20
「わぁぁぁぁぁあああああああああーーーーーーーーーーっ!!!!!」
まるで奈落のような、底の見えない穴を落ちていく。
足首を掴まれてるから引きずり込まれているような気分だ。
もうっ……バカバカバカっ! リリーのバカっ!
大勝利をおさめたあと調子にのって油断して、このザマ!
トロールと心中だなんて絶対にイヤだ!
な、なんとか……なんとかしないとっ!!
考えているうちに下のほうから ぐちゃりと何かが潰れるような音がした。
熟れきったトマトを床に叩きつけたような嫌な音……!!
き、きっと、先に落ちた『悪食トロール』が床に叩きつけられたんだ。
もしかして……もっ、もしかしなくても……つ、次は私の番っ!?
あわわわわわわ!?
じ、自殺して死んだら復活できないっていうけど……これはどうなるのっ!?
それにトロールはあんな音だったけど……私が地面についたらどんな音がするんだろう。
べちゃっ、だろうか、それとも、くしゃっ、だろうか……。
死に際にたてる音を想像してひとり身震いする。
こうやって長い時間滞空するのはラマールの遺跡で罠に引っかかった時以来。
あのときはクロちゃんが一緒だったからよかったけど、今はひとりだから心細いったらありゃしない。
……あっ! そ、そうだっ! 遺跡のときはもがいたらロープに引っかかったんだ!!
私は思い出したようにガムシャラに手足をバタつかせる。
「うおおおおおおおおっ!! な、なんでもいいから引っかかってぇ!!」
しかしそう何度も同じ奇跡が起こるはずもなく、ついにお尻に何かが触れた。
次の瞬間お尻全体が柔らかいものに包み込まれたかと思うと、深く沈み込む。
反動でまた数メートル飛び上がり、今度は固い床にべしゃりと叩きつけられる。
「ぐえっ!?」
おもいっきり腹打ちしてしまい、潰されたカエルみたいな声を出してしまった。
い、痛ったぁぁ~っ……で、でも……なんだかわかんないけど……助かった。
お腹をさすりながら起き上がり、あたりを見回す。一見すると落ちた階と同じカンジのホールだが、違いがいくつか見受けられる。
中央には大きな昇降機があり、そのど真ん中には転落死した『悪食トロール』の亡骸が横たわっている。
私はあの上に落ちて、ぶよぶよのお腹がトランポリンがわりになったから助かったんだ……。
遺跡と同じ奇跡は起こらなかったけど……違う奇跡で助かった。
あんなに気持ち悪いと思っていたトロールのお腹で助かるだなんて皮肉なものだけど……。
そんなことよりもここは何階くらいなんだろう。最上階からだいぶ降りてきたと思うんだけど……。
クリスタルの壁のほうを見ると岩山の腹と木の梢が見えた。
おおっ、大地の気配がする。いままでは空の上にいるみたいに霞んだ景観だったけど、地に足がついたような等身大の景色が広がっている。
脱出が現実味を帯びてきた気がして、がぜんやる気が出てくる。
そうだ。真ん中の昇降機が動かせればこのまま出口のあるフロアまで降りれるんじゃないだろうか。
まるで動く応接間みたいな見た目の昇降機。テーブルやらソファやらがあったようだがトロールの背中で潰されたようだ。
側に行って調べてみたが動かすための仕掛けは見つからなかった。
うーん、どこか別の場所で制御してるのかなぁ。今までのパターンで考えると……陰の塔とかで。
でもそれだったらこっちからでは動かせないことになる。
どうしようかとあたりを見回していると『陰の塔 監聴室』と書かれたドアプレートが目に入った。
何か手がかりがあるかと思い、用心しつつ中に入ってみる。
ここは……陰の塔を見張るための部屋かな。
中央には伝声管と拡声器のようなものが放射状にいくつもあり、まわりにはトロッコレールの分岐点にあるような大きなレバーが取り囲んでいる。
拡声器のひとつから声が聞こえてきた。いきなりだったのでちょっとドッキリしてしまう。
……三人の女の子の声だ。
「あぁん、ランチの用意が大変だよぉ」
幼そうな女の子の声。
「まさかあんなに食べなさる方とはねぇ」
しっとりした感じの女の子の声。
「まったく……我ら三人の数倍食べるんじゃないか」
凛々しそうな女の子の声。
三人はキッチンのようなところで料理をしているようだ。
