたつ……スカート湾を渡るか、迂回するかだ。
これについては道中決めればいいか、とリリーは結論を先送りにした。
「それで、結局どうするつもりなのよ?」
と焦れた様子のイヴから尋ねられたので、リリーは模型上にあるズェントークから少し離れた村をピッと指さした。
「まずは、この『キッカラの村』ってとこまで行ってみよう!」
そしてニンマリとしながら、羊皮紙の紙束を取り出す。
「実は昨日の夜、ゼン女の寮にある掲示板に貼られてた依頼をありったけもらってきたんだ。これで道中、アルバイトをしつつツヴィートークまで帰るってのでどう? 最初は歩きだけど、お金がたまったら馬車か船を使えるよ!」
リリーは完璧な作戦だろう、と言わんばかりに含み笑いをはじめた。
「ふふふふふふ、何も考えてないと思った? でもリーダーらしくちゃんと考えてるんだよ」
と調子に乗りきった様子で胸を張る。
イヴは黙って耳を傾けたまま「うーん」と考え込む。
リリーが昨晩コソコソ何かをやっていたのを、実はイヴは知っていた。
何か考えがあるんだろう……とは思っていたのだが、「ちゃんと考えた」という割にはかなり杜撰だな……と言わざるを得ないプランが飛び出てきた。
もしかしたらまだ何か考えがあるのかも、とイヴはもう少し話を引き出してみることにした。
「いいけど、そんなうまくいくかしら? 途中で行き倒れになりそうな気がするけど……」
「それについても考えてあるよ! なるべく川沿いを歩くようにして、力尽きそうだったら通りがかった船に全力で助けを求めればいいんだ! ちゃあんと狼噴粉も貰ってきたよ!」
狼噴粉は狼のフンを乾燥させて瓶に詰めたもので、狼煙をあげるための道具である。乾いた草木に混ぜて火をつけると大量の煙を立ち上らせることができるのだ。
ポーチから取り出した小瓶を仲間たちに見せびらかしながら、リリーは褒めてと言わんばかりに目を輝かせている。
どうやら用意周到のつもりらしいので、イヴはそれ以上突っ込むことはせず本人のやる気を尊重することにした。
「なんか行き倒れになるのを見越してるみたいで嫌だけど……まぁいいわ、とりあえずやってみましょうか」
「そうこなくっちゃ!」
指を鳴らしたリリーは皆を集めて円陣を組む。
なんだかんだ言っても冒険となると期待に胸が弾むようで、肩を組んだまま見渡す仲間たちの顔はほんのりと紅潮しているように見えた。
「よぉーし、がんばるぞーっ!」という元気な掛け声が玄関ホールにこだました後、「おーっ!!」とさらに元気な声が続く。
冒険者見習いの少女たちにとって……最も長く、そして困難な旅が……今まさに始まろうとしていた。




