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「いやああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
リリー最後の大叫喚。その叫びに反応したかのように、目前で大規模爆発が巻き起こる。
肌を裂くような突風が襲い来る。
いよいよただ中に突っ込もうとした瞬間、首根っこを掴まれたように引っ張られた。
リリーたちの身体は勢いよく上昇する。
イフリートの足元くらいに居たはずなのに、目が合う位置までに舞い上がっていた。
「あ……あれっ?」
タヌキに化かされている最中のような、間抜けな声をあげるリリー。
イフリートも面食らっていたので、これは死後の夢じゃないと確信する。
「い、一体何が……?」
高速落下ではなく、フワフワと漂うようなゆったりとした下降。
やさしい感触が頬に触れる。手にとってみると、それは白い羽毛だった。
「も、もしかして……シロちゃん!?」
顔を上げたリリーは、まさしく奇跡を目の当たりにする。
シロの背中の翼が、いつもの数倍の大きさになっていたのだ。
両手をめいっぱい広げたリリーが10人集まっても足りないくらいの、大型船のマストのような翼。
下からの突風を受けまさしく帆のように広がり、上昇気流に乗ったのだ。
あたりに羽毛を舞い散らしながら翼を広げるその姿は、さながら不死鳥のようであった。
しかし……やってのけている当人は切羽詰まった顔をしていた。
「シロちゃん……いったいどうやったの!?」
「しっ、神聖界で翼を小さくするやり方を教えていただいたときに……おっ、おおお大きくする方法も教えていただいたんですっ……つつっ、使うことはないと思っていたのですが……まさか、こ、こんな形でお役に立てるなんて……!」
震える声で律儀に返答するシロ。
落ちている最中に声をかけたとき、シロは目を閉じていた。
てっきりいつものように失神しているものだと思ったが、違ったのだ。
リリーがパニックになっている大騒ぎしている最中、シロはひたすら翼を大きくすることに専念していたのだ。
シロは最後まであきらめず、己の持つ能力を試してみようと、ギリギリまで足掻いたのだ。
そして……見事仲間の危機を救った。
か弱き幼馴染は、リリーが思うよりずっと強く成長していたのだ。
リリーは素直に驚嘆し、そしてとても嬉しくなる。
「す、すごいっ……すごいすごいすごいっ!! すごいよシロちゃんっ!!」
リリーが抱きつくと、皆も歓声とともにシロに抱きついた。
シロの身体が大きく揺れ、顔から血の気が引いた。
「あ……わわっ、す、すみませんみなさんっ、あっ、あまり動かれますと……おおお落ちてしまいますっ……!」
運動神経のないシロは墜落しないようバランスを取るのに必死になっていた。
生まれて初めての翼での飛行、一歩間違えば再び真っ逆さまに落ちてしまうのだ。
皆は協力して体重移動をし、飛行バランスを取るのを手伝った。
「……あっ、そういえばホーマイさんは!?」
リリーはハッとなる。まさか熔岩の海に落ちちゃった!? と下を見ると巨体がぶら下がっているのが見えた。
「ねぇねぇ!? ちょっと! 一体何があったの!? あ、頭に血が上る~!?」
ホーマイを拘束する鎖が伸び、ちょうどリリーたちの鎖に絡まり事なきを得たようだ。
鎖は足首についていたのでホーマイは逆さ吊りになっていた。
「よかった、無事だった……よぉし、このまま一気に外に出ようっ!!」
気を取り直したリリーは拳を掲げる。
「おーっ!」と威勢よく応じる仲間たち。
しかし、異を唱える者がひとり。
「……さ、させるかあっ……!!」
逃してなるものかと、イフリートが手を伸ばしてきた。
捕まりそうになったが体重移動による滑空でかわす。
「くっ……こ、このっ! ちょこまかとっ!!」
イフリートは両手を使って捕まえにきたが、リリーたちは右に振れたり左に振れたり、時には急降下してするりするりと手と手の間をすり抜けた。
そして遂に、二度目の大爆発が起こる。
……ドォォォォォーーーン!! と洞窟全体が大きく揺れる。