たぶん私とロサーナさんの昼食を作っているんだろう。連日おかわり要求をしたせいでいっぱい作ろうとしているみたいだ。……ちょっと気の毒なことしちゃったかな。
「でもあの娘からは品位を感じなかったが……本当にミルヴァランスの姫なのか?」
「たしかに田舎娘っぽいね。でも赤いのが好きな人、っていう情報を元に探したらあの方になったのさ」
「なるほど、あの赤毛はよほどの赤好きだろうからな。疑う余地はなさそうだ」
「もぉ~そんなことどうでもいいでしょ~それよりも手伝ってよぉ~」
「ああ、スマンスマン」
ちょっと気の毒だとか思ったのは取り消し。確かに品位はあるほうじゃないしどちらかといえば都会的じゃないと思うけど……陰で指摘されると傷つく。
会話の中に出てきたミルヴァランスの姫ってイヴちゃんのことじゃないか。
たしかこの島のお姫様って戴冠式までは民衆の前には姿を見せず、また名前も公開しないって聞いた。今回みたいにさらわれたりするのを防止するためらしい。
子供の頃のイヴちゃんをお城から連れだしたとき教育係の人からメチャクチャ怒られたことがあるんだけどその理由からだろう。
たぶん犯人たちはミルヴァランスの姫……イヴちゃんの顔や名前を知らなかったんだ。
でも「赤いのが好き」というのだけ知ってたからそれをヒントにして当てはまる人物を探してたんだろう。
確かにイヴちゃんは赤が好きだ。ツインテールを結わうリボンは真っ赤だし、赤い服を好んで着る。私は赤より青が好きなんだけど、髪の毛が赤いせいでイヴちゃんと間違われてしまった。
でも……いくら赤が好きとはいえ髪の毛まで染めたりするかなぁ?
もちろん私のは染めてるんじゃなくて天然だけど。
私がなぜお姫様扱いされていたのか……ようやく謎がとけた。
要するに穴だらけの誘拐作戦に巻き込まれたということか。
まったく……ズサンな計画は良くない! 私が言うのもなんだけど! それに誘拐はもっとよくない!!
腹立ちまぎれに側にあったレバーを倒すと、拡声器からバチッという弾けるような音ともに三人分の悲鳴が聞こえた。
「い、いったぁ~!」
「きゅ、急にカミナリが落ちてきたよぉ~!?」
「監聴室の懲罰装置が誤動作したんだ! それかモンスターがいじったのかもしれん!」
「も~っ、びっくりしてこぼしちゃったよぉ」
「まったく、これじゃあホントに奴隷になったみたいじゃないか」
なるほど……陰の塔にいる人たちの仕事ぶりを拡声器で聞いて、サボってるようだったらレバーを引いて遠隔で体罰を与えていたのか。
奴隷でもない人たちにウッカリ罰を与えたのはちょっと悪い気もしたけど……誘拐犯の一味なんだったら少しくらいお返ししてもいいよね。
拡声器の側にある伝声管を使えばおそらく会話もできるんだろうけど、逃げ出したのがバレると厄介だからやめておこう。
ちょっとスッキリした気分で部屋を出ると、あたりは暗くなっていた。
あれ、もう夜? と思っていたら、
「……グフフ……」
地響きのような含み笑いが聞こえた。
何事かと思いあたりを見回す。そばに巨大な何かがいると気づくまでには時間がかかった。
通路を塞ぐように立っていたのは……影のように黒い全身鎧だった。
鎧は人間が着るサイズの数倍あり、巨人用かと思うほど大きい。
しかし中に誰かが入っている気配はなく、がらんどう。
背中からはクジャクの翼みたいに磔台が伸びていて、そこには干からびた死体が固定されていた。まるでミイラが組み体操の「扇」をやってるみたいに見える。
まるで処刑人の着ていた鎧が幽霊になったみたいなそれは……明らかに私を見下ろしていた。
顔にあたる部分には黒い鉄仮面。だがその向こうには空洞が広がっている。
「……マダ、人間ガ居タカ……」
声にあわせて鉄仮面が震え、カタカタと音をたてた。
う……動く鎧のモンスター……!?
リビングメイルというやつだ。魔法とかの力で動いてるってのは授業で習ったことがある。
クロちゃんが使役魔法で藁人形を動かしてたことがあったけどその一種かもしれない。クロちゃんの藁人形『ストロー』は顔がないけどアグレッシブに身振り手振りするので術者よりも感情が豊かだったりする。
しかしいま目の前にいるオバケ鎧の感情表現はジェスチャーじゃなくて……普通にしゃべってる……!
