16
次の日。約束のムイース行きの船は午後出港だったので、昼食をとってから寮の入り口で待ち合わせをした。いままでの依頼よりも遠い地への冒険。何日か野営する可能性もあるのでみんなしっかり準備を整え、大きな荷物をもってきていた。
全員そろったところで港へ向かった。一応、お金は多めに持ってきているが、昨日の様子からすると受け取ってもらえないだろうな、と思っていた。でもまあ貨物船なら甲板の掃除でも手伝えばいいかなとも思い、楽観していた。
港について、待っていたのは貨物船ではなく、大きな客船だった。
「おっ、来たな!」
ちょうど船から降りてきた商館長さんが出迎えてくれた。
「こんにちは、今日はお世話になります。……あの、船って、コレですか?」
違う船かもしれないと思って、おそるおそる聞くと、
「ああ! こいつぁ王都から来た船で、メリーデイズまで行くんだがその途中でムイースにも寄るから安心しな!」
メリーデイズはこの島の北西に位置する港町のひとつ。そこからさらに北西にある大陸との貿易の玄関口となっている、大きな街らしい。
「ムイースに着くのは、いつくらいになるんですか?」
あたりさわりのない話題を振る。いつのまにかミントちゃんが商館長さんの手にじゃれつき引っ張っていた。
「そうだなぁ、こいつぁ魔法動力じゃねぇから、明日の朝ってところじゃねぇか?」
ミントちゃんを抱き上げながら言う商館長さん。頭を撫で撫でしながら、
「でも、中は魔法設備だから、快適だぞぉ!」
子供のような笑顔で言った。
するとその笑顔に苦情を申し立てるかのように、船から短い汽笛が発せられた。たちまち商館長さんは渋い顔になる。
「なんだ、もうそんな時間か……そろそろ出発だな、おおい!」
呼びかけると、隣で待機していた背の高い女の人たちが私たちの所にやってきた。
「お荷物をお部屋までお運びいたします」
白いシャツに蝶ネクタイ、黒いベストにタイトスカートというキチッとした感じの女の人たちは、まるで訓練されてるみたいに同じタイミングで、うやうやしく頭を下げた。
「ええっ? いや、結構です。自分でやります」
びっくりしていると、
「客なんだから、遠慮すんなって! なぁ!」
商館長さんのひと言に、また同じタイミングで頷いた女の人たちは、私たちの荷物をてきぱきと船の中に運んでいった。
「嬢ちゃんたちの世話、頼んだぜ」
最後に残ったリーダーらしき女の人に、名残惜しそうにミントちゃんを渡す商館長さん。ミントちゃんは何の疑いもないどころか、より抱き心地のいい木を見つけたコアラみたいに嬉々として女の人にしがみついた。
「じゃあミントちゃん、あとはこのオネーサンが案内してくれるからな」
「えーっ、おじさんはいっしょにいかないのぉー?」
「……すまねえ、北の海のほうに巨大イカが出ちまってな、そいつをブッ殺しに行かなきゃならねぇんだ」
「ミント、イカすきー!」
「そうか、でも巨大イカはでかいばっかりで旨くねぇからなぁ……よっしゃ! 巨大イカをちゃっちゃと片付けて、余った時間でミントちゃんのためにイカ獲ってきてやらあ!」
「わーい!」
「じゃあな、楽しんでこいよ!」
最後にミントちゃんをひと撫でした商館長さんは、義足とは思えないほどの力強い足取りで走っていった。その後ろ姿を見送ったあと、
「それではレディ、お部屋にご案内いたします」
ミントちゃんを抱っこした状態でもピンと伸ばした背筋を崩さない女の人は、にこやかな笑顔でエスコートを開始する。
私たちは商館長さんに言われたとおり、女の人についていった。船にかけられた大きなタラップをあがると、広々とした甲板通路に出る。足元に注意を促されつつ、甲板から船内に入ると……ふかふかのじゅうたんの感触、まばゆいシャンデリア、なんだか高そうな白いツボと、昨日の商館でのデジャヴみたいな感覚に襲われる。知らず知らずのうちに縮こまっていたのか、イヴちゃんから「いい加減慣れなさいよ」とつつかれて正気に戻った。
「お部屋はこちらです。レディ」
部屋に通されると、思わずため息が漏れた。……私には、脚がまっすぐじゃない家具はすごく高いかすごく安い、という持論がある。この部屋の家具はどれも脚がまっすぐじゃないので、すごく高い家具であるということがわかる。しかも家具といえば木製のイメージしかなかったが、この部屋の家具は大理石でできているものがあり、そのどれもが私の顔が写り込むほどにツヤツヤしていた。
