30
リリーとイヴは宙を泳ぎながら、赤熱の川に沈むのを覚悟した。
沸騰したトマトベースのスープの中に放りこまれ、グツグツと骨まで柔らかく煮込まれる自分を想像する。
しかし垂直落下はしなかった。ロープのようにスイングする橋とともに壁にたたきつけられた。
したたか背中を打ちつけられるリリーとイヴ。
熱くない……いや、数十センチしたから立ち上る熱気でヤケドしそうなほどではあるのだが、骨を溶かすような、冒険の終わりを告げる熱さではなかった。
両手を縛られ吊り下げられているような格好のまま、リリーは首を限界まで捻って上を確認する。
すると……ミントとミルヴァの武器であったスコップ、シロのお玉がちょうど橋の床板の間に挟まっているのが見えた。
それが狙ったものなのかはわからないが、シロだけは呆然としていたので偶然だったのだろう。
「な、ナイス! シロちゃ……!!」
リリーは功績を讃えようとしたが、仲間の名前を呼び終わるより早く偶然の恩恵がなくなった。
子供ふたりと非力な少女の力では6人の重さを支えきれず、ミント、ミルヴァ、シロは手を離してしまったのだ。
「ひゃあ!?」「無念っ!!」「ああっ!?」
リリーのブーツのつま先が着水し、ジュッと焦げるところまでずり落ちたところでイヴが床板を掴み、再び事なきを得る。
「な、ナイス……イヴちゃん……」
リリーは胸を撫で下ろす。
「早く上にあがるわよ!」
ひとりで6人分を支えるイヴから急かされたが、リリーは慌てなかった。
「まぁまぁイヴちゃん、インプたちももう追ってこれないんだから、もう少しゆっくりいこうよ」
リリーは過去何度かイヴの腕力によって窮地を救われたことがあった。なのでパーティ随一の力持ちが発揮する火事場の馬鹿力をすっかり信頼しきっているのだ。
まだ数センチ下に熔岩があるにもかかわらず、もう助かったつもりで落ち着きはらっている。
橋は分断されたのでインプたちはもう追ってこれないはず。きっと悔しがっているだろう……とリリーは対面を見上げた。
しかし想像とは真逆の光景に、リリーは息を呑む。
下は溶岩だというのにインプたちはかまわず横穴からダイブし、次々と灼熱の川に飛び込んでいた。
後ろから押されたわけではなく、まるでプールにでも飛び込むように積極的に。
おびただしい数のインプが放水のようにドボドボと赤熱する川に注がれる。
飛び込んだインプは骨まで溶けるどころかヤケドひとつせず、温水プールで泳ぐかのようにこちらに向かってきている。
「ええっ!?」
リリーは我が目を疑う。一瞬なにかのトリックかと思ったが、
「ファイヤーインプは炎の精霊が悪魔化したもの……彼奴らにとっては大噴火ですら命の泉みたいなもんじゃ!」
タネも仕掛けもないことを隣にぶら下がる女神が教えてくれた。
しかもそれどころかインプの数が多すぎて川が埋め立てられ、ついには泳がなくてもリリーたちの元に到達できるようになりつつある。
「いっ、急いで! みんな早く上がって!!」
手のひらを返し仲間たちを急かすリリー。
垂れ下がった吊橋をハシゴがわりにして絶壁を登り、横穴に入りこむ。
チラリと下に視線を落とすと、蜘蛛の糸にすがる亡者のように橋に取り付くインプたちの姿があった。
重さに耐え切れず橋は落ちてしまったが、うじゃうじゃと集まった小悪魔たちは自然とピラミッドのような形になり、リリーたちのいる穴に迫ってきていた。
「に……逃げようっ!!」
再び二人三脚の形を取ろうとするリリーたち。
通路は相変わらず坂道になっていた。道幅は広くなっており床には二本のレールが敷かれ、ぞれぞれの上に手漕ぎトロッコが停まっているのが目に入った。
ふたつのレールはきつい角度のついた坂道に沿って並走している。
先はカーブになっていて何が待ち受けているかはわからない。
「ねえ……アレに乗っちゃえばいいんじゃ……」
迫りくる敵を一気に引き離せるかもしれない……とリリーは悪魔の誘惑に引き寄せられるように、トロッコのある方にふらりとよろめいた。
計り知れない危険もはらんだハイリスクな逆転アイテム。
