01 プロローグ
子供を成長させるには百の言葉よりも、一振りの剣を与えよ。
「それ」を前にしたリリーは、そんな言葉を思い出していた。
どこかで聞いた言葉なんだけど、どこだったっけな……? と出自を思い出そうとしていたが、全然思い浮かばなかったのですぐにあきらめた。
その背後から、驚きの声が続く。
「あら、なによコレ!?」
シロから配られたハンカチで頭を拭いながらやってきたイヴは、持ち前の大きな声をより一層大きく反響させていた。
さらに賑やかな声と足音が続く。
「わぁーっ、すごーい!」「ああっ、まだ拭き終わっておりませんから、お待ちになってくださ……」
風呂上がりの子供のように雫を振りまきながらやってきたミントは歓声をあげ、その頭を拭いていたシロはハンカチ片手に追いかけてきて、言葉を失った。
最後にやって来たのは、影のように静かで黒い人物だった。
「……」
足音もたてずやって来たクロは目の前にあったものを、ぼんやりとした瞳に写している。
戦士のイヴ、盗賊のミント、僧侶のシロ、魔法使いのクロ……そして、リーダーである勇者のリリー。
まだ冒険者と呼ぶにはかなり幼い彼女らの前には、分不相応ともいえる光景が広がっていた。
岩に突き刺さった、一振りの剣。
ハート型の柄頭にはふたつの宝石がはめ込まれており、つぶらな瞳のように、また夜空の小さな星のように、健気に輝いている。
グリップは小さな手でも持ちやすそうな細さで、滑り止めがわりの凝った装飾が施されている。鍔は孔雀が翼を休めているような鮮やかな青。
こうして柄の部分だけをとっても、ただならぬ業物であるのがわかる意匠。
極めつけは刀身で、天井の隙間から差し込む青白い光を受けてアクアマリンの宝石のように輝いていた。
戦いの道具であるのに見とれてしまうほど美しいそれは……どこからどう見ても『伝説の剣』の佇まいであった。
……時は二週間ほど前に遡る。
リリーたちが所属する冒険者のための学校、ツヴィートーク女学院……通称『ツヴィ女』の生徒たちは秋の修学旅行に来ていた。
今年は例年と大きく異なり、初めて転送装置を使った遠い地への旅行となった。
行き先はバスティド島の北西にある学院、ズェントーク女学院、通称『ゼン女』だ。
ここで一週間ほどゼン女の生徒たちと交流授業を行い、授業最後の日には協力しあってズェントーク名物の塔、『湖に映る塔』に挑戦した。
その後、さらに北西にある港メリーデイズに向かい、一週間ほど観光した。
バスティド島には八つの大きな港町が存在し、メリーデイズはそのひとつだ。
いずれも大陸からの船を受け入れる玄関口のため王都ミルヴァランス並に栄えている。
リリー一行のなかではイヴが何度か来たことがあるそうで、リリーは幼いころ母親に連れられて来たことがあったがよく覚えていなかった。
ミントなどはこんなに大勢人がいる場所に来たのは初めてなのか「おまつり!? おまつりなの~!?」とはしゃいでいた。シロなどは人いきれのあまり目を回す始末だった。
珍しい大都会、リリーたちは連日いろんなところに遊びに行った。
そして修学旅行の最終日、リリーは帰る前にメリーデイズでしか手に入らない野生の木の実が欲しいので一緒について来てほしいと仲間たちに頼み込んだ。
リリーの木の実好きを知っている皆はすんなり賛成してくれが、イヴだけは「なんでこんな所まで来て木の実なのよ!?」と反対した。
しかし結局はしぶしぶとついて来てくれた。
リリーたちは港からかなり離れた所にある森に目星をつけ、木の実採取を行った。
そこは地元にはない木の実が鈴なりになっていて、リリーは宝物庫に入ったように色めき立った。
そして夢中になるあまりつい奥へ奥へと入ってしまい道に迷ってしまった。
しかも運悪く雨が降って来て、さまよい歩いているうちに見つけた洞窟にひとまず避難しようということになった。
