04 聖域の森
午後からの授業もすっぽかしたリリーたちは、作戦決行のため街はずれにやって来ていた。
「たしかこのあたりだったと思うんだけど……」
リリーはヤブに囲まれたあぜ道を歩きながら、道沿いの片側を壁のように続く垂直の岩壁を眺めていた。
高い塀のようなそれは小高い岩山で、中をくり抜くような形で『聖域の森』が存在している。
岩山は聖堂の裏手と繋がっており、本来であるならば聖堂の裏からでないと岩山の中には入れない。
聖堂は岩山を削りだして作られたものなので、厳密には繋がっているというよりも元々ひとつのものだったというほうが近い。
いわゆる自然に守られた聖域というわけだが、魔法結界もはられていて人工の守りも万全のようだった。
リリーは「このあたりかな?」と見当をつけ、かがんでヤブをかきわけ中へと入っていく。
しばらくして「あったあった! みんな来て来て!」と中から声がする。
ミントは獲物に飛びかかる前の猫のようにお尻をふりふり、クロは幽霊のようにのっそりと、イヴは気の進まない様子で中に入っていった。
ヤブの中は空間になっていて、壁の側で中腰になったリリーが手招きしている。
「これこれ! この穴から出入りできるんだよ!」
リリーが示す壁にはタヌキの巣のような穴が空いていた。
「ホントに入れんの?」と疑いの目を向けるイヴ。
「いこーいこー!」と今すぐにでも入りたそうなミント。
「……」ゆっくり瞬きのみ繰り返すクロ。
「言い出しっぺはアンタなんだから、最初に入りなさいよね」
「うっ……わ、わかった」
イヴに促されて「よしっ」と袖まくりをするリリー。
邪魔になりそうな装備を外し、覚悟を決めた表情で穴に挑む。
まずは両手を入れ、続いて頭をズボッと突っ込んだ。
穴はそれほど長くはなくて目測した限りでは1メートルくらい。出口は塞がっていないが茂みに覆われていて出た先がどうなっているかはわからない。
子供の頃はするすると楽勝で出入りできたのだが、成長したいまだとかなりキツい。
穴は真ん中のあたりで少し狭くなっており、肩のあたりで早速つっかえた。
窮屈さを感じながらもグリグリ身体をねじって進もうとする。傍からの見た目は穴にはまって抜けなくなった人みたいだった。
「むぎゅうぅ~! みんなお願い、押してえぇ!」
ピンと足を突っ張ってお尻を突き出し、助けを求めるリリー。
「もう、しょうがないわねぇ!」という声とともにリリーのホットパンツごしの尻や太ももにいくつもの手が伸びてくる。
おそらくイヴの手だろう。後ろからぐいっと強く押されたおかげで一気に進む。
「おっ、いいカンジ! その調子その調子! ……って、うっひゃっひゃっひゃっひゃっ!?」
皆の力で助力が得られたのは最初だけですぐにイタズラに変わった。
キャッキャという黄色い声とともにブーツを脱がされ、ホットパンツとサイハイソックスの隙間の太ももや足裏をくすぐられる。
6つの手が下半身を触り放題。手の感触で大体誰がどこを触っているのかがわかった。
リリーは闇雲に足をバタつかせてイタズラっ子たちを追い払おうとする。しかし姿が見えないせいで効果はほとんどない。
まるでいくら追い払っても下半身にやってくる無数の蜘蛛たちに這い回られているようだった。
「や、やめっ、ひゃあーっ!?」
潜入であるにもかかわらずリリーはたまらず絶叫してしまった。
手で岩壁をかきむしり、必死なって魔の手から逃れようとする。
笑うと力が入らなくなるので声を出さないようにする。
穴から半身を出した女の子がウッヒッヒッヒッヒと堪え笑いをしながらもがく姿はたまらなく妙だった。穴の反対には誰もいなかったのが不幸中の幸い。
しばらくして、ようやくリリーの身体は穴から抜けた。
「はぁ、はぁ、はぁ、やっと抜けれた」
肩でぜいぜい息をする。まさかこんなに苦労するとは思わなかった。
「……よぉし、次の人来てー!」
穴に向かって呼びかけるリリー。仕返ししてやろうと手をワキワキさせて待ち構える。
次に来たのはミントだった。小さい頃のリリーと同じくらいの彼女はお返しする間もないほどスムーズに穴を通過する。
後につづくクロも細身なので黒ウナギのようにニョロンと通り抜けた。
いつも先頭に立ちたがるイヴであったがこの時ばかりは進んでしんがりを引き受けた。
