08
接吻せよといきなり無茶な要求され、リリーは驚愕した。
これにはリリーだけでなく皆もどよめいた。平静を崩さないクロですら、いつもより目を見開いていた。ほんのわずかではあるが。
「チュ……チューしろだって、みんなどうしようっ!?」
リリーはどうしていいかわからず、皆に助けを求める。
「チュウチュウ! チュウチュウ!」
ネズミの鳴きマネをしながらリリーの周囲をくるくる回りだすミント。
「あ、あの……元はといえば私が原因ですので……私が、その……あっ、も、もちろん、り、リリーさんがお嫌でなければですけど……」
真っ赤な顔でもじもじと恥ずかしがってはいるが、まんざらでもなさそうなシロ。
「……」
無言でキス顔を作り、受け入れ体制の万全さをアピールするクロ。
「ふん、馬鹿馬鹿しい!」
腕組みをしてそっぽを向くイヴ。興味なさそうにしているが、横目でチラチラ様子を伺っている。
メンバーはおおむねチューすることに肯定的な反応だったので、リリーの頭は余計混乱した。
チューっての唇どうしをくっつけ合わせる……ようはキスのことで、今からそれをしなければならない。
いつかはする時がやってくるだろうと考えたりもしたが、まさかこんなに早く、突然やってくるものだとは思いもしなかった。
頬をくっつけ合わせるスキンシップなら普段からみんなとやっている。
ミントちゃんクロちゃんは挨拶がわりにスリスリしてくれるし、シロちゃんイヴちゃんには自分のほうから擦り寄っていく。シロちゃんは恥ずかしげにうつむいて、イヴちゃんはゲンコツをくれる。
顔なら頻繁に寄せあっているというのに、唇だけは触れたことがなかった。
キスという行為自体、全然意識したことがなかったし……。
じゃあ今から考えてみるとして……自分に問いかけてみる。
リリーム・ルベルム、あなたはキスしたいの? したくないの?
答えは即座に出た。
したいかしたくないかという次元ではなく……すっごくしたいっ!!
特に根拠はないけど、したら相手のことをもっと好きになれて、もっともっと仲良くなれそうな気がするっ!!
悩む必要がないくらいの明快さ。
幸せになりたいかと聞かれてノーと答える人がいるわけがないくらいの、答えがひとつしかない愚問だった。
ならばキスは絶対にするとして次の悩みは……誰とするべきか、だ。
しかし、これはいくら考えても答えは出なかった。
一緒にテスト勉強したい相手をこの中から選べというのであれば簡単だ。
やさしく教えてくれるシロちゃん、頭がいいクロちゃんでキマリだ。
次点でイヴちゃん。イヴちゃんも頭はいいんだけど非常にスパルタなのがタマにキズ。
最後にミントちゃんなんだけど、彼女は完全にこっちが教える立場だし、ひたすら遊びの誘惑をしてくるので勉強が手に付かない。
……って、勉強するのとキスするのじゃ全然違うか。
思考が別方向に逃避してしまうくらい、考えがまとまらない。
そもそもみんな大好きだから……誰かひとりを選ぶなんてできるわけがない。
そうだ、好き嫌いじゃなくて唇の感触が一番良さそうな人を選ぶというのはどうだろうか?
私の答えを待つ皆の唇を見渡す。
……うぅ、どれも魅惑的だ。
まるでケーキ屋のショーウインドウの前にいるかのように目移りする。
フルーツタルトみたいなみずみずしいイヴちゃんの唇。
マカロンみたいに小ぶりでかわいいミントちゃんの唇。
焼きたてのホットケーキみたいにやさしそうなシロちゃんの唇。
シュークリームみたいに見た目は素朴だけど、中はスゴそうなクロちゃんの唇。
ダメだ……この中からひとつだけを選ぶだなんて、私にはできない……!
食べ放題のケーキバイキングだったらいいのに……!
ケーキバイキング? ……そ、そうだ!!
