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横道のない通路は坂道になっていた。
進むたび、確かに深く深く潜っていく感覚を覚える。
普通、洞窟というのは地下に行けば行くほど暗くなっていくものだが、ここに関しては例外のようで深度と比例して明るくなっていく。
どこも壁にはコインくらいの穴が開いており、そこから煌々としたオレンジ色の光が差し込んでくる。
あわせて熱風も吹き込んできているのでかなり暑い。
暑さにはだいぶ慣れたつもりだったが、ここにきてまた汗が吹してくる。
「あ~つ~い~よぉ~」
ぐったりとした様子のミント。
「まるでカマドの中に放りこまれたみたいじゃのう……あぁ、こっちもうっとおしい。かぶれそうじゃ」
忌々しそうに腕を振り回すミルヴァ。長いこと枷をはめられているので手首がすっかり赤くなっている。
「それにしても異常な暑さねぇ……ここ、昔は地底火山かなにかだったの?」
両手をうちわのようにして扇ぎながらイヴがこぼす。
「最下層には大きな熱源があることは間違いないが、ファイヤーインプ、ファイヤーグレムリンの存在から推測するに、天然のものではないと思われる」
フードを深くかぶったままのクロが答える。表情はわからないが、口調はいつもの変わりなく、辛そうな様子は微塵も感じさせない。
「捨てられた採掘場にモンスターが棲みついて、こんなになっちゃったってこと?」
リリーはシロから借りたハンカチで汗を拭いつつ尋ねる。クロのローブがわずかに揺れたので、おそらく頷いたんだろうなと思った。
道は途中からアリの巣のように小さな横道がいくつも混ざるようになった。
今いる通路が大通りっぽかったので横道にはそれず、ひたすら道なりに進んでいった。
周囲の空気はさらに熱を帯び、赤みの混じったオレンジの灯りがリリーたちの肌を爛々と照らした。
「うぅ……頭がボーッとしてきた……」
意識が朦朧とする。
坂を下っていたはずなのに、昇っているような気がする。
まるで夢の中にいるような、ボンヤリした感じ。
床は固い岩のはずなのに、神聖界にいるように足元がフワフワする。
「あぁ……なんだか天国にいる……みたい……」
歪む景色の中、見えない蝶を追いかけるような足取りでフラフラと歩いて行く。
通路の行き先に、まるで巨大なルビーのような真紅の光が現れた。
光を見つけた蛾のように吸い寄せられていくと、景色が開けた。
そこでリリーたちは正気に戻る。
広がる光景に、ここは天国ではなく……地獄であることを思い知らされた。
広大な円筒状の空間。あたり一面の壁は赤熱の滝だった。天のような高さから、赤黒い熔岩が血液のようにドクドクと流れている。
目の前には岩を削り出したような橋が伸びている。
橋の下はさらに空間が広がっており、遥か下方には地獄の底のような熔岩の湖があった。
熔岩の湖は道中で見た熔岩の川よりもずっと熱そうで、時折間欠泉のように吹き出していた。
落ちたらひとたまりもないが、橋には欄干などはついていなかった。
焦熱を吸い熔熱をすすり生きる者以外を全て拒絶するような絶景……門外者が触れれば骨すらも残らず消え去ってしまうであろう空間。
リリーたちは地獄に落ちた亡者たちのように身を寄せ合う。
ここは間違いなく、洞窟の最深部だと直感していた。
広がるどす赤い世界に、息を呑むばかりで言葉を失っていた。
誰もが引き返したいと思った。誰からともなく元いた通路に戻ろうとした。
だが……遠くで繰り広げられる光景が目に入り、足が止まる。
橋の先は円形の広場になっており、そこでは戦いが繰り広げられていた。
ど真ん中には見覚えのある人物……調理場で見たドワーフの女がいた。
女は足枷の鎖を片手で持ち頭上で振り回していた。鎖の先には岩の塊がついていて、それを鎖分銅のようにして周囲のモンスターたちを攻撃していた。
女の周囲には千を超える数のファイヤーインプと、同じだけのファイヤーグレムリンがいて次々と襲いかかっていた。
しかし女は相当な手練のようで、鎖分銅でひと薙ぎするたびに爆発が起こったように炎の悪魔たちが吹っ飛んでいた。
百近い単位のモンスターたちが散り散りになり、広場から熔岩の奈落へと落ちていく。
「うおおおおおおおおおおおーーーーーっ!!!」
ドワーフ女は鬼のような形相で天を仰ぐと、噴火のような咆哮を轟かせる。
調理場で見た、てんてこまいの情けない様子とは真逆。闘いの神が乗り移ったかのような凄味と迫力があった。
