44 イフリート
「い……イフリート!?!?」
陽炎のようにゆらぎながら人の形をなす巨大な炎の柱。
火箸のように赤熱する眼光に睨みつけられ、リリーはヘビを前にしたカエルのように縮みあがった。
イフリート……全身に炎をまとう悪魔。炎の精霊としても、悪魔としても最上級に位置するモンスター。
リリーも授業や図鑑などで見て知識としては知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
冒険者になってから出会ったモンスターの中で最大級だった『不変のヴァンターギュ』……その数倍はある……!!
「うわぁ~おっきぃ~!」
「イフリートって……こ……こんなにでっかいの……!?」
「イフリートは熱源に応じて体積が変化する……周囲の熔岩であそこまで大きくなったものと思われる」
登山に来たようにはしゃぐミントと、敵の雄大さに気圧されるリリー。
見慣れた標本を前にしているかのように特別な感情もなく、淡々と解説するクロ。
「さあ、かかってこいっ!!」
ドワーフ女は鎖分銅を振り回しながら山脈のような存在に向かって叫ぶ。
ドワーフ女はリリーたちよりも大柄だったがイフリートに比べるとアリが象に挑むようなものだ。
リリーは内心「こんなのと戦うのっ!?」と怖じ気づいていた。
しかし……イフリートはいくら挑発されても動こうとはしなかった。
「フ、フ、フ……新たな雑菌が来たようだな……」
ドワーフ女よりもリリーたちのほうに興味があるようだった。
室内に響き渡るイフリートの声は女性のものだった。
ややしわがれており、年齢を感じさせる。しかし穏やかさは微塵もなく、かなり高圧的な印象を受ける。
圧政をしく女王のような……尊大で、一方的な態度。
「ざ、雑菌ですってぇ!? ただの火のカタマリのくせに、偉そうにするんじゃないわよっ!!」
高圧さなら負けないこの島の姫が食ってかかる。リリーと違って全然臆した様子がない。
「この洞窟は我が体内……部屋は内臓、通路は血管、溶岩は血液、熱風は息吹……そこに侵入してきた小さく醜きお前たちは……まさしく雑菌に他ならぬ……」
「フン、なにが体内よ! アンタもこの中にいるクセに! アタシらが雑菌ならアンタは詰まった排泄物だわ!!」
イフリートとイヴの口喧嘩のゴングが鳴るかと思われたが、周囲が急に騒がしくなり空振りに終わった。
広場のまわりにある橋を伝ってモンスターたちがなだれ込んできたのだ。
数はさっきの数倍はいる……!
「……おやおや、抗体がまいったぞ。雑菌を排除しに」
部下であるモンスターたちを「抗体」と呼び、楽しそうなイフリート。
排除されてなるものかと、リリーたちは向かってくる敵に対して身構える。
「フ、フ、フ……刃向かう雑菌を嬲るつもりで呼び寄せたのだが……気が変わった……」
イフリートは鷹揚に両手を広げると、怒髪を逆立てるようにカッと燃え上がった。
「じゃまをするで……なぁぁぁぁぁぁーーーいっ!!!」
業火のような一喝。
地獄から湧き上がった火柱が高く突き上げ、橋を粉砕する。上に満載だったモンスターたちは悲鳴をあげながら地の底へと消えていった。
一瞬で、数千匹のモンスターを……!?
恐るべき火力に、リリーは唖然としてしまった。
しかも……広場と通路を繋ぐ橋が全て壊されてしまった。
完全に退路を絶たれ、孤島となった広場にポツンと7人取り残されてしまった……!!
「フ、フ、フ……これで邪魔するものはいなくなった……さぁ、ゆっくりと楽しむとしよう……」
邪悪な魔女が生贄を前にしたかのような、サディスティックな笑い。
むせ返るような暑さなのに、リリーの背筋に冷たい汗が流れる。
絶望のあまり走り回りたい衝動にかられたが……握りこぶしを作り、ぐっとこらえる。
ゆっくり深呼吸し、熱い空気を吸い込む。
肺が焼けつくような感覚で、強引に正気を取り戻す。
できれば逃げてしまいたかったが……退路を失ってしまったことで、逆に腹がくくれた。
リリーはめいっぱい見上げ、イフリートの光る眼を見つめて問う。
「……ねぇ! アナタはなんで……こんな所にいるの!?」
話が通じそうなモンスターだったら、戦う前にとりあえず話をしてみる……リリーの母親、ママリア・ルベルムの信条だ。
ジタバタしてもしょうがない今、母親にならって話をしてみるのもいいだうと考えたのだ。
もしかしたら話しているうちに活路が見い出せるかもしれない。
それに今は完全に相手のペースだ。それを少しでも崩すことができればなんとかなる……かもしれない。
「ここに巣食って……酒を提供させているのよ」
しかし答えたのは隣にいたドワーフ女だった。
ドワーフ女はホーマイと名乗り、イフリートのかわりに話しはじめた。
……打ち捨てられた採掘場に棲みついたイフリート。
力を蓄えるために地上にある酒蔵に目をつけた。
生み出したインプたちに命令し、酒蔵の奥さんであるホーマイをさらわせた。
そして身代金がわりに酒蔵の主人に酒を提供させた。酒は炎属性のモンスターを活性化させる力があるのだ。
ホーマイは人質として、そしてインプたちの世話をするために拘束され、強制労働させられていた……。
以上がホーマイの説明だった。
「フ、フ、フ……酒はよい……我が身体をさらに美しく燃え上がらせ、さらなる力を与えてくれる……!」
胸を抱き喜びに震えるイフリート。身体を打ち震わせるたびに隕石のような火の玉がボタボタと垂れ落ちる。
なるほど、それであんなに大きくなったのか……とリリーは理解した。
隣で話を聞いていたイヴが何かを思いついたのか「あっ」と声をあげた。
「ってことは……酒蔵のオヤジがアタシたちをこの洞窟に突き落としたのって……!」
イヴの言葉を受けてリリーも理解した。
突き落とされる瞬間に聞いた「悪く思うな」という言葉が脳裏に蘇る。
酒蔵のおじさんとホーマイさんは夫婦で、おじさんはイフリートに脅されてインプたちの世話をする人を探してたんだ……それで人を集めるために、ニセの依頼であるネズミ退治の依頼を出したんだ……!