足元から迫ってくる火柱。突き上げられるような急上昇。
次の瞬間、リリーたちは大空を舞っていた。
包み込むような真紅の空の向こうには、大輪の薔薇のような夕日。
毎日見ている夕日だったが、今日のは特に目にしみる。
つきまとっていた蒸し暑さは消え失せ、心地よい風が吹き抜けていく。
眼下は一面、ダモンドの街が広がっていた。
二度による爆発の力を借り、リリーたちはついに地上に舞い戻ることに成功したのだ。
「な、なんだあれは!?」
「翼の生えた人間だぞ!?」
「わぁ……すごい綺麗……!!」
「なんという神々しさだ……!!」
「あれはきっと、女神様だ……! 女神様が降臨なさったんだ……!!」
大穴のまわりに集まっていた街の人々。
突如現れた翼の少女に口々と叫びあい、その美しさに嘆息し、そして誰からともなく膝まずいて祈りはじめた。
空を舞う少女たちの中には女神もいたので間違ってはいないのだが、民衆は白き翼をたたえる少女に心奪われていた。
当のシロは崇拝の対象になっているとも知らず、暴れる仲間にあたふたしていた。
「や……やった! やったやったやった!! やった!! やったぁーっ!! やったよ、やったよシロちゃんっ!!」
リリーとミルヴァは両側からシロを力いっぱい抱きしめる。
「やるじゃない、シロっ!! このこのこのっ!!」
背後からシロの首に腕を回し締め上げるイヴ。
「わぁーっ!! たかいたかいたかーっ!!」
絶景に興奮し、両手をバタつかせるミント。
「……」
干し柿のようにぶら下がったまま動かないクロ。
「はわわわわっ!? み、みなさん、お、落ち着いて、落ち着いくださいっ!! ああっ!?」
暴走する仲間たち。シロはとうとうバランス崩し失速してしまう。
それでも仲間たちはアハハハハと爆笑している。
夕暮れの空を宙返りしつつ、リリーたちは街の側にある森に突っ込んでしまった。
メキメキと木々の枝を折り、突き抜けた先は沼だった。そのままドボンと着水する。
沼がクッションとなって墜落の怪我はなかったのだが、全身泥まみれになってしまった。
沼に浸かってようやく正気に戻るリリーたち。なんとか這い出し、泥だらけのまま街へと向かう。
シロの翼は見る影もなく汚れてしまったのと、泥を吸って重くなっていたので再び小さいサイズに戻した。
先ほどまで拝まれていたリリーたちだったが泥にまみれた状態では同一人物と思われなかったらしく、街の人たちはリリーたちを無視して女神の捜索に奔走していた。
ホーマイはその中に酒蔵の主人を見つけ、身体の泥も払わず一目散に駆け寄った。
「ダーーーーーーーーリーーーーーーーーーンッ!!」
「え? あ……ああっ!? ホーマイ!! 無事だったのか!! ああっ、ホーマイ、ホーマイ、ホーマイっ!!」
「会いたかった、会いたかったよダーリンっ!!」
熱い抱擁をかわすドワーフ夫妻。
「あっ!? 余を突き落としたオヤジ!! ここであったが百年目、たっぷり天罰を食らわして……!!」
ミルヴァは怒り心頭で飛び出そうとした。しかしシロにすがりつかれた。
「お、お待ちくださいミルヴァさんっ!」
「なんじゃシロ、離せ! 止めるでないっ!!」
「み……ミルヴァさんは女性の方がお好きなんですよね?」
「そうじゃ! 女の幸せは余の幸せだと思うておる……だが男はみんな大っ嫌いじゃ! 余に不届きを働いたとなると尚更にな! だから彼奴は今すぐに地獄に……!!」
「……あのふたりを、よくご覧になってください」
その場に正座したシロは、膝の上にミルヴァを座らせた。
「ホーマイさん、ご主人にお会いになられてあんなに嬉しそうにしています。もしここでご主人に天罰を下されたら……ホーマイさんはきっと悲しみます」
抱き合っておいおい泣くドワーフ夫妻を見つめるミルヴァ。
「……今日のところはシロに免じて許してやるとする」
シロの膝から立ち上がり、フンとそっぽを向いた。
再会の喜びを終えたドワーフ夫妻は、リリーたちに何度もお礼を言った。
突き落とした件については土下座して謝られた。
