02
魔王に支配された世界の夜のように、リリーの頭の中は闇に包まれていた。
それを打ち破ったのは、時計台から響いた朝を知らせる鐘。
リリーは毎朝その鐘によって起きる。彼女にとっては目覚めの鐘。
効果はてきめんで、弾かれたよう立ち上がった。
「シロちゃん、シロちゃん、シロちゃん……! シロちゃんに会いたい……会って話がしたいっ!!」
学院をやめるにしても理由を本人の口から聞かないと気が済まない。
思い立ったらもいてもたってもいられなくなる。
「シロちゃんを……探さなきゃ!!」
アテはなかったがじっとしていられなかったのでシロの部屋を飛び出すリリー。
廊下を出たとたんパーティメンバーたちと鉢合わせた。
「あっ、みんなっ!?」
「なに、アンタここにいたの」
探していたような口ぶりのイヴ。その後ろに控えるミントとクロ。
シロもいるんじゃないかとリリーは一瞬期待したが、姿は見当たらなかった。
この面子が揃っているときは当たり前のようにいる存在がどこにもいなくて、今更ながらにシロは本当に失踪してしまったんだという実感がわいてくる。
「どうしようイヴちゃん! シロちゃんがいなくなっちゃったぁ!!」
じわりと目尻に濡らしたリリーはイヴの肩をガッと掴み、垂れた金色のツインテールごと激しく揺さぶった。
「しっ、知ってるわよ……って、ちょっと! やめなさいっ!」
水飲み鳥みたいにガクンガクンとなったイヴはたまらず肩にかけられた手を払いのける。
「落ち着きなさい、まったく……朝起きたら扉のところにシロからの手紙があって、学院をやめるって書いてあったわ」
言いながらイヴは腰のポーチから封筒を取り出し、ピッと突きつけた。リリーがもらったのと同じ押し花のやつだ。
クロも同一デザインの封筒を無言で掲げている。
「ミントはこれー!」
両手で高く絵本を持ち上げる元気少女。手の間では逆立ったポニーテールが第3の手のように添えられている。
絵本のタイトルは『さよならねこくん』。
字の読めないミントに対しては手紙を残さず、かわりに絵本を置いていったんだろう。
「シロちゃんによんでもらうのー!」
その送り主がいないとも知らず期待に胸をふくらませている。
ミントの穢れなき笑顔を見たリリーは、いかに自分がよこしまだったかと罪の意識に苛まれる。
「きっと……私がマッサージにかこつけて身体をさわりまくっちゃったから怒ったんだ……」
うなだれるリリーをイヴは溜息で一蹴した。
「ハァ、まったく、アンタに触られていちいち嫌いになってちゃキリがないわよ。それじゃアタシなんかとっくの昔よ」
くすぐったがりだということを知っているくせにリリーはイヴの身体を触りたがる。
その度に怒って拳で撃退しているのだが何日かするとまたやって来るのだ。
「だってイヴちゃんの身体って触ると気持ちいいんだもん」と言いながら悪びれもせず来るリリー。
イヴはそんなリリーをウザがっていた。
だが内心ではくすぐったいのも楽しみつつアハハウフフと触りっことかしてみたい……とも思っていた。
偏屈な性格からくる気恥ずかしさが邪魔をして素直になれずにいるのだ。
「……イヴちゃんも私に触られるの、イヤだった……?」
顔をあげたリリーは今にも泣きそうな顔をしていた。
シロの失踪でだいぶ弱気になっているようだった。
「そ、そんなこと一言も言ってないでしょ、バカッ!」
「うう……どうしよう……イヴちゃん……」
情けない声でイヴの肩にまた手をかける。
今度は力なく、すがるように弱々しい。
「こうしててもはじまらないわ。手紙には学院をやめるって書いてあったから学長の所に行ってみましょう……ってホラ、いつまでもメソメソしないの!」
しなだれかかろうとしたリリーに対し、イヴは容赦なくデコピンで追い返す。
額が弾けるようなバチンという音とともにリリーに喝が入った。
「あいたっ!? ……うっ、うんっ! ……そ、そうだ、そうだね。こうしててもはじまらない……だから行動あるのみだ! よぉしっ! ちょっと待ってて、部屋から装備取ってくる!」
シャツの袖で目をゴシゴシこすったあと、リリーは脱兎のごとく駈け出した。
廊下を突っ切り、階段を三段抜かしで跳ね、自分の部屋へと飛び込む。
リリーはいつも玄関側に装備を立てかけている。
まずは鞘に入った剣を取り、腰に装着した。
銅合金で作られたその剣は軽くて扱いやすく、青銅のような見た目のわりによく斬れるのでお気に入りだ。
ちなみにイヴ愛用の両手剣は鋼鉄製でかなり重く、リリーの力では振るのもひと苦労だったりする。
つぎに盾を取って肩に担ぐ。
