05
リリーたちはそれからひたすら転送装置のある部屋で先生が帰るのを待ち続けた。
特にすることもなかったので、リリーは退屈しのぎに隣にいるイヴに遊びを持ちかけてみた。
「ねぇねぇイヴちゃん、鼻チャンバラしない?」
肘掛けに退屈そうに頬杖をついていたイヴはだるそうに目線だけ向ける。
「……鼻チャンバラぁ? なによそれ」
「鼻だけのチャンバラだよ。鼻以外は使っちゃダメだし、相手の身体に触れていい場所も鼻だけで、他の所には触っちゃダメだよ」
好戦的なイヴはチャンバラという言葉に惹かれ、目覚めるように身体を跳ね起こす。
「フン、いいわよ。ちょうどヒマだし相手になってあげるわ」
「よぉーし、じゃあいくよ」
向かい合ったふたりはリリーの合図とともにずいっと顔を近づけあう。
イヴは先手必勝とばかりに勢いをつけ、リリーの鼻めがけて頭突きならぬ鼻突きを放った。
「くらえっ!」
グシャッという鈍い音とともにリリーの鼻が歪む。
「はぐっ!?」
顔面で爆竹が爆ぜたような衝撃に襲われ、リリーは目から火花を散らしながら後ろにのけぞった。
「い……いったぁーいっ!? な、なにするのイヴちゃんっ!?」
涙目で抗議するリリーの鼻は童謡のトナカイのように赤く腫れあがっていた。
「何って、鼻チャンバラでしょ!?」
「そ、そんな全力で相手を痛めつける遊びじゃないよ!? もっとこう、やさしく……」
ちょうど向かい側にいたクロで鼻チャンバラを実践してみせるリリー。
クロの肩を抱くと顔を突き出してきたのでその小さな鼻をチョンと鼻先で突く。
そこからはお互いやさしく撫でるように鼻をこすり、たわむれ合わせていた。
何度も付き合わされているのかクロは慣れたもので、息の合った動きでリリーと鼻を交差させ、真綿を使ったようなゆるい殺陣を演出していた。
「……なによそれ、ただ鼻をこすり合わせてるだけじゃないの」
てっきりアザのひとつやふたつはできるくらいの激しい遊びだと思ったいたのに、出てきたのは戦闘的要素が皆無の乳繰り合いだった。
想像とあまりにも違っていたので、イヴは不満たらたらだった。
「うん、そういう遊び」
リリーはなおもクロとの鼻チャンバラに興じながら背中で答える。
「だったら鼻チャンバラなんて紛らわしい名前じゃなくて、鼻コスリとかにしときなさいよっ!」
しかしイヴの怒鳴り声は、勢い良く開く扉の音によってかき消された。
だいぶ前に出ていった先生がようやく戻って来たのだ。
彼女はかなり駈けずり回ったのか肩で息をしており、リリーたちの前に来るなりヘナヘナとへたり込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……お、驚かないで、聞いてね、あ、あなた方に神託が下りました……」
先生は息を絶え絶えにしながらも、持ち帰った結果を教えてくれる。
「え……神託……ですか」
リリーが実に淡白な反応だったので、「驚かないで聞いてね」と前置きまでした先生はなんだか拍子抜けしたようだった。
神託というものを初めて聞いたのであれば、確かに床を転げ回るほどびっくりしていたかもしれない。しかしリリーたちが神託を聞くのはこれで二度目だったりする。
「神託よ? ご神託! 神託ってわかる? 女神ミルヴァルメルシルド様があなた方に直接お言葉をくださったのよ!」
先生はひとり興奮してまくしたてる。
どうやら神託の意味がわかってないからこんなにリアクションが薄いんだと思われてしまったようだ。
しかし事の重大さを理解できていないわけではなく、いくら神託といえども今のリリーにとっては友達からの伝言を聞くような感覚でしかなかった。
なにせ神託を出した女神とリリーたちははついこのあいだ一緒に冒険した仲なのだ。
「はい。で、その内容はなんですか?」
先生から熱っぽく語られても、リリーの表情はクロのように落ち着いていた。
……リリーがツヴィートーク女学院に入学したばかりの頃、パーティを募集していたリリーの元にクロがやって来てメンバーに加わった。
クロは魔法使いとしてかなり優秀だったのだがあまりにも人間味に欠け、何事にも動じない性格だったのでリリーはいろいろドッキリを仕掛けたことがあった。しかしクロは何をしても眉ひとつ動かすことはなかった。
どんな窮地でも取り乱さない。それは一流の勇者になるには必須条件のひとつである。
身体は枝のように華奢なのに、心は深く根を張る大樹のようにどっしりしている……そんなクロをリリーは歴史上の偉人を見るような顔つきで見たこともあったのだが、今、それと同じような表情でリリーは先生から見つめられていた。
先生はしばらくそんな小さな巨人を見るような視線を送っていたが、ふと我に返った。