悩みの暗雲たちこめるリリーの頭のなかに、光さすように天啓がひらめいた。
「決めたっ! 私……みんなとチューするっ!!」
迷ったときは全部取れ……ケーキバイキングでリリーが見出した人生哲学だ。
名案を皆に向かって高らかに宣言すると、おおー、と歓声があがった。
「なんでそうなるのよっ!? アタシまで巻き込むんじゃないわよっ!?」
ひとりだけ異論を唱えるイヴはリリーにくってかかる。
「イヴちゃんイヤ? どうしてもイヤだっていうならイヴちゃん以外全員と……」
「い、イヤだなんて一言も言ってないでしょっ!? 」
「じゃあ、いいの?」
「……あ、アンタがどーしても、っていうなら、し、仕方ないわねぇ、少しだけ、ほんの少しだけだったら考えてあげなくもなくもないわよ」
「どーしてもイヴちゃんともチューしたいっ! いいよねっ!?」
情熱的に押し切られてイヴはつい、「うん」と返事してしまった。
「よしっ! 全員とチューするっ! それでもいいよねっ!?」
扉のある方向めがけてリリーが吠える。
「……増える分にはかまわぬ、さぁ、ブチューっとやって真実の愛を示すのだ」
声の了承は得られたので、リリーは皆を呼び集めて円陣を組んだ。
「……えーっと、順番どうしよっか?」
「その前にリリー、アンタはキスの経験があるの?」
「もちろん!」
「犬とか猫とか、動物はノーカウントよ」
「うっ」
「ないのね?」
「……うん」
「じゃあこれがファーストキスなんじゃないの!」
「イヴちゃんはあるの?」
「……ないわよ」
「じゃあ、やり方とか教えてもらいたいから経験のある人が最初ってのはどうかな? キスしたことある人いる?」
「……」
「……」
「……」
「……」
皆はクロのように押し黙ってしまった。
「みんなないんだ……」
「ああもう、じれったいわねぇ。じゃあ四人でジャンケンして決めましょ、負けた順ね」
「えっ、負けた順って……普通、勝った順じゃない?」
「アンタとのキスなんて、罰ゲームみたいなもんでしょ」
「うぅ~っ、イヴちゃんのいじわる……」
「ああもう、そんな顔するんじゃないわよ。勝った順にすればいいんでしょ、それで文句ないわね?」
「うん……。でもみんなのファーストキスを、ジャンケンで決めちゃっていいのかなぁ……」
「ああもう、グチグチうるっさいわねぇ! みんなとするって言い出したのはアンタでしょ! それともアンタ、自分で順番決めれるの!?」
その自信が全くなかったので、リリーはジャンケンによる順番決定をやむなく承諾する。
適当な方法で決めることになったものの、皆は急に本気の表情になった。
両手の指をからめあわせた腕をひねるというジャンケン必勝法を一斉にはじめるイヴ、ミント、シロ、クロ。
まるで負けたら命まで落とすかのような真剣な眼差しで手の中を覗き込んでいる。
「えーっと……みんな、準備はいい?」
その様子をちょっと引き気味で眺めるリリー。
「いくよー? じゃーんけーん……」
「ぽん!」という掛け声の直前、誰かが雲の壁からズボッと抜け出てきた。
落ち着いた色使いながらも高級そうなローブをまとった四角い眼鏡の大人な女性。フードを深く被っているので髪型はわからない。
濃厚なバニラアイスを溶かしこんだようなベージュのローブは金糸による細かい刺繍が施されており、高そうな魔力と身分を感じさせた。
「あら、あなたたちがリリーさんパーティね?」
一行を目にした女性が知った様子で話しかけてくる。理知的で落ち着いた感じの声だった。
「あっ、こ、こんにちは! なんで私たちのことを知ってるんですか!?」
ジャンケンの審判を途中で投げ出したリリーは女性の元へと駆けていく。
「御神様がリリーさんをお呼びになられたって聞いたから、あなたたちがそうなのかなと思っただけよ。ところで……こんなところで何をしているの?」
「え、えーっと、この扉を通りたければチューしてみせろって言われて、いまからチューしようとしてたところです」
御神様というのはミルヴァ様のことかな……と頭の隅で考えながら、リリーは問われたことに対して正直すぎる答えを返した。
事情を理解したのか、ヤレヤレといった表情になった女性は扉の方を向いてスゥと息を吸い込んだ。
「御神様! 変なイタズラしてないで扉を開けてください!」
叱りつけるような厳しい声。
「……ちぇっ、あとちょっとでリリーのチューが見れるところだったのに……」
威厳に満ちていた天の声が、ふてくされた子供のように変わった。
渋々と音をたてて、固く閉ざされていた扉が開く。
良くわからなかったがチューはしなくてもよくなったみたいだ……とリリーはホッとしたような残念なような、複雑な気持ちになった。
開かれた扉の向こうには夜空が広がっていた。等間隔に伸びるいくつもの柱。
その奥には、大きな椅子に座る小さな人影があった。




