16
数時間後、ベッドから起きだしたミントとシロとノワセットがリビングにやって来た。
なぜか仲良し親子みたいに手を繋いでいる。もちろんミントが真ん中だ。
その気配を感じた瞬間、クロはそれまでずっと起きていたような淀みのなさでアタシの身体から離れていった。
ああ、やっと解放された。こんな長いことくすぐったい思いをしたのは生まれて初めてかもしれない。
リリーを助けだしたら同じ時間だけアイツに抱きついて、同じ目にあわせてやろうかしら。
そんなことよりも……夜も明けたし、そろそろ眠れる変態獅子を起こさなきゃならないようね。
気の乗らない足どりでスーのベッドへと向かうと、相変わらず大いびきで寝ていた。
その憎たらしい寝顔を眺めながらゆっくりと脚を振り上げる。そのまま鼻根めがけてブーツのカカトを落とした。
ゴチン! という鈍い音の直後に「ふんぎゃあ!?」と踏まれた猫みたいな悲鳴があがる。まともに顔面カカト落としをくらったスーはびっくりして跳ね起きた。
「な、何事っ!? こ、ここはどこっスゥ!? うおっ!? 悪魔鬼っ!? ってギャアー!? なんで縛られてるっスゥ!?」
あたりをキョロキョロ見回してアタシの姿を認めて驚き逃げようとしたが手足を縛られていることに気づき絶叫する。
さらっと悪口が混じった気がしたが、これ以上コイツともめてもしょうがないのでさっさと話を進める。
「これ以上おいかけっこをするほどこっちはヒマじゃないの。いままでのことは許してあげるから、さっさとハスレイに案内なさい」
拘束をほどいてやるとすかさず足元にヘッドスライディングしてきた。
「ううっ……やっぱりバスティドの女の子は女神様っスゥ~!」
得意のウソ泣きをしながらブーツにすがりつき、ほおずりしだす。
この女はアタシよりだいぶ年上のはずなのに、プライドはないんだろうか。
「そして足のニオイも素敵っスゥ~! ムギュっ!?」
ドサクサにまぎれてニオイを嗅ぎだしたので容赦なくふんずけてやった。
出発準備を終えたアタシたちは揃って宿の食堂へ向かい、朝食をとった。
メニューはクロワッサンにサラダにベーコンエッグにオレンジジュースと普通だったが、何か変なものが入ってないか念のためスーに毒味させてから食べた。
チェックアウトをすませて宿を出ると、昨晩雨が降ったのか地面がぬかるんでいた。
ぬかるみ浸かるようにずっぷりと足を沈めながら、ラビニー馬車がアタシたちを待っていた。
ラビニーは馬の要素がところどころ入った巨大なウサギみたいな生き物だ。
全身はウサギのようにモコモコで長い垂れ耳だが、顔は馬のように面長で尻尾も長いストレートヘアーみたいになっている。
鼻をヒクヒクさせるウサギらしい仕草をしながら、馬っぽくブルルルと鳴いている。
「かわいい~!」
「よろしくお願いいたします」
さっそくラビニーと頬を寄せ合うミントと丁寧にお辞儀するシロ。
その様子をぼんやりした瞳で眺めるクロとノワセット。
「宿の従業員にお願いして準備してもらったっスゥ、さぁ、乗った乗った!」
スーに促されたが、念のため怪しい仕掛けがないかしっかりチェックする。
「信用ないっスゥ……」と落胆されたが、油断はしない。
なにせ短時間で汗をかかせる辛い料理と汗をとるための蒸し風呂、さらには睡眠薬まで用意させたのだ。
コイツは見下げた変態だが、行動力と手際の良さだけは見習うべきものがある。
「ヘッドレストの隣に肩を押さえるやつがあるからそれを使うっスゥ」
乗り込んで向かい合わせの長椅子に座ると、前の御者席のスーから指示が飛んできた。
ヘッドレストの両隣が動くようになっていて、それを倒すとちょうど肩が押さえつけられる形になった。