馴染みの商店で買った木盾を鉄で補強してもらったやつだ。木盾の軽さと鉄盾の防御力を半分ずつ併せ持つオトクな盾だ。
装備を整えたリリーは玄関口からベッドの宮棚にある写真立てに向かって「ママ、行ってくるね!」と挨拶してから部屋を出た。
寮の入り口で待っていたパーティメンバーと合流、普段通学するようにまわりの生徒たちと挨拶をかわしながら、自分たちの学校である『ツヴィートーク女学院』へと向かった。
「はいはい、シロミミ・ナグサさんからの退学届は預かってますよ。朝ここに来たら入口のポストに入ってました」
マホガニーの大きな書斎机の向こうにいる学長は答えた。
学長は忙しい身であるにも関わらず、約束なく詰めかけたリリーたちをイヤな顔ひとつせず招き入れてくれた。
好々婆という形容がピッタリくる小柄で品のいい華年の女性……だけどかつては一流の冒険者。それがツヴィートーク女学院の学長である。
学長室の入口にはポストがあり、不在のときなどの連絡用や目安箱として利用されている。シロの退学届はそこに入れられていたというのだ。
「礼儀正しいシロミミさんがこのような形で届け出るなんて、きっと何か深い理由があるに違いないと思うの。あなた方、なにかご存知なぁい?」
やさしい声で問われ、リリーが代表して答える。
「あの、私たちにも心あたりがなくて……今朝、手紙をもらってシロちゃんがいなくなったことを知ったんです。学長ならなにか聞いてるかなと思ってここに来たんですが……」
「あらあら、そうなの? お互いイキナリだったというわけね……わかりました。それではシロミミさんの保護者である聖堂主様にお伺いしてみる必要がありそうねぇ」
学長は年輪の刻まれた手を頬に当て、困ったように顔を振った。
「はい……私たちもこれから聖堂に行ってみます」
リリーは次の目的地を告げる。ここで手掛かりがなければシロの実家でもある聖堂に行こうと思っていたのだ。
「あらあら、授業はどうするの?」
「シロはアタシたちのパーティメンバーです! それ以上に大事な用なんてありません!」
横から割り込んだイヴがきっぱりと宣言する。啖呵を切るその姿を見てカッコイイ……と心を奪われるリリー。
「シロちゃんは私たちのパーティメンバーですっ! えーっと、それより大事なものなんてありませんっ!」
自分もやりたくなって、つい真似してしまうリリー。横目でイヴから睨まれてしまった。
「わかりました。お行きなさい、先生方には私から伝えておきます。……シロミミさんはいいお友達を持っているようね」
授業をサボろうとする生徒に対し、学長は怒るどころかウンウンと大きく頷いて褒めてくれた。
リリーたちはお礼を言って学長室を出た。一行は始業の鐘を聞きながら学院を出て聖堂へと向かった。
「おはよー、シロちゃんいる?」
聖堂に着いたリリーは正門付近で掃き掃除をしていた白いローブの女性に慣れた様子で声をかける。
リリーは幼い頃、聖堂を遊び場にしていたので中にいる聖堂者たちともほとんど顔なじみだ。
「あ、おはようリリー。シロ? いまの時間は学校じゃないの?」
リリーよりひとまわり以上お姉さんに見える女性はホウキを動かす手を休めず答える。
「いないから探しに来たんだ。シロちゃんのことだからココにいるんじゃないかと思って」
「朝からここで掃除してるけど、来てないわねぇ」
「そっか……じゃあさ、聖堂主様はいる?」
「そういえば聖堂主様の姿もお見かけしてないわ、中におられるのかもしれないけど」
「サンキュー」と軽く返礼したリリーは門をくぐり、聖堂へのポーチ階段をあがっていく。あとに続く仲間たち。
開放された大きな両扉から聖堂内に入ると、このバスティド島の主神である女神『ミルヴァルメルシルソルド』のフレスコ画が迎えてくれる。
白い大理石でできた白亜の室内。厳かな雰囲気ではあるがここを遊び場としていたリリーにとっては落ち着く空間だった。
ひんやりした空気を感じながら、リリーは勝手知ったる我が家のように奥へと進んでいった。
入っても問題なさそうな所から次々と調べていく。
礼拝堂、懺悔室、説教室、展示室……冒険で死んだ者たちが復活したときに目覚める小部屋もひとつひとつ見てまわった。
ここでの顔が知れているリリーは普通の礼拝者が入れないような場所も何食わぬ顔して出入りができる。聖堂者たちの生活空間などだ。
聖堂主の許可がないと入れない一部のところは直前で門番に止められたが、拝み倒して入れてもらったり、それが通じない所では話して気をそらしているスキにミントに忍び込んで調べてもらった。
しかし結局……シロの姿を見つけることはできなかった。




