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極熱の滝壺へと落ちていく、運命のサイコロ。
滝は水龍のように激しくうねり、遥か下方は風呂釜のようにグツグツと沸き立つ熔岩の海。
リリーたちは広場の淵ギリギリで陣取り見守っていた。
普段であれば足がすくむような灼熱地獄であったが、賽の目が気になるあまり恐怖は消し飛んでいた。
投げられた神の賽は高速回転しながら、すでに家くらいの大きさまで膨張していた。
全身にまとった黄金の輝きは、神具と呼ぶに相応しい美しさを放っている。
「キラキラしてる~!」
光りモノが好きなミントはさっきまで号泣していたのも忘れ、目を輝かせた。
リリーたちは自然と身体を寄せ合い、祈りを捧げる。
彼女たちが信じる神はいまイヴが抱っこしているが、ひたすら祈った。
「大洪水……大洪水が出ますように……!!」
もう足は熱くなかった。
「大洪水……大洪水が出ぬように……!!」
イフリートも祈りに集中していたので床を加熱するのを忘れていたのだ。
神も、モンスターも、勇者たちも……全ての者が固唾を呑んで賽の目に注目していた。
サイコロは熔岩の海につくギリギリの所で対空する。
目にもとまらぬ速さの回転がだんだんとゆっくりとなり……やがて表面の彫り込みがわかるまでの遅さとなった。
火の玉が彫られた「大火災」。
渦巻きが彫られた「大竜巻」。
稲妻が彫られた「大落雷」。
ひびの入った卵が彫られた「大地震」。
星型が彫られた「大隕石」。
そして……垂れ落ちる雨のような雫が彫られた「大洪水」
これから下される神判を民衆に再確認させるかのように……ゆっくりとひとつひとつの出目が送られていく。
ついに……その動きがゆっくり停止する。
巨大なガベルが振り下ろされたように、ガコオォン……!! と荘厳な音が響きわたった。
16の瞳が集中したその先にあったものは……。
「「「「「「「「だ……大火災っ……!?!?!?!?!?」」」」」」」」
8つの口が、一斉に声を張り上げる。
金色から虹色へと輝きを変える神のサイコロ。
火の玉が彫られた面が上蓋のようにパカッと開いたかと思うと、炎の龍のような火柱があがった。
火柱はイフリートと同じくらい巨大で、しかも数も膨大。まるで解き放たれたように四方八方へと散っていく。
『神の賽』は民衆への天罰が主な用途だ。
どれが出たとしても人間にとっては大いなる脅威として作用する。街どころではなく、国が滅ぶほどの威力があるのだ。
全てを高熱の炎に包む『大火災』……発動したあとは解き放たれた炎の龍が全てを跡形もなく焼き尽くす。
草木や建物はもちろんのこと、人間やモンスターに至るまで消し炭となってしまうのだ。
しかし……炎より生まれいでた者だけは例外となる。
イフリートは襲いかかってくる炎龍たちを恵みの雨のように浴びていた。
「お……お……おおっ……す、素晴らしい……!! 酒などの比ではない……かつてない力が沸いてくる……まるで自身が太陽になったかのようだ……!!」
全身を包む炎が、艶を取り戻した毛のようにいきいきと燃え盛る。
声も老婆から、妙齢の女性のものへと変わっていた。
いままでコツコツ蓄えてきた力など微々たるものと思えるほどの爆発的なエネルギーに酔いしれる。
無上の喜びを知ったかのように身体をわななかせるイフリート。
かたやリリーは吊し上げをくらっていた。
「なんでよりにもよって最悪の目を出すんじゃっ!?」
ミルヴァはリリーの左頬をつねっていた。
「どうすんのよリリーっ、アイツ、パワーアップしてるじゃないのよっ!?」
イヴはリリーの右頬をつねっていた。
「うわあぁぁーんっ! ごめんなさーいっ!!」
頬をめいっぱい広げられて、情けない声をあげるリリー。
その背後で大地が裂けたような爆音が轟いた。ひときわ大きな火柱があがり、天を突きあげる。
直後、広場にガラガラと岩が降ってきた。
ハッと上を見上げると、遥か上空にある天井には大穴が開いていた。
穴の向こうには雲ひとつない、鮮やかな紅の夕暮れ空が広がっていた。