それに……『悪食トロール』なんて比較にならない威圧感。トロールは生理的嫌悪感だったが、こっちはとてつもなく大きな絶望。
見ているだけで敗北感が全身を支配し、力が抜けていく。
こんなとんでもないヤツに……勝てるわけがないっ……ううっ……降参しようか……いやいやいやいや、ここまで来て何言ってるんだ私は…………!!
あきらめの気持ちがわきあがってくるが、懸命に抵抗する。
コイツと相対していると、だんだん自分がちっぽけに思えてくる……。
気持ちをしっかり持っていないとヤバい。絶望感に押しつぶされそうになる。
たまらなくなって走って逃げようとしたが、数歩のところで突然ガクリと身体のバランスが崩れ、前のめりに倒れてしまった。
な、何かに躓いたかなと起き上がって足元を見ると……ふくらはぎのあたりから足が無くなっていた。
「えっ!?」
鋭利な刃物でスパッと切られたみたいになっていて、ホースから出る水のごとく断面から血がドバドバと吹き出している。
う……嘘っ!? 一体なにがどうなっちゃったの!?
罠にでも引っかかったかとあたりを見回しているとオバケ鎧が手をかざした。同時に私の腰のあたりの絨毯が弾ける音とともに裂け、腰のあたりに激痛が走った。
「ぐぅっ!?」
たまらず腰を押さえると手がヌルッとする。ドレスの脇腹のあたりがパックリと裂けており、ジワジワと血が染みこんでいた。
まさかこれがアイツの攻撃!? 風の精霊魔法みたいなのを出してきた……詠唱もなんにもしてないのに!!
「サァ……逃ゲルガイイ……」
ガシャンと金属の身体を鳴らして踏み出る鎧。
言われるまでもない。私はうつぶせになり両手をつかって這い出す。
絨毯には無数の裂き傷と、こびりついて変色した血痕があちこちにあった。
間違いなくあの攻撃の痕跡だ。きっとすぐには殺さず切り裂いていたぶってから殺してきたんだろう。
なんて悪趣味な……!
だけどそれ以上に問題なのは、いま私がそのターゲットになってるってことだ……!!
腕やら太ももやら背中やらのドレスの生地が裂ける音がする。そしてむずむず痒くなる。きっと皮膚も切られたんだ。
だけどそれを痛がっているヒマも、ショックを受けているヒマもない。
私は絨毯の起毛を掴み、必死になって這い、逃げ惑う。
しかしオバケ鎧の歩く速度のほうが速く、ついに追いつかれてしまった。
「グフフ……逃ゲロ……逃ゲロ……」
足を振り上げ、私が逃げるギリギリのところを踏みしめる。
踏み潰すフリをして楽しんでいるんだ。
背後のガシャンガシャンという重金属音が私を追い立てる。
腕がしびれて感覚がない。二の腕が膨れてパンパンになっている。もう限界だけど……負けて……たまるか!!
どんなにいじめられても……たとえ下半身がなくなったとしても……あきらめるもんかっ!!
生きてさえいれば、なんとかなる……なんとかなるんだっ!!
わぁわぁと叫び、自分に喝を入れながら動かない腕を無理矢理動かす。
オバケ鎧にとっては明らかに終わっている状況。足を怪我した子鹿をからかうライオンの心境だろう。
ここから助かる術はない。それでもなお逃げようとする愚か者はさぞ滑稽に見えることだろう。
面白くてたまらないのかグフ、グフと含み笑いが聞こえる。
それでも私は足掻くのをやめなかった。あきらめがいいほうなのか、悪い方なのか、自分でもわからなくなる時がある。
だけど今は……あきらめたくないっ!!
ただの床なのに、まるで地獄の絶壁を登っているかのような苦しさ。
せっかく掴んだ脱出のチャンス。だが手を離せば落ちてしまう。
落ちまいと、逃すまいと、大声で自分を励ます。握力がなくなってきて、床に爪を立てて這い進んだ。
やがて声も枯れ、爪先に血がにじんできた。血を流し過ぎたのかそれとも疲労が限界にきたのか視界も霞んできた。
しかも……目の前には行き止まりの水晶の壁。
しまった……! と一瞬思ったが、壁の向こうに立っていた人影を認め、私は残る力を振り絞って叫んだ。