「フ、フ、フ……察したか。『抗体』たちを世話をする『雑菌』がさらに必要になったのでな……酒蔵の主に、さらなる奉仕の精神をもった者を捧げさせたのだ」
「それでやって来たのが、アタシたちってことね……!」
「フ、フ、フ……そう……イキの良い『雑菌』が一度に6匹も……! しかも、九稜神の中心である、ミルヴァルメルシルソルドまで手に入るとは……!!」
興奮したのか一層激しく燃え上がるイフリート。室内の体感温度がぐんぐん上昇していく。
名指しされたミルヴァは不敵な笑みを浮かべ、一歩前に出た。
「フン! 気づいておったか……ブクブクと肥え太っておるから、ロクに下も見えぬかと思っていたが……!」
「み……ミルヴァちゃん、イフリートのこと、知ってるの!?」
「知っておるもなにも、はるか昔に彼奴を地底に封じ込めたのは余じゃ。まさかこんな所に逃げ延びておったとは……!」
「ええっ!?」
意外な告白にリリーは目を見張る。
ミルヴァとイフリートは昔、戦ったことがあったとは……!
「じゃが今度は二度と出られんよう、しっかりと封印するとしよう! あの時は指一本で洪水を起こして一瞬で決着したが、今度は氷結させて、誰もおらぬ凍土へと閉じ込めてやる……!」
ドンナーハンマーを突きつける勇ましく宣言するミルヴァ。
「寒い場所はそなたにとって永久の責め苦となるであろう……だが、悪行をやめると誓えば情けをかけてやらんこともない。余もあれから大人になったのだ……反省をする者に、力を振るうことはせぬ」
言いながら、振りかざしたハンマーをおろすミルヴァ。
口調は諭すように変わっていた。
「ミルヴァちゃん……」
リリーは小さな女神の狙いを察した。
いまミルヴァは力を封じる腕輪をしている……しかしイフリートと戦ったときはそうではなかったのであろう。
当時の圧倒的な力を今も持っていると思わせて、戦わずに降伏させるつもりだ。
「フ、フ、フ……! フーッ! フッ!! フッ!! フッ!!」
しかし、イフリートは説得を一笑に付した。そしてズバリ指摘する。
「かつての力があるのであれば……なぜその脆弱な拘束を解かぬ?」
「……えっ? あ、えーと、それはその……なぜじゃったかの? リリー?」
ハッタリをあっさり見破られ、慌てるミルヴァ。動揺のあまりリリーに振ってしまう。
リリーは「なんで私に!?」みたいな顔をする。
「ええっ!? え、えーっと、あれだ、その、これ、いまツヴィ女で流行ってる連結ブレスレットなんだよ。ミルヴァちゃんがどうしてもコレ付けて冒険したいって言うもんだから……」
「そ、そうじゃ! そうじゃった! これは拘束具などではなく、腕輪なんじゃ!」
「だ、だから壊すなんてもってのほか……グフッ!?」
イヴからヒジで思い切り突かれて、リリーの言葉は中断させられる。
「バカっ! そんな見え透いたウソが通用するわけないでしょ! アタシたちが拘束されて牢屋に入れられたこと、アイツが知らないわけないでしょ!!」
「あ、そ、そっか……」
イフリートはわたわたするリリーたちを道化のように見下ろしていた。
「フーッ! フッ!! フッ!! フッ!! こんなに楽しませてくれる『雑菌』は初めてだ……!!」
笑って肩を揺するたび、ゴゴゴと地鳴りがする。
「み……見くびるでない! 余が本気を出せばうぬなど一撃で……!」
ミルヴァはまだ強がってみせたが、もはや虚勢を張る子供と同じだった。
「ならば神力を見せよ……! そして……我が炎に滅却される最初の神となれ……!!」
ついに動き出す炎の巨大精霊、イフリート。
全方位にあがる火柱。荒れ狂う熔岩の滝。隕石のような火の玉が飛び交い、あちこちで爆発が起こる。
この世の終わりのような光景が、リリーたちを包囲する。
激しい地響きに立つこともままならなくなったリリーたちは思わずヒザをついてしまう。
ミルヴァは無力な子供のように、その場に尻もちをついてしまった。