お詫びのかわりと家族を助けてくれたお礼ということで、ネズミ退治の報酬の100倍のゴールドを払うと言われたが、助けられたのはお互い様だったし依頼外の仕事だったので丁寧に断った。
ならばせめてもの償いということで、キズの手当とお風呂の提供を申し出てくれた。
そのうえ酒蔵にある樽を作るためのノコギリで鎖も切ってくれるという。
「いいわねぇ、ほぼまる一日繋がれっぱなしでウンザリしてたのよ、さっさと切ってちょうだい。汗もかきっぱなしのうえに泥まみれになっちゃったから、お風呂にも入りたかったのよねぇ。ケガはホーリーデーが終わればすぐに治せるけど……まぁいいわ、みっつとももらってあげるわ」
イヴは上から目線でその申し出を受け入れた。
「フン、一番風呂じゃぞ!」
ミルヴァはさらに上から目線だった。
「ミント、おなかすいちゃった~」
さらなる報酬を要求するミント。
「あの、お手当のほうは私にさせていただけませんか?」
無事脱出できて安心したのか、いつもの調子を取り戻すシロ。
「はぁ~っ、いろいろ大変だったけど、なんとかなってよかったねぇ~」
一件落着とばかりに目一杯の伸びをするリリー。皆と笑顔を交わし合っていると、ひとりの異変に気づく。
「……ってクロちゃん、どうしたの?」
泥のせいでグレーのローブになっているという大きな異変はあるが、その内にあるいつもの無味無臭の表情が、ほんの僅か、気のせいかと思うほどほんの僅かではあるが、なんとなく浮かない表情をしているように見えたのだ。
「イフリート」
単語のみを返すクロ。
「ああっ!? そっか! すっかり忘れてた!」
「おお、そうじゃ、そうじゃった、忘れるところじゃった」
図らずともリリーの手によってパワーアップさせてしまった炎の魔人がまだそのままであることを思い出す。
先にお風呂に入りたかったが相手が相手だけに、リリーたちは様子を見に行くことにした。
いったんドワーフ夫妻と別れて大穴へと向かう。
穴は街のちょうど真ん中にある広場にぽっかりと空いていた。
穴の側まで来るなりミルヴァは腰の布袋を取り外した。
おもむろに袋の紐を解くと、穴の上で袋を逆さまにひっくり返す。
口の開いた布袋の中から大量の六面体がこぼれ落ち、ザラザラと穴の中へと落ちていく。
それはどう見ても『神の賽』であった。
「……これだけ振れば、ひとつくらいは大洪水になるじゃろ」
中身を全て投入し終えたミルヴァは涼しい顔で布袋をしまう。
他のメンバーは全員、アゴが外れんばかりに口をあんぐりと開けていた。
「なによアンタ! そんなにいっぱい持ってたの!?」
「誰も一個しかないとは言うとらんじゃろ」
「だったら……!!」
イヴの抗議は穴から轟いた砲撃音によって遮られた。ありったけの『神の賽』の効果が発動したのだ。
穴の底からは地震、落雷、火災、洪水、落石、竜巻……ありとあらゆる天変地異が共鳴し、この世の終わりのような鳴動が轟いていた。
あまりの騒音にリリーたちは慌てて穴から離れる。女神を探していた街の人たちも何事かと集まってきた。
穴からはゴウゴウ、ピカピカ、ガラガラ、ガッシャンと不穏な音が溢れ、吹きこぼれる鍋のように熱湯や赤熱した岩が飛び出していた。
しばらくして……穴の底からぬぅと手が伸びてくる。人間をひと掴みにしそうな巨大な手だった。
手は穴の淵を掴み這い上がる。露わになった上半身に衆人から悲鳴があがった。
人の形をしているが表面は樹皮のように枯死しており、シワまみれでボロボロ。炭化したような灰色の肌をしていた。
空を引っ掻き、屠殺される牛のようなうなり声をあげ、もがき苦しんでいる。
全身大やけどをおった人間が絶命する瞬間を目撃しているような、不気味なその姿に衆人たちは一斉に後ずさる。
リリーたちはそれがイフリートだと直感した。
巨人は天を仰ぎ、見えない太陽を掴むように両手を挙げる。
口のような風穴から吐瀉物のごとく、熔岩がぶちまけられた。
「ウォォォォォーーーーーーーーーーーーンッ!!!」
大嵐の風鳴りじみた断末魔が街全体にこだまする。
直後、ビキビキと凍りつくような音とともに身体が固まりはじめる。
やがて……上半身が石化したように動かなくなってしまった。




