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あたりに響くのは……地面にまき散らされた鍋や皿やらが転がり奏でる余韻の音のみ。
茶色く変色したブリキ皿が一周して戻ってきて、イヴのブーツに当たった。
「ああ、なんだかサッパリしたわ」
爽やかに汗を拭うイヴ。
やりきった様子でいるがピンチの状況は何も変わっていない。大きな音をたてたせいでむしろ悪化した可能性がある。
「や……やばい! 静かになっちゃった!?」
さっきまで大騒ぎだった隣の部屋が静まり返っていたのでリリーは慌てた。
「ざわめきはじめたぞ、クロ、わかるか?」
神から問われたクロはゆっくり瞬きしながら、
「……不審がっている」
隣の部屋から聞こえるインプたちの言葉を翻訳した。
リリーは不安で押しつぶされそうになっていたが、泣きそうなシロの顔を見て奮い立った。
ここであきらめたらシロちゃんの勇気もムダになる……失敗したらシロちゃんはもう勇気を出せなくなっちゃうかもしれない……この作戦は絶対に成功させないと……!!
心の中を覆いつつあった不安の霧を、ブルブル顔を振って追い払う。
「みんな! 姿を見られたわけじゃないからまだなんとかなるよ! トロッコを起こして運ぼう! ……作戦続行っ!!」
リリーが合図とともに動き出すと、仲間たちもついてくる。トロッコに駆け寄って力をあわせて引き起こした。
トロッコを起こした弾みでまたズズンと大きな音がしたが、もう誰も気にしない。
「よし、調理台まで押して! 調理台についたらイヴちゃんと私で鍋を載せよう!」
リリーの次の指示が飛ぶ。
淀みのない動きでトロッコの背面につき、一丸となって力を込めとトロッコは調理台まで一直線に移動した。
カマドにあるのはタルを半分に切ったくらいの大鍋だ。中には先ほど調理した肉料理がコトコトと煮込まれている。
リリーとイヴは鍋の左右にある取っ手を同時に持ったが、
「「熱っつ!?」」
熱さのあまり反射的に手を引っ込めてしまった。
「熱くて持てないわよこんなのっ!」
「なんじゃなんじゃ! 根性ないのう!」
「じゃあアンタやってみなさいよ!」
「鍋つかみかなにかないと無理だ! みんな使えそうなもの探して!」
「まっくろけっけのならあったよ」
真っ黒な鍋つかみを差し出すミント。しかしそれは炭化しており触っただけでボロボロと崩れ去った。
「ああっ、惜しい! こんな感じのやつで黒焦げでないのを探して……!」
リリーの顔を不意に風が撫でた。
白い羽根が花びらのようにあたりに舞い散っていた。
花の嵐の中央にはシロがいた。自らの白い翼を広げた瞬間だった。
ミルヴァに会いに行った神聖界で、白き翼を持つ女性に出会った。
シロはその女性に翼を小さくする方法を教わった。翼は両手を広げた以上の幅があるので普段は皆の邪魔にならないようにシロは翼を小さくしていた。
しかし今この状況で何を思ったのか、シロは翼を元の大きさに戻したのだ。
それは物干し台に干された洗いたての純白シーツが風で翻るような……やさしい光景だった。
リリーは思わず見とれていたが、ふわりと柔らかい感触が手のひらにあって我に返る。
「リリーさん、イヴさん、私の翼ごしにお鍋をお持ちになってください」
翼の先がリリーとイヴの利き手に当てられている。シロは自らの翼をミトンがわりに差し出そうというのだ。
「シロちゃん!?」「シロ!?」
「お時間がありません、翼は熱くありませんのでお気になさらないでください……お願いいたします!」
かつてないほど真剣な表情のシロ。
頷いたイヴは翼で鍋の持ち手をくるみ、持ち上げようとする。
シロの表情を崩さないようにしていたが、わずかに苦痛に歪んだのをリリーは見逃さなかった。
「し、シロちゃん……」
「リリーさん……私は大丈夫です……」
シロはリリーに寄り添うと、リリーを促すように手を手で包み込んだ。
そのまま自らの翼ごと鍋の取っ手を握りしめる。
「いくわよっ!!」
イヴの合図とともに三人は力を込めて鍋を持ち上げた。鍋の重さで翼がひしゃげる。
シロが「くうっ」と呻く。
「急ぐわよ、リリー!」
「う、うんっ! せーのっ!!」
「「うおおおおおおおおーーっ!!!」」
鍋はずっしりと重かったが、気合をハモらせ一気にトロッコに叩き込む。
翼を開放されてシロはよろめいた。リリーは慌ててその背中を抱きとめる。
「大丈夫シロちゃん!? やっぱり熱かったんだよね!?」
健気に耐えたシロをぎゅっと抱きしめるリリー。
シロはこのままずっと腕の中にいたい誘惑にかられていたが、気丈に立ち上がる。
「リリーさん、ありがとうございます。私は大丈夫です……それよりも早くインプさんたちにお料理を……」
「で、でも……! 翼が焦げて……!」
「シロの言うとおりよ、リリー! モタモタしてんじゃないわよ! ここまでやったのを台無しにしたいの!?」
「ううっ、わ、わかった……! みんなっ! トロッコを押してっ!!」
リリーの振り絞った号令とともにトロッコの背面についた6人はそのまま隣の部屋の近くまで押していく。
部屋の境目である木箱に隠れたまま、ざわつく声をのする方向めがけてめいっぱいトロッコを押し出した。
湯気をたてる鍋を乗せたトロッコが勢いよく走りだす。リリーたちは木箱の陰から顔を出し、行く末を見守る。
隣の部屋は想像以上に大きな食堂だった。
金属の長テーブルが連なり、ちょっとした軍勢ともいえるインプたちが着席している。
先ほどの調理場から発声したけたたましい音を怪しんでか、いままさに数匹の下っ端インプが列をなしてこちらに向かっているところだった。
手に手に武器がわりであろうスコップを持ち、空腹で苛立った様子で唸りながら。
「あ、ヤバ……」
トロッコの背中を見送っていたリリーがつぶやく。
インプたちの列にトロッコが突っ込んでいったのだ。
先頭のインプは咄嗟に飛び退いたが、後続のインプたちは気づくのが遅れて跳ね飛ばされていた。
しかも最悪なことに、インプを轢きつぶした弾みでトロッコがジャンプ。そのまま壁に激突してひっくり返ってしまった。
「あっ、ヤバっ!?」
積載されていた鍋が飛び出し空を舞う。宙でぶちまけられた料理が雨となってインプたちに降り注いだ。