「では、ご用がありましたら何なりとお申しつけください。それではよい船旅を、レディ」
さっきから私たちはレディと呼ばれているが、正直、見た目的には彼女のほうがずっとレディっぽい……なので彼女のことを心の中限定で「レディさん」と呼ぶことにした
。
そのレディさんは折り目正しく一礼すると、部屋から出ていった。
改めて部屋の豪華さに打ち震える私だったが、ミントちゃんは数回部屋を見まわしただけで飽きたのか、
「ねーねー、おそといこー!」
シロちゃんの手を引きながら言った。
「あっ、は、はい!」
ひっぱられて一緒に部屋を出ていくシロちゃん。クロちゃんも、いつのまにかいなくなっていた。
「わりといい船ね」
テーブル上の陶器の器を開け、チョコレートをつまむイヴちゃん。さすがお嬢様だけあって、この豪華な部屋にも動じる様子がなかった。
「……イヴちゃんは、船に乗るときはやっぱりこういう部屋なの?」
この部屋のことを何て言っていいのか、私の語彙にはなかった。
「一等客室のこと? あたりまえじゃない」
私の知りたかったことがすんなり出てくるイヴちゃん。……なるほど、一等客室か、覚えた。
「そうなんだ……」
「今回は倉庫を覚悟してたけどね」
「うん、私も」
商館長さんの図らいなのだろうけど、まさかこんないい待遇で乗せてもらえるとは思いもよらなかった。レディさんを呼びつけて甲板掃除を手伝いたいです、なんて言ったらどんな顔をするだろうか。
「せっかくだから、寛がせてもらいましょ」
大きな背もたれのある椅子にふんぞり返りながら言うイヴちゃんは、もうじゅうぶん寛いでいるようだった。
なんとなくまだ落ち着かない気分の私は、関係ない話をすることにした。
「今回も銃、持ってきてるの?」
「銃?」
「ニンジン警備のときに、ウサギに使ってたじゃない」
「ああ……見てたのね」
「うん」
「今回は持ってきてないわ。それに……あのときも空砲だったしね」
「え?」
「大きな音で脅かすだけでいいかと思って、弾は入れなかったのよ」
「……そうだったんだ」
報酬を受け取るときに、つかまえたウサギはゼロだとチタニアさんから聞かされた。誰か一匹くらいは……なんて思っていたが、そもそもみんなウサギをつかまえる気がなかったことが、これでわかった。
大きな汽笛が鳴ったかと思うと、船がゆっくりと動きだした。イヴちゃんは窓の方を向いて、じょじょに離れていく港を、頬杖をついたまま見ていた。
なんか浸っているような後ろ姿だったのでそっとしておこうと思い、私は静かに部屋を出た。
客室の廊下を適当に歩き回ってみると、入って来たときとは別の階段を見つけた。あがってみると甲板に出た。手すりのところに寄りかかるようにして立つクロちゃんがいたので、近づいてみると……彼女は深くローブをかぶったまま、釣りをしていた。木製の立派な釣竿を、運河に向かって垂らしている。
「釣り、するんだ」
横に立って聞いてみるが、ローブを風に揺らすのみで返事はなかった。彼女が釣りをするなんて、意外だと思った。
「……釣れる?」
なおも聞いてみたが、返事はなかった。もしかして別人かなと思い、ローブの中をのぞきこんでみると、中身はやっぱりクロちゃんで、顔をゆっくりと左右に振っていた。……どうやら、釣れないみたいだ。
ちょっと安心した私は竿をピクリとも動かさず釣りに興じる彼女に、世間話などを振ってみることにした。
「クロちゃんがウサギを追い払うときに使ってた、あの草はなんていうの?」
「バスメ科の植物」
「バスメ科?」
「バスメ科の植物は燃やすとニオイを発する……あのとき燃やしていたのは、巨大ウサギの尿のニオイを発する草」
「巨大ウサギ……? 尿……?」
巨大ウサギの尿なんて、どんなニオイがするんだか想像もつかない。ただ、いいニオイではなさそうだ。
「ウサギは尿でナワバリを表す……畑を巨大ウサギのナワバリだと思いこませれば、普通のウサギは近づかなくなる」
「なるほど」
ずいぶんニッチなニオイを放つ草だなと思ったが、そういう使い方があるのか。
「ところで……巨大ウサギって、なに?」
なんとなく概念としては理解しているつもりだったが、気になっていたことを尋ねてみる。結構長い沈黙があって、
「……おおきなウサギ」