インプが次々と飛びかかってきたが、もう片方の手で持っていたショベルではたき落とす。
空中でグシャリと叩き潰され、紙くずのように投げ捨てられるインプたち。
汗で照る上腕の筋肉が盛り上がったかと思うと、鎖分銅を叩きつける。
着弾点にいたファイヤーグレムリンは粉々になり、床に焦げ跡を残して霧散した。
ドワーフ女はふたつの武器を駆使してモンスターたちを圧倒していた。
リリーたちがかなり手こずったグレムリンですら一撃で、それも数十体まとめて葬り去っている。
「す……すごい……」
まさしく鬼神の如くの戦いぶりに、リリーは思わず見とれてしまった。
しかし大隊を相手にしているようなもので、相手はまだかなりの数がいる。
さすがのドワーフ女の動きにも陰りが見えはじめた。
ハァッと肩で息をした瞬間、背後からグレムリンの一撃を受けよろめいていた。
同時にとびかかってきていたグレムリンに取り付かれ、頭をボカボカと殴打される。
「い……行こう! 助けなきゃ!」
リリーは衝動的に駆け出した。仲間たちは一瞬迷ったが、すぐに共に走り出す。
ドワーフ女が怯んでいるうちに一気に攻め落とそうとインプたちは飛びかかろうとしたが、イヴの駆けつけ一杯ならぬ駆けつけ一撃により薙ぎ払われた。
「あ、あなたたちは!?」
頭からインプを引き剥がしたドワーフ女は、突然の乱入者に驚きの声をあげる。
「えーっと、調理場であなたが寝てる間にショベルを置いた者です! 私はリリー、こっちはイヴちゃ……」
「名乗るのはコイツらをぶっ倒してからよ!!」
ちょうど紹介したイヴから遮られる。確かにそうだとリリーは戦いに戻った。
しかし短い自己紹介ではあったがドワーフ女には通じたようだ。
「そうか、あなたたちだったのね! あのときショベルをくれたのは! 食堂のインプも寝ていたし、誰か人間が来たのはわかったけど……もしかしてダーリンかと思ったのに、こんな子供たちだったなんて……!!」
筋肉ダルマみたいな身体つきをしていたが、声は可愛らしかった。
表情も豊かでリリーたちに驚いたかと思うと、助けに来たのが想像と違っていてガッカリし、しかしすぐに気を取り直して怖い顔に戻った。
リリーは戦況を観察し、暴れるドワーフ女を邪魔しないようにフォローに回る。
広場の外周に陣取り、全方位を囲まれないようにして戦う。
鎖でつながれているとはいえ、すでに半日以上をこの状態で過ごし幾多の困難を乗り越えた仲間たちだ。
その成果を発表するかのように戦場を動き、ドワーフ女の死角をカバーするように立ち回る。
ドワーフ女の背後から襲いかかろうとするモンスターの出鼻を次々とくじいていった。
「でえいっ!!」
両手剣が一閃し、グレムリンが縦に一刀両断される。
「ああ、やっぱりコレよね!」
愛用の武器を取り戻し、上機嫌のイヴ。
「イヴちゃんあぶない!」
イヴに襲いかかろうとしたインプの攻撃を片手剣で受け止めるリリー。
「えーい!」「このっこのっ!」
そのインプを囲んで爪とハンマーで引っ掻き殴るミントとミルヴァ。
皆の様子をハラハラと見守るシロ。なぜかクロは熔岩の滝の方を凝視していた。
ドワーフ女とリリー一行の噛み合った攻守により、モンスター軍団は小一時間ほどで広場から一掃された。
順調だったとはいえ暴れまわり走りまわり、かなりハードな戦いだった。その場にいた全員がぜいぜいと荒く息をしている。
しかしこれでようやく落ち着いて話ができる……洞窟脱出のためにこの人は心強い仲間になってくれそうだ……とリリーは思った。
自己紹介の続きをしようとしたが、ドワーフ女はまだ戦いの最中のような鋭い顔のままだった。
「さあ……部下は全員やっつけたわよ……次はお前の番よっ!!」
ドワーフ女は顔をあげると、正面にある熔岩の滝に向かって叫んだ。
一体何事かと思い、リリーたちは滝のほうを見る。
叫び声に応えるかのように、滝が大きくうねった。
そして空から降り注ぐ、天啓のような声。
「フ、フ、フ……なかなか見ごたえがあった……」
滝を押しのけ、炎の柱がゆっくりとせり出してくる。
それはあまりにも巨大で、山が動いているような光景だった。
信じられない光景に、リリーたちの口はあんぐりと開いたまま塞がらなかった。
炎の柱がまとっていた熔岩が流れ落ちると、それは人の姿をなした。
しかし人というにはあまりにも巨大すぎた。
「い……イフリート……!!」
ミルヴァはかつてないほど焦燥した様子で、その名をつぶやいた。