「フ、フ、フ……燃えるような赤き空……!! 我が復活を世界も祝福している……!! ついに……時は来た……再び地上に降臨する時が……!! フーッ! フッ!! フッ!! フッ!!」
両手を広げ、天を仰ぐイフリート。地上にも届きそうな大きな高笑いをあげる。
「くっ……まずい……! 彼奴がここを出ると、地上はどこも火の海となるぞ……!!」
ミルヴァは悔しそうに唇を噛んだ。
「ええっ!? それじゃなんとかしないと……! うわあっ!?」
お盆をひっくり返すように広場が傾いた。床下で大爆発が起こり、広場を支えていた柱が折れてしまったのだ。
「うわあああああああああああああああーーーーーーーーっ!?!?」
空中に投げ出されるリリーたちとホーマイ。真っ逆さまに落ちていく。
遥か下には熔岩の海。サイコロはまだ力を放出し続けており、そこらじゅうで大爆発が起こっている。
落下しながらもがくリリー。しかし周囲には掴まれそうなものは何もなかった。
「ヤバいヤバいヤバいっ!! な、なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ!! イヴちゃん何かないっ!? お姫様の隠された力とかないのっ!?」
藁にもすがる思いでイヴに抱きつく。
「そんなモノあるわけないでしょっ!!」
「く、クロちゃんっ!! 魔法ない!? 魔法っ!! どっかに瞬間移動する魔法とか!!」
人形のように不動のポーズで落ちていくクロのローブを掴んで引き寄せるリリー。
「瞬間移動する魔法は存在するが、自分には行使することができない」
「ミントちゃん! ミントちゃんの身体能力でどっかにつかまれない!?」
ムササビのように両手を広げて落下を楽しむミントを引き寄せる。
「どっかって、どこ~?」
「し、シロちゃん! シロちゃん!? き……気絶してる!?」
祈りのポーズのまま瞼を閉じているシロを引き寄せる。
リリーは両手を広げて仲間たちをめいっぱい抱きしめた。
薪を入れすぎたオーブンの中にいるような熱さだったが、仲間のぬくもりはしっかりと感じとれた。
……死が現実となって、リリーの心に取り憑く。
こ、こんなところで、こんなところで死ぬの……!?
下の熔岩の海に突っ込んだら間違いなく即死だ。ミルヴァちゃんも一緒に死ぬから復活もできない……。
それどころか……骨も残らず溶けて、死んだことすらわからない……!!
ツヴィ女のみんなにも、街のみんなにも、そしてママにも、死んだことすら気づいてもらえない……!!
それだけは嫌だ。絶対に嫌だ。
私たちはここにいて、がんばったんだ。何度か死にかけたけど、みんなで協力してここまで来たんだ。
イヴちゃんはその力で宝箱を壊してくれたし、ファイヤーグレムリンを倒してくれた。
ミントちゃんは人間離れした軽業でインプたちの攻撃をしのぎ、私の剣を取り戻してくれた。
クロちゃんはげっ歯類の盾で牢屋を出るきっかけを、そして薬草学の知識でインプたちを眠らせてくれた。
シロちゃんは傷ついたみんなの手当をしてくれて、料理も作ってくれた。そして何より自らの翼を犠牲にしてまでみんなを助けようとした。
ミルヴァちゃんは『神の賽』で一発逆転のチャンスをくれた……!!
みんなでがんばってきたのに、必死にがんばってきたのに……!!
最後の最後の最後で死ぬなんて……それもこんな形で……!!
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……絶っ対に嫌だっ……!!
お願い神様……!! って神様はここにいるけど……私はどうなってもいい!!
せめてみんなを助けて……!! イヴちゃんの、ミントちゃんの、クロちゃんの、シロちゃんの、ミルヴァちゃんの笑顔がこの世界から無くなるなんて、絶対にダメ、ダメなんだっ!!
私はみんなの分……ううん、その百倍の苦しみも受けるから、なんとかして、神様っ!!
なんとかしてなんとかしてなんとかしてなんとかしてなんとかしてなんとかして!!!
「な、なんとか、なんとかなんとかなんとかなんとか……なんとか……ならないよぉおおおおおおおおおーーーーーーーーっ!!!!!!」
リリーの願いも虚しく、熔岩の海は目前。
女神と勇者一行はあと数秒で、最後の時を迎えようとしていた。




