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「り……リリーっ! 気をしっかり持ちな! 魔王の側近は人間を絶望させる力を持ってるんだ。飲まれたら最後っ……アイツの思うがままだ!」
息も絶え絶えのロサーナさんに叱られる。
その言葉を私は他人事のように聞いていた。
……なるほど。ヴァンターギュと初めて会ったとき、急に身体がだるくなってやる気がなくなったのはそういうことだったのか。
理由はわかった。だけど……どうしろっていうの?
私も、みんなも、ロサーナさんも重傷を負わされて、まともに動くこともできない。
これだけの敵に囲まれているというのに、反撃できる武器もなにひとつない。
「サァ……贄トナリ、永久ノ苦痛ヲ受ケルがイイ……覚悟ハイイカ……」
ヴァンターギュの言うとおり、今の私たちにできることは、覚悟することくらいじゃないか……。
「ま……まだだっ! まだこっちの番は終わっちゃいないよっ!!」
最後の力を振り絞って叫ぶロサーナさん。まだ彼女はあきらめていなかった。
ブレードのついたアームを引き寄せて構える。まだ戦う気でいるのかと思ったが、なんとその切っ先を自分の胸に向け、躊躇なく突き立てた。
「ロサーナさんっ!?!?」
「ぐはあっ!!」
めり込んだ刃のスキマから血が吹き出し、私の顔を濡らす。
このままではヴァンターギュに捕まるのは明白で、無限の苦痛を受けるのは避けられない。
だからその前に自らの手で命を断つ……!!
だけど……自殺しちゃったらミルヴァ様の加護で復活できなくなる……本当に死んじゃうつもりなんだ……!!
「グフフフフフフ……! 我ガ贄トナルヨリ、滅ビルコトヲ選ンダカ……!」
生贄になってヴァンターギュ復活の手助けをするくらいだったら、死んだほうがマシ……それが……ロサーナさんの最後の抵抗……!!
不意に血まみれの手が伸びてきて、私の頬をつねった。
「リリー、お前は勇者なんだろうっ!? 閉じ込められてくすぶって、ひねくれきったババアに生きる希望を与えた本物の勇者じゃないのかいっ!? だったら……だったらそんな顔するんじゃないよっ! たとえ地獄の底に落ちても不敵に笑う……それが勇者だっ!!」
「ろ、ロサーナさん……」
「アレを……アレを……やるんだっ!! オマエにできる、最後の一撃……それをあのいけすかない野郎にブチかましてやんなっ!!」
伝説の勇者は死ぬつもりなんかじゃなかった。私に喝を入れるために、そして最後の一撃のヒントを与えるために、自らの胸をえぐったんだ……!!
私は頬に当てられたしわがれた手を握りしめる。そして静かに、呪文を口にした。
「スィーラ・サティル・リブレ……」
ママが教えてくれた『勇者の呪文』。私が使えるみっつの呪文のうちのひとつ。
詠唱が終わると同時に頭の中で稲光がはじけた。落雷を受けた樹木のように、身体が燃えあがる。
引き裂かれたお腹の血は止まらない。だが、身体だけはしっかりと動くのを感じた。
そして絶望も、恐怖も消え去った。あるのは今、勝利を信じきって私を見下ろすアイツに一発カマしてやることだけ……!!
「……ソ……ソノ魔法ワッ!? ナゼ貴様ノヨウナ小娘ガ……!?」
ヴァンターギュは私が唱えた呪文に驚いていた。
だが、本命はそっちじゃない。私はフフッ、と不敵な笑みを浮かべた。
右手をロサーナさんの胸に、左手をロサーナさんのお腹に当てる。
「…………いたいの…………いたいの…………」
続けざまにもうひとつの呪文を詠唱する。
「ナ……ナニヲッ!?」
一斉に後ずさる魔王の側近。人々を苦しめることに喜びを見出すその悪の権化に向けて、私は『最後の一撃』を放つ……!!
「とんでけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
私の、イヴちゃんの、ミントちゃんの、シロちゃんの、クロちゃんの……そして、ロサーナさんの痛みを集め、てのひらから一気に放出……!!