そして……件の「それ」と出会ったのだ。
洞窟の奥で邂逅した、一振りの剣……その神秘的な美しさに少女たちはしばし見とれていた。
が、先頭で今にも乗り出さんばかりにしていた、一行のなかでもいちばん背の低い少女が……羽根のない妖精のような愛らしい顔をめいっぱい輝かせたかと思うと、
「きれーい!」
盗賊のミントことキャットミント・ネペタが緑色のハンタードレスのスカートを翻して、剣に向かって突撃していった。
髪をまとめている髪留めの魔力で彼女のポニーテールは猫の尻尾のように本人の意思を反映して動く。
面白そうなものを見つけたときの反応として、まとめた髪の先っぽだけをピクピクと小刻みに動かしていた。
「あっ、ダメっ! ミントちゃんっ!?」
リーダーであるリリーは咄嗟に止めたが、わんぱくなミントには言葉の制止は意味がない。
あっという間の俊足で剣に近づいたオテンバ少女は、自分の頭よりも高い位置にある柄を背伸びして掴んだ。
そして戸棚からオヤツを取り出す子供のような危なっかしい手つきで引き抜こうとする。
……が、剣は抜けなかった。
「ぬ、ぬけないよぉ~!」
限界までつま先立ちしながら小さな身体に力を込めているが、剣は動かない。
リリーは急いで駆けつけ、その身体を抱え上げた。
「もう、いきなり飛び出しちゃあぶないよ!?」
やんちゃな少女の鼻先を指でツンと突いて注意するリリー。
ミントは盗賊だ。盗賊というのは未知の通路や仕掛けに対して人一倍警戒するのが普通なのだが彼女はかなりの例外だ。
扉でも宝箱でも覗いてみて、触ってみて、開けてみて、罠が作動したら避けるという体当たりな解除をするタイプの、他に例のないスタイルの盗賊だった。
戦士のイヴことイヴォンヌ・ラヴィエがどれどれ、といった感じで前に出る。
「まぁ、なにもなかったからいいじゃない。次はあたしにやらせてみなさいよ」
彼女自身が憧れる伝説の戦士『姫騎士』を意識した真紅のレザーアーマーとロングスカート、背中には自らの背丈以上に大きい大剣を担いでいる。
盾は持たず、見るからにパワータイプの戦士のスタイルだが、顔立ちは品を感じさせる端正さで、戦士というよりはどこかの貴族のお嬢様のようであった。
美しい金髪をツインテールに結わって赤いリボンをしているあたりもさらにアンバランスさを醸し出している。
力には自信のある彼女は上からむんずと柄を掴み、引きあげた。
「ぬぐぅぅぅぅ~っ!!」
しかし……顔を赤くするほど力を込めても、剣は微動だにしなかった。
仲間がふんばる様子を、リリーたちから一歩下がった場所で見つめていたシロことシロミミ・ナグサがおずおずと口を開く。
「あの……この剣は何なのでしょうか……?」
腰まで伸びた黒髪のロングヘアに映える白い肌。不安そうな困り眉と、丸いメガネの奥にある潤みがちな大きな黒い瞳は庇護欲をかきたてられる。
華奢な身体を大きな純白のローブで覆っているが、成長した胸だけは隠せないようで、控えめな少女の中でもかなり主張していた。
しかしそれ以上に目を引くのは背面のほうで、肩から腰にかけての背中には有翼人族の証である鳥のような翼が生えていた。
ただでさえ清らかな容姿に翼が加わって、さながら天が遣わしたような見目である。
しかし彼女は天使ではなく僧侶であった。その手には信仰の象徴である護符が握られていた。
これは魔法を唱えるのに必要な触媒で、今まさに剣と格闘する仲間たちが不慮の事故で負傷してもすぐに治癒魔法が発動できるようにと準備しているのだ。
シロの後ろに背後霊のように立っていたクロことクロコスミア・エンバーグロウが仲間の疑問に答えるべく、そっと唇を動かしはじめた。
最初は声が小さすぎて口パクのようであったが、音量調整するように少しづつ声が大きくなっていく。それでもつぶやきのような声量で、
