07
リリーは仲間たち全員と合流したところで、転送装置を使わずにツヴィートークに帰ることを改めて宣言した。
イヴは不満そうに口を尖らせ、ミントは事の重大さがわからずキョトンと、シロは目を見開きびっくり、クロは黙って頷いた。
以前のリリーであれば仲間に反対された場合、自分ひとり残ってでも決行しようという考え方をしていたのだが、今は違う。
イヴと、ミントと、シロと、クロと……仲間たちとみんな揃って成し遂げたいと強く思うようになっていた。
この五人で臨めば、どんな困難も乗り越えられると信じていたからだ。
しかし今回はかつてないほどの長旅になる。それは地図を見ていない今の段階からも明らかだった。転送装置を使うような距離を使わずに移動しようというのだ。
嫌がる人がいたらどうしよう……とリリーは不安だったが、幸いなことに反対する者は誰もいなかった。
リリーは気付いていないが、もはや仲間たちもリリーと同じ想いでいたのだ。
仲間の賛同が得られて嬉しくなったリリーはすぐさま街を飛び出したい衝動にかられたが、それはさすがに無鉄砲すぎるかと自制して、ひとまずズェントーク女学院に戻った。
学長と先生に騒がせたことを謝罪し、転送装置を使わずにツヴィートークに戻ると伝えるとふたりとも目を丸くしていたが「なにか手伝えることがあったら言ってね」と協力を申し出てくれた。
クルミから長旅になるなら鞘を買ってくれとねだられ、確かにずっと布でくるんでるわけにもいかないか、と思ったリリーは再びズェントークの街の武器屋へと足を運んだ。
店内を物色していると、練習用の剣を入れる安い木鞘が在庫処分のワゴンに突っ込まれていたのでリリーはこれでいいかと思ったが、ここでまたクルミが「安物はイヤーっ!」と騒ぎだした。
ツヴィートークに戻るまでの間だからいいじゃない、と説き伏せようとしたが無駄だった。
クルミは頑固なうえに要求が通るまでひたすら喚き続けるので始末に負えない。
さきほど志を同じくしたはずの仲間たちは遠巻きに見るばかりで助けてくれない。
ひとりなのに大声を出すあぶない女の子かと周囲の客から不審そうな目で見られ、リリーは困りはててしまった。
オモチャ屋の店先で駄々をこねる子供がいるが、その母親というのはこんな気分なんだろうか……とリリーは思った。
リリーの子供の頃はあまりオモチャはねだらなかった。かわりに珍しい食べ物を見つけると価値を問わずあれが食べたいとねだり、あなたにはまだ早いからと拒否されても地面を転げ回って要求し続けた。
服を泥だらけにして泣き喚く自分を、困った笑顔で見ていた母親の苦労を今更ながらに理解したような気がした。
「じゃ、じゃあ……どれがいいの? クルミちゃん?」
なるべく安いのを選んでくれとリリーは心の中で祈る。
「……あれ! あれがいい!」
クルミが鍔の手で指したのはワゴンの中ではなく、ショーウインドウに飾られた鞘だった。
孔雀の尾のようなデザインの、色鮮やかで複雑な細工のほどこされた立派な鞘。
孔雀の翼のような鍔をもつクルミにぴったりとはまる、まるであつらえたような逸品であった。
リリーはおそるおそる値札を覗き込んでみる。
「じゅっ、十万ゴールドっ!?」
鞘だけなのに……私の装備ぜんぶよりずっとずっと高い……!