巨大な波動が、悪の軍団を包む。
「バッ……バカナッ……!?」
いままで変質しなかった漆黒の鎧にビキビキと亀裂が走る。
隕石がぶつかったみたいに、表面にクレーターのような跡が次々とつく。
信じられない破壊力に、自分でやっておきながら我が目を疑う。
そして遂に、決着の時がやってきた。
「ウッ……ウワァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーッ!!!!!」
黒板を爪で引っ掻いたみたいな不快極まりない、金切り声の慟哭があたりをビリビリと揺らす。
次々に、そして粉々に砕け散る鎧の軍団。
最後の一体が爆散すると、中から青い光が一斉に飛び出した。
無数の光。その中には人の姿が見える。
勇者、魔法使い、僧侶、戦士、盗賊……いろんな冒険者たちだった。
きっと……ヴァンターギュの肉体復活のために捕らえられていた人たちの魂なんだろう。
まるでお礼を言うように私のまわりをぐるんと回ったあと、空に昇っていく光たち。
や、やっと終わった…………ってひと息ついてる場合じゃなかった。
私は残った力を振り絞ってシロちゃんのところまで這っていく。純白のローブが真っ赤に染まった彼女を見てびっくり、半泣きになりながら揺り起こす。
なんとか気づいてくれた彼女は私に治癒魔法をかけようとしたが、その手を押しとどめて先にシロちゃん自身にかけてもらった。
怪我の痛みがあると集中力が途切れ、呪文が失敗するから「いたいのいたいのとんでいけ」を彼女にかけまくって援護した。
回復したシロちゃんはまた私に治癒呪文をかけようとしたが、ふたたびその手を押しとどめて今度はロサーナさんを治すようお願いした。
いつのまにか勇気をあげていて、そして最後に勇気をお返ししてくれたおばあさん……。その元へ走るシロちゃんの背中を見送りながら、私の意識はそこで限界を迎え、暗転した。
……。
…………。
………………。
暖かい光と、やわらかい感触。心地よい振動と、清潔感のあるみずみずしい香り……まるでゆりかごの中にいるような心地よさ。
その素敵な感覚を、過去に何度か味わったことがある。
瞼を開けると……夕暮れの森の中だった。
ゆっくりと顔をあげ、あたりを見回す。
私はイヴちゃんに背負われて、みんなと一緒に歩いていた。
先頭を進むのは車椅子に乗ったロサーナさん。膝上にはミントちゃんが座っている。
後に続くのはシロちゃんとクロちゃん、そして最後尾に私を背負うイヴちゃん。
ああ……みんな無事だったんだ。……よ、よかったぁ……。
後ろを向くと、遠ざかっていく『クリスタルパレス』が。塔のてっぺんからはまだモクモク煙があがっている。
万事うまくいったようで、ツヴィートークに帰ってるんだろう。
ああ……やっと……やっと帰れる……。日数にするとたった数日なんだけど、もう何年も帰ってないような気分だ。
なんにしても、もう何も心配することはない。
大好きなお姫様の背中という、ママの背中にもひけをとらない特等席で寮の部屋まで連れてってもらおっと。イヴちゃんと間違われてさらわれたんだから、そのくらいしてもらってもいいよね。
そうと決めた私は静かにすることにした。気がついていることがバレたら振り落とされちゃうから。
彼女は本当はくすぐったいハズなのに黙って私を背負ってくれている。
普段からは考えられないその姿……もしかしてイヴちゃんって意識ないほうがやさしいのかな。
まぁ……普通は誰でもそうか。意識ない人に厳しいなんて、ただの鬼だよね。
なんて思っていたら、
「以前背負った時より重いわ……。ああもうっ、メンドくさいからここで置いてっちゃおうかしら」
などと言い出した。鬼か。
慌ててシロちゃんが交代を申し出ていたが「アンタには無理よ」と断っていた。
それには同感だが、どんな心地良さかを知るため無茶を承知でいちどシロちゃんにおんぶしてもらいたい。クロちゃん、ミントちゃんでも歓迎だ。
なんて平和なことを考えていると……前方の茂みがガサガサと揺れて、人影が飛び出してきた。
最初はモンスターかと思ってみんな身構えたが違った。4人の女の子だ。
真ん中にいる白衣を着た女性が一歩前に出る。他の子は黒いローブをまとっており、引き立て役のように後ろに下がった。
「お帰りなさいっスゥ」
リーダーらしき白衣の女性はまっすぐイヴちゃんを見ながら、気さくなカンジで声をかけてきた。