「あ……し、神託の内容だったわね。それは……『勇者リリーム・ルベルム一行の手で聖麗剣ウォールナッツを差し遣わすように』……だそうよ」
「はぁ、わかりました」
特別な感情もなくリリーは頷いた。
元よりそのつもりだったのだが、念を押される形となってしまった。
「時間はいくらかかってもよいそうよ。ただし必ず、リリームさんたちの手で届けるように……と」
先生は噛んで含めるように「リリーたちの手で」という点を強調する。
それに対して「フン」と面白くなさそうに鼻を鳴らす者がいた。命令するのは好きだけどされるのは大嫌いなあの姫だ。
「命令なんてシャクに障るわねぇ……どうせこの前みたいに会う口実にしてるだけでしょ。そんなに会いたきゃあっちから来ればいいのに」
先生の鼻息がまた荒くなった。
「イヴォンヌさん、アナタ、何を言っているの!? 神託を受けるなんてすごいことなのよ!? 超一流の冒険者でも一生に一度あれば幸運なことなのに!」
怒ったような先生を「まあまあ……」となだめるリリー。
「神託を受けるのは初めてじゃないんです」と何度言おうかと思ったが、言ったら言ったで面倒なことになりそうな気がしたのでそれは引っ込めて、話をまとめにかかった。
「わかりました先生。じゃあ、ミルヴァちゃ……えーっと、ミルヴァ……えっと、女神様のところにクルミちゃ……えーっと、聖剣を届ければいいんですね」
リリーはつっかえながら神託を賜る。
先生の前にでミルヴァちゃんと呼ぶわけにもいかなくて、かといって正式な名前は覚えてないので女神様でごまかす。クルミについても聖剣と言い換えた。
神託にされなくても剣を届けるつもりではあったのだが、ミルヴァがクルミを欲していることがわかっただけでもリリー的には収穫だった。
持って行ったはいいけど欲しくもないプレゼントを渡された時みたいな反応をされたらどうしようかと思っていたところだ。
気になっていたことが解決したので、リリーは次点で気になることについても思考する。
次の問題は……家具の奥に逃げ込んだクルミをなんとかすることだ。
さらに説得を続けるつもりではあるが、クルミはかなり意固地なところがある。最悪イヴちゃんの言うとおり、家具をどかして捕まえるしかないかも……と最終手段も辞さない考えに至った。
しかし時間を空けたので、少しは話が通じるようになっているかもしれない……と籠城しているタンスに近よって様子を伺ってみることにした。
「……ねぇ、クルミちゃん、とりあえず出てこない? あ、そのままでもいいからせめてお話ししない?」
しかし返事はなかった。
タンスの隙間をそっと覗き込んでみたが、数時間前まで挟まっていた聖剣の姿はなかった。
「あれ、いなくなってる……? 奥に行っちゃったのかな……?」
訝しげにするリリーの隣にイヴがやってきて、苛ついた様子で手で押しのける。
「ああもう、チンタラやってんじゃないわよ。面倒くさいからコイツをどけて、出てきたところをとっ捕まえるわよ。動かすのはアタシがやるから、リリー、捕まえるのはアンタがやりなさい」
リリーにとっては最終手段ともいえる強引なやり方ではあったが、見当たらないうえに返事もないのではしょうがない……とやむなく承諾する。
イヴは自分の身長の倍くらいある大きなタンスに腕をまわし、「せぇーの!」と力任せに引きずった。
その側でリリーは腰を低くして構えを取り、クルミが這い出てくるのを待った。
が、飛び出してきたのは積年のホコリだけだった。タンスがなくなった壁にはタンスと同じ形の跡と、床にひきずった跡が残っているくらいで他には何もない。
「あれ? どこにもいない……」
肩透かしを食らったように構えた腕をガックリと降ろすリリー。
「そんなバカな」とイヴと共に引出しを開けてみたり、室内の他の所を探してみたがクルミの姿はどこにもなかった。
「まさか……どこかに逃げちゃったんじゃ……」
途方に暮れてしまったようにリリーがつぶやくと、その言葉に撃ち出されるかのように先生が床から立ち上がった。
「ええっ!? 女神の聖剣がなくなるなんて、一大事よ!? 大変! 大変! 大変っ! 大至急探さないと!!」
と叫びながら、先程の再現をするかのように部屋を飛び出していった。
……それから女神の聖剣が行方不明になったというニュースはあっという間に広まった。
不届き者に漏れることを危惧し、情報は教師陣にのみ開示されたようだが取り乱す先生たちを見て生徒たちが何事かと集まってきて、ズェントーク女学院の校内は蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。
そこで生徒たちから「そういえば、なんか床を這う変な剣が学院の外に出ていくのを見たわ」という目撃証言が得られたので、リリーたちはゼン女を飛び出してズェントークの街中へと繰り出した。