見るからに速度が出そうなソレに、仲間たちは究極の選択を迫られる。
「のろーのろー!」
すぐに賛成したのはパーティ随一のスピード狂であるミントだけだった。
他のメンバーはまだためらっている。
というのもかつて傾斜を滑り降りるトロッコ……ケッターと呼ばれる乗り物でひどい目にあった苦い思い出があるからだ。
それは物騒なルールで運用されていたものの一応は地域で管理されている正式な交通機関だった。
しかし……このトロッコは打ち捨てられた鉱山の中にあるもの。人間による管理はとっくの昔に終わっているはず。そのうえ行き先になにが待ち構えているかもわからない。罠が待ち構えている可能性もある。
ケッターに比べると、安全性の面では遥かに劣る。
それはリリーも痛いほどわかっていた。
「よし……乗ろう!」
それでも力強く宣言する。危険は承知のうえだ。
リーダーの決断と背後から近づいてくるインプたちの奇声が皆の背中を押した。
こんな時は必ず何か言ってくるイヴですら呻いただけで動きはじめる。
トロッコは分厚い鉄板をベースに挽臼のような幅のある車輪が付いており、板の真ん中にはシーソーのような手漕ぎレバーが不躾に打ち付けられていた。
落下防止の手すりなどはなく、全てが剥き出しのオール金属製。
むくつけき乗り手を想像させる実に無骨な外観であった。
かつての利用者である鉱夫のような大男であれば2人が定員であろうが、その3分の1くらいの少女たちはちょうど6人乗れた。
動体視力のいいミントを先頭に、隣り合うリリーが前ハンドルを握り、クロとシロを経由してイヴが後ハンドルを持つ。しんがりはミルヴァ。
リリーは手漕ぎ装置につけられた麺棒くらいの大きさの鉄棒を握りしめる。ストッパーであるこれを引っこ抜けばトロッコは走りだす。
「いくよ……」
皆を見回して心の準備を促す。
しかしそうはさせるかとリリーたちのいる横穴に1匹のインプが飛び込んできた。
そこからはあっという間。熔岩の川は殺到したインプによってダムができあがる程になり、インプたちと一緒にせき止められた熔岩までもが流れ込んでくる始末だった。
慌ててリリーはストッパーを引き抜こうとする。が、錆ついていてなかなか抜けない。畑のカブを引っこ抜くみたいに両脚でふんばってようやくスッポ抜けた。
軋む音をたててトロッコは移動をはじめたが、久々の仕事なのか動きが鈍い。
とうとうインプから追いついかれてしまった。
「漕ぎまくるわよっ、リリーっ!!」
飛びかかってきたインプを蹴り飛ばしつつ、イヴが叫ぶ。
「う、うんっ! せーのっ!!」
合図とともに手漕ぎレバーをギッコンバッタンと上下させると、錆を飛ばしながら勢いよく車輪が回りだした。
グンと加速し、追いすがるインプたちを一気に引き離す。
年代物ではあったがモノは確かなようで、漕げば漕ぐほど加速して追っ手がみるみるうちに遠ざかっていく。
「ハハハハハ! あと少しじゃったのに残念じゃのう、無念じゃのう!」
必死の形相で追いかけてくるインプたちに高笑いを送るミルヴァ。
「はや~い!」
風に髪をなびかせながら飛び上がって喜ぶミント。
「あ、あのっ、すみませんっ! 少し、速すぎなのでは……」
へたりこんだシロのか細い悲鳴。
捕まりたくなくて無我夢中に漕いでいたリリーは我に返る。
熱い空気が激しく吹きつけゴウゴウと耳を鳴らす。風が吹いているわけではなくトロッコの加速によるものだ。
めまぐるしく岩壁が過ぎている。口が乾く。リリーは五感でスピードオーバーを感じ取っていた。
「い、イヴちゃん、スピード出すぎちゃってる! 漕ぐのやめ……!」
イヴはウエイトトレーニングでもしているかのようにパワフルに、一心不乱に漕ぎまくっていた。
リリーは制止するつもりで声をかけたが、肩越しの光景を見てすぐに考えを変えた。
「いっ……イヴちゃん!! もっと漕いで!! 追いつかれちゃうっ!!」
リリーたちの走っている隣のレーンではトロッコに山盛りになったインプたちが追走すべくこちらに向かってきていた。