「……おそらく『ゴッド・アイテム』」
とだけ聞き取れた。
グレーのおかっぱ頭と、幼いながらも全てを見通しているかのような落ち着き払った表情、一枚布のような黒いローブを頭からすっぽりと被り、やせ細った身体をも暗闇の中に包んでいる。
手には古びた木杖を持ち、いかにも魔法使いといった風体の少女である。
「その剣から発せられる魔力は人間のものではない。おそらく神々の魔力が込められた剣であると思われる。神具はいわゆる『ゴッド・アイテム』と呼ばれるが、剣の場合は……『聖剣』とも呼ばれる」
「聖剣!?」
リリーは驚いた様子でオウム返しする。
聖剣ならつい先日、観光で行ったメリーデイズの美術館に飾られているのを見た。
でっかいのやら細いのやらギザギザしたのやら、いろいろあった。でもどれもそのへんの武器にはないオーラみたいなのを感じさせた。
そのとき一緒にいたガイドさんからいろいろと説明された気がするが、『すっごい強い剣』と『伝説の勇者はみんな持っている』というのだけは覚えている。
後で聞いたことだが飾られていたのはレプリカの剣らしく、それでも相当価値のある魔法の剣らしいが、なんとなく肩透かしをくらったことのほうが印象に残っていた。
「こ……これが……聖剣!?」
貴重さを噛み締めたリリーはことさら驚く。
美術館での聖剣はガラスケースに入れられていて正直よく見えなかった。もっとよく見ようとガラスに顔を貼り付けたら警備員に怒られてしまった。
なのでよく見れなかったのだが、そんな凄いものが、こんなところに……しかもレプリカではなく、本物……!?
リリーはミントを抱っこしたまま剣を観察しようとしたが、まだイヴが唸りながら剣にとりついていたので近づけなかった。
イヴは負けず嫌いなのでこういうときは本人の気が済むまでやらせておくしかない。途中で止めると意固地になるのだ。
しばらく静観してようやく、イヴはとうとうあきらめたのか「くはあっ!」と息を吐いてどっすんと尻もちをついた。
「ああっ、もうっ! 何よこれっ!? 刀身の先がちょっとだけ埋まってるように見えるけど、ホントはすっごい長い剣で相当深くまで埋まってるんじゃないの!? だったら抜けるわけないじゃない! インチキよインチキ!」
酸っぱいブドウをけなすような口調で、不満をたらたらと漏らすイヴ。
ようやく空いたようなのでリリーは前かがみになって覗き込んだ。
「ちょっと私にも見せて、イヴちゃん」
「なによ、アタシで無理だったのに、アンタに抜けるわけないでしょ」
イヴはふてくされたように口を尖らせる。
「いや、抜くわけじゃないよ。よく見てみたいなーと思って」
リリーは目をすがめつつ、柄頭のほうから舐めるように観察しはじめた。
うーむ、それにしてもキレイな剣だ。特にこの孔雀の翼みたいな鍔が見事だ。まるで今にも羽ばたきそうな躍動感がある……グリップの装飾も凝っている。おそらくただの飾りじゃなくて、握る力を高める効果もあるんだろう。握ってないときは目を楽しませて、握っているときは滑り止めになる……装飾と実用を兼ねた素晴らしいグリップだ。
などと心の中でつぶやきながら、触ってみようと手をかけたら……剣はするりと抜けてしまった。
「えっ」
くせのある赤髪を三つ編みにまとめ、自分のことは美人でも不細工でもなく十人並みで凡庸だと思っているけど、勇者になりたい気持ちだけは人一倍あるつもりの少女……リリーことリリーム・ルベルムの手には、さっきまで頑として抜けなかった剣が握られていた。
濃紺のシャツにショートパンツ、その上から青いマントを羽織り、足元はサイハイソックスにブーツ。
好きな青系の色でコーディネートした勇者ルックのつもりなのだが、にじみ出る頼りなさは否めない……。
そんな見習い勇者の手には、不釣り合いなほど神々しい「それ」があった。