まるでミントちゃんみたいな答えがかえってきた。口調はいつものとおりだったが、これはそうとしか言いようがないのか、それとも彼女なりの冗談なんだろうか。
迷っていると、そこに突っ込みを入れるようなタイミングで、クロちゃんの手にする竿が大きくしなった。
「あっ、引いてるよ、クロちゃん!」
への字型にしなる釣り竿を指さすと、なぜか彼女はこっちに寄りかかってきた。私の胸に背中を預ける彼女を見て、
「え? ひょっとして、いっしょに引けってこと?」
返事はなかったけど多分そうなんだろうと思い、彼女を包み込むようにして抱きしめ、一緒に竿を持った。
「うう~……ん!」
おもいきり引っ張る。クロちゃんの細い身体からも、込めた力が伝わってくる。普段釣りをしない私でも、これは大物だとわかった。気を抜くと、引きずりこまれそうになる。足を突っ張って、あお向けに倒れ込むくらいに身体を傾けて必死に堪えていると、
「あっ!」
不意にすっぽ抜けるような感覚があって、勢いあまったふたりの身体は後ろに吹っ飛んだ。手すりの反対側の壁にたたきつけられるかと思ったけど、そこに壁はなく、空中だった。
後ろは壁じゃない、なんで? ……ああ、わかったわかった。私があがってきた階段だ。私たちは背中から階段のある間を落下してるんだ……などと、妙に冷静に分析できた。
やばいやばい、ならせめて、クロちゃんだけでも守らないと、と思い、彼女の身体をぎゅっと抱きしめて、背中の衝撃を覚悟した。
「おわぁーっ!」
背中に感じる柔らかい感触と、悲痛な叫び声とともに、どすんと着地。
「……あれ?」
全然痛くない、奇跡? と一瞬錯覚したが、背中から聞こえる潰されたカエルのようなうめき声に、あわてて飛び退く。
「ぐうぅぅ~っ」
私たちのクッションとなったのは、若い船員さんだった。踊り場でうつぶせに倒れたまま、鼻から血を出し白目を剥いている。
「ご、ごめんなさいっ!」
じゅうたんに頭がめり込む勢いで土下座する。
「だ、誰か……助けを……」
じゅうたんに爪を立てながら、息も絶え絶えに言う船員さん。
「だ、誰か……!」
立ち上がって叫ぼうとしたとき、廊下を歩くシロちゃんの姿が見えた。いつも天使みたいな彼女だったけど、そのときは背中に羽根が生えている幻覚まで加わって、本当に天使に見えた。
「しっ、シロちゃあん!」
私は全力疾走で彼女の元に駆けていき、
「えっ? きゃ! ど、どうなさったんですか?」
手をつかんでひきずるようにして、船員さんのところまで引っ張っていった。
「こ、この人、ケガさせちゃったの! 治して!」
地団駄を踏みながら倒れた船員さんを指さす。
「かっ、かしこまりました!」
すぐに事態を理解してくれたシロちゃんはじゅうたんの上に正座し、震える手つきで首のタリスマンを外してかざす。私の焦りが伝染したのか、何度もつっかえながら呪文を唱えていた。
いつもよりは時間がかかったが詠唱は完了し、タリスマンから発せられた暖かい光が、船員さんの身体を包んだ。
「うう……」
光が消えゆくなか、ゆっくりと起きあがる船員さん。回復魔法が効いたのか、鼻血はもう止まっていた。
「おかげんはいかがですか?」
心配そうに覗き込むシロちゃん。
彼女と目が合った船員さんの顔がほんのり赤らんだかと思うと、
「いやぁ、なんともないっす!」
急に元気になって立ち上がった。
「あ、あの……ほ、本当に、申し訳ありませんでした」
正座したまま頭を下げるシロちゃん。彼女は別に悪くはないのだが、かわりに謝ってくれた。私が彼女を抱え起こすのと同時に船員さんも手をさしのべようとして、かぶってしまった。行き場のなくなった手をヒラヒラさせたあと、
「……いや、気にしないでください。お嬢さん方の身を守れたのであれば、海の男として本望です。では、よい船旅を!」
妙に芝居がかった声で告げたあと、船員さんはシャキシャキと立ち去っていった。……まあ、許してくれたみたいでよかった。これも、シロちゃんのおかげだ。
「あの、いったい何があったのでしょうか? おふたりは、お怪我はありませんか?」
心配性のシロちゃんは私たちの心配もしてくれた。
「ああ、釣りをしててちょっとドジっちゃって……ね、クロちゃん」
なるべく何事もなかったように言い、クロちゃんに目配せする。
クロちゃんは置物のように棒立ちになったまま、切れた釣り糸の先を眺めていた。