肩が押さえられていれば激しく動いても座席から落ちたりしないわけか。なるほど、これはいい。何よりも腰に巻くロープとかじゃないのが素晴らしい。
この機構は一刻も早く世に広めるべきだと思った。
「準備オッケーっスゥ? それじゃ、行くっスゥ。ハーイヤー!! ハスレイまでレッツゴーっスゥ!!」
かけ声とともに手綱が引かれると、ラビニーの垂れた耳がピーンと立った。
直後、毛玉でモコモコの腿からウサギのような長い脚が伸びて勢いよく飛んだ。脚は馬みたいに毛が生えてなくてアンバランスで、なんだか気持悪い見た目だったが跳躍力は驚異的だった。
アタシたちが泊まった宿は5階建てだが、それをひとっ飛びで越えたのだ。
確かにこれなら三日ほどの道のりが数時間に短縮されるというのも納得できる。
だが乗り心地は最悪。以前ドライトークでトロッコを高いところから突き落とすケッターという乗り物に乗ったことがあるが、それと同じくらいに揺れまくる。
激しく上下する窓の外の景色。飛び上がったり落下したりを繰り返し、まるで断続的に大きな地震が来ているみたいだ。
油断すると酔ってしまいそう。外の景色でも見て気を紛らわそうかと前を向くと、遠方に村らしき集落が見えた。
「って、違うじゃないのっ!?」
アタシは慌てて前の席のスーに呼びかけた。
「えっ!?」
手綱をあやつりながら振り返るスー。
「ハスレイは南西のほうでしょ!? 向かう方向が逆じゃない!?」
遠くに見える村はおそらくラカノンだ。ということはいま北東に向かって進んでいることになる。
「ええっ? 何!? 聞こえないっスゥ!?」
ラビニーが跳ねるたびに馬車が激しく軋む。ガタガタうるさいうえに揺れるので会話がままならない。
「いいから今すぐ止まりなさいっ!!!」
アタシは唾を飛ばす勢いで怒鳴った。早く引き返さないと大変なことになる。
なぜならこのまま行くとラカノンに着き、そのまま進むとツヴィートークに行ってしまう。ツヴィートークにはアタシたちみたいな女の子の冒険者見習いがたくさんいる。
それを見てしまったらコイツは狂犬病にかかった発情イノシシのように暴走するのは間違いない。
「ええっ!? いいからオマタのニオイを嗅ぎなさい!?」
首がねじ切れんばかりに顔をこちらに向けるスー。
まるで砂漠でオアシスを見つけ、水が飲めるのは嬉しいけどもしかしたら幻かも……みたいな戸惑い気味の笑顔を浮かべている。
もう以前ほどのためらいはない。愛想笑いを返すくらいの感覚でスーの頭にゲンコツをくらわす。
「ギャア!? ひ、ひどいっスゥ~!!」
頭を抑えてうずくまるスー。手綱が離れてラビニーのジャンプが止まった。
「ひどいのはアンタの方よ、まったく……真逆に向かってたわよ」
「あ…そうなんっスゥ? いやあどうも地図とか方角とは苦手で……いつも迷うんスゥけど地続きになってるからテキトーに走ればいつかは着くだろうと思ってそのまま行っちゃうっスゥ」
大陸横断してもなお目的地に着かないコイツの方向音痴っぷりがわかるような気がした。
最初から間違ってるうえにそれを正そうともせず走り続けてるんだから永久に着くわけがない。
ラビニーを方向転換させたあと、改めてハスレイに向かった。
揺れるなか地図を見て確認し、あさっての方向に向かってるときは後部座席から遠慮なく頭を殴って方向修正させた。
「ぐ、ぐぉぉぉ……頭がボッコボコになったっスゥ……」
数時間後、無事ハスレイの村に到着した。だいぶ殴ったのでスゥは馬車を降りるなり頭を抱えた。
「だ、大丈夫ですか? あの、治癒魔法を……」
おろおろと心配するシロ。どうせたいしたことないのを大げさに痛がってるだけなのに……まったくこの子は疑うことを知らなすぎる。