自分はリリーと似たような体格なのですんなりとは通れないだろう、とくしぐりを警戒しての選択だった。
やってみたら案の定リリーと同じ所で詰まった。
イヴはリリーに比べて腰は細いものの胸やお尻は大きいので引っ掛かりポイントが多いのだ。
なんとか顔だけ反対側に出したイヴの元にメンバーが駆けつける。早速その顔をベタベタと触りだした。
頬や鼻を摘んで変顔にしたり、長いツインテールの毛先を使って首筋をコチョコチョする。
「ちょ、やめなさいっ! なんでこういう時だけ連携がしっかりしてんのよっ!?」
事前の打ち合わせなどなかったが巧みな協力でお姫様の顔をすみずみマッサージするリリーたち。
くすぐったがりのイヴはすぐに破顔し、長いしゃっくりのようなヒャーッという引きつり笑いをあげた。
「うひっ、ひゃっ、ひひっ、ひゃあっ! ちょ、ひひっ、いいっ、はひっ、いいっ、はひぃっ、加減にっ、なさいっ。いい加減にっ…………うがぁーっ!!」
とうとうキレたイヴは鎖に繋がれた猛獣のように暴れだす。
顔をブンブン振ってまとわりつく手を振り払い、両手で駄々っ子みたいにパンチを繰り出しはじめた。
「やめてイヴちゃん!」
「いったーい!?」
「……」
ボコボコ殴られて退散するリリーたち。
「やめるのはそっちでしょーがーっ!!」
もはや隠密行動であることを忘れたかのように大声をあげる一行。
ふざけるのを自制し、イヴの両手を持ってカブを抜くみたいに引っ張って穴を通るのを手伝った。
ようやく穴をくぐり終えたリリーたちは、今いる茂みの中から顔だけ出してあたりの様子を伺ってみた。
広がる光景に「うわぁ……」と感嘆する少女たち。
そこは洞窟の中のはずなのに美しい森が広がっていた。
ホタルのような薄明るい白い粒子が漂い、どこにも光源らしきものがないのにほんわりと明るい。
木々は緑々しく地面には色とりどりの花が咲き乱れ、ウサギや鹿、小鳥やリスなどの動物が楽しそうに行き交っている。
さながらおとぎの国のような幻想的な光景だった。
「わぁーい!」
「あ、ダメ! ミントちゃんっ!」
ヤブの中から飛び出すミント、咄嗟に後を追うリリー。
追いついて後ろから抱き上げる。
「遠くに行っちゃうと誰かに見つかっちゃうかもしれないから、一緒にいよっ」
言い聞かせ、リリーはミントを抱っこしたまま探索を開始した。
あたりの様子を伺いながら、レンガで舗装された道をゆっくりと進む。
用心はしてみたものの、人の気配は全然なかった。
動物たちは近くに寄っても逃げようとせず、植物たちはどれも一番美しい姿を保ったまま時が止まっているようだった。
この世とは思えない浮世離れした世界に心奪われ、リリーたちは現実を忘れて夢の中にいるかのように足取りがふわふわと軽くなる。
途中で真っ赤なリンゴが鈴なりになっている木を見つけ、あまりに美味しそうだったのでミントに木に登って取ってもらった。
さっそく丸かじりしてみると、シャリッとした歯ごたえはあるものの噛むとふかしたジャガイモみたいに口の中でホロリと崩れた。
楽しい歯ごたえのあとに口いっぱい広がる蜜の味。
「「「おいひい~!」」」
ひと口噛んだ瞬間、思わずハモるリリーとミントとイヴ。
クロは両手でリンゴを支えたままリスのように一心不乱にかじっている。
普段食べているリンゴよりずっと甘くて芳醇。
「帰りにもっと貰って帰りましょうよ」
イヴは口の中に半分くらいリンゴを詰め込んだまま興奮気味に言った。
一行はリンゴをかじりつつさらに小道を歩いていくと、遠くに湖が見えた。
遠目からでもわかるその美しさに、また目を丸くする。
エメラルドが溶け出したようなブルーの水面がキラキラと光を放っている。まるで地面に埋まった巨大な宝石が陽炎で揺らいでいるようだった。
「「「わあーっ!?」」」
歓声をあげた一同は、もはや人目もはばからずに湖に向かって駈け出した。
湖の端には誰かが立っていて、そこでようやく本来の目的を思い出し立ち止まる。
水浴びをしていた人影はハッと息を呑み、リリーたちの方を向いた。
特徴的なシルエット。リリーと同じくらいの小柄で華奢な身体、しかし身体のラインはくっきりとしており、何よりも背中には大きな白い翼が生えていた。
裸体を隠すように自らを抱き、怯えたような表情のその少女は……シロミミ・ナグサだった。