何かの間違いじゃないのかと見直してみても値段は変わらない。
ゼロの数を何度も数え直したその目玉は血走り、飛び出していきそうなほどに見開いていた。
固まるリリーの横に店員のお姉さんが滑り込んで来る。
「おっ、お目が高い! それは最近有名になった芸術家……えっと『女神と5人の天使たち』っていう彫像が大ウケした人なんだけど、知ってる? 知らないか! それを作った人が若い頃に手がけた鞘なんだけど、一点モノなのよ! そのキレイな剣にピッタリね! ちょっと高いかもしれないけど、若いうちから本物を身につけるのは大事なことだよ! それにこれから値段が上がるのは間違いないから投資としても最高だよ! ねぇ、思い切って買っちゃいなよ!」
フレンドリーな感じの接客トークが息継ぎなしで炸裂した。
リリーはまだ子供なのでこんな高級品を勧められるのは初めてのことだった。地元の武器屋で、憧れの魔法の胸当てを物欲しそうに眺めていても、店員はお金がないことを知っているのか近づいてこないのが普通だった。
今は腰に立派な聖剣を携えているので、金持ちのお嬢様かなにかだと思われてしまったようだ。
「あ、いや、あの……」
「買います! これにします! これくださいっ! すぐ使うので袋はいりませんっ!」
口ごもるリリーを押しのけるように、腰から元気な声があふれ出た。
「毎度あり!」
「あっ、ちょ、ちょっと待って!」
ショーウインドウを開けて鞘を取り出そうとするお姉さんを止めるリリー。
お姉さんは「どうしたの?」という顔をしている。
リリーは悩んだ挙句、ダメ元で聞いてみた。
「あ、あの……少しだけ、まけてもらえませんか……?」
初めての客、それにこれっきりなのに値切るなんて、怒られちゃうかな……? と不安になったが、お姉さんはまんざらでもなさそうな顔をしていた。
「ふふっ、いいわよ。あなたたち修学旅行に来た学生さんよね? かわいいから特別にオマケしてあげる。予算はいくらなの?」
リリーの視界の中で、お姉さんの顔が女神のように神々しく変わった。
チャ……チャンスだ! 女神様の気が変わらないうちに……! とリリーは自分のサイフに入っているゴールドの額を思い出す。
しかし……修学旅行最終日だったので、ほとんど使い切っていることに気付いた。
リリーはお姉さんに少しだけ待ってもらうようお願いし、遠巻きに見ていた仲間たちを呼び集め、店の中で円陣を組んで話しはじめた。
協議は難航した。クルミを甘やかすなとか、自分の剣じゃないのになんで鞘を買うんだとか、色々お叱りを受けた。
しかしリリーは頼み込んで、お姉さんとの交渉が成立したらお金を借してもらえるよう仲間たちとの約束を取り付けた。
お姉さんのところに戻ると「で、予算はいくらなの?」と聞かれたので、おずおずと指を二本立てた。
……二万ゴールドという意味だ。仲間たちも所持金を残しておらず、かき集めてようやくその額だった。
予算を聞いた途端、女神様のようだったお姉さんの顔が魔法が解けたように元に戻った。
冷やかしかと仕事に戻ろうとするところをリリーはすがりつき、そこをなんとか……! と交渉に持ち込む。
リリーは土下座せんばかりの勢いで拝み倒した。しかしお姉さんは首を縦に振らない。
仲間たちも総動員した。ミントとシロが揃っておねだりしたが、お姉さんは依然として首を横に振り続ける。
ついにはイヴとクロも投入し、論理的な説得を試みたが、お姉さんは首を横に振るばかりであった。
とうとうリリーはお土産に買った『混形土チョコレート』も交渉材料に持ち出した。
『混形土チョコレート』は岩のように固いチョコレートなのだが、付属のシロップをかけると柔らかくなって食べやすくなり、その状態だと粘土のように好きな形に固めなおすこともできる。
楽しく食べられて味も絶品、メリーデイズでも一番人気の土産物で、リリーたちは観光に行った初日に長い長い行列に並んで買い求めた。
普段からお世話になっている街の人たちにあげるつもりだったので、差し出すのは自らの腸をソーセージにするような思いだった。
しかしお姉さんはここで少し反応した、甘いものが好きなようで、チョコレートが気になるような素振りを見せる。
その一瞬のスキをリリーは見逃さなかった。
お姉さんは『混形土チョコレート』をまだ食べたことがないというので一個試食してもらって、その美味しさをアピールしたあと、残り全部あげますから、どうか、どうか……! とたたみかけた。
結局……粘りに粘ったリリーにお姉さんはとうとう根負けし、鞘を八割引というワゴンのどの商品よりも高い割引率で売ってくれた。
「ありがとう……ありがとうお姉さん! 私が一人前の冒険者になったら、必ずここで買い物します……! 絶対に……!」
リリーはお姉さんの前で両手を合わせ、崇拝するように何度も何度も頭を下げた。
「まったく、是非そうしてほしいわ……」
お姉さんは聖戦を終えた女神のようにぐったりしていた。