それに何度も嫌な目にあわされた相手を気遣うなんて付け込んでくれと言ってるようなもんじゃないか。
「ち、治癒魔法よりも……に、ニオイを嗅がせてくれれば元気になるっスゥ」
「に、におい? 私のですか? ……は、はいっ、か、かしこまりました……それでお元気になるのでしたら……」
「イーヤッフォー!!」
お許しが出たとばかりにシロのローブの中めがけてすべりこんだスーは、しつけのなってない犬みたいにグリグリと股間に顔を擦りつけだした。
多少の恥ずかしい行為をされるであろうと覚悟した表情のシロであったが、想像以上のイタズラをされて悲鳴混じりに息を呑んだ。そのまま貧血を起こしたように倒れる。
アタシはスーの足首を掴んで引っぱり離したあと、その状態のまま回転して身体を引きずりまわしてやった。
回る速度をあげていくと勢いがつき、スーの身体が浮いた。それでも回転はやめずにハンマー投げのようにブン回した。いわゆるジャイアントスイングというやつだ。
「ギャアアアアアア!? メリー・ゴー・ラウンド!?」
360度全方位に絶叫を響かせる女研究者。
「いい加減っ……節操ってもんを知りなさぁぁぁぁぁぁーーーーーいっ!!!!!」
吠えつつ手を離すと、女研究者は人間大砲で発射されたみたいにすっ飛んでいった。
途中にあった廃屋の壁に激突、もろくなっていた壁をやぶって中に突っ込んだ。直後、衝撃で崩れてきた屋根で生き埋めになる。
助けてやる気は全くなかったのでほっといていると、すぐにガレキの山から這い出てきた。
「はぁぁ……お、オマタまでいいニオイだったっスゥ……」
木屑にまみれながら恍惚とした表情を浮かべている。よく他人の股間のニオイなんて嗅ぐ気になるもんだ。
騒ぎを聞きつけて数人の村人たちが集まっていたがそれが全村人と聞いてびっくりした。先にスゥから聞いていたものの想像以上にハスレイは寂しい村のようだ。
家屋はたくさんあるのだがどれも廃屋で、数軒ほどの民家があるだけで宿どころか店らしきものが一切なかった。
手分けして情報収集するほど村人は多くなかったので、その場でまとめてみんなの話を聞いた。
村人たちによるとここは農業による自給自足がメインで外部との繋がりはひと月にいちど来る行商くらい、なのでアタシたちみたいな冒険者が来るのは珍しいことらしい。
ならば誰かが来れば覚えているはず、と思い尋ねてみると数日前に馬車が通りかかったそうだ。
馬車は特に村には立ち寄らず、この先の『ナインパレス』に向かったらしい。
ナインパレス。かつての大貴族たちが栄華を競うように建てた9つの塔が存在する一大リゾート地。
だが戦争時代を経て荒れ果て、いまはモンスターの巣窟になっているようだ。
……そんなところにリリーを連れていっていったい何をするつもりなんだろうか。
さらった奴らの目的は未だ不明だが、居場所はだいぶ絞り込むことができた。よぉし、待ってらっしゃいよ、リリー。
アタシたちは村の中央にある大きなオブジェのような案内板の前に集まった。
ここいら一体がリゾート地であった頃の名残。板に描かれているような賑やかさは微塵もなく、もはや朽ちてボロボロであったが9つの塔の位置くらいは辛うじて判別できる。
おそらく馬車は塔のどれかに向かっていったんだろうと仮定したが、広い範囲に点在する塔をひとつひとつ調べていくのは時間がかかりすぎる。
どうにかして馬車が向かった塔を特定しないと。
「ノワセット、馬車がどの塔に行ったか足跡で追跡できる?」
「雨で地面の跡が消えてるから無理なの」
あっさりと首を左右に振るノワセット。
昨晩はかなり雨が降ったようで地面はグチャグチャになっている。そうなると馬車の車輪跡もなくなってしまうのか……。
足跡追跡がダメなら、と思いつく他のアテといえばひとつしかない。横目でチラリとスゥのほうを見ると、ミントを肩車しながら無邪気に遊んでいた。
「肩車はいいっスゥねぇ。間接吸引とはいえ合法的にオマタのニオイが嗅げるっスゥ」
パッと見は大人の女が子供をあやしているように見えるが、全然そんなことはなかった。
あの台詞を口にしたのがおっさんだったらあっという間に叩きのめされて守衛に突き出されているいることだろう。コイツは見た目でだいぶ得をしている。
「……ねぇ、スー。アンタのその鼻で馬車がどっち行ったかわからない?」
変態嗅覚に頼るのはあんまり気が進まなかったが、そのおかげでハスレイまで来れたようなところもある。
「えっ? ツインテさんも肩車してほしいっスゥ?」
全く見当違いの返答をかえしてくるスー。鼻は異様にいいクセに耳は悪いのか。
「太ももで首をへし折ってもいいならやらせてあげるわよ」
「ま、まだ死にたくないっスゥ。……実はさっきから嗅いでるっスゥけど、馬車を降りてないせいかニオイがしないっスゥ」
慌てて取り繕うスー。聞き間違えてたのはフリだったのか……たぶん馬車の中でもそうだったんだろう。
やっぱりコイツはわざとアホっぽく振る舞い、飄々とし、周囲の目を欺いて自分の都合のいいように物事を運んでいる。それにまんまと乗せられるアタシはいったい何なんだろうか。
だけども今は自己嫌悪に陥ってる場合じゃない。あと一歩のところまで来てるハズなんだ。
そう思うと心が急く。今すぐにでも飛び出していって手あたり次第に塔の前に行って叫びたい気分だ「帰るわよ、リリー!!」って。
でも慌てちゃダメだ。いくら手がかりがなくても走り出す前にまず考える。冒険者の基本だ。
なにかいい手はないかと考え込んでいると、クロとノワセットに介抱されていたシロが意識を取り戻した。
ミントと遊んでいるスーを見て「お元気になられたんですね」と安心している。まったく……底抜けのお人よしだ。
「みてみて~!」
ミントが嬉しそうに駆け寄ってきた。正確には肩車されているので駆け寄ってきたのはスゥなのであるが、ふたりして満面の笑顔なのでなんだか妙な光景だ。
「とりさん、つかまえた!」
ミントは両手で包みこむようにして鳥を抱えていた。
鳥のクチバシには大きな木の実が刺さっている。おそらく木の実をついばんでいるうちに刺さってしまい、抜けなくなったところを捕まったんだろう。
「なんかどんくさそうなヤツねぇ……まるで誰かさんみたい。なんて鳥よ?」
背後から「ナツワタリ」というクロの声がした。
目を白黒させながら手の中でもがくナツワタリ。その姿は窮地に遭遇したリリーのリアクションそっくりだ。
「ねーねー、なんかついてるよ?」
バタつかせる鳥脚にはこよりのようなものが結んであった。ほどいてみると、なにやら字が書いてある。
『わたしはお姫さまです。お姫さまなのでもちろん大金持ちです。
金色にかがやくツインテールが似合っていて、とってもかわいいです。
だけど怒りっぽいところがあるので、これからは怒るのをひかえます。
特に身体をさわると怒るけど、これからは怒りません。
あとは頼まれたら宿題も見せてあげます。
なので助けてください。』
「うがーっ!!」
アタシは紙をビリビリに破いて空に撒き散らした。
これを書いたのはリリーだ、間違いない。あのバカっ、なんて手紙をバラ撒いてるの。
これじゃまるでアタシがさらわれたみたいじゃないか。
「なんてかいてあったの~?」
「知らないわよっ!」
そう叫んでハッとなった。ついカッとなって最後まで読まずに引きちぎってしまったことを。




